宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

平和への覚悟と宣言

2006-08-06 16:23:15 | 政治
今日は原爆が投下された日。
久しぶりの休みなので、ヒガサのんびりとテレビを見ていたら、九州大学での捕虜人体実験の過去を検証していた。
鳥越さんが、当時それに立ち会った学生だった人の「戦争が人を狂わせた!」と言う言葉を引用して肝に銘じていたが、私は違うと思う。
「人が狂ったから戦争を起こした」と言うのがスジではないかと思う。
戦争を悪者にしてしまうのが、物事の道理が分かっていない人間のズルイ逃げなのだ!
戦争はあくまでも、平和を希求する礎になるものだ。だから日本国憲法もそれに立脚している。
人々の考えに「他を憎み蔑む気持ち、羨みから恨みに変化する気持ち、傲慢横柄な気持ち、唯我独尊から自己中な気持ち・・・・」このような心の変遷の後、その先にこそ「戦争」が存在しているのである。
戦争を起こすことを前提に、或いはやむを得ずにせよ、自衛であろうとも起こさざるを得ないことを前提として憲法を制定したのであるならば、当然に「戦争状態」がやってくることを覚悟しているのであるから、その「やってきた戦争状態を、罪としての捉え方は違うのではないか?」
それに対して「日本国憲法」は、はっきりと「戦争状態になることを否定しているものと考えられる」から、それに実質的に近づいている、いく(逸脱)ことは、憲法を無視するもので、不法行為と言えるのではないだろうか?
自衛であったとしても「戦争は戦争であり」テロであったとしても「戦争は戦争なのだ」
「戦争」という二文字の中に「憎しみの果て」とか「蔑んだ挙句」とか「傲慢の行き着く先は」とか「自分勝手な」とかの人々の心の葛藤が含まれていて、それの集大成が「戦争行為」に該当する。
だから、そう言う心の高まり(強過ぎる刺激ストレスの状態であって、正常な状態の心とは思えぬ)を経て、戦争状態に至るのである。
糾弾すべきはその戦争を誘導する「心」の変化であり、メスを入れるとすれば、その戦争に含まれる「悪しき心」(私自身は、悪しき、と表現するのを良しとしないが、今適切な言葉が見あたらないので・・・・?)を適宜、打ち消していくしかないものと思われる。
本来は、そのような心が「醸成」されぬよう、そのような心に「至らぬ」ように、検証し、書面にて確立していくのが必要と思われる。それこそが平和憲法にふさわしい「人々の平和への覚悟の宣言」になると確信する。
戦争を憎み、憎悪をつのらせて避けたり、逃げるのではなく、それに「至る」心を検証して遮断すべきなのだ!

武器を持たざれば、戦争はできぬ・・・これが現実!・・・・だから一生懸命外交                  に精を出す、出さざるを得ない。
日本人の特徴を検証すべし・・・・戦争が始まればトコトンやる。武器が残ってい                る間はやる。ブレーキが甘く、和の精神が障害                となる。
島国根性を検証すべし・・・・常に視野狭窄との戦い。自分勝手との争い。永く、              大きな視点が持てない。
愛国心、共謀罪、防衛力増強、有事法制、これらはみんな「内向き」志向。そのうち「向こう三軒両隣法」でも、作りかねないかもな・・・?
統率される側日本人の制御に関わるもの。
命令、統率する側への自戒は何らなし!
本当は命令、統率する側の倫理と法規制が必要なのではないか?
そうでないと、小泉さんや安倍さんのように、相手の怒りを喧嘩腰で奮い立たせて言葉の紛争の種をつくり、わざわざ戦争へ向かう道筋を立てる人間が登場してきても、日本の普通人はその危険性に気づかない?
周辺の各国はもうすでに「危うさ」が気づいているというのに・・・日本の中にいる日本人だけが、その危険性に気づいていないのだ。哀れだ・・・・!