宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

人、物、事柄を見る射程距離

2006-05-29 06:34:22 | 政治
物、人、には見る、読み取る、に、最適な射程距離というものがある。
米粒ほどにしか見えない物や、遥か遠くにいる人でも、人間の思ったよりも鋭い視線、眼力、というものは、その美しさを感じとれるものである。
例えば、富士山であったり、森林であったり、空気であったり、女の人であったり・・・・
これらがそれぞれにバランスの取れた持ち主ならば、遠くより眺めていてもそのバランスの美しさは、見て感じとれる筈だ。反面崩れていればその個性は、遥か遠くであっても浮き出ているに違いない。美は一瞬にして判別可能と言えるのだ。
しかしながら反面、近くのもの、近くの人、近くの事柄、近くの事象に、そして問題点に、更には自分自身への視野が、ボケてしまう眼力をも持ち合わせてしまっていることもあるのだ。
それはその人の持っている留意点というものが大いに関係している。
人は、注視すればするほど視野はおちこんで行く、周りがボケているだろう。
注視しなければ反対に焦点がボケている筈だ。それらは事柄、状態によって人それぞれである。
ボケているのが悪いと考えるのではなく、生きるための知恵として自然から学ぶべきのものであろう。
それらを見越した上での感覚で、日本と言う国を一度眺めて見よう。
美しい心に包まれた、覆われた日本であるのか・・・?
バランスのとれた美しい姿、形、の日本であろうか・・・・?
経済的にも、世界的にも、政治的にも、尊敬を勝ち得た日本であるのか・・・・?
札束で人の頬を叩いたりはしていないか・・・・?
戦後60年もやってきて、どれだけ憲法の下に忠実であったろうか・・・・?
アメリカの作成した憲法なんぞに従えるか・・・!って思いでやってきたのだろうか・・・?
私たちは、憲法の持つ理念を覚悟として、生きてきた筈だ。
それを素晴らしい!と感じてもいた筈だ。
いろいろな国家運営のやり方を踏襲してきて、今みんなが、憲法の下に集合していくのを是とした筈だ。
そして、美しい日本の建設を夢見てきたのではないのか・・・?
その60年の節目を迎えて、目指した「憲法の持つ崇高な理念の達成」から逸脱し、憲法に照らして自らを省みることもせず、平和の「礎」になっている憲法を変えてしまおうなんて言う大それた考えに、思慮分別もなく安易に同調してしまう姿が、果たして「美しい」といえるだろうか・・・・?
初志である、みんなで日本を築き上げていくのだ、と言う民主主義平民による政治の気概があるのだろうか・・・?
人々に「愛」を要求する前に、司る側は、「愛される国家建設」にどれほどの努力をはらったのだろうか・・・?
国民に「愛」を要求、強制することが、本末転倒だと言うことが、分かっているのだろうか?
むしろ、60年の年月が日本をブサイクに腐らせてしまったと言った方が、合致しているのではないでしょうか・・・?だから改革の必要性を感じているのではありませんか?
それが出来ずに、何の知恵も無く、その司る側の「腐り」を打ち消すために・・・? それなのに、それだから仕方なく、平民の側にそれでもそんな国への忠実なる「国家愛」の下僕になることを求める・・・?このイビツな心こそ、今の日本を見事に表わしてもいるでしょう・・・
「愛」の持つ、美しさと醜さの葛藤、 これをしっかりと勉強してください!!
と、これからの子供たちよりも、自民党と民主党の大人の分別があってしかるべしの皆様方に、私は言いたい・・・!!






格差社会、その元凶はなんだ?

