宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

自虐史観だから見える

2006-08-13 17:21:31 | 政治
この時期になると戦争関係の内容のテレビが多くなる。
ある中国籍と思われるおばさんのコメンテーターといわれるお人が、(名前は知りません?)日本が「自虐史観」で戦後やってきた、いつまでもそんなことでは駄目ではないか?のようなことを言っていた。この言葉は右翼寄りの方々から良く表現される言葉である。散々考えた挙句の適切語を思いついたような言葉であるな。
「過去の反省」を「自虐」と言う捉え方で糾弾しようとするコジツケであるが、あの戦争を起こしたことに対して、日本国民、及び近隣諸国に謝罪する気持ちを持っているのか?
また、悪いことをした、すまないことをした、と言う気持ちがあるのかどうなのか?
それとも、「すまなかった」と言う気持ちは全然ないのか?
謝罪は、言葉だけではその心の内を計れない。
謝罪の気持ちを表わす行動をしているのかどうか?それが肝心要であろう。何故なら、日本のトップたちの信用度は言葉からではなく、行動して初めて重さを判断されるからである。トップの言葉は軽いと言うことだ。言葉は平然と裏切るからだ。
憲法改正、愛国心の強要、共謀罪、有事法制、防衛省への格上げ、自衛隊の海外派兵、これらから、「策謀常習者日本」が、思い起こされ、とても「軍事大国にはならない!」「失った日本の国民に哀悼の意を表する」と言った文言を信用するほど各国は、おバカではない。
日本人は自らの心の中にある「策謀常習者日本」のレッテルをしっかりと見極めなければならないのだが、残念だが、狭い了見が災いする。しかも、世界の知識層はそのように見て、言っていても、日本ジャーナリズムは流石に取り上げはしないだろうから、一般日本人の眼力は衰えるばかりである。
そのように、「日本」と言う国柄をしっかりと両目で見開いて見ないと、世界の、アジアの「心」を理解することは永遠にできないかも知れない、「自虐史観」として「我が国」の嫌な体質、性質から目を背けていれば、適切な判断を誤ることに相成る筈だ。
しっかり見開いて見よ!
上記の、今やろうとしている事柄の数々を見ても分かる通り、およそ、加害者であった国のやることか!
みんなに迷惑を掛けた国のやることか!
「迷惑を掛けた覚えがない!」と言うのなら、お話にもならないが・・・・!
60年間刑務所に入っていたとしよう、出たらもう過去は無かったことにするのか?
それで清算が済んだとするのか?
被害者が「そこまで自分を責めなくともいいよ、悪かったと思う君の気持ちは良く分かったから、これからは真面目に一生懸命に生きてください!」と言う、「心」を引っ張り出すまで最低でも貢献、自重すべきでしょう。
どんな事柄でも、信用を勝ち得るには相当の時間を要するのです。一生懸命被害者に尽くすのです。それが、新生日本の歩む道なのです。
それをないがしろにして、このような数々の振る舞いに世界の目が厳しくなるのは仕方がありません。ドイツが二度に渡って失った信用を、一生懸命取り戻す作業をしているだけに、その比較は甘んじるしかないのです。
このような日本の行動は、同盟国アメリカでさえパールハーバーを彷彿とさせてしまうのです。
世界に尽くしてこそ、浮かぶ瀬もある加工貿易大国日本なのです。


やっぱり安倍さんか?

