桂坂は高輪の高台から東方へ海へ向かって下る坂道。Photo 2006.3.5
桂坂から海方向の眺望
桂坂からは昔は海が見えていたはずだ。しかし戦後の埋め立てで海は次第に遠くなり、海の眺望は得にくい状況になっていた。それでも海沿いの低地への眺望のある、印象的な坂だった。ところが数年ぶりに行ってみたら、その眺望は激変していた。坂下の海の方にNTT Docomo 品川ビル(港区港南2丁目、29F、145m、2003年3月竣工)が建設され、ロボットみたいな姿が彼方にドーンと見えている。桂坂は坂の途中に大きな石垣が昔からあり、緑もたくさんあって、車の交通量は多いが、なかなか良い雰囲気の坂だったのだが、イヤでもその背後に巨大なお姿が見えてしまうのだ。
ここのところ、何回も「見えてしまうこと」について書き綴ってきたが、ここでもまた場にそぐわないようなものが見えてしまっている。都市開発肯定論者はこの景色を、歴史と現代のコントラストがおもしろいとか、東京ならではの新しい景色だなどというのかもしれない。確かに一つや二つぐらいだったらまだ面白がっていられたのかもしれないのだが、かようにあちこちで「見えてしまう」と、おもしろい、現代的だ、では済まされないような気がしてくる。
その昔、海が見えていた、ということを知らなければ、向こうの方に変な形をした大きなビルが見えているねー、ぐらいなのかもしれないが、本来は海が見えていたということを知ってしまうと、途端に、海が見えると良いんだがなー、海沿いに大きいの建てるなよなぁマッタク・・・、という気分に変わってしまう。
NTT Docomo の建物は、今後数十年は建ち続けるだろう。私が生きているうちには、もうここから、海の方を望むことはできないと考えると、すごく惜しい。残念だ。
桂坂:坂上方向の景色
海方向への眺望が遮られてしまっているので、今度は坂上の方を見てみると、こちらも知らないうちにすごいことになっていた。
坂上の二本榎通りとの交差点のところに高輪・ザ・レジデンス(港区高輪1-27、47F、154m、2005年12月竣工)という超高層マンションが昨年完成していた。海の方にドーン、丘の上にもドーン、である。
桂坂上の交差点には、昭和8年に建てられた高輪消防署二本榎出張所がある。桂坂を下から上っていくと、かわいらしい塔が付いた建物が次第に見えてきて、坂を上りきって近くで見たいという気持ちになったものだが、その消防署も巨大なマンションの足下にこぢんまりと佇んでいて、存在が霞んでしまった。巨大マンションの方は坂を上がらずとも途中から十分すぎるほど見えている。
坂の下に建っている建物が自分よりも遙かに高くて、坂上にいるのに上空から見下ろされてしまっているのは良い気分がしない。しかし、丘の上にそびえ立って見下ろされてしまうのも、やはりあまり良い気がしない。丘の上に建っているんだから、そこまで高くしなくたっていいじゃないのさと思う。話はそれるが、猫などは高いところに上って上から見ることで安全を確保し、見下ろされることに対しては非常に警戒心を持っている。人間もどこかに動物的な本能が残っているからいやなのかもしれない。
高輪・ザ・レジデンスと高輪消防署二本榎出張所
近くまで来てみると、やはり往年の消防署は印象的で素晴らしい建物だ。大きさではなくデザインで存在感があり、年月を経た風格がある。
桂坂のいわれなどについては、坂道コレクションというHPの中に、桂坂があるので、そちらも御覧下さい。
さて、今回の記事を書くにあたって、二つの新しい超高層建物については超高層ビルとパソコンの歴史というHP内の超高層ビルデータベースへリンクを貼らせて頂き、参照して頂くこととした。リンク先の建物写真なども是非見て頂きたい。というのは、リンク先の写真と、拙Blogの写真を、交互に見比べて頂きたいのである。
NTT Docomo 品川ビル 高輪・ザ・レジデンス
超高層ビルデータベース内の個々の建物情報は、あくまでもその建物に関する情報であって、周囲の環境情報は、ここではひとまず除外されている。それはそこで掲載されている写真についても同様で、かのHPの中では、超高層建物はできるだけ当該建築物の全景のみになるように写されている。
一方、拙Blogの写真は、あくまでも周辺状況との関係性の中で超高層建物を捉えようとしているため、建物の手前や左右に様々な建物や緑などが写し込まれている。
建築物を見る態度としては、私の写真の撮り方は正攻法ではないのかもしれない。しかし現在、都市に建つ建物の周囲には、多かれ少なかれ、既存の建物などが存在している。私たちが建物を見るとき、その視野にはほとんど必ず、周辺の環境が映り込んでいる。見ようとする建物を注視すれば、視界には入っていても意識からは除外されてしまうかもしれない。しかし私たちは注視ばかりしているわけではない。必ずや、漠然と周辺環境も含めて全体を眺めている時間があり、むしろそちらの方が体験の割合としては多いはずだ。つまり、建物単体が撮られている写真はやや特殊であり、風景、景色として建物が見えている写真の方が、どちらかといえば日常の視覚体験に近いということなのである。
もちろん私は写真の質の優劣とか撮り方の正誤を言おうとしているのではない。目的の持ち方、意識の向け方によって、撮り方が違ってくること、表現の仕方が異なってくることに留意して頂きたいのだ。都市景観を考える立場に立つと、自ずと街並みとか、周囲との関係性とかから景色を眺めることになり、写真の撮り方も、いわゆる建築写真の建物中心の撮り方とは明らかに違ってくる。
都市部において景観環境の良し悪しを考えるときに考慮すべきなのは、個々の建物のデザインの良否ではなくて、それらがたくさん集まって出来上がる建物群の景色が、全体として快適か不快か、という点だろう。総体としての景観の評価は今後、ますます重要になってくると思われる。
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#住宅系
おっしゃるところの「見えてしまうこと」については、大変痛切に感じるところです。別のページで「覆い尽くすもの(異形)」と表現しました。
これが現実だとすれば、せめてこういう場で(いろいろな方が、多々、成果を挙げられていますが)、時の波間で薄れてゆく残像を引き戻すように、視点を当てられないものかと思います。