都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

十条富士

2011-07-01 | 北区   
十条富士神社・富士塚
所在地:北区中十条2-14
Photo 2011.6.11

 もともとは古墳だったらしい。江戸時代後期に、その上に溶岩や石碑が配され富士塚とされたのだそうだ。現在も7月初め(ちょうど今日)に山開きが行われ、「おふじさん」と呼ばれるお祭りは多くの人で賑わうのだという。北区の指定有形民俗文化財にもなっている。

 30段の階段を上ると狭い頂上に立つことができる。たかが築山なのだが、登頂するとやっぱりちょっとうれしい。この日は夕方遅くなってから辿り着いたので、ちょっと怪しい写真になってしまった。もういちど明るいうちに訪れなくては・・・。

 ところでこの富士塚、都道460号線(日光御成道・岩槻街道)の拡幅事業により、存亡の危機に立たされているという。現在の状況を詳しくは知らないので軽々に言えないが、このまま道路拡幅がされると、富士塚は道路に引っかかってしまうらしい。山を削るのか、移設するのか、それとも道路計画を変更するのか? 文化財保護と道路建設のどちらが優先されるのだろうか。

 個人的にはこのままなんとか残してほしい。ただ確かに目の前の道路は歩道がなく、今のままではあまり道路環境的には良くない。それでも車線数を増やすほどの拡幅は必要ない気がする。歩道を両側に確保するぐらいの拡幅なら富士塚は削られないのではないかと思うが、将来を見越してとかなんとか言って広い道を造るのだろうか。壊してしまうのだとしたら、もったいない、もったいない・・・。

十条 冨士 (お富士さん) とまちづくり
芙蓉庵 [有坂蓉子] の【富士塚日記】【富士塚】十条富士
東京いいとこ自転車散歩富士塚一覧表北区の富士塚

Wikipedia > 富士塚
#古い建物 北区  #山  #神社  #モニュメント  #旧街道 
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三井造船駒場寮

2011-04-24 | 目黒区  
三井造船駒場寮
所在地:目黒区駒場4-1
建設年:昭和初期
構造・階数:木2
設計 :山田醇
備考 :解体
Photo 1990.1.14

 旧前田侯爵邸正門の正面にあった洋館。撮影当時は何の建物なのか気に留めず、とりあえず古い洋館だなぁと思って撮ったもの。ハーフティンバーの2階建て。塀や植木があったため1Fの様子はよく見えず、塀越しに見える大きな屋根がただ印象的だった。最近になって改めて確認したら既に取り壊されていた。解体時期も未把握。

 日本近代建築総覧には造船会社の寮と記されていたが、どちらかというと大型の住宅のようで、集合住宅にはあまり見えなかった記憶がある。もしかすると昔は誰かの御屋敷だったのかもしれないが、そのあたりについても調べていないので不明。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 目黒区  #近代建築  #住宅系  #集合住宅  #洋館・洋風住宅  #山田醇 
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2008年もよろしく

2008-01-05 | 山梨県  
山梨県富士河口湖町富士ヶ嶺より Photo 2008.1.4

遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

おきまりではありますが、一回目は富士山の画像で。

#山 #世界遺産 
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富士薄暮

2007-08-29 | 山梨県  
山梨県南都留郡富士河口湖町富士ヶ嶺
Photo 2007.8.25 18:30
#山 #世界遺産 
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富士山が見える場所

2007-05-18 | Weblog 

 少し前から気になっているが、まだ答えが分からないことが一つある。それは「富士山が見える場所」についての問題。

新宿L-Tower南側デッキから、都庁のわきにわずかに見える富士山
新宿区西新宿1-6
Photo 2006.2.5

 日暮里の富士見坂から富士山が見えることはよく知られている。江戸時代からある富士見坂で、現在もよく富士山が見えるのはここだけだという。そこで沸いてくる疑問。

 富士見坂から見えるのはここだけかもしれないけど、他にはそういう場所は無いのかしら?

 というわけで、なんとなく網を張っていたのだが、未だに分からないので、Blogにちょっと書いてみて、読者の方々からの情報をお待ちする次第。下記の4条件を全て満たす場所を御存知でしたら御一報を。

1.部分的でも良いので富士山が見える。
2.ビルなどからではなく、地上で見える。
3.山手線の内側の地域、もしくは隅田川の西側の中央区か台東区内であること。
4.日暮里富士見坂と、護国寺前の不忍通りの富士見坂は既知なので除外。

 東京都庁、文京区役所など、高層ビルの展望台からならいくらでも見えるのだが、地上から見えるという情報はあまりない。一方、江東区の海沿いや、横浜、荒川の土手など、手前に水面などがあって遮るものがない場所では、よく見えることが知られている。それから、山手線より西側の地域、落合や中井の高台からは、今も富士山が見えているようだし、足立区など東京の北部でも、広い土地があるためか見えるらしい。