2006-08-09 23:51:20 | 政治
この辺でまた、あの安倍さんを取り上げてみましょう。
自民党のみなさんは小利口に勝ち馬に乗りたがっている人たちが多いですな。
なかなか流れに逆らうのは困難とみえる。
小泉さんの政治は一言で言いますと、
       「相手を慮る」 がなかった人であったように思います。しかし、情勢分析のようなことは鋭く切れ味があったが、物事の遂行が非常に雑でもあった。
「相手を慮る」と言う事は、対北朝鮮外交の初期展開時は素晴らしい行動力を発揮したが、この「慮る」と言う心掛けに疎い雑な性格が、北朝鮮と仲良くするための会談を拉致問題を契機にして複雑にしてしまい、アメリカネオコンブッシュさんの「悪の枢軸」発言や原油の供給ストップを行わせてしまうことになる。これは、拉致被害者を慮るあまりに、キムジョイルさんの謝罪の心情までをも慮ることをしなかった未熟に因る。
中国や韓国の戦争被害者の心の奥深くに燻り続ける、忘れたかったあの忌まわしいレイプにも似た残酷性を、思い起こすことになることも分からずに、靖国参拝を強行して憚らないような「被害者の思いを慮る心」を喪失している姿勢。
郵政の問題のときもそうであったろう。

この「慮る」心が、彼の政治姿勢の全てになかったのだ。

 では、安倍さんではどうだろうか?
彼は小泉さんほど、雑ではない。ある意味、雑も時には良かろう場合、お陰で他人がホッとできる場合もあるのだ。意識して「雑」を心がける必要な場合だってあるからだ。
安倍さんが雑ではないのは、昔の中国大使館員の自殺を穿り、引っ張り出したりする、女性的なシツコサを合わせ持っているからである。同じタカ、タカ、と続くのは果たしてどうなのだろうか?と言う危惧は始めからある。今までなら自民党はタカの次はハトなのだが、柔軟性の喪失なのか?それとも・・・?
彼の官房での仕事を見る限り、基本路線は対外的には、喧嘩腰、強行姿勢で臨むのであろうが、これは右寄りになっている日本の今の国民性にうまく合致しそうだ。日本人の国民性の心と合致してしまうと、本人も意を強くする、疑問も感ぜず、生まれもせず、ますます制御機能のタガが外れて、拍車を掛けることになる。かつて起こした戦争もきっとそんなだったのだろうと推測もできる。
何故なら、日本の置かれている範囲が、彼の思う心のテリトリーであって、擁護の範囲でもあるが、海を隔てた異国は範疇には入っていなく、見えて、読めてもいないのだ。世界は支持票にはならないからしようがないのかも知れないが、日本の影響力のトップが立場も忘れて、国内支持受けする政策しかしないのでは、何をか言わん・・・・である。
彼に、日本だけではなく、広く、奥深く「相手を慮る」と言う心情を期待するのは、「かえるにションベン」のようなものである。「相手の気持ちを慮る」と言う心がけは、けっして目の前の、人や事象だけではいけない、奥に控えし二次的なる人、事象に対しても行えなければ、その意味を成さないのだ。つまり、北朝鮮に対して、拉致被害者の心情を感じ入るまでは一般人と同等の「慮る」なのであるが(小泉さんもそこまでの感情はあった。にも拘わらず私が無い、と断言して憚らないのは、目的であった筈のキムジョイルさんの心情を「慮る」心がけがなかった奥深さの無い、不徳の致すところが失敗に終わった原因であるからだ!)
安倍さんには、先ず持ってそこまでも期待するのは、あまりに酷、無理ではないのだろうか?何故なら、多分「怒り」が先立ち、脳の中を駆け巡り、拳を静かに下ろすことさえままならないのではないか?それは、彼の「若僧風、チンピラ風、挑戦的、挑発的なる性格」を感じとっているからに他ならない。
官僚に諌められるシーンが私には想像ができるのであるが、皆さんはどのように捉えているのであろうか?
船長に選ぶ日本丸は、難破する危機を常にヒヤヒヤ感じていなければならないだろう?内心が浅瀬だからだ。
タカの度合いは小泉さんを凌ぐ、だからそれだけに運営はダブル困難にぶち当たるであろう、今からもうすでに目に見えるようだ。もっとも不安なのは、雑ではないだけに、思い込んだら猪突猛進右寄り政策まっしぐらになるであろうと思われることだ、つまり日本人の特徴の一つである自らの制御、ブレーキの利かぬ恐れを感じさせるのだ。
このような性質は、お金のかかってしまう性質でもある。先ず防衛軍事に異常な程の費用を掛ける。無駄意識がまるでないのだ。
北朝鮮をアメリカに代わって制裁決議だ!と言って挑発し、言ってしまった、行ってしまった手前、自腹で軍備を固めなければならなくなる。それをくだらない無駄をしてる、と言う自覚がないのだから始末が悪い。
韓国がアメリカ寄りであった当座は、取り敢えず韓国が北朝鮮の一つ目の砦であって、韓国越しに北朝鮮を見て安心できてもいたのだが、あんら!韓国が統一意識を持ち始め、アメリカに渡すお金も削減されるようになると、日本の目の前に、日本海のそこに北朝鮮があるではないか?韓国という砦がなくなり、イザコザなしに恨みだけで、いきなりミサイルが日本に飛来してもおかしくない状況になっている、つまりアメリカ軍の前線基地日本だ!当然に最初に狙われる対象だ!しかもその上、お金の負担も、軍事の負担も、緊張感の負担も増えた。
それでも彼には無駄意識が絶対!生まれないのだ。
右翼かな?やくざかな?自衛隊かな?などとの固い(お金か?気持ちか?)つながり、契りを想像してしまうのは、間違いだと良いんですが・・・・
兎に角、彼の怒りの次元が一般右寄り人の次元と同じ程度なのが恐れ入る。
次に重要な心は、彼が「潔癖症」かどうかだ?
他人、他国が正義?を外れた場合に「裏切り」行為に対して発する、二代目ボンボンによくありがちの「我慢ならぬ、できぬ!」と言う葛藤が、排他性につながりはしないか?昔の、普通忘れられた出来事までも、公に引っ張り出す執念は、普通人では考えられないことであり、尋常とは言えぬ!多分、この執念は本人の本質であろう?その本質が、どのような姿でこれから現れてくるのか、楽しみでもある?
まあ、そのいじめっ子にありがちの、いたぶりのシツッコサが北朝鮮や中国、韓国の怒りを買い、戦争状態を誘い込んでくるのだけは御免被りたい。