2006-05-25 21:35:43 | 政治
Gさんにはどうやらアイソ付かされてしまったらしいが、今度ふたたびいらっしゃった時のために「自殺者3万人」についての解決策のヒントを申しておいておこう。
中曽根さんから次第に日本が「格差社会」へ、舵取りを変更してきた、といったが、その中曽根内閣の行った政策の一つにその原因を確かめるものがある。
実は中曽根さんも、当時の盟友レーガンさんの不況対策を参考に行ったものだったと言うことが言える。
しかし、にも拘わらず彼、中曽根さんは、選挙で圧勝!彼自身も「鳩に豆鉄砲」のような表情で驚いていたものだ。私もタカ極右の彼が、けっして一般民衆受けする政治を行っていたのではないのにも拘わらず大勝するとは、当時信じられない思いであった。
レーガンさんと、親しげな友人のように振る舞い、アメリカを手なずけたように思える行動が、国民の心理に影響を与えたのかも知れない?それは、アメリカに対してのコンプレックスの塊りだった日本人が、よくぞここまでやってきたなあ!と言う感慨の国民感情でもあったのであろう?
これを参考にする考え、気持ちが小泉さんの頭の中にはあるに違いないのだ?
だからブッシュさんを持ち上げ、日本が、傲慢ゆえの孤独なアメリカを助けることで、日本の国際的な地位向上を高めることになり、それが日本人民の「誇り」に貢献しているものだと思っているのではないか、と私は思う?
しかしそれが、時期が違えば「錯覚」になるのであって、同時に極東アジア、東南アジア、西欧、に対しての、無分別につながっていく事になるのが現状なのだ。
ともかく、自殺者を少なくする手立ては、中曽根内閣の政治姿勢、政策に一部分が現存しており、それを元に戻すことによって随分変わることができるものと思う?
当時、それがやがて現在のような「格差」を生み出すことになるであろうとは、多くの賛成支持の人たちには予見できなかったであろうが、何人かの反対識者には予見できていたのではなかろうか? ただ人間は、生きる知恵のために、忘れる動物だ・・・!
平民への抑圧圧政である国民に要求する共謀罪、教育基本法の愛国、憲法改正、靖国参拝問題、有事法制、バブルの後遺症とその解決方法、そしてスキャンダルを恐れる、上だけに優しい個人情報保護法、このような一連の出来事もやがて年数と共に忘れ去るれてしまうのかも知れない?
だから私たちはこのような出来事に深く関わった人々をしっかりと書き留めておかねばならない。あとでしっかりと責任をとってもらわねばならないからだ。
まあ、中曽根さんの行ったものだけで「格差」の元凶とはとても言えないし、外にも原因のものは限りが無い、タイトル倒れですまないが、少なくもそれを見直すことによってかなりの自殺者数を減らすことが出来る筈だ。






共謀罪はサド、マゾ理論

2006-05-20 07:12:22 | 政治
共謀罪創設。
取り上げるのにもあんまりにもバカバカしくて、その気も起きなかったが、ちょつとだけでも触れておこう。
さあ、治安維持法とドッコイ、ドッコイのこの法律、よくもまあこんなものを引っ張り出してきたものだ。アメリカとの共同歩調が、そのものの共謀罪なんではないのか?極東アジア・アセアンの仲間を裏切って、日本の言うことを聞かぬなら、アメリカと共に(これっ、共謀って言いませんか?)極東アジアに刃を向けるか?
一緒になって、アジア極東の台頭を防ごうってんだから、ごくろうさんです。
3,4年後になりますかね、「愛国」やら「共謀罪」を厳密に運用することを画策するならば、昔の「特高」に変わる組織がどうしても必要になってくる。今の警官たちから選りすぐれた精鋭を集めての裏での取り締まりを始めることになる。それとも「公安」がそのまま、任にあたるのか?公安の存在感の高揚なのかも知れないな?
「右傾化」というものは、結局このような方策に国家を向けていくものなのだ。
愛国、共謀罪のために、こんな幼稚な行政府、官僚たちでも、文句さえ言えなくなってくる、まさに「もの言えば、唇寒し・・・」の時代に相成ってくる。
このような制度を運用する側は、ゾクゾクするような興奮、高揚に駆られているに違いない。される側のごく普通の一般人では到底理解することなどできない感情なのである。
「取り締まる・押さえつける」側理論というものは、一種サディステックスな快感の極致とも言えるものなのだ。
サド的なるものが生まれてくると言うことは、当然に問題なきところには、マゾ的なるものも正比例する事実として、一般人の中にすでにあったればこそ、サドが発生してきたんだと思わねばならない。
困ったことに、そのどちらにも入れない、組しない者たちが多数いることである。それらが結局サドたちの生贄となってしまうのだ。
そのことに対して「尋常or異常」との識別ができなくなったとき、人は壊れる。
これはけっして誇張でもなんでもなく、当然に起こり得るものなのだ。
この時代に突入してくれば、まともな論理など、とても持つことさえ憚れるようになっていくのだ。「右!」と言われれば「右」に向くしかないのです。
大企業とか、宗教とか、あるいは組織の中では今でも「右」のものは「右」ですが、国家単位でも同様なことが起こり得るのです。各種の強制・強要に対して「言われるがまま」の体制作りが着々と進められています。それに伴う覚悟が日本人に今、求められています。
「文句を言うな」体制の推進は、はっきり言って総理大臣以下国務大臣は言うに及ばず、内閣府、官僚トップたちに多大の責任があって、結果が悪くなれば重罪に相当するであろう。やっている本人たちは「結果が良くなる」筈の思いであったとしても・・・である。それは独善であるからでもあるのだ。
「文句」を言う人は「国」を運営するについてのバランサーとしての絶対必要なものであって、これをないがしろにしては、健全な「国家運営」はできないものであると判断される。





