宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

軍備をすることの無意味さがイメージできんか?

2005-10-28 21:51:00 | 
またまた日本の置かれている立場というものを皆さんに理解していただきたく思って書きます。特に面舵一杯の方々に読んでいただきたい。
憲法を変えて、現在の自衛隊を容認することは、平和を希求する国民の意思を曲げることになります。
自衛隊の働きは、攻められたら撃ち返すのを前提にしています。それはとりもなおさず戦争を意味して、その結果から平和を希求してはいない、と言うことでもあります。
あの大国アメリカでさえ、言うことを聞かず徹底抗戦する国々があります。つまりそれは、どんなに軍拡して強大になろうとも、逆らって刃向かってくる国は必ずや存在する事実があることを知る必要があります。
 さてそこで、何処の国との戦争を仮想定しているのでしょうか?
一番目に浮かぶのは、北朝鮮ですか?
あの国は、軍人とミサイルと核の国ですね、勝っても負けても何が残りますか?
そうです、弱い者いじめの空しさだけが蔓延します。弱者をいたぶって何が嬉しいですか?犠牲多くして戦争慣れするためのホップステップですか?
それとも対中国ですか?
後ろにロシアが身構えています。
日本を戦場にして、ミサイルの撃ち合いでもしますか。
原子力空母に核ミサイルが上空で爆発したらどうなりますかねえ?
これからの戦争の無意味さって言うものが、わからないんですかねえ?
憲法で軍隊にして、中国に敵対意識で対峙してどうするつもりなんですか?
20年は遅れている科学技術をこれから取り戻そうとするんでしょうか?
武器が強大になればなるほど、戦争時の破壊も正比例で強大になります。
日本独自の防衛力を持ちましょう、というのは一人前の男になりたいとする気持ちからでしょうが、
私から進言します。それがすでに女々しいのです。弱弱しい心を自らが感じているからこそ憧れてもいるのです。
男っぽくしようとしたり、らしくありたいと思うこと自体がすでに女々しいのです。本当の男は武器に頼りません。軍事力なんかくそ食らえ・・・です。
第一、無意味、無駄です。ミサイルの時代ですよ。銃剣でエイ、ヤー、の時代ではないのです。
戦争に突入すれば、どこが戦場になるかで大分違いますが、お互いの破壊は言葉で言い表すことができません。
もうアメリカとて、対峙はしたとしても、中国と一戦を交えるなんて出来よう筈もないでしょう。
急いで日本を民主資本主義の最後の砦として、中国対策の設定をしようとしていますが(株高の礼を小泉さんもしなくちゃなりません)
中国の牽制、対峙といってもどこまで本気なのか・・・・本当は及び腰ではないのか?
北朝鮮を潰すには、ある核兵器を探し出して飛行機に乗せて飛び立つ前に爆発させるしかないでしょう。核は開発されてしまった以上どこで爆発しても大変なことになります。
日本は、そんな無意味なことをやろうとし、時代錯誤な右傾化を進め、平和志向を根底からわざわざ覆し、平和志向は「やーめた!」とばかりに、陳腐な性根を世界に知らしめようとしているのだから、これはもう、絶句、としか言いようが無い。世界の有識者の中では、日本は「武器を持たない」「戦争はしない」と憲法に謳われていることは先刻ご存知の筈だ。それがそうではなくなることは、大変なことなのである。
