宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

分かり合う心とは

2005-07-31 07:21:38 | Weblog
日本がとるべき態度としては、米国と北朝鮮との狭間において、お互いをとりなし、仲裁に入るのが本来の姿であろうが、ご存知の如く、アメリカのコバンザメになっている現状の政治では、仲裁役としては不完全であろう。
むしろ米国側からの物言いに終始しているのは、周知の事実であるからにして、結果、北朝鮮よりからはキラワレルことにはいとわないでいる筈だ。
ミサイルでも何でもどうぞ、って言う態度を取っている。
話をまとめようとする意志が無い。
むしろ、仲良くする気もない。相手もその気がない。
これでは意志が通じ合う筈もない。6カ国協議出席さえも無意味だ。
それでも「拉致」か。道理が引っ込んでいるなあ。それを不自然に思わぬ人々の考えに合点がゆかぬ。
自分の理を通せば角が立つ。何故に角が立つのか、相手の分りきっている弱点を付いて優位を確認しても、相手は気分が良かろう筈もない。ますます怒りがこみ上げてくるばかりだ、その心の中さえも理解できぬか。経済制裁は復讐か、何の意味があるのだ、そう言うのを本末転倒と言うのだ。心の中を推し量る度量が狭くなっていることに賢民、自らが気がつかなければ日本の未来は無い。
むしろ、シーレーン問題はどうだったのだ?海上保安庁の働きはどうだったのだ?
そちらの反省はないのか?日本人同士、仲間同士の責め合いは見苦しいのか?
憲法で謳う近隣諸国との融和はどうした?他国の感情を無視してはいないか?
自国のことだけを専念してはいないか?良く思われようと努力しているか?
日本人の「拉致」の考えは分りすぎるほど分った。それでは聞くが、君らは北朝鮮や中国や韓国の心をどれほど分っているのだ。
自分達の考えを分らせるのはいい、だからどうなんだ?こちらの考えも分って欲しいと、各国は言っているのだ。北朝鮮に約束破りのつばばかりかけているじゃないか。そもそも考え方が我々東洋人をバカに、コケにしておるのだ。
それでも小泉さんを支持するのか、できるのか?









6カ国協議の再開、でも残念!!