こんな私の不安が杞憂であるなら、よろしいのですが・・・・?




日本の進む道

2006-08-07 23:00:57 | 政治
太平洋戦争の前と後では、日本の思想や形態に大きな変化がありました。
前では、右翼的考え方が一世を風靡していました。
だから、右翼的考えの怒りに任せた短絡性が戦争を仕掛けたと言っても過言ではありますまい。
私の記憶では、それが表面化してくるのが、5.15の犬養さんが暗殺された事件だったと思います。ジワジワと浸透しつつあった国粋思想が、あの事件を契機に表に出てきたのではないだろうか?
ジワジワと浸透すると言うのは、①愛国論争などもその中に入ります。司る者たちが自分たちを律して行政を行うのではなく、一般人たちに対して、愛国の名のもとに忠誠を求めるのです。これを「内向けの縛り」と申します。宗教でもあるではありませんか?「内向きの縛り」それは、戦争を継続遂行させるためにはなくてはならないものであった・・・・とも言える。しかし、これは自国愛の精神であって、しばしば他国の集合体とは相容れない事態がやってきたようである。
②憲法を改正しようと言う動きも同様の着眼からです。「国粋」と言う観点からも、日本は日本にとってと言おうか、一部の人々にとって、都合の良い憲法にしたい層の方々がおいでなのだが、世界、とりわけアジア諸国民からすれば、「あんたあの強殺戦争を反省してないの?」と言う、声無き声になってコダマしてくるのです。
③靖国問題もしかりです。だからそれだけ現日本国憲法は、武器を持つことが戦争の危険を呼び込むことであり、司る者たちがそう言う方向に向かっていってしまいかねない愚かしさがあったからこそ、絶対に紛争を戦争で解決しない!と司る者たちへだけでなく、一般人にも「戒め」を込めて宣言しているのです。
④同盟に関しても、その昔日本は、ドイツとイタリアとで三国同盟なるものを結んでいましたよね、そのものズバリです。
イスラエルはアメリカが身びいきしていますから、日本とイスラエルも下手をすればお仲間と、世界からとられかねませんな?
ならば三国同盟になります。どうです?、立派な後ろ向きではありませんか。
そのほかにたくさんあります、共謀罪も名前を変えた治安維持法ではないですか?