 しかし、山手線の内側の地域や都心の下町となると、なかなかそのような場所がないのではないかと思われる。

 少し前の新聞記事で、鈴木理生氏が、小さい頃の体験として、四谷の上智大学のグラウンドを囲む高みから、迎賓館(旧赤坂離宮)や絵画館の建物越しに富士山が見えた、と書いておられた。だが、その場所から現在も見えるかどうかは不明。

 上記の条件を満たす場所が見つからない場合、条件を少し変えて、

1.部分的でも良いので富士山が見える。
2.山手線の内側の地域
3.橋、人工地盤上、鉄道車内、高速道路高架上のいずれかから見える。

の全てを満たす場所でも良いので、情報を募集致します。

 ちなみに、山手線の外側ではありますが、新宿L-Towerの2F歩行者デッキ上からは、西新宿の超高層ビルの隙間を通して、ほんの少しだけ富士山が見えています(上の写真)。また、山手線の高田馬場~目白間において、電車が神田川を渡る瞬間に富士山が見えるという話もあります。もしこれ以外で、見えるところを知ってるぞ、見たことがあるぞ、という方は、是非情報をお寄せ下さい。

東京の富士見について

富士見坂眺望研究会
富士見坂通信
日暮里富士見坂からの眺望(Site.Y.M 建築・都市徘徊)
日暮里富士見坂(都市徘徊Blog)
平成「富士見坂」事情坂学会
#眺望  #山
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麻機遠望

2007-05-08 | 静岡県  
静岡市葵区柳原より葵区北方面。谷に架かる橋は建設中の第二東名。
Photo 2007.5.7

 サギやケリが田で餌をついばむ。望遠が無いので80mm相当でむりやり撮影。こんな時は望遠が欲しくなるな~。

静岡の街並み
#街並み 静岡県  #山
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愛宕山から

2007-04-16 | 静岡県  
静岡市葵区愛宕山から市内北部方面、右方の高い山が龍爪山
Photo 1989.8.21
静岡の街並み
#街並み 静岡県  #眺望  #山
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谷津山の鉄塔

2007-03-26 | 静岡県  

 静岡の街なかには谷津山という小さな山があり、その頂上近くに二つの鉄塔が建っている。

谷津山の鉄塔 旧NHK静岡(JOPK)ラジオ送信塔
設計 :1930(昭和5) 内藤多仲
完成 :1931(昭和6)
Photo 2007.3.19(新幹線の車窓から撮影)

 新幹線で東京から静岡に到着する直前、右側に見える山が谷津山。二つの鉄塔も車窓からちゃんと見える。私にとっては、まもなく静岡駅到着だなという目印になっている風景でもある。
 谷津山は標高約100m。小さな子供でも簡単に上れる山というか丘で、私自身、小さい頃から何度も登ったことがある。街なかにあるので静岡市民にとって馴染み深い山で、頂上近くにある鉄塔も、皆が知っている。

谷津山頂上東側から Photo 1989.8.21

 現在は東海大学という文字が取り付けられている鉄塔だが、静岡生まれのお年寄りの多くは、これがもともとは、NHK静岡放送局によって設置された、ラジオ送信用アンテナであったことを知っている。コールサインはJOPK。静岡で初めてのラジオ放送が行われた歴史的施設なのだ。谷津山西側の清水山の麓には、清水公園という小さな公園があり、そこにはJOPKの放送記念碑(ラジオ塔)がある。音羽町だったか柚木あたりだったかは忘れたが、山の麓に最初の局舎が置かれたのだそうだ。

 静岡市の中心部にほど近い場所で、存在感を持ってたたずむ二つの鉄塔。だが、ネットで検索すると、意外なほど記載数が少なく、細かいことは分からなかった。ただ、「http://blog.livedoor.jp/helicamera/archives/50448993.html」には、現地視察の記録が載っていて、鉄塔・アンテナとしての機能や現状はなんとなく分かる。
 それによると「鉄塔の基部には「昭和6年製造」の銘板がある」という。また「左右の鉄塔の間にアンテナ線を渡し、丁度その中間から下に給電線を下ろす仕組みの旧式の中波ラジオアンテナで、その形からT型アンテナと言われることもある。」のだそうだ。現在は「給電ケーブルが切れていて」送信はされていないらしい。

 ただ、写真ではよく分からないが、今も二つの鉄塔の間には何らかの空中線があり、その途中から縦の線も下がっている。東海大学は、NHKが駅南の方にラジオ送信塔を建てた後に、この鉄塔を所有することになったという。そしてその後は、送信用ではなく受信用にこれを使っているという話も聞いたことがある。 私が小学生の頃は鉄塔本体に触ることもできたが、大人になってから訪ねてみたら、周囲が囲われていて近づけなくなっていた。詳細は不明だが、やはり何らかの方法で今でも使われているらしい。