いくら「平和を念願している」とか「戦争はしない」と言っても相手から仕掛けてくる、或いは仕掛けざるを得ないように仕向けることをして応戦すれば、それは即ち戦争なのである。そう言うことを解って欲しいものだ。
それは、君子ではなく、自ら相手に攻撃させようとする意図を有して戦場国に向かう謀略とも言えるのだ。
中、露、印の結束を見せ付けられて、時代の変化を読み取れなければ、面舵に走る、懐古趣味の愚かなる者たち、哀れなる者たち、のレッテルは容易には剥がせないだろう。
空襲におびえ、逃げ惑うことに疲れ、腹をすかせて彷徨い歩き、原爆に絶望して、また、おいしい餌に釣られ、乗せられて戦場に向かい、その人殺しするだけの戦場に絶望し、そんな自分の無知さ、国の裏切りに腹が立ち、真の心から平和を望んで憲法の下に誓った「もう武器なんて持ちたくない、武器があるから戦争をおっぱじめてやりたくなるんだ!!」「戦争は、戦争は、もう結構、沢山!!絶対やりたくない!!」って世界に向けて不戦の誓いを発信宣言したんだ。そんな覚悟をなし崩しにして、結局元に戻してしまう日本人の持つ性質は、あまりに自滅的、破壊的行為で、お話にもならない。
徳川幕府が300年間安泰であったのは何ゆえか。
平安時代がそれこそ平安の世であったのは何ゆえか。
世界の中で、軍隊を持ち利用して平和を継続維持しようとする意図では、逆に常に国同士の、衝突の危険に晒されて行くという方向であることなのだ。ましてや米国vs中、露、印という、冷戦時代よりももっと複雑な関係の世界情勢の時代なのだ。カヤの外の方が安全であるのは確かだ。米国の孤立への懸念から、日本を頼りにしているのはよく解るが、使い走りは、所詮使い走りで、複雑に絡んで、いる、くる、中、露、印の影響力との衝突を上手に避けることは不可能なのである。必ずや判断を迫られる事態がくることは必定。そうなると、敵対関係はもっと進んで行くことになる。思想が全く違う故に、共通の交流先の無い時代から、信号の無い、共通の交差点先の時代へ入っているのである、それだけに衝突の可能性は増大しているといって良い。経済への影響も懸念されるし、非常に怖いことである。
いざとなったら日本は米国のために、中、露、印と一戦を交えてもいいつもりなのだろうか? このままでは否応なしに敵対路線に入っていくことになりそうであり、
中国在留の方々も首を洗っておいた方がよさそうである。
米国の原潜が堂々と入港を世界に宣言したって言うことは、一心同体、ツケもトガも一心同体と言っているようなものだ。これでひとたび事が起これば、北朝鮮も中国も堂々と東京に核を撃ち込める正当性が出来たということになる。
憲法制約があるがために、自衛隊と言う軍隊が外へ出て行けなかったから、人々の心が経済発展の方向しか向いていなかったからこそ、60年の平和があったのだ。
それをムザムザ好き好んで巻き込まれに刺激を求めて出て行こうとするバカな為政者と民衆なのだ。
自衛隊も中に居て、政治も民衆もマスコミも喧嘩腰にならなければ、これからも平和でいられるのだ。防衛力も度を越せば、思うようにならない国家に対して利用しようと計る、とんでもない為政者と民衆が現れて来ないと誰が断言できるのか?
現在の日本社会の幼稚さを見る限り、第二のヒットラー、トウジョウヒデキが出てくる可能性は100パーに近い。
体格を大きく見せかける、体を鍛える、武器を持つ、は一部の人の犯罪の始まりであり、動乱の元凶である、と言うことが未だに理解されない日本って、愚かしい幼稚な人々の集まりだったのか、残念!!としか言いようがない。









