またまた日本の置かれている立場というものを皆さんに理解していただきたく思って書きます。特に面舵一杯の方々に読んでいただきたい。
憲法を変えて、現在の自衛隊を容認することは、平和を希求する国民の意思を曲げることになります。
自衛隊の働きは、攻められたら撃ち返すのを前提にしています。それはとりもなおさず戦争を意味して、その結果から平和を希求してはいない、と言うことでもあります。
あの大国アメリカでさえ、言うことを聞かず徹底抗戦する国々があります。つまりそれは、どんなに軍拡して強大になろうとも、逆らって刃向かってくる国は必ずや存在する事実があることを知る必要があります。
さてそこで、何処の国との戦争を仮想定しているのでしょうか?
一番目に浮かぶのは、北朝鮮ですか?
あの国は、軍人とミサイルと核の国ですね、勝っても負けても何が残りますか?
そうです、弱い者いじめの空しさだけが蔓延します。弱者をいたぶって何が嬉しいですか?犠牲多くして戦争慣れするためのホップステップですか?
それとも対中国ですか?
後ろにロシアが身構えています。
日本を戦場にして、ミサイルの撃ち合いでもしますか。
原子力空母に核ミサイルが上空で爆発したらどうなりますかねえ?
これからの戦争の無意味さって言うものが、わからないんですかねえ?
憲法で軍隊にして、中国に敵対意識で対峙してどうするつもりなんですか?
20年は遅れている科学技術をこれから取り戻そうとするんでしょうか?
武器が強大になればなるほど、戦争時の破壊も正比例で強大になります。
日本独自の防衛力を持ちましょう、というのは一人前の男になりたいとする気持ちからでしょうが、
私から進言します。それがすでに女々しいのです。弱弱しい心を自らが感じているからこそ憧れてもいるのです。
男っぽくしようとしたり、らしくありたいと思うこと自体がすでに女々しいのです。本当の男は武器に頼りません。軍事力なんかくそ食らえ・・・です。
第一、無意味、無駄です。ミサイルの時代ですよ。銃剣でエイ、ヤー、の時代ではないのです。
戦争に突入すれば、どこが戦場になるかで大分違いますが、お互いの破壊は言葉で言い表すことができません。
もうアメリカとて、対峙はしたとしても、中国と一戦を交えるなんて出来よう筈もないでしょう。
急いで日本を民主資本主義の最後の砦として、中国対策の設定をしようとしていますが(株高の礼を小泉さんもしなくちゃなりません)
中国の牽制、対峙といってもどこまで本気なのか・・・・本当は及び腰ではないのか?
北朝鮮を潰すには、ある核兵器を探し出して飛行機に乗せて飛び立つ前に爆発させるしかないでしょう。核は開発されてしまった以上どこで爆発しても大変なことになります。
日本は、そんな無意味なことをやろうとし、時代錯誤な右傾化を進め、平和志向を根底からわざわざ覆し、平和志向は「やーめた!」とばかりに、陳腐な性根を世界に知らしめようとしているのだから、これはもう、絶句、としか言いようが無い。世界の有識者の中では、日本は「武器を持たない」「戦争はしない」と憲法に謳われていることは先刻ご存知の筈だ。それがそうではなくなることは、大変なことなのである。
いくら「平和を念願している」とか「戦争はしない」と言っても相手から仕掛けてくる、或いは仕掛けざるを得ないように仕向けることをして応戦すれば、それは即ち戦争なのである。そう言うことを解って欲しいものだ。
それは、君子ではなく、自ら相手に攻撃させようとする意図を有して戦場国に向かう謀略とも言えるのだ。
中、露、印の結束を見せ付けられて、時代の変化を読み取れなければ、面舵に走る、懐古趣味の愚かなる者たち、哀れなる者たち、のレッテルは容易には剥がせないだろう。
空襲におびえ、逃げ惑うことに疲れ、腹をすかせて彷徨い歩き、原爆に絶望して、また、おいしい餌に釣られ、乗せられて戦場に向かい、その人殺しするだけの戦場に絶望し、そんな自分の無知さ、国の裏切りに腹が立ち、真の心から平和を望んで憲法の下に誓った「もう武器なんて持ちたくない、武器があるから戦争をおっぱじめてやりたくなるんだ!!」「戦争は、戦争は、もう結構、沢山!!絶対やりたくない!!」って世界に向けて不戦の誓いを発信宣言したんだ。そんな覚悟をなし崩しにして、結局元に戻してしまう日本人の持つ性質は、あまりに自滅的、破壊的行為で、お話にもならない。
徳川幕府が300年間安泰であったのは何ゆえか。
平安時代がそれこそ平安の世であったのは何ゆえか。
