有田芳生の『酔醒漫録』

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傍観者でなく実践者として

2010-01-03 11:21:48 | 随感

 2010年1月3日(日)そのCDジャケットには、タートルネック姿の座った男性に立ったままの若い男性が少し腰をかがめて話しかけている写真が使われている。ときは1957年5月、場所はベルリン。座っているのはヘルベルト・フォン・カラヤン49歳。ジャケット姿の男性はグレン・グールド25歳。コンサートではベートーベンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37やシベリウスの交響曲第5番変ホ長調作品82が演奏された。数少ない共演。音として残されているたった一つの「信じがたい共演」の記録。2人とも鬼籍に入って久しい。このリアルな写真を見ていて「歴史」を思った。古在由重さんと丸山眞男さんの対談『一哲学徒の苦難の道』(岩波現代文庫)を本棚から取り出す。古在さんは「現在を過去として見る」という習慣を持っていると語る。「歴史としての現在」という言い方には、今日がいちばんてっぺんであって、過去はそのためにあるとの「無意識なうぬぼれ」を感じるという。「いまの現実というものもやがて10年たち、20年たてば必ず過去になる」「現実を未来からの過去として見るという見方」である。丸山さんは「歴史への想像力の問題」と賛同している。そうした歴史観から2010年を見ればどうなるのだろうか。政治も経済も過渡期にあることは間違いない。ならば「渡った」先にはなにがあるのか。単なる政策の羅列は構想ではない。ムダを省くことは当り前。それが出来なかったからこその政権交代である。しかし「富の分配」を公平に行うだけでは「道半ば」にすぎない。「富の創造」こそが求められている。そのためには産業構造を成熟社会の対応したものに大きく転換しなければならない。医療・福祉・教育、環境を中心とした社会の建設である。7月に行われる参議院選挙になぜ立候補するのか。それは21世紀の日本に緊急に求められている「成熟社会に対応した居住モデル」を実現し、北朝鮮による拉致問題にさらに積極的にかかわっていくためである。いま求められているのは歴史の傍観者ではなく、実践者だ。そのために全国各地で行動していく。