2005-07-27 00:05:23 | Weblog
6カ国の協議が始まりました。
各局の報道番組が日本の拉致扱ってもらえないがどうのこうのいろいろと論評をしていますが、何にもわかっていませんねえ。
何度も言っているように、北朝鮮は、日本の再三の裏切り行為を受けて、何らもう日本を信用していないのですよ、韓国も、中国も然りなのですよ。それがマスコミはわからないのですかねえ。
もっと重大なことは、もしやのアメリカの奇襲攻撃に対しての北朝鮮の取るべき方向は、東京へミサイルを発射するための情の踏襲の必要性なのですよ。つまり、もうすでに日本に気に入ってもらい、物資やら、資金やらの応援は必要ないし考えてもいないのでしょう。
むしろ、敵でいてもらいたいのですよ。日本が相当に折れてくれば、その時は考えないこともないのでしょうがねえ・・・・
それと、あのタカ派、闇雲ブッシュさんグループの喧嘩屋に、堂々と捨て身で渡り合って対峙する北朝鮮を陰ながら応援利用することで、アメリカにコワゴワ牽制球を投げる中、露、韓の思惑を知らなければなりません。
それは尚且つ、遠くヨーロッパの同じ考えの大国同士の支持を背中に感じてやっていることでもあるのです。
中国、韓国があの大国アメリカに対して強く出られるのも、後ろにEUの大人の分別を前提にしているのです。しかも、歴史的にも、地勢上からも、南北朝鮮はお互いに同士、話し合えばやがては分かり合え、一緒になるのは至極当然な成り行きだとの思いが脈々と流れている。それを先頃のドイツからまさに教わっているのである。日本叩きの意味が、そこで分るでしょうか。それとも分らないでしょうか。
中国もそれに協力することで、やがて東アジアから喧嘩やりたがりの危険なアメリカの威光を遠くへ追いやりたいと思っている筈なのです。理屈もへったくれもない、滅茶苦茶、何をやるか分らない、傍若無人のアメリカを静かにおとなしくさせたいのです。だからアメリカ追随、それこそ目蔵版、コバンザメ日本の目を覚まさせたいのです。
いわゆる「あんた東アジア人だろ!   こっちに来る気がなければそれでもいいよ、あんたは孤立するだけだ、あんたの主張に誰が、どの国が耳を傾けてくれる?・・・・常任理事国、拉致、みんな聞いてはくれないだろ、大人の分別を持っていないからだよ」
って、言っているようじゃない。残念!
今の北朝鮮は受身一方なのです。かつての日本や、イラクのように他の国へ攻めたりしてはいないのです。まあ、昔は韓国を共産国にしようとしたことはあったのでしょうが、今はそんな勢いも無く、少なくともアメリカを傷つけたりはしていないのです。孤立して、村八分にあって、無視と言ういじめを受けて、今、だから韓国も中国も救いの手を差し伸べているのです。それにひきかえ日本の取っている行為はなんなんでしょう。5カ国のみんながまとめたいと思っているのに、一人「拉致だ、拉致だ」と拘っている融通性の無さには、ただ、ただ唖然とするばかりだ。
その気持ちは冒頭から敵愾心に満ち満ちているからこそ、そう言う言葉が出てくるのである。それに比して他の各国は必ずしもそうではない。アメリカとて纏め上げたいと思っているのだ。これが成功すれば、次の選挙はライスさんとヒラリーさんの女同士の一騎打ちになると思われる。
アメリカもいつまでも意地を張ってはいられない。下手をすれば東アジアへの影響力の根幹が崩れてしまいかねないのだ。韓国は最悪でもドイツ統合を教科書にして見習いたいと思っている。そんな状況設定なのにアメリカが独断専行で事を起こすことが出来る訳がない。韓国がアメリカの防波堤になっている昨今なのだ。また、北朝鮮も、最終的には韓国とドッキングしても良い、いや、したがっている思いかも知れぬのだ。
そんな状況を把握することもできずに、相変わらずの「拉致」を前面に掲げての折衝では、何処の国も相手にすることが出来よう筈もない。森の石松のような「矢でも鉄砲でも持って来い」と開き直ったような、手の打ちようの無かった各国にとっては、ここで今、北朝鮮が会議に出てくれることは大変な意味を持つことであって、決裂の事態になってしまえば、後は一直線に進むしかないのである。ここで話をまとめるのが各国にとって、どれほど重大な意味を持つものか、の認識がまるっきり無く、自分達国内だけの都合でしか考えてもいない政治、官僚、マスコミ、国民の方々では、各国に戒められても気付かないほどの仕方の無い能天気であって、全く持ってお話にもならん。
そんなだから、憲法前文の「自国のことのみに専念し、他国を無視してはならず・・・」なんて宣言させられてしまうのだ。当たり前の基本が全く出来ていないのである。
隣国北朝鮮の凶作も見て見ぬ振りをしてきた。金持ち日本のイケスカナイところである。このような視野狭窄だから、戦犯の裁きなんて出来よう筈もないのは当然過ぎる帰結か。
そう言う日本国の島国根性による「和によるブレーキ制御の欠陥」と共に「視野狭窄」の性質もしっかりと賢民の方々は見極めていてください。残念ですが、今後もあちこちで随所にそれが表われてくることでしょう。
6カ国だけではなく、全世界から注目され、そして苦笑されているのが分らんのかね?だから何度も言うが、振り返っての反省なければ成長なしなんですよ。人間も国も反省してこそ教訓を得、次に向かう知恵が生まれる。つまり、成長とはそう言うことなんです。
反省なければ、知恵も発生することはないのです。何が人を戦争の道へひた走らせたのか?を自らがはっきりさせぬまま経てきて、やがて遠い異国の地へ、憲法も無視して兵隊を送ってしまうのを「犯罪」だとは思わずに屁理屈をつけて合法化してしまうのを「思い上がり傲慢」と言わなくて何と言うのでしょうか?
このように検証を避けてくれば、先祖の遺伝子を相続するように、似たような犯罪や事柄を再び繰り返してしまうのは、運命のように必然のことなのです。ストッパーの利かない国の性質や強固にインプットされた上意下達は、自らが変えようとする意志、気がなければ容易に変えられるものではないのです。
自らの意志で自立心を持って変えることができないから、こそ、のアメリカ、中国の外圧なのであるし、憲法なのです。
これほど発達した経済技術を擁していながらも、自らの考えで、自らの行動で、自らの力を「制御」する技術を持たない未熟な幼さがそこかしこにあるのです。と言うよりもより良く制御するための大人としての経験上の反省と、それに伴う知恵の喪失が、歪んだ国民感情を創出してしまうのだ。
技術は他物に対する制御であって、その発達が必ずしも他人や他国に対する制御ではないことを知ることである。