今、必要なものは、司る者たちの律令です。諸法度です。
そして「上海協力機構」の結束を知ることです。
「東アジア共同体」を中国と共に発展構築に向け協力していくことではないでしょうか?なのに、やれ「愛国だ」やれ「憲法改正だ」やれ「日米同盟だ」やれ「靖国」だの、いかにもそこに危険があるが如き、アジアに、特に近隣のアジアに背を向けた、内向き、後ろ向きの次元で動く日本で良いのですか?

極左でも、極右でも、あなたの立ち位置からの見方がそれならそれでも結構!しかし、新しい考え方を模索して発見してみませんか?
日本と言う国の中をとってみても、ライトからレフトまで全く相反する思想、考え方があります。だから「東アジア共同体」の中の共産主義、資本主義、民主主義、王政、軍事政権が混在していても何ら不思議ではないでしょう。混在したるものの集合の中から生まれ出でるものこそ、本物の思想ではありませんか?
例えば、社会主義の政治形態国家が自由経済を取り入れ成功していますー中国
    政治形態さえも自由にして自由経済を最初に取り入れたーロシア
困った中から生まれたものとは言え、そんな新しい「いぶき」が聞こえてはきませんか?一度日本もそんな「るつぼ」の中に入ってみてはどうだろうか?今更そんな勇気、持てませんか?

それこそが大きなものの見方なのです。この国は「アカ」だとして罵る風潮は、前近代的なるものとして糾弾されるべきものです。それがその人、その国の「器」の大きさの証明でもあるのです。「愛国」は自分たちだけで縮こまる閉塞的な考え方なのです。
従来からの考え方に固辞するのではなく、国と国との新しい関係を構築する考え方をしようではありませんか?
そうなれば無益に防衛費でアップアップすることもないのです。
警察、自衛隊は目立たぬ方が良いのです。それは安全、安心をも意味しているのです。100パーは無理でも、国自体の生産力が低下していくのですから、出来れば国の管理業務に関わる必要の無い、無駄な費用は抑える方向で向かって行きましょう。