いじめの構図

2005-10-27 06:36:33 | 
「いじめ」というものの考察。
ここのところ苛めへの記述が多くなってきたので、しくみみたいなものをツラツラ書いてみようと思います。
小さな子供時代からお年寄りに至るまで、このいじめって事柄は常に存在して私たちの心の中に葛藤を生み出します。
私はこのいじめと言う事柄の結果と言うものにすごく興味を惹かれます。
加害者は忘れ、被害者の心の中にいつまでも取り残されて彷徨う現象です。
加害者が忘れと言うのは必ずしも正確でもないような気がしますが、一時的には忘却の彼方へ置き忘れることはあるようです。指摘されてやっと自覚できるに至ることはしょっちゅうです。
かつての日本が、その加害者としての現実をそれに当てはめてみますと、非常に良い例題として現れてまいります。
ちょっとした言葉の行き違いで、人は人殺しもします、言葉ひとつをバネにドエライことを成し遂げることもあります。
その問題提起をした当の本人は忘れていても、された側は永久保存します。
何故にそんな現象になってしまうのか?
自然は与えたショックよりも受けたショックの方が強く意識させるようにしています。
大変な出来事に感じるか、感じないかの差異もありますが、感情の汲み取り方の差異でもあります。
物や人間に対する「慈愛の心」の貧弱に薄い場合は、器物損壊、人間破壊に抵抗無く行うことが出来、育ちの過程で、若しくは先天的にそれの発達に著しい劣性があるようです。
加害者側は当然のつもりで、自分という人間には闘争本能があるのだから、ちょっかいを出せば反抗してくる筈と思っているので(そこからして自分と他人の違い、他者の存在の認識ができていない)
自分の持っている「狩り」の闘争本能を強烈にかき立てる必要性から発生するものであるようだ。
つまりは、かなり動物としての基本本能に近いものである。
少なくとも、それが後で自分や、周囲に悪影響を及ぼしてくることになろうとは夢夢思わないのであろう。
しかし、長い生き様の中で、動物とてそれでは種の保存にマイナスであることを悟るようになって、無闇に喧嘩、いじめをしないようになる。猫が小さな虫を捕ってきて、食べるでもなく、部屋の中で転がし遊ぶ場面を見たことのある人はきっと多いに違いない。
動物本能に近いということは何を意味しているのか?大人の顔をした子供である。
精神の発達過程の遅れに起因しているとしか考えられない。
物資の豊かさは精神の野放図を連れてきた。しかしながら、どの国も同じ状態になるか、と言うとそうではない。日々、反省、研究を疎かにしていれば未熟者が出来上がる。豊かさに溺れてしまうのを留めることはできない。
体格がどんなに立派でも、体力があろうが、精神とのバランスが崩れていれば、それは、有り余る体力の置き場所がなく、もっとも始末の悪い典型である。
まさに今のアメリカであり、昔の日本とそろそろ今の日本か?であるのだ。
自分の精神力の力量に見合った経済力や防衛力でいい。本来、防衛力など無くてもいいのだ。果たして日本から奪うものってあるのか?テレビか?パソコンか?自動車か?ハタマタ人間の技術か?お金か?別荘としての土地か?
一銭の利益も生まない防衛は最大のムダである。利益を生むようなら、それの多くは威嚇、脅威、おどしを与えた結果なのだ。確かに生き残るための技術の進歩への貢献もないこともないが、力量に合わない危機回避の方策は、ドツボにはまり、財政を圧迫すること疑いなしなのである。
キチンと制御の利く範囲に置かなければ、経済力も防衛力もあさっての方向へ駆け出して行ってしまう。
経済力に見合った精神力ではない、精神力に見合った経済力である必要があるのだ。
そして、その精神力は、日々の反省怠らず、希望を持って、国としての人間力に磨きをかけ、宮沢賢治の謳ったような地に足をつけた生き様を世界に見せることによって、それこそ理想憲法とそれをしっかりと守っている平和の希求国、者、殉教国、者としての地位を得られるのだ。
今回は、いじめを起こす側の立場から考察してみました。不十分かと思いますが、何せ朝起き掛けで時間もないので、これでお開き・・・・



靖国参拝ツゥー!!