核と核の衝突って?何倍

2005-07-25 23:57:02 | Weblog
どなたか詳しい方はおりませんでしょうかねえ?
原爆が原子と原子との衝突による核分裂だとすると、その原爆と原子力発電所の衝突の影響や、原爆に原爆をぶつける影響などは単純に2倍で良いのでしょうか?いまだにわかりません。
私にはこの世の終わりの地獄絵図しか想像できませんが・・・
実験するわけにもいかないので、理論上はどうなのでしょうかねえ?
アメリカでは理論が構築されているような気がしますが・・・・?
でも、実際にはどうなのでしょうかねえ。

「癒し」って、ホラッ!こんなところにも

2005-07-23 22:49:15 | Weblog
今日仕事から車で帰る道すがら、前をバイクで走行している二人乗りあり、
よくよく見てみると後ろに乗っているのは小学低学年生と思える女の子である。
ゆっくりと安全運転している男の人の腰にしっかり手を回し、ヘルメットをして自分をゆだねているその後姿が、とても愛らしく感じほのぼのとしてきた。
そんな時、私は追い越す気持ちさえ失せ、一緒に暫くのんびりと走った。
後ろの車も怪訝そうな動きをしていたが、ついに私を追い越すこともなく付き合ってくれた。
私も追い越させないように走行したせいでもあるが、そのしがみついている様子の女の子と絶対事故っては駄目だとばかりに、安全運転ドライバーのいじましいばかりの運転に、なんとなく応援したくなってしまったのである。
強引、横柄な車には、闘争心をカキタテラレテ追ってしまう私ですが、束の間、こんな「癒し」の情景には本当に心が和む。
兄弟なのか、親子なのか、は、ついに後ろを振り向くことが無かった二人だったので、分らずじまいであったが、私がこんなことを思いながらズーとうしろをゆっくり走っていたことを知る由もないのでしょうね。