平和への覚悟と宣言

2006-08-06 16:23:15 | 政治
今日は原爆が投下された日。
久しぶりの休みなので、ヒガサのんびりとテレビを見ていたら、九州大学での捕虜人体実験の過去を検証していた。
鳥越さんが、当時それに立ち会った学生だった人の「戦争が人を狂わせた!」と言う言葉を引用して肝に銘じていたが、私は違うと思う。
「人が狂ったから戦争を起こした」と言うのがスジではないかと思う。
戦争を悪者にしてしまうのが、物事の道理が分かっていない人間のズルイ逃げなのだ!
戦争はあくまでも、平和を希求する礎になるものだ。だから日本国憲法もそれに立脚している。
人々の考えに「他を憎み蔑む気持ち、羨みから恨みに変化する気持ち、傲慢横柄な気持ち、唯我独尊から自己中な気持ち・・・・」このような心の変遷の後、その先にこそ「戦争」が存在しているのである。
戦争を起こすことを前提に、或いはやむを得ずにせよ、自衛であろうとも起こさざるを得ないことを前提として憲法を制定したのであるならば、当然に「戦争状態」がやってくることを覚悟しているのであるから、その「やってきた戦争状態を、罪としての捉え方は違うのではないか?」
それに対して「日本国憲法」は、はっきりと「戦争状態になることを否定しているものと考えられる」から、それに実質的に近づいている、いく(逸脱)ことは、憲法を無視するもので、不法行為と言えるのではないだろうか?
自衛であったとしても「戦争は戦争であり」テロであったとしても「戦争は戦争なのだ」
「戦争」という二文字の中に「憎しみの果て」とか「蔑んだ挙句」とか「傲慢の行き着く先は」とか「自分勝手な」とかの人々の心の葛藤が含まれていて、それの集大成が「戦争行為」に該当する。
だから、そう言う心の高まり(強過ぎる刺激ストレスの状態であって、正常な状態の心とは思えぬ)を経て、戦争状態に至るのである。
糾弾すべきはその戦争を誘導する「心」の変化であり、メスを入れるとすれば、その戦争に含まれる「悪しき心」(私自身は、悪しき、と表現するのを良しとしないが、今適切な言葉が見あたらないので・・・・?)を適宜、打ち消していくしかないものと思われる。
本来は、そのような心が「醸成」されぬよう、そのような心に「至らぬ」ように、検証し、書面にて確立していくのが必要と思われる。それこそが平和憲法にふさわしい「人々の平和への覚悟の宣言」になると確信する。
戦争を憎み、憎悪をつのらせて避けたり、逃げるのではなく、それに「至る」心を検証して遮断すべきなのだ!

武器を持たざれば、戦争はできぬ・・・これが現実!・・・・だから一生懸命外交                  に精を出す、出さざるを得ない。
日本人の特徴を検証すべし・・・・戦争が始まればトコトンやる。武器が残ってい                る間はやる。ブレーキが甘く、和の精神が障害                となる。
島国根性を検証すべし・・・・常に視野狭窄との戦い。自分勝手との争い。永く、              大きな視点が持てない。
愛国心、共謀罪、防衛力増強、有事法制、これらはみんな「内向き」志向。そのうち「向こう三軒両隣法」でも、作りかねないかもな・・・?
統率される側日本人の制御に関わるもの。
命令、統率する側への自戒は何らなし!
本当は命令、統率する側の倫理と法規制が必要なのではないか?
そうでないと、小泉さんや安倍さんのように、相手の怒りを喧嘩腰で奮い立たせて言葉の紛争の種をつくり、わざわざ戦争へ向かう道筋を立てる人間が登場してきても、日本の普通人はその危険性に気づかない?
周辺の各国はもうすでに「危うさ」が気づいているというのに・・・日本の中にいる日本人だけが、その危険性に気づいていないのだ。哀れだ・・・・!