世界の中で、軍隊を持ち利用して平和を継続維持しようとする意図では、逆に常に国同士の、衝突の危険に晒されて行くという方向であることなのだ。ましてや米国vs中、露、印という、冷戦時代よりももっと複雑な関係の世界情勢の時代なのだ。カヤの外の方が安全であるのは確かだ。米国の孤立への懸念から、日本を頼りにしているのはよく解るが、使い走りは、所詮使い走りで、複雑に絡んで、いる、くる、中、露、印の影響力との衝突を上手に避けることは不可能なのである。必ずや判断を迫られる事態がくることは必定。そうなると、敵対関係はもっと進んで行くことになる。思想が全く違う故に、共通の交流先の無い時代から、信号の無い、共通の交差点先の時代へ入っているのである、それだけに衝突の可能性は増大しているといって良い。経済への影響も懸念されるし、非常に怖いことである。
いざとなったら日本は米国のために、中、露、印と一戦を交えてもいいつもりなのだろうか? このままでは否応なしに敵対路線に入っていくことになりそうであり、
中国在留の方々も首を洗っておいた方がよさそうである。
米国の原潜が堂々と入港を世界に宣言したって言うことは、一心同体、ツケもトガも一心同体と言っているようなものだ。これでひとたび事が起これば、北朝鮮も中国も堂々と東京に核を撃ち込める正当性が出来たということになる。
憲法制約があるがために、自衛隊と言う軍隊が外へ出て行けなかったから、人々の心が経済発展の方向しか向いていなかったからこそ、60年の平和があったのだ。
それをムザムザ好き好んで巻き込まれに刺激を求めて出て行こうとするバカな為政者と民衆なのだ。
自衛隊も中に居て、政治も民衆もマスコミも喧嘩腰にならなければ、これからも平和でいられるのだ。防衛力も度を越せば、思うようにならない国家に対して利用しようと計る、とんでもない為政者と民衆が現れて来ないと誰が断言できるのか?
現在の日本社会の幼稚さを見る限り、第二のヒットラー、トウジョウヒデキが出てくる可能性は100パーに近い。
体格を大きく見せかける、体を鍛える、武器を持つ、は一部の人の犯罪の始まりであり、動乱の元凶である、と言うことが未だに理解されない日本って、愚かしい幼稚な人々の集まりだったのか、残念!!としか言いようがない。
憲法を変えて、現在の自衛隊を容認することは、平和を希求する国民の意思を曲げることになります。
自衛隊の働きは、攻められたら撃ち返すのを前提にしています。それはとりもなおさず戦争を意味して、その結果から平和を希求してはいない、と言うことでもあります。
あの大国アメリカでさえ、言うことを聞かず徹底抗戦する国々があります。つまりそれは、どんなに軍拡して強大になろうとも、逆らって刃向かってくる国は必ずや存在する事実があることを知る必要があります。
さてそこで、何処の国との戦争を仮想定しているのでしょうか?
一番目に浮かぶのは、北朝鮮ですか?
あの国は、軍人とミサイルと核の国ですね、勝っても負けても何が残りますか?
そうです、弱い者いじめの空しさだけが蔓延します。弱者をいたぶって何が嬉しいですか?犠牲多くして戦争慣れするためのホップステップですか?
それとも対中国ですか?
後ろにロシアが身構えています。
日本を戦場にして、ミサイルの撃ち合いでもしますか。
原子力空母に核ミサイルが上空で爆発したらどうなりますかねえ?
これからの戦争の無意味さって言うものが、わからないんですかねえ?
憲法で軍隊にして、中国に敵対意識で対峙してどうするつもりなんですか?
20年は遅れている科学技術をこれから取り戻そうとするんでしょうか?
武器が強大になればなるほど、戦争時の破壊も正比例で強大になります。
日本独自の防衛力を持ちましょう、というのは一人前の男になりたいとする気持ちからでしょうが、
私から進言します。それがすでに女々しいのです。弱弱しい心を自らが感じているからこそ憧れてもいるのです。
男っぽくしようとしたり、らしくありたいと思うこと自体がすでに女々しいのです。本当の男は武器に頼りません。軍事力なんかくそ食らえ・・・です。
第一、無意味、無駄です。ミサイルの時代ですよ。銃剣でエイ、ヤー、の時代ではないのです。
戦争に突入すれば、どこが戦場になるかで大分違いますが、お互いの破壊は言葉で言い表すことができません。
もうアメリカとて、対峙はしたとしても、中国と一戦を交えるなんて出来よう筈もないでしょう。
急いで日本を民主資本主義の最後の砦として、中国対策の設定をしようとしていますが(株高の礼を小泉さんもしなくちゃなりません)
中国の牽制、対峙といってもどこまで本気なのか・・・・本当は及び腰ではないのか?