 昭和の初期にラジオの送信塔として建設された鉄塔であることは昔から知っていたので、このへんまでは、ある程度、想定の範囲内。でも、これを設計したのが誰かなんてことは、静岡生まれの私でも今まで全く知らなかった。鉄塔だから、どこかの技術者が設計したのだろう程度にしか考えていなかった。

 ところが先日、本屋さんでINAX出版の本を立ち読みしていたら、思いもよらぬ記述を発見。塔博士、内藤多仲について書かれた「タワー・内藤多仲と三塔物語」という本なのだが、それに、静岡のラジオ送信塔も昭和初期に内藤博士が設計したものだと書かれていた。おおーっ!、内藤先生だったのかー!

 内藤多仲博士(1886~1970)は、耐震壁など耐震構造を研究した構造設計の大家だが、名古屋や札幌のテレビ塔、大阪の通天閣、そしてなんと言っても東京タワーを設計した、塔博士として知られる。全国で200以上の鉄塔の設計をしたとも言われ、ある意味、日本の近代の塔のイメージを創ってしまった人なのではないかと思う。子供が描く塔の形ってみんな、東京タワーみたいな形してたもんな。

 静岡のNHK鉄塔は、戦前のもので、ラジオ草創期の送信塔であり、内藤多仲設計の塔の中でも古い部類に属する。なんと言っても築76年。名古屋のテレビ塔(1954)は近代化遺産に指定されたようだが、それよりも更に20年以上古い。でも静岡市民は、内藤多仲博士の設計だなんてことは、ほとんど知らない。またこれが全国的に見て、ラジオ送信塔として古い方の部類のものだということもあまり知られていない。
 二本の鉄塔の間に空中線を張って、それを使って送信するというスタイルも古く、歴史的技術史的に価値があるものなのではないだろうか。1925(大正14)に東京の愛宕山で始められたラジオ放送の際の鉄塔も同じタイプ。東京の方は早々に無くなってしまったが、静岡にはまだ鉄塔が残っている。
 だが、現在、この鉄塔は文化財指定等は全くされていないようだ。静岡の人々は、第二次世界大戦の空襲をくぐり抜けて建ち続けているこの鉄塔の、近代化遺産としての重要性にもっと注目すべきなのではないかと思う。
 

 さて、話はかわるが、小学生の頃、学校で谷津山に関する唄を習ったことがある。
 今回、鉄塔の話を書いていて思い出したので、ネットで調べてみたのだが、詳細は全然分からなかった。メロディーは意外にハッキリ覚えているのだが、歌詞はあやふや。

 「あおい谷津山、お茶の山、みかんもぽつぽつ見えてます。峰はたかだか、陽はうらら。上ろよ上ろ、じゃんけんぽんよ、峰はたかだかお茶の山。」
 とかいう歌詞だった記憶がある。1番と2番がごっちゃになってるのかもしれないが・・・。
 曲名は「お茶の山」か「谷津山」だった気がする。
 でもあの歌は、もしかして私の通っていた学校だけで歌われていた曲だったのかしら??

 唄にもなった谷津山。山だけでなく、鉄塔も静岡市民にとって馴染み深い風景だ。静岡の誰もが知っている風景を成す、谷津山と鉄塔の風景を、これからも是非残して欲しいものだ。

静岡の建築静岡の街並み
#古い建物 静岡県  #街並み 静岡県  #眺望  #山  #塔  #内藤多仲 
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静岡の雪

2006-07-25 | 静岡県  

 小さな頃にCanon 110 EDで撮った故郷の風景

静岡市北:裏山の茶畑
Photo 1980.2.10

 静岡市はほとんど雪が降らない街だ。東京も一年に二、三回しか積もることがないが、静岡では数年に一度。雪が積もったら大騒ぎである。この日、雪が積もったので、喜び勇んで自転車で裏山に行き、農道を上り、更に茶畑の中を尾根筋まで歩いて写真を撮った。お茶の畝に雪が積もり、縞模様になった写真など、雪の少ない静岡では滅多に撮れるものではない。子どもながらになかなかのショットだったと思うが、やはり画質はいまいち。

 ただこの時、あまりに興奮してあっちこっち歩き回る内にかなり時間が経ってしまい、父親が心配して山を探し回る事態になってしまった。本人は面白くて仕方がなかったのだが、両親はさぞかし心配しただろうと今になって思う。

 静岡での雪の写真は本当に時間との勝負だ。夜半に降り積もったとしても翌朝にはたいがい止んでしまい、お日様が昇ってあっという間に解けてしまう。私が静岡に住んでいる間、このような写真は、その後、二度と撮ることはできなかった。