危険を察知する能力

2006-08-05 00:12:08 | 政治
今日は「危険を察知する能力」について語ってみたいと思う。
人間が、永くて短い人生を生き抜くセンスと言おうか、才能みたいなものは、ある特定の人物に与えられたものなのであろう、が・・・・?
人や物の集合が国なのだから、国も人や物と同様に心を持つ。
危険と言えば、このブログ上でいつも「戦争へ至る心」をテーマとして述べていることが多い、他にも交通事故、自他殺事件、病気、喧嘩、自然災害など、人間が生きていくのに障害となる事象に事欠きません。
そう言う厄災から逃れるには、「危険を察知する能力」に磨きを掛ける必要に迫られます。
二通りの選択で(デジタルな)こういう方向に向かったら、こういう事象が待ち構えていそうで、不利益を被りそうだからこちらの道を進もう、という賢明なる選択を誰しもが望んでいるのだが、経験が浅く、本能予知能が脆弱だったりすると、思う方向には進んでくれないものである。
だから私たちは日々その能力を、経験と知識と本能をフル活用して鍛えていくのである。
経験は、身の回りだけではなく、日々の出来事全般の反省と確認とを、脳にインプットする。
知識は、先人たちの「至る理論」を知ることにより、自分に照らして見る。
本能は、もっとも重要なもので、道を選択する際に自分の中の全ての能力を発揮する。
先頃のプールでの事故も、針金で留めている危険因子を、大人たちが知っていながら「まさか!?」の予感を、利に目が眩んで打ち消してしまったことにより、発生したるものと推察できる。
ここのところの警察の動かないことによる事件性の不認識も、我らの郷土が、犯罪多発地帯として認識されてしまうのを極端に嫌う心情は良く分かるし、何処の地方でも多かれ少なかれ、そういう心情はあるだろう?
しかし、もみ消し、歪曲がいつまでも日の目を見ないとはいえないだろう?
共謀罪なるものが、今国会では上程が見送られた、が、消え去ったわけではない、
虎視眈々と自民党と内閣法制局のいつでも狙っておる者がいるのだ。
管理者は兎に角いつの時代も、見ざる、聞かざる、言わざる、者たちを欲しているのだ。
そういう行いが、危険誘導へ向かわせることになるのは、今更言うまでもないことだろう。
愛国心を持たせようとするのもそう・・・・
最新兵器を買ったり、作ったりの戦争準備中というのもそう・・・・
実践訓練にイラクへ行かせるのもそう・・・・
危機回避への努力をするのではなく、自民党は危機誘導へ向かうべき一生懸命努力しているのだ!
武力を持ち過ぎることが、戦禍を拡大してしまう結果になることは、あの戦争で分かったから、もう持つのは止めようって憲法で禁止したのだろう?
あの戦争の意味を反省、確認して、証書として確立しなかったから、またぞろ武器、兵器の拡大に躊躇いがないのだ。
「武器が国民を守ってくれる・・・?(笑わしてくれますね)」
○○じゃないの! それを信じている・・のか?
日本を守るために、相手よりも強い兵器を持とうとしますが、アメリカvsイラクのように、強い武器を持っていても反抗され、犠牲者も出します。強い武器は、大量殺戮兵器でもあります。冷酷無比に人を殺します。全うな精神でいられますか?穏やかに生活していたであろう人々の家族を、あなたは罪の意識もなく脳に植えつけられた(インプット)憎悪感で殺すのですよ。
武器、兵器は「敵」の、人、作り上げた所産、を殺す、壊すだけではないのです、
味方であるべき人や折角作り上げた家、橋、建造物などの所産も、殺し、壊し、かつ緊張、不安が病気に誘導するのです。
「生命、財産を守る」こととはとても縁遠いものなんです、分かっていますか、日本の皆様!
戦地で亡くなる兵隊さんは、鉄砲、大砲のたぐいだけではないらしいです。チリチリバラバラになって退却、逃亡による病気、飢え、も結構多いらしいですよ。
どんなに強固な教育勅語を施されても、「死ぬ!イヤだ!生きたい!」の本能は、残っている人も数多い、自らは生きたいから、殺しにきた人を殺すのです、殺さなければならないのです。
しかし、補給路が断たれれば弾も無くなる、そうなると逃げるしかない、敵前逃亡ならぬ、日本軍隊からの逃亡でもあるのだ。
今の時代は、そう、ミサイルですね。核を積んでいなくとも、サリンかもしれません?放射性物質かも知れません?戦争だから何事が起きても情無用の出来事です。
そんなことに血眼になって準備する国家って、どんなものでしょう?防御の意味を真剣に考えた方がよろしいかと、思います?
危険を察知できなかったツケは、報いは、やがて一人ひとりの生命体に帰ってくるのです。
北朝鮮との戦争は、、相手が間違いなく北朝鮮とは限らないでしょう、援護の露、中であるかも知れません?韓国かも知れません?あるいはアセアン、オーストラリアまでもになってしまう可能性がないとも言えません?
そこまでも考えてみないと危険を確実に察知したとは言えないのです。