変わらない日本の幼稚さの 哀れ

2005-07-11 23:38:10 | Weblog
ちょっと思い出したことがあるので、チラッと書いておきます。
第二次世界大戦後、何故に東京裁判が開かれ戦勝国によって戦敗国のリーダーが裁かれたのか、と言うことについて、一言言っておきたいとおもいます。
どうも、日本国は兎に角、アメリカ合衆国からかんがみるととても幼い国のように見ていた、と思えます。
全てにおいて、精神的にも、行為自体でも幼稚なのです。今現在の若者達で比較してみると、実にしっかりと目標を定めて生きていっているように手紙の文面やらから伺えるような気がしますが、実は影響を受けやすいと言う、脆さもあったように思えます。それは、NHKか何かのスペシャルでアメリカ高官の話として、アメリカ本国の誰かに送った手紙の中に記されていたような記憶があります。
従って、上意下達の上下関係を維持してきた長い歴史を持つ、日本国民の下の者に、上のリーダーたちの戦争責任を問わせることなどは到底無理難題だったのではないでしょうか。恐れ多くも天皇大元帥閣下、及び東条英機閣下を裁くなどとは、そんなことのできる強者は誰一人として近くにはいなかったことでしょう。閣下に対してはみんな平身低頭だったのですね、それは江戸時代の「下にー!下にー!」から繋がっていたのです。
ナチスヒットラーの右翼の歴史は極く僅かなものですから、ドイツの恥部として追求もたやすくできたのでしょうが、長い間、天皇教に洗脳されている日本人では、恥部として裁くのは、どだい無理からぬものだったのでしょう。
本当は日本自らドイツのように戦争責任を裁くのを期待してもいたのでしょうが、実質日本人高官と面会してみて、その洗脳されている脳力と、あまりの幼稚さに、裁かせるのは無理、とアメリカは判断したと思います。
それを証明する出来事が、先ごろのバブル崩壊の責任を誰一人として取らない、あるいは究明さえもしないで済まし、然もそれを国民が批判する能力すらもないところにその訳が伺えます。反省しないと言うことは健全性が無く、繰り返す可能性もあり、幼稚性の表れです。    人間は、行為、言動に対して日々常に反省を怠らず過ごしているからこそ、健全に真っ当に生きられるのです。
    話は変わりますが、現実に「拉致」に拘り、拘りは柔軟性や弾力性を欠くことになり、外交を固定化させている政治も哀れにも幼い政治例と言えましょう。あの北方領土にしても、右翼的な敵視政策からは何も生まれてはきませんでした。それをはっきりと経験しておきながらの「拉致」騒ぎの結果の「経済制裁」の思い上がった右寄り安倍さん政策は、誰が見ても幼稚の極みでしょう。
ここで大事なことは、韓国と北朝鮮と中国の蜜月がどんどん進行していったとき、日本はどうするつもりなのか?        その蜜月を破壊する工作を開始するつもりなのか?
今、大局的に東アジアは「拉致」ばかりにこだわる狭量で視野の狭いリーダー失格の日本を敵視して孤立させ、中国を中心とする東アジア連合構想を目指していることでしょう。北朝鮮と韓国の合併はそう遠い将来ではないような気がします。
そこにアメリカがどのような形でジャマをしていくか・・・ですな。当然に日本も今のままで行けば、アメリカ側に立つのは言わずもが・・・です・・・が・・・政権が変わるとハタシテ・・・・?
前にも言ったようにアメリカは中国と喧嘩は出来ないのです。今、北朝鮮を攻撃すれば中国から武器が届く手はずになっているでしょう。すでに北朝鮮はアメリカが自分達を攻撃することは出来ないのを理解しています。それは中国、ロシア、韓国との蜜月三方位外交効果でもあると理解しています。
北朝鮮があの傍若無人のブッシュ政権に一歩も引けを取らずに対峙している姿勢に、各国とも胸のすく思いなのでしょうか?
キムジョイルさんのあのおおらかな余裕ある態度が全てを物語っています。
さあ、商人社会でもある日本はどうするべきなのでしょうか?
東アジアの中で孤立する道を選ぶか?さて、東アジアだけではないでしょう、くすぶっている東南アジアからも、アフリカからも、その状況を見てヨーロッパからもソッポを向かれるかも知れません。
唯一の解決策は、政治も、マスコミも、国民も、再びの「右寄りシフト」を諦めることです。そういう人を選ばないことです。「固定化した外交」それが思うように事が運ばない、進まない、全ての元凶なのです。
  元に戻って、戦後、国民は言うに及ばず天皇も、政治的リーダーたちも、全てにおいて、アメリカ高官が想像していたよりもはるかに幼稚だったのです。多分、彼らには、やったことの重大性、悪質性、小賢しさからかんがみても意外に映ったことでしょう。
幼稚であったがために、そのせいもあって天皇も国民も救われたようなものでした。
つまり、アメリカがあらゆる方策を使って、中国、ロシアの分割論を抑えつつ、物資やら全面的に復興支援をしてくれたのは、その幼稚さゆえ、だったのかも知れません。幼稚ならば指導の仕方しだいでどうにでもなる、と思ったのかも知れません。
それが、憲法前文にある「権威は国民に由来し・・・福利は国民が享受する」そして「人類普遍の原理」と日本の歴史にはあり得ない、考えもできない、日本側の提出した憲法草案では流石にそこまでの英知はなかったのではないか「人類普遍の原理」とまで言わなければならない程の言い切り、断定するアメリカ高官の「考え方の精神」を、日本国民に教え諭している言葉の端々から言わんとする意味が伺える。つまりそれだけ、いかにも時代錯誤の上意下達に席捲されている脳ミソの洗脳の洗脳が必要だったに違いない。だから「朕は人間である」の人間宣言にも繋がっているのだし「国民なくして国家はない」の法の精神なのだ。今までの上意下達の考え方を 「捨てなさい!」 と日本人に暗に言っているようではないか? 
しかしながら、いまだに悲しいかな、他力本願、上意下達、責任転嫁の「国家なくして国民なし」の幼稚性から脱却できていません。長きに渡る上意の意識が日本人の心に深く染み渡ってしまっているのである。
そして、ある団体組織はそのことを知ってか知らずか、アメリカの押し付け憲法だから自主憲法をと騒ぎ立てている。日本の自主憲法は大日本帝國憲法であって、よーくその違いを吟味あれ!