 次第に一眼レフを使うようになったため、その後はあまり使わなくなったが、Canon 110 ED は、雪を撮りに行った時に使ったカメラとして記憶に残っている。

静岡の街並み
#山  #雪 
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日暮里富士見坂

2006-01-29 | 荒川区  
日暮里富士見坂からダイヤモンド富士を望む
Photo 2006.1.28 17:02

 久しぶりに日暮里富士見坂へ行ってみた。東京には江戸期から富士見坂と称する坂がいくつかある。しかし富士見坂という名が付けられた坂で、しかも山手線の内側で古くからあるもので、現在も富士山が見えるのは、この日暮里富士見坂と、大塚の不忍通りの富士見坂の二箇所しかないという。不忍通りの富士見坂の方は建物でかなり見えなくなっていて、比較的よく見えているのはこの日暮里富士見坂のみ。

 富士山が見える、というと、都庁や文京区役所に行けば見えるじゃんと言われるかも知れない。そう、高い所に行けばもちろん見える。ビルの上から見るというのは、ある意味眺望の独占である。そこからよく見えるということは、その後ろの陰になった場所からは全く見えないことを意味する。ビルに居る特定少数の人が、地上の不特定多数の人の眺望を奪っている。都庁の展望室は誰でも行けるが、早朝や夜間には開いていなくて、いつでも見られるわけではない。だから地形の上から見えるということ、誰でもいつでも見ることができるということは、非常に価値あることなのだ。

 さて日暮里富士見坂からは、毎年11月中旬と1月下旬に、太陽が富士山の頂上付近に沈む現象が見られる。日没の瞬間、富士をシルエットに太陽が光り輝く様子から「ダイヤモンド富士」と呼ばれている。新聞等でも何度もとりあげられているので、ご存じの方も多いかと思う。

 太陽の沈む位置は、毎日少しずつ変わる。今回のダイヤモンド富士は1月28日~31日、夕方16時50分頃である。だが昨日、実は私は日没に間に合わなかった! 日没後数分経過しているが、まだ空は茜色で富士山のそばの雲に光が反射して輝いている。

富士への日没を見る人々
Photo 2006.1.28 17:03

 近年は、日没時刻の少し前から人が集まりだし、日没時には数十人が集団で富士を見るという、ちょっと面白い光景を見ることができる。昔はあちこちの富士見坂や坂から日常的に富士山が見えたらしい。もちろん印象的な風景だから、昨日も記したように浮世絵などの絵画にも描かれているのだが、富士見は現在ほどは特殊な状態ではなかったはずだ。都心でほとんど唯一の富士見の場所であるという特殊な状況が、非日常的な場所性を強めている。

 ダイヤモンド富士などは、交通整理のお巡りさんなども現れ、一種のお祭りになっている。夕方30分限定のお祭り。主役は富士と太陽。見るものは示し合わせてあっという間に集まり、日没の十数分後にはもとの静かな坂に戻る。

日暮里富士見坂の夕暮れ
Photo 2006.1.28 17:06

 富士見坂からの風景は、上野台地から西南方向へ眺めるもの。不忍通りの谷の反対側には、本郷通りを尾根道とする本郷台地が見える。昔はほとんどの建物が平屋か二階建てだったので、地形に沿って甍の波が見えていたはずだ。

 数年前に本郷通り沿いでマンションが建設されて、富士山の左側が隠れることになった際は建設反対運動も起こった。昔は富士の両裾が見えていたが、今は右側だけ。なかなか強制力を持って富士への眺望を規制できないので、現在は富士を隠すような建設行為のみに運動が展開されている。

 確かに富士山のお姿が気になるので、ついそっちの方だけを注視してしまうのだが、冷静に坂の様子と富士山へのヴィスタ景全体を眺めてみると、周辺の状況も気になってくる。例えば、富士の右側、画面中央に大きく見える不忍通りのマンション。また、遠方左側の東洋大学の校舎も富士より高くなっていて気になる。

 残したいのは、谷になった斜面全体の景色とその向こうにある富士山なのだと思う。富士山さえ見えれば良いというわけではないのだ。額縁に囲われた富士山にはしたくない。富士山が見えなくならないようにという活動はもちろん大切だが、富士へのライン以外の場所は何をしてもOK、という状況は望ましくない。とは言っても、現在の状況ではすぐにはコントロールはできないかもしれない。日暮里富士見坂からの富士山の眺望が、文化景観として多くの人々に愛され、かけがえのない風景遺産になることが重要で、そうなれば、バロックの都市計画で創られたヴィスタ景を守ろうとするパリのような、強制力を持った取り組みをすることができるようになるのだろう。

 日暮里富士見坂からの眺望について

富士見坂眺望研究会
日暮里富士見坂を守る会
日暮里富士見坂からの眺望
東京の斜面地空間−都心部山の手の地形−

#階段・坂 荒川区  #ヴィスタ  #眺望  #山
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