自殺者毎年3万人

2006-05-10 22:23:16 | 政治
これだけの人数が7年前から、自らこの世からおさらばしているのに、小泉さん曰く「格差社会も仕方がない、悪くは無い」ときたもんだ。
こんな総理大臣ならいらない! 必要ない!
問題意識のない、不必要なジャーナリズムもいらない!
世界がこの実情を知ったら、ヒソヒソ、「あの国、何か問題あるんじゃないの?こんなに死んでいるのにおかしいわよ、みんな自分の国の人でしょ?誰も問題にしないって信じられない!」と思うだろう。
8年で24万人、その影響を受けた人々も換算すると相当の数であろう。
それが「格差社会もそんなに悪いことじゃない」ですか?言葉もありません。
その人が過半数の支持を得ている現実、どうやって解析したら良いんだろう?多分、従来からの自民党支持と、愛国右傾の人々の合同が高い支持率につながっているのだろう?
他の国の責任で起きたことには、厳しく糾弾するくせに、自分の国の責任で起きたことには、さも大したことじゃないとばかりに目を瞑る。こう言う国なのだ日本と言う国は!!こう言うところがある、と言うことをしっかりと、今からでも認識してください。これは今に始まったことではなく、多分過去にも多く散見されてきた日本と言う国の特質を表わしているのではないだろうか?と言うよりはっきりと表わしている。
ジャーナリズムによる「拉致」キャンペーンで目潰しを喰らい、その裏の隠蔽に気がつきもしない愚かしさなのだ。
所謂、視野狭窄ってやつですか。
普通考えるに、日本国民が自ら死に至らしめるにせよ、3万人、いやっ、小泉さんが総理に就任してから4年かな?だから12万人の人をあの世にお送りしたのだから、その責任の重大性を自らも感じなくてはならないものだが、およそその兆候も無く、この国は、その責任の追及もするでなし、過半の支持に恐れをなし、従順な羊になってしまった。
死んでいった者たちの無念の叫びが、関係なき人には聞こえずとも、私の双耳にはエコーを伴って到達してくるんだ。
このニュースを読んでも尚且つ、何にも感想がおきないとするならば、それは、自身の幸せ(エンドルフィン)のために、折角のこの世の出来事と人生とが泡となってしまった証座である。








愛の強要、教育誘導に組み込んではならん!!

2006-05-05 23:33:58 | 政治
今更ながら、自民党代議士諸氏に愛についてお話申したい。
教育基本法に愛国を入れるとの事。
つまり、愛国教育の強制らしい?
愛の強要、強制は、要らぬお世話と思っている者達には、ストーカー行為だ!!
年端のいかぬ子供たちに「愛国」を教えるのか?誘導するのか? 「愛」とは何か?を考え、話し合わせるべきではないのか?
どんなに政治屋さんがおかしなことをしようが、官僚役人さんが好き勝手なことをしようが、どんなに幼稚だろうと、お上の行政に迎合し、日本を根っから好きになり、埋没できる者は「愛国の強要」には相思相愛だろう。従って愛国は、彼らには不必要なものであるが、そうでない、政治屋さんの幼き行政や官僚さんの好き勝手な行状に対して疑問を感じる者たちからみれば、彼らたちからの「愛国教育」なんて、「ふざけるな!!」と相成る。「自分のことさえも、満足に律することができなくて、何が愛国だ!!」
と、叫びたい気持ちであろう。
愛を強要してしまったら、即ち唯我独尊のストーカーが発生する。
愛を得たいと思ったのなら、努力することだ。努力もせずに愛を得ようなどは不埒者の、与太者の考えることだ。もっとシャキとせい!シャキッと考えんか!!

