宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

戦争とは、心と知恵の喪失。

2005-03-29 23:38:17 | Weblog
最近、訪問客が少なくなってきて、北朝鮮問題のせいでしょうねえ。
でも、言わなければなりません。国会議員の方々の幼稚さ加減があきれるばかりですから、
任せておけません。
まず、拉致被害者とミサイル攻撃とをてんびんにかけてみると分りやすいですかね。
功利的なる日本人ならば答えがでるでしょう。
ミサイルにはミサイルはどうでしょうか。どのミサイルに何が積まれているか分らない状態で、一発でも落としそこなったらどうなるんでしょうかねえ。
アメリカが叩いてくれる? イラク、今頃どうしています。
北朝鮮の状況把握ができている? 本当でしょうかねえ。飢えているのに軍隊とミサイルと核保有。
何を意味しているか? わかりますかねえ。それが分らない国会議員は辞めて欲しいですねえ。
答えは、最後の一戦を常に意識して覚悟していると言うことではないのでしょうか。失うものがないのですよ。これを 捨て身 と言うのではないですか。麻薬も偽札も6カ国協議欠席も世界も無視した行いは全てこの「捨て身」のなせる技なのでは・・・・
小泉さんの裏切り、藪中さんの裏切り、これっ、裏切られた方の気持ち考えたことありますか。
小バカにされた心の痛み、伝わっていますか。どれだけの国民が理解しているのでしょうか。
日本に信義を求めて、その結果の心の喪失感、そして、その後の情をノドンで飛び越すしかない「恨み心」の発生を誰が糾弾できますか。
武器には武器と言う、お子様的発想に至っては何をかいわんやですねえ。その無力感が分らないんですかねえ。考えていないのでしょうね。
どう考えても加害意識の希薄は、犯罪者のそれであり、幼児性人格のそれであるとしか思えない。
だから、アメリカが挑発もしないのにはいくつかの理由があります。核を押さえ込むには核使用しかないのです、それには事前に韓国、中国、ロシアの了解がなければできないのです、中国に話したことが北朝鮮に筒抜けでは、中国の思惑も分ろうというものす。強引ぐマイウェイのアメリカの行動に危険を感じているのです。つまり、ロシアも中国も韓国も、アメリカの言うことにイエスマンではなくなっているのです。罪もないイラクを国際連合の承諾もなしに攻撃したのですからね。このことの意味は、イエスマンに徹することができる小国よりも、他の大国の方がもっと恐れや危険性を身に沁みて感じている筈です。公平感による信頼性あればこその世界の警察です。その信頼性に疑問が出た以上、続けることはできないし、やりがいも失せることでしょう。
北朝鮮のアメリカと日本を孤立させると言う言葉に真実味があるのです。北朝鮮が中国の防波堤になっているのです。各国の協力が得られない現状ではアメリカは挑発できません。
なのに、日本は経済制裁と騒ぎ立て挑発する。「幼稚さの極み」と言うしかない。
軍事技術というものは、必死に生きようとする者たちに微笑む。
いいですか、無駄な殺し合い、壊しあい道具を作って、使って、税金上げて、役人の無駄に上乗せですか。結果は難民と肉体障害者と精神障害者と傲慢者と恨みと死者と地震以上の破壊をお互いにして、むなしい事と自覚はできませんか。戦争は道具がするのではありません。
国の心が全てなのです。それが国民に理解できないのは、不幸の始まりです。
今一度思い返して欲しい。「戦争の放棄」を・・・
これは、戦争に至る必要な道程を全てoffにすることなのだ。どんなことが発生しようとも、常にoffに戻すのだ。その信念がないと揺らいでしまう。
戦争やむなしの事態はどんなことがあっても避けなければあの憲法の制定が何の意味もなさない。
武器を増やし持つから戦争犯罪をしたくなるのだ。一部の過激で軽薄な力自慢のリーダーをのさばらせるから戦争犯罪に巻き込まれるのだ。つまんない優越思想を持ち、他を排斥しようとするから戦争犯罪するのだ。戦争の現実、その先にあるものが見えない、読めない、幼稚さがあるから戦争犯罪するのだ。臆病者だから、あらかじめ叩いておく戦争犯罪に至るのだ。傲慢、それ自体戦争犯罪を誘発するに至るのだ。見栄っぱりだから戦争犯罪に至るのだ。戦争に至ると言う道程を整備することは、すべからく戦争準備犯罪者のそしりを免れることはできない。そう、武器を増やす、それは十二分に戦争準備犯罪者である。経済制裁、そう、それもトラトラトラの可能性もありなんとわかってすれば、戦争準備に相当する。戦争は敵を殺し、障害者を作り、そして味方を殺し、障害者を作り、勝っても負けても恨みを残す最悪のシナリオなのだ。だからこそ必死になって避けなければならないのだ。これ以上の行き過ぎた追い込みは、自らもまた不幸のドン底に落としこむ。日本が過去の戦争や、バブルの崩壊のように終焉まで行かないと気付かないような同じ轍を踏まないことを祈るしかない。最後に、優しい思いやる心と知恵がないから戦争に至ってしまうのだ。この至る道すがらが大変大事なことなのであり、武器の所持は、優しい心があるリーダーであっても使ってしまう危険性は常にありうるのである。平和を守る、家族を守るためだとしても突入してしまえば情無用の恨みの連鎖の状況に変わりはない。いつでも一瞬のビカドンで目が潰れる。片腕がもぎれる。死の灰を浴びる。
誰しもがその当事者になってしまうのだ。見えるミサイルだったら逃げることもできるが・・・・
そんな事態になれば、相手が悪いなんて悠長なことを言っていられるものではない。「追い込んだあんたも悪い、バカだ撃たれても仕方がない」となる。アメリカの潰す、発言に、共産思想を守るために北朝鮮も必死なのだ。
なのに火に油の経済制裁。絶句・・・・