2005-10-19 07:15:47 | 
自然とは不可思議なもの、というのは今更ながらですが、
この小泉さんの参拝に日本国民、あるいは関係各国の怒りの程度を様子見て、大したことがないな、と言うことにでもなれば、ますます、小泉さんに勢いがついていくことでしょう。
愚人は、そうしながら程度を越えて、捕まるまで進んでいってしまうものです。
確か、またですが、ヒットラーさんもおんなじ輩でしたから・・・・
次はこう、次はこれ、つぎは・・・って相手の反応を確かめながら、そちらの方向に向けて行くのです。
ブッシュさんもアフガンを潰して、次はイラクは順番だったのでしょう。そして次はイランでしたか?それとも北朝鮮の予定でしたか?だが、早くにもイラクでつまずき、予定は未定になってしまいました。こんな筈では・・・ってところでしょうか?
すでに世界警察への野望は断たれてしまった。このように自動的にストップが掛けられれば良いのだが・・・日本社会は果たしてどうなのか・・・・・?
精神年齢と言うのは、そう言う場面で、ブレーキを掛けられるかどうかが岐路なんですよ。大人か、そうでないかの分かれ道です。ビシッ!っとノー!と言えるか、どうか、に掛かっているのです。そこで「待てよ」と振り返られるかどうかに掛かっているのです。他人事で選んでも、行政は他人事ではないのです。愚かなる者たちと同じ飛行機に乗っているのかも知れません、その判断を委ねているのです。
残念ながら、今の日本国民にその分別はありません。リーダーにあるかなしかなのだが・・・・?
国民は、小泉さんを盲信してめくらばんを、ただ押しているだけなのです。一度に二手に分かれた道は歩めないのだから、しっかり目を開けて歩いて欲しいものです。
これから仲良くやっていかなければならない相手の言うことに耳を貸さないと言うことは、友人? に対しての心の鎖国でもあります。アメリカにしたところで「被害国の気持ちは分かる」と言う論調に変わってきているのに、その意味する置かれている立場をしっかり吟味して欲しい、中、露、印の結束が次第に生きてきているのだ。それほどアメリカでさえアジアへの足掛かり、影響力の保持に必死なのだ。
友人を作りたがっているくせに、やることなすことは真逆をしてしまっている。
日本の常識は世界の非常識ならぬ、日本の支持は世界の不支持。これは何を意味しているのか? どこから来るのか? 良く考えて欲しい。アジア各国があの「忌まわしい苦渋の出来事」を忘れてくれようとあるいは忘れたいと思っていて、新しい時代を構築したいと思っているのにも拘わらず、それなのに再びの懐古趣味の加害国側の靖国参拝は、それの全てをぶち壊していることになっているのが、小泉さんだけではなく、多くの日本人民に理解できていないのだ。何ゆえか?
はっきりと精神年齢の未熟でしかないではないか。一度、一生、脳に焼き尽くされ残る悲惨な体験をするしか理解できる道はないのか?

