都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

高輪で階段三昧1

2006-04-09 | 港区   

 三田~高輪のビル群景観にケチをつけていたら、却って滅入ってきたので、今回は階段と路地を巡って遊ぶ。

清正公前交差点付近から二本榎通り方面へ上る階段
所在地:港区高輪1-17 Photo 2006.3.5

 高輪も地形の起伏があり階段が多い街だ。

 都心南部は北部に比べて、谷が入り組んでいる。小さな谷が多く、谷の奥行きや差し渡しが短い。谷底では囲まれたように感じられる場所が意外に多く、秘密の場所的な地区がいくつかある。高輪や白金というと、高級住宅地、高台、というステロタイプな表現が往々にしてされるが、谷あいには良い意味でそれとは正反対の印象の場所があって、毎度驚かされる。

 この階段は、谷地の密集住宅地の中を行くと現れる。高台側の住宅地との間をつなぐ小さな階段で、最下部がわずかに曲がっているのが形態上の特徴。上りきった先は道路の角になっていて、そこから先の丘には都営アパートなどがあり、視界が開けてくる。谷あいから台地上へ、境界を越えることが体感される階段。

密集住宅地内にある井戸
大谷石の石垣から張り出した住居
所在地:港区高輪1丁目
Photo 2006.3.5

 昨日の記事の場所から200m程度の場所には、木造の小さな住宅が建ち並ぶ一角がある。井戸が残されていたり、大谷石の石垣に変則的に張り出す家があったり、なかなか面白い。数年前まではもっと木造の古い住宅が多かったが、徐々に建て替えられて、新しめの木造住宅が増えている。だが空間のスケール感はあまり変わっていない。

 都心部の階段をあちこち歩いているが、たくさん回っても私は飽きない。次はどんな階段が眼前に現れるのだろうという興味や期待の方が、もう見なくてもいいやという思いを上回る。階段なんて世界中にあるわけだから、階段が嫌いにならない限り、ずっと階段巡りは続く。うわぁーっ、階段中毒者みたいだ。でも不思議と屋内の階段には執着がないんだな、これが。

 私自身、いまだに階段の魅力が何かを一言では言い表せない。そんなにたくさん回ってどうするの?とか、階段の何がそんなに面白いの?と聞かれると、面白いんだものしょうがないじゃないとしか言いようがない。説明するのが面倒くさくなって、マニアなんだから仕方がないとか、理由なんて分からないとか言ってたりもする。さすがに「そこに階段があるからだ」とは恥ずかしくて言わないけれど・・・。

 ただ時折、階段を上下するときに得られる、身体的な高揚感に反応してるのかもしれないと思うことがある。だから、魅力を言葉にするという理屈っぽい左脳的な作業は、私の脳内ではまだあまり行われていないような気がする。簡単にかつ正直に言えば、魅力を言葉にしようとは考えていないのかもしれない。だから、不遜な態度だが「歩けば分かる」みたいなことになる。共感してくれぃ、頭でなく身体で理解してくれぃ、というあたりだろうか。

 街歩きや路地歩きが面白いのも、階段歩きとだいたい同じで、歩いて体験してこそ、初めてその面白さが分かる。街の風景は面白いと思えばいくらでも面白くなる。またあちこち行けば行くほど、面白くなってくる。ただそれは決して全国の名所のどれだけを制覇したかという話ではない。数を稼ぐことや、踏破することには実はあまり意味はない。あちこちを歩きながら見聞きした事柄について、何を考えたか、そして、どれだけためになることと、ためにならないことを考えたか、それが個々人にとって重要なことなんだと思う。

 そうは言っても、街歩きを引率するとき、普通の人が面白く思ってくれるか不安に思うことは結構ある。私はどこへ行っても多かれ少なかれ面白くなってしまうので、正直言って、街なら基本的にどこでも良い。面白くなるきっかけはあちこちに転がっていて、能動的にそれを見つけることさえできればどこでも面白くなる。しかし「普通の」方々は、面白さを積極的に発見することに慣れていない。良い景色というお墨付きを与えられたところのみを見ようとすることが多くて、説明されないと面白さに気がつかない。説明されないほとんどの景色は退屈なものと思ってしまっている人も多い。面白く思えるのは、日頃から無意識のうちに見る訓練をしているからだろう。経験が少なければ、面白く感じることはできない。文物骨董の鑑定に多くの経験が必要なように、街歩きにも経験は必要かもしれない。

 違う見方をするなら、普通の人は、特別ではない景色でも一生懸命アピールされるとすごいものと勘違いしてしまう可能性もある。自分の目や頭、心を信じて見ないと、プロパガンダに弱い「目」になってしまうのではないだろうか? 街に転がっているたくさんの面白い(笑えるという意味ではなく、興味深いという意味で)景色を見過ごしてしまっているのは、かなり損なことだと思う。

 更に話はそれるが、旅行に行ったのにも関わらず、バスの中で窓外を見ず、歌ったり話してばかりいるのには、私的にはあまり意味がない。それは日頃の宴会ですればいい。旅行の面白さは、名所仏閣を拝見する時だけではなく、そこへ至る道すがらの景色にもある。こんなことを言ってると、つきあいが悪い変わり者と思われてしまうのかもしれないが、とにかく私は景色を見たいのさー。

 でも世の中にはいろんな人がいて当然。先日私が、マンガをあまり読まない、ドラマもそれほど見ないと言ったら、それはかなりもったいないことだと知人に言われた。更に、それらをこれから読んだり見たりして、新鮮に感動できるのは羨ましいとさえ言われた。私が街を見て写真を撮ってヨロコンデいる間、他の人はドラマを見て感動したり、知人と電話をして楽しんだりしている。考えてみれば、なんでもかんでも全てのことを極められるほどの時間は私たちには与えられていない。欲張って全てをできるわけがないのだから、何かは捨てて行かねばならない。だから、私は街をフラフラ歩き、階段を巡る。それくらいしか私の存在を実感する術がないからなのかもしれないな。

#階段・坂 港区  #街並み 港区  #路地 
コメント (5)
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