長生き

2005-03-25 22:24:49 | Weblog
昨日は親友のお見舞い。おとといは親父の白寿の打ち合わせ。
好対照の出来事の皮肉である。
他の兄弟、姉妹と本人は数人規模の身内だけのお祝いにしたいとの希望。
私は反対。
その地区では男性で二位の長寿、一位の方は寝たきりとのこと。子供だけではなく、あらゆる人々が目標とするものだと思います。
そして、同居している者への感謝でもあるのです。多分、最初で最後の白寿の祝いとなるかも知れません。ビラミッドの数も少なくなっている関係で層は薄く、たとえ白寿になったとしても盛大には行うことが出来よう筈もありません。
だから、少しは気張ってやってもいいのではないでしょうか。
なにしろ自慢で目標になる才能である。もっと長生きして欲しい。

私のひとコマの歴史、親友のお見送り。

2005-03-24 22:58:03 | Weblog
今日お見舞いに行ってきた。
以前5年ほど、仕事場で将棋を指した間柄。
15日前に電話をいただいたが、私の仕事が忙しくなかなかいけなかったがやっと暇がとれた。
大腸ガンである。
それも再入院。本人も自覚している。
怖くはないと言う。とても落ち着いている。見事である。
見舞い品とともにそっと将棋盤と駒を忍ばせた。考える気力、将棋をしたい意欲もなくなったと言う。15日前はその気があったから私に電話したのだと言った。
ただ、死を待つだけの状態。
痩せている。目がギョロとしている。鼻の高さが妙に印象的。
63歳。
ストレスによると言う。
社会の末端を歩く人間は、常にストレスとの戦い。
次第に将棋をしたい気分になってきたようだ。
やろうと言い出した。私との将棋、これが最後だからといいつつ、三番もこなしてしまった。
フッと車に戻ってカメラを持ってくる、最後の写真、最後のビデオ。
出会いが走馬灯のように駆け巡る。
そしてどちらともなく、軽い笑顔で別れの握手。今までそんなことは一度もなかった。
不思議だ、私も握手をしたくなった。彼も握手をしたくなった。思いがそこで全く同じだった。抱きしめてあげたいような気分でもあった。さすがにそこまでは出来なかった。
別れは大概は言葉でしかなかったのに・・・・
無への送り出しの握手であった。何思うのだろう。
いってらっしゃい との言葉しか思いあたらない。
疲れるからと 自重を促しても「将棋で死んでも悔いはない」と言ってくれた。万感の思いなのかも知れない。実は幼少期彼はプロを目指していたのだ。そして4段
私は自称二段。彼には勝てなかった。でもこの日は2勝一敗。最後の敗戦はお土産である。