右翼人たちによる負け惜しみの反省だけで、本当の真からの反省が無いから、再びのバカな右傾化邁進に走るのです。
大人たちが反省を忘れた幼稚なそのていたらくだから、若者たちが右傾化に走りたがるのです。
現状を打破してくれそうな連中に傾倒していくのです。まるで英雄の誕生を、若者をバカにするな、とばかりに、今か、今かと待っているような情勢じゃないでしょうか。
かの有名なヒットラーもそんな時出てきました。



落ち着いて冷静に考えてみよう

2005-07-08 23:22:21 | Weblog
ロンドンで同時テロ発生!
アルカイダの仕業か?
日本の軍事アナリストとか、いろいろな解説者とか、イロイロ言っていますが、そもそもテロって名付け親って誰だ?
彼らはテロって思っていないのじゃないか、勝手に作り上げたものじゃないのかい。
国、同士の戦いじゃないからテロか?
彼らは戦争と思っているのじゃないか?そう言う出発点を良く理解できていないと公平な論評って、期待するだけ無駄でしょう。
彼らはイスラム社会のために、イラクやアフガンの国々で殺された味方のために自爆を行っているのだ。
なんとしてもテロとして敵視しなけりゃならない訳だ。アメリカがそう言いたいのは分るが、日本の訳知りの解説者が客観的に言えないのは能力にかげりがあるのか、アメリカを思いやるからなのか、民自党から援助があるのか、定かではないが、
最初から邪推の入っている解説者など不必要なのではないか。
誰かの、どこかの考えを思わんばかりに意識して解説するくらいなら、それは誘導でしかないので、適正な判断など出来よう筈もない、解説者としての適性ではないのだ。
テロとの戦いをオウム返しのようにみんな言っているが、相手はみんなそれぞれ国を持っている、いやっ、持っていたのだよ。
「テロに屈するわけにもいかない」との考え方はwar!そのものなのだ。
それを小泉さんが不用意に言えば、日本国が戦争ok状態を了解したも同じことなのだ。
そりゃそうだ、イラクの普通の人は銃も持っていないし、食料もない、そんなところへ、どこからでも、いつでも向かって来いの戦闘服を着て、銃を構えて行けば、殺し、殺される状態になる可能性はどんなバカでも分る、分りきったことなのだ。
冷静に落ち着いて考えてみよう。
彼らにも言い分があるのではないか、ブッシュさんのアメリカは、理由の整合性もなくイラクにイチャモンをつけて何の証拠もなしに、なかば強引に攻め入り妻や子や夫を爆撃行為で無残に殺戮して、石油資源確保の意味合いも含めてフセイン政権を倒し、親アメリカ政権を作り上げた。
さて、イラク人民にとって、そんなアメリカって何なんだろう?
そんなアメリカを強力にバックアップする、しなければならない日本って何なんだろう?
遠い異国、イラク人民の悲しみ、そんな彼らの唯一反抗の逆襲である悲劇的な自爆行為による、その犠牲者の悲しみ、そんな悲しみを日本国民は何と心得ているのだろうか?
世界は、そんな軽率な右寄りアメリカの行為に暗澹たる思いではなかろうか?  ましてやおよそ分別も理性の欠片も無い、加担応援の日本も同罪で然り・・・
だから世界の首脳達からは、小泉さんの言葉に分別も理性も感じることが出来ずに浮いてしまうのだ。
日本の特攻に涙するのなら、犠牲となったイラク人民にも涙しなければならないのだ。
戦争は最後の最悪の選択なのだ。軽々しくも兵隊を、人道支援と言う名文でもって、敵視されている敵陣地に送るべきではない。商人が揉み手して行っても嫌われる場合も多々あるのだ、まして戦闘服姿の軍人に気を許すなど大勢は考えられないではないか。何故か?警官とか、戦闘員とかが目立つのは、その地域が不安定要素に満ち溢れている証座だからである。日本の兵隊が事件を誘発させていくのだ。つまり、有難迷惑の典型とも言える。
人道支援を声高に唱えるのなら、北朝鮮にも唱えるべきが本筋であろう、違うか?
それが出来るのでなければ、都合の良い「人道支援」を軽々しく唱えるのは、その方が軽々しい人にほかならない、と断定できる。
何度も言うように、「自爆行為」にその覚悟の執念を日本人のみなさんはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。「雨後のたけのこ」のように生まれてくる自爆者の人々。
この恐ろしいほどの執念を感じているのは対峙しているアメリカ、イギリスなどの実戦配備の兵隊達でしょうか。その厳しさが日本人の多くには届いておりませんな。まるでベトナムの再燃を見ている様です。
彼らのバックボーン、それはただの一念 「自分達こそ正義!!」なのです。