靖国参拝

2005-10-17 21:15:25 | 
もう書くのも止めようと思ったんだけれど、もうちょびっと・・・・
小泉さん、靖国へ行ってしまいましたね。
挑戦的です。チンピラヤクザの若造のような行動です。
よく、相手がツッパってくれば、こちらもツッパルというような闘争心むき出しの行動を刹那的に本能で取る若者たちがいることは承知しておりますが・・・・
抜きつ抜かれつの競争をしたがったり、敵やライバルを自分なりに創設して、向かっていくような、およそ分別のかけらも感じられないような子供です。
これが日本を代表するリーダーとして日本国民は認めているわけですから。総じて日本国民自身も幼稚としての証明をしたようなものでしょう。
もう、任期も僅かなんだから、自分のしたいようにするってことなんでしょうかねえ。
こう言っても、どれだけ私の言うことに耳を貸してくれる人がいるのでしょうか?
多くの人たちは、挑戦的と言う認識ではないのでしょうね、多分、日本の責任者として先祖、先人、先輩を敬うのは当然過ぎるほどに、当然のことだと思っているのでしょう。
憲法には「自国のことのみに専念して、他国を無視してはならず」と謳ってはいるのですが・・・・?みんな、自分のこと、自国のためからしか考えなかったから、他国を侮蔑して無視したから、分をわきまえずにいい気になって、日清戦争勝利での思い上がりそのままに、しかしながら抵抗激しい中国、資源を求めて強さを誇示しての東南アジア、上から見下ろしてくるような国、昨日までの友は今日の敵のアメリカに挑戦していったのではあるまいか。そう言う性根がみんなを不幸のドン底に誘導していったのではないのか。挑戦することはある意味では悪いことではないが、苛められた過去の取り返すことのできない悔しさ、惨めさに思い至すこともなく、喧嘩腰のそれぞれの国への挑戦的行為は、性質のタチの悪さを表わす。いやっそれよりも常に自分自身、自国への一触即発の危険をも内在させていくことになる。「よーし分かった、じゃあ、そっちが反省もしないで、先人のやったことを労ったり賛美するなら、こちらにも考えがある」と言う思いがそれぞれの国心の中にフツフツと湧いてこよう、悲しいことである。
国民も、そんなリーダーの若造的挑戦の行動が、いろいろな意味、場面での危険を誘導させていることと思わなければ、辛い選択が待っていることでしょう。それは戦前の軍部だけを悪者にして、責任から逃げる国民の性質に因るところが多い。
小泉さんをリーダーとして選択したのは、政治を「我が事」のようには捉えず、人気投票的他人事観点から選んでしまった愚かなる者たちの結果なのである。だから責任意識は、無くなってからの軍部ではない、辞めてからの小泉さんでもない、己れ(国民)自身が負わなければならないものなのだ。
追。
コメントをくれた方がいらっしゃったのを書いた後でわかったので、少し書き足したいと思います。
人や国によっては参拝を支持する時と場合があろうかと思います。それが言い訳の援護射撃となってくれるのでしょう。きっといままでも、これからも、お世話になった、あるいはお世話になるであろう事を考えてのことでありましょう。どんな悪政をしいたとしても、必ずや支持者は隅っこに存在してはいるものです。
まして、この経済大国の影響力は並外れたものである筈です。
東南アジア各国からの反響がないからといって、国心の中にくすぶっている思いがあることを、洞察できるように年輪を重ねてください。
中国と韓国に関しては、経済的にも自立できるようになってきて、日本の助けもいらない状態となって、初めて物申すようになってくるのです。それが立派な自立です、対等の関係なのです。大人ならば分からねば、ならないことなのです。
それに対して、いきがって我を通すなんざ・・・・と言うことです。
心の中で、子離れがしていない・・・と言うことです。子供を育てていないからなのではないですか。散々、自分たちの土地でもてあそばれて惨めな思いをした人が嫌がることを、自分の信念だからといって、もてあそんだ立場の国の後輩が分かってしてはいけません。それをひねくれた根性の「苛め」と言うのです。そんな苛めの基本が、あの方も多くの人たちも分かっていないのです。戦争中も現在もまったくその内に秘めたる悪しき心は同一です。
育つ過程に何らかの歪みが見え隠れしています。「反省無き者たちに精神の成長なし」この挑戦的姿勢が、離婚経験を生むのであろうか?
ここで大事な一言を参拝を賛成のみなさんに「反省は自分を育てる実経験です!!」

ゾウリムシ思考に席捲されている日本

2005-10-14 00:08:20 | 
いままでこのように書いてきて、日本国民の思考過程がわかりかけてきた。
結論を言えば、やっぱり幼い。
図体や一部の能力ばかりが成長して大きいが、精神が伴わず不安定な状態である。
ただ闇雲に世界に追尾しているようにしか見えない。全体的にリーダーからして思想が甘く浅い。
常に必要な事柄についてしっかりした反省、勉強、研究がなされていないせいなのであろうか? 腹が据わっていない。
そんなだから中国から日本リーダーに向かって「もう少し歴史について勉強してください」と諭されてしまうのだ。過去の日本の先人たちを賛美しようとする思惑は、強盗を賛美することなのである。普通人もそこのところをしっかりと理解した方が良い。そう言う思惑を持つ自体が歪んだ精神から派生していく姿勢そのものなのであって、好感の持たれる姿勢ではないのだ。
自分だけを愛する自己愛、日本だけを愛する国粋愛はあっても結構、しかし、そのため当然にやってくる思想の視野狭窄により、アジアから、世界から、見据えることのできない、狭い洞察力や判断力は適正から逸脱し、挙句の排他(北、韓、露、中)になってはあまりに日本が哀れで、言うべき言葉もない。
今の日本社会はゾウリムシのような社会になってしまっている。
小泉自民党は単純な説得で選挙に大勝した。あまりに解りやすい○×の単純さは、あの戦争、是か否の選択と同じなのだ。政治もマスコミも是か否で国民に判断を求める傾向に陥っている。それは主張が届きやすいことでありながらも、理解、判断の幼稚さに拍車をかけているとも言える。高度な教育システムの先進国社会、経済大国、技術大国を標榜して息巻く御仁には、何とも笑えるほど皮肉に映る。
この、非常ブレーキも掛けられぬ幼稚さは、底なし沼の危険領域に入り込んでも気づかない愚かしさを露呈してしまうであろう事は容易に想像もできるのだ。
だいいち、現在の資本のインフレバブル状態と底辺デフレ状態の、「歪み」を誰一人として疑問視することのない社会なのだ。小泉自民党時代に急に借金が増大しても、ただならぬ膿みが表面化しても、修理、改革する気を見せかけながらするでなし、痛くも無い親知らずを抜こうとする歯医者に似たりして、またそれを患者が素直にも認知して、けっして自民党の責任だとは言えない、言わない患者とマスコミなのだ。株は木の株しか知らない庶民では、遠い異国での大騒ぎでしかないのか・・・




