有田芳生の『酔醒漫録』

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大江健三郎さんとの会話

2010-01-15 09:07:35 | 人物

 1月14日(木)大山の事務所で実務。ある方からハッピーロード商店街の今後について相談を受ける。RAOXが閉店、ドーナツ屋が開店など、ここしばらくにも消長がある。医療・福祉中心の産業構造に転換するにも新しい都市作りが密接につながっている。この課題は新著でも明らかにするつもり。「あおい珈琲店」で「選挙用手帳」に予定を記入。新宿で竹村文近さんに鍼を打ってもらう。田中健さんと奥様に遭遇。池袋「リブロ」で大江健三郎さんの『水死』(講談社)発売を記念してのサイン会に並ぶ。10代からいままで読んできた作家の「後期の仕事」に深い思い入れがある。ペリカンの万年筆で丁寧にサインをする大江さんとしばし会話。そもそもの「出会い」は雑誌編集者をしていた20代後半のこと。大江さんとその愛読者だった上田耕一郎さんの対談を依頼したことがある。「これは大江の国家論なんだよ」と上田さんに言われたのは『同時代ゲーム』が出版されたころのこと。いま本棚から取り出してみると、読み終えた「1979、12、23」という日付と70年代の最後に読んだ小説だと感想が書いてある。大江さんからは葉書で対談は難しいとの返事があった。荷が思いという理由である。そこには上田さんの国会質問に注目しているとの記述があり、「テレヴィ」という表記がとても新鮮だった。その大江さんとの会話メモ。「選挙はどうするんですか」「まだやります」。「繰り上げ当選を断ったものですから」「ああ、そうでしたね」。「あなたが政治にかかわるとは思いませんでした」「この国を何とかしなければ」「そうですね」。「あなたとは九州のホテルで会ったことがありましたね」「ロビーでした」「おっ、有田ホーセー(芳生をあえてこう読む方がいる)だって」「そうでしたか」「あのときは痛風がひどいときでね」……。このホテルは大江さんの勘違いで神戸のオリエンタルホテルのこと。いまから16年前のことで、お互いに挨拶をしたわけでもない。大江さんがロビーのソファーに座ったことを覚えているが、それが痛風の痛さからだったとは知る由もなかった。「ご健闘を!」と参議院選挙への励ましの言葉をもらったので「10代からいままで読んできました。ありがとうございました」とお伝えして会場をあとにした。『水死』が大江さん最後の小説になる予感が強いからだった。「おもろ」で泡盛を飲みながらあれこれと思いにふける。