それを理解できなければ、しなければ、全てのあらゆる人の言葉が空虚なのです。

これからもアメリカ軍が居ようが居まいが、イラク人民にとっては国内では休まることのできない地獄への道程なのです。
何故なら、「戦い」は長く続けば続くほど、それが、そのものが生活ライフになってしまうからであり、それが必然であり、当然の生き方になってしまうのだ。オリンピックを目指す人々に似ている。
闘争が人生の全てと思い込んで、というより信じ込んでしまうのだ。また、そうでないとその周囲では生き難くなるのである。
仕事をするために生きていると、思い込んでいる現代人と全く笑えるほどに同じ。
日本を、日本人を、家族を守るために自衛隊員として働き、そして正直なところ良く分らないけれども、日本のために、「国益」と言っている人もいますが・・・何も分らず、防衛のためにの筈のイラクへ派遣され、命令は絶対で、それがきっと報われると信じて、というより思い込まされてはるばると向かう。そこには疑問という一休さんはないし、いない。全く笑えない、笑えるほどおんなじ。
だからそんな彼らは「地獄への道程」をひた走る。ちょうど昔の日本がそうであったように・・・
今でも、相変わらずの無駄な天下りにお金を使い放題、企業、銀行を助け放題、無駄な建造物を造り放題、常任理事国入りに無駄金を使い放題、この上、北方領土の2島返還か?まるで「打ち出の小槌」いくら出てくるんだ宝船。いくら食い放題が流行っていたとしても、これはいただけませんな。
小刻みの徳政の経験を生かして、最後は大、大徳政令で逃げるつもりだから出来るのでしょうか・・・・・? そうとしか思えません。