 私がこんな基本中の基本を何故に自民党に物申さねばならないのだ。みんなすでに歪んだ立ち位置だから、更なる歪みに鈍感になって気づかないのではないか?それとも分かっていてやろうとしているのか?それならば犯罪者に匹敵するような、相当悪質な面々だ!!

 これが国会を通過すれば、その影響力は面白い。
夜這い、足入れ婚、略奪愛、誘拐愛、面識なし婚、挙句、吉原復活!あるやも知れぬ?つまり、愛の強要、強制が認定されれば、こうなってもしかるべし。
もてぬ男たちには良い制度ではないか?
年端もいかぬ子供たちに、愛国を強要、強制するなんざあ、考えることが幼稚過ぎて、はなはだ片腹痛いわい。
政治が、金融が、企業が、官僚役人が、あらゆるみんながそれぞれキチッとやるべきことをやって、けっして軍事ではなく、その他の方策で世界に貢献して、賞賛を浴び、尊敬、憧憬が得られれば、愛なんて要求しなくとも黙ってついてくるものだ。
悲しい、寂しい、哀しい、空虚だから、心が満たされぬから、愛が欲しいのだ。愛を求めたがるのだ。
悲しさも、寂しさも、空虚さも、大切な感情の抑揚ではないか、
それが、喜び、楽しみをもたらせてくれる糧になるのだ。
国民みんなへの愛国の強要は、その美しいフレーズとは相反して、全体国家社会への船出であり、道標であり、そこでは「悪巧みの隠蔽」も当然のように発生して、むしろそれがしたいがためのような気がしないでもない。
朕優先の軍事全体国家社会がよろしいのか?それとも民主主義もどきあっても、いままでの主権在民優先もどき国家が良いのか?うしろを意識しても、うしろには向かわず、前を向いて歩いて行かないか。
憲法を押し付けと批判するなら、愛の押し付けはもっといけないのではないか?上の者たち?が、こんな素人でも分かるような危険な方向へ、わざわざ日本人民を誘導していく、そんな政策をするのではなく、アジアの融和、世界の融和へ邁進する日本の姿を見せれば、みんな「頑張れー!!」と応援歌も自動的に出てくるのだ。みんな尊敬もするようになるのだ。そんなことも分からん人々の愛国教育指導なのだ?
だからあさっての方向に向かってしまうのだ。
愛も過ぎれば、ストーカーになり、とても怖い存在になってしまうから・・・それを予見できる人たちからすれば、「愛国」を、「教育」と言う名の「誘導」に組み込んではならんのだ。
もう一度言う!「愛国を」  「教育誘導」に組み込んではならん!!
「愛」の素晴らしさ、反面の怖さ、を考え噛み砕き理解させる前に「愛国」への誘導は、歪みへの第一歩である。



武力を持っての崇高な理念の達成は断じてない!!