壊れかけた日本に幻滅、さいなら!ついでにgooブログともさいなら!か?

2005-10-07 07:00:37 | Weblog
昨今、いささか日本国民にはガッカリしてしまった。何か、書く気持ちが少し萎えてきてしまっているのは否めない。
元々、こんなことを書いても得るものもないのだから、もうそろそろ仕事に専念したい。読んでくださる人も少ないし、ちょうど良い時期かも知れない。
調子を崩して壊れかけたひとつのマイパソコンを復活させることができた。もう一つも危なかったが、クリーンインストールに持ち込めた。バンザーイ! しかし、またミラーリングしなくちゃならぬ、辛い。仕事に集中できなーい!
ついでにNTローダーがミッシングなんて言っているパソ。これは駄目だ!
今では無用の長物になっちゃっている。アスロン1900MBだよ。ほとんど使わないのにオジャン!起動ディスクがうまくいってくれればいいのだが、6枚の起動ディスクが、何回やっても必ずどれか一つが駄目で、受け付けてくれない。
根がつきた。
でも、最初に買ったCPU380MBのIBMがまだがんばって動いている。散々いじり倒して勉強して、壊して一人前と思い込んで、とにかく滅茶苦茶、玩具代わり、フリーソフトで遊び、リソースと首っ引きで操作に明け暮れたが、幸運にもウィルスにも合わず、98からMEをいれるのにもやっとこさで、黒画面にsetupコマンドして何とかいれたのだが、おかげで5分もたたないうちに再起動の憂き目。今はその整理整頓に明け暮れしている。いまだにとにかく、システムファイルがドキュメントにあったり、訳がわからん。datファイルが悪さしているようにあちこちに出没するので、悪人ファイルだと勝手に判別して削除してしまったり、よくこれで壊れなかったのが不思議である。今はあまり必要とはしていないが、LANの設定で使わせてもらった。画面が暗いし、ファイルシステムがFAT32なので、NTFSからは引っ張ってこれないので仕方が無い。フリーソフトは惜しみながら、捨てている。
真っ黒地画面にしろ文字が出ると、win98世代なので、やる気が一気に無くなる。
ネット上ではBIOSが出れば「直る」って言うのだが、歳をとると面倒で他にあるからいいやって思ってしまう。電池も駄目で万事キュウス。
ミラーリングにUSB接続を知る。これは楽だ!
いままで共有とか、コピーとかして2台を転がしていたが、やっぱり時々は店を回る必要があるね。持ち運べる外付けディスクがもう一台欲しいな。
修復が不可能に近づくと、あきらめてしまうのは私の欠点か。本当はここでぐっとがんばるべきなのでしょうが、普通人はここで手を引くのです。だから普通の人間なのです。そんな人が大半なのです。これ以上踏み込むとどうにかなっちゃいそうな恐れの不安で、自己バランスを保つためなのです。これは本能です。