断然、死刑支持です。

2005-07-02 23:29:05 | Weblog
あなたは死刑派 or 無期懲役派
少し長くなりますがよろしいでしょうかねえ。2点ほど述べさせてください。
先ずは、人間は何人たりとも殺される為に生まれてきたのではありません。人間より偉大なもの、自然に殺されるのはやぶさかではありませんが、同類に殺されるのは異常な状況です。
そして、受死刑者側の多くは、殺人が死刑に相当するくらいは多くの場合理解しています。
しかし、殺される側の多くはそこまでの命を理解できていません。ましてや何の理由もなく面識もなく無慈悲にあの世へ旅立たなくてはなりません。何故殺されたのか、その覚悟が出来ぬ内に死んでいくのです。
殺人に対しての死刑ではイコールにはなりません。被害者は理由無く、意味なく殺され、加害者はあらかじめ規定されている理由があって殺されるのです。同じだと思いますか? 同等だと思いますか?
しかもその殺人は、双方の親類縁者の心の深部へ分け入り、永遠に触れたくは無い汚点を残して彷徨い歩きます。
その場所、現場さえも酷い影響を受けます。加害者が犯した行為によって、大抵は本人よりも周囲の人々の方が深く傷つき、忘れることの出来ない出来事になるのです。
つまり、本当は被害者よりも重い刑が加害者には必要なくらいなのです。慈悲の心の不足による精神年齢の未熟さには、やってしまった行為に対しての結果による「つけ払い」報酬と言う責任を感じさせる必要があるのではないでしょうか。
誰しも、行為に対しては誠実に「良いにつけ、悪いにつけ」自然様から報酬を受けて生きているのです。
行為に対しての報復、報酬がいたれり、つくせりで甘く軽ければ、精神年齢の幼き者は、なめてしまって、かなりの確立で再犯に至るのは必定です。タバコを止めるのもその結果の恐ろしい病気を想像するからであり、とりもなおさず再犯させる法制度自体にも問題があることに気付かなければ、およそ理性的ではありますまい。誰しも目の前ににんじんがぶら下がっていれば食べたくなるのです。
 次に、現在の殺人に対する量刑ですが、一人では死刑にならず、三人だと死刑になる、と言う暗黙の了解事項があるらしいのですが、どうもこれも恨まれるのを嫌ったような無責任極まりない話のように思えます。死刑宣告から逃れたい気持ちはわからぬでもないが、誠実に履行して欲しいものです。
そこで私の提案ですが、悪質度で定めるべきなのではないでしょうか。
たとえ一人を殺しただけであっても、なぶり殺しや、頼まれた恨み無き殺人ができるなんぞは、加害者の持ち得ている本質に由来していて、その残忍性は筆頭に上げられましょう。
 一人殺しても死刑にはならない、あるいは少年ならば死刑にはならない、と言うことを理解していて殺す人や殺させる人もいます。これらも悪質度はかなり高い。
死刑制度があるがために、その恐れで殺人行為を躊躇する人々の隠れた数の多さを知ってください。
 親は、殺人は死刑を覚悟してやること、そして軽い罪だったとしても、若くて一番良い時期を刑務所で自由を奪われなければならぬことを、最低限のルールとして教え諭すべきことです。もっと大事な事柄は、成長過程に於いて、「慈悲の心を育む」ことです。そして「想像力を磨いて」ください。学校でも必要なことですから、これらの「心の成績」を上げてください。
闘争心も必要でしょう、協調性も必要でしょう、でも、殺人者を世に出すことはもっとも避けなければならないことです。最低限のルールを教えなかったことを恥ずべきです。慈悲の心ある周囲の人々は、それらのことが分っているから一生加害者よりも思い悩むのです。
一人の無慈悲な人間のために多くの人々の心に深い傷と憂いを残すのです。それは一つの殺人事件の
数倍、数十倍の人々の心の中で彷徨い続けることになるのです。被害者と加害者双方だけの問題ではないのです。
現在の、三人殺した結果の死刑と二人殺しても数年後には刑務所から出ることができるかも知れない無期懲役との格差はどうしたもんでしょうか。お話にもなりません。
 不思議なことに、死刑があってもなくても殺人事件が無くなることはありません。ある国民の中の一定の割合で、殺人を犯す特質を持った人間が海底火山の頭出しの如く現れるものです、自然の摂理なのでしょうね。
「世に盗人の種はつきまじ」って言うところでしょうか?
そうであったとしても、ブレーキ役としての「死刑制度」は失くしてはいけません。それによって助けられる(人殺しをせずに済む)人とその人を取り囲む多くの慈悲深き関係者を地獄の底へ突き落とさずに済むからです。それほどいかに「殺人行為」と言う事柄が、多くの人々の心の中を、暗雲のように覆い尽くすことになるのは今更言うまでもありません。常に加害者は多くの人たちに、「社会問題提起」のように投げかけてくるのです。本人たちが意識していようが、無意識であろうが、世間になかなか届かない地獄からの主張の声なのです。耳を貸すかどうかはその道のトップの裁量いかん。
 殺人に「若気の至り」と言う言い訳はありません。一生かかっても償うことはできないのです。何せ、「もういいよ」って言ってくれる人は、この世にいないのですから・・・・

追、被害者に問題ある殺人はこの限りではありません。