2006-05-03 09:41:57 | 政治
前回、「過度の愛国者は日本に滅国の危機をもたらす」
と述べた。最近の動向を伺うにつけ、これをまた取り上げておこう。
日本が、アジア人種であることは疑いようのない事実であろう。
その日本が、アメリカと一緒になって、憲法より抜け出て、専守防衛から世界各地の紛争解決に積極的に介入していく先制攻撃も有り得る政策に方向転換しようとしている。はっきりとこれは憲法からの「日本の変質」と申せよう。世界にその憲法からの「変質」を宣言したようなものだ。多分日本の技術力とアメリカの総合力が合体すれば、「鬼に金棒」と言う、捉え方をトップの方々は理論付けしているのであろう?
いよいよ、武力での「傲慢、横柄」へ船出したのだ。
北朝鮮も、中国も、ロシアも、大砲の筒先は危険極まりない、危なっかしい東京を目指しているであろう?
韓国もこれからはそうなる?
日本は、アメリカと手分けしてこれらの国々に大砲の筒先を向けねばならない。
何でこのようになってしまうのか?悲しいことである、寂しいことである。
日本の過度の愛国右傾化への「変質」が、各国のデモを誘発し、境界でのイザコザに発展し、更に過度の愛国化への階段を上る。そしてドンドン亀裂が深まる。
アメリカvsアジアの図式に日本が乗る。
アメリカは共産主義の台頭に恐れをなし、イスラム原理主義に恐れ、今また、アジアの台頭に恐れを抱く怖がりの集団なのだ。
日本はそのアメリカと結託して、アジアの同胞に刃を向けようとしている。
やはりアジアのリードオフマンになれなかった悔しさか?それとも
お世話になりっぱなしで、日本の成長に貢献してくれ、今日の幸せをもたらしてくれた感謝の気持ちからか?
それとも、どうしようもないアメリカの強引とも取れる圧力によるものか?
アメリカの考える野望、戦略に、お金もないのに、苦しくなることが分かっているのに追随する日本。引くに引けない過度な愛国心であるがために、不幸をもたらす一因の一つになるであろう。
何事かがある可能性の下に、アメリカの総合戦略があるのだ。
今、日本からの積極的追い出しではなく、アメリカの、韓国からの移動そして、日本の普天間からの海兵隊のグァム移転は、アメリカ自身による何か?を示唆しているのだ。
アジア台頭「特に北朝鮮の背後にいる中国」の砦、前線基地として日本に働いてもらうため? 敵の先制核攻撃を受動したる後、アメリカが反転攻勢に出る時間的余力のためかも知れない?
アメリカにとっての日本は、日本が思いたくとも盟友でもなんでもないのだ。
何かあったときのスケープゴートでしかないのだ。
核攻撃を一番に恐れるのは、実は日本人民ではなく、アメリカ高官たちなのだ、と言う事実も知っておくがよろしいだろう。
原子炉に突き刺さる核攻撃分裂は、想像の世界で彷徨っているしかないのだ。おそらく淡路神戸大震災の十数倍、数十倍の威力と被害であろう?
本来は日本海で百パーセントのミサイル防衛をするのだが、失敗も考え得る予測を立てる、それは最初に受けてもらうしかない、しかる後アメリカ本体が駆けつける、そんなシナリオなのであろうと思われる。想像の域を出ないが、私だったらそうするであろう・・・・?
私たちの日本と言う国は、7乃至8分でミサイルが到達する地点にあるのだ。
これは、とても車でも逃げ果せる時間ではない。
そんな国同士でプライドを掛けて戦うほどバカなことはない。
アメリカはアジア同士で戦ってそれぞれ自滅してくれれば、アジアの台頭が防げて良いのである。
愛国心を過度に持つことが、他国の反発を生み、お互いに引くに引けない状況を生じてしまう、ということを、必要を越えた愛国者のみならず、国民大衆も、簡単な理論であるにも拘わらず理解ができなくなっていく、それは何故?
それは、もうすでに心の中が患っているからに他ならない。
この患いは急性ではなく、徐々に慢性化してくるから始末が悪いのだ。まさに自民党政府の昔からの手法の成果ではないか。
結果、あらゆるところで憲法を踏みにじってしまい、調整する必要に迫られているようにアピールしてしまう。それが「憲法の逸脱」「心の変質」「崇高な理念の目的の変質」につながるのである。必要以上の武力を持って擁しながらの、崇高な理念の達成は断じてありえないのだ。
折角の崇高な理念も、持ち続けることのできない反面教師であって、尊敬に値はしない国の正体が明らかになってきたのだ。残念だが日本はそう言う国だったのだ。
崇高な理念を追求する姿勢がないからこそ、愛国を強要すること、されることに疑問を呈することがないのだ。
「愛は要求するものではなく、自然発生的に愛しいと感じるものなのです」
愛の要求、愛の強要は、己れを見失った自分勝手の行状であって、そこには利己主義の形、全体主義の形があるだけで、本当の愛の形ではないのである。
それを知らない人が、愛を求める。愛する心の無い人、愛される喜びを知らぬ人の
得手勝手の押し付けに過ぎない。