北朝鮮を潰すには、ある核兵器を探し出して飛行機に乗せて飛び立つ前に爆発させるしかないでしょう。核は開発されてしまった以上どこで爆発しても大変なことになります。
日本は、そんな無意味なことをやろうとし、時代錯誤な右傾化を進め、平和志向を根底からわざわざ覆し、平和志向は「やーめた!」とばかりに、陳腐な性根を世界に知らしめようとしているのだから、これはもう、絶句、としか言いようが無い。世界の有識者の中では、日本は「武器を持たない」「戦争はしない」と憲法に謳われていることは先刻ご存知の筈だ。それがそうではなくなることは、大変なことなのである。
いくら「平和を念願している」とか「戦争はしない」と言っても相手から仕掛けてくる、或いは仕掛けざるを得ないように仕向けることをして応戦すれば、それは即ち戦争なのである。そう言うことを解って欲しいものだ。
それは、君子ではなく、自ら相手に攻撃させようとする意図を有して戦場国に向かう謀略とも言えるのだ。
中、露、印の結束を見せ付けられて、時代の変化を読み取れなければ、面舵に走る、懐古趣味の愚かなる者たち、哀れなる者たち、のレッテルは容易には剥がせないだろう。
空襲におびえ、逃げ惑うことに疲れ、腹をすかせて彷徨い歩き、原爆に絶望して、また、おいしい餌に釣られ、乗せられて戦場に向かい、その人殺しするだけの戦場に絶望し、そんな自分の無知さ、国の裏切りに腹が立ち、真の心から平和を望んで憲法の下に誓った「もう武器なんて持ちたくない、武器があるから戦争をおっぱじめてやりたくなるんだ!!」「戦争は、戦争は、もう結構、沢山!!絶対やりたくない!!」って世界に向けて不戦の誓いを発信宣言したんだ。そんな覚悟をなし崩しにして、結局元に戻してしまう日本人の持つ性質は、あまりに自滅的、破壊的行為で、お話にもならない。
徳川幕府が300年間安泰であったのは何ゆえか。
平安時代がそれこそ平安の世であったのは何ゆえか。
世界の中で、軍隊を持ち利用して平和を継続維持しようとする意図では、逆に常に国同士の、衝突の危険に晒されて行くという方向であることなのだ。ましてや米国vs中、露、印という、冷戦時代よりももっと複雑な関係の世界情勢の時代なのだ。カヤの外の方が安全であるのは確かだ。米国の孤立への懸念から、日本を頼りにしているのはよく解るが、使い走りは、所詮使い走りで、複雑に絡んで、いる、くる、中、露、印の影響力との衝突を上手に避けることは不可能なのである。必ずや判断を迫られる事態がくることは必定。そうなると、敵対関係はもっと進んで行くことになる。思想が全く違う故に、共通の交流先の無い時代から、信号の無い、共通の交差点先の時代へ入っているのである、それだけに衝突の可能性は増大しているといって良い。経済への影響も懸念されるし、非常に怖いことである。
いざとなったら日本は米国のために、中、露、印と一戦を交えてもいいつもりなのだろうか? このままでは否応なしに敵対路線に入っていくことになりそうであり、
中国在留の方々も首を洗っておいた方がよさそうである。
米国の原潜が堂々と入港を世界に宣言したって言うことは、一心同体、ツケもトガも一心同体と言っているようなものだ。これでひとたび事が起これば、北朝鮮も中国も堂々と東京に核を撃ち込める正当性が出来たということになる。
憲法制約があるがために、自衛隊と言う軍隊が外へ出て行けなかったから、人々の心が経済発展の方向しか向いていなかったからこそ、60年の平和があったのだ。
それをムザムザ好き好んで巻き込まれに刺激を求めて出て行こうとするバカな為政者と民衆なのだ。
自衛隊も中に居て、政治も民衆もマスコミも喧嘩腰にならなければ、これからも平和でいられるのだ。防衛力も度を越せば、思うようにならない国家に対して利用しようと計る、とんでもない為政者と民衆が現れて来ないと誰が断言できるのか?
現在の日本社会の幼稚さを見る限り、第二のヒットラー、トウジョウヒデキが出てくる可能性は100パーに近い。
体格を大きく見せかける、体を鍛える、武器を持つ、は一部の人の犯罪の始まりであり、動乱の元凶である、と言うことが未だに理解されない日本って、愚かしい幼稚な人々の集まりだったのか、残念!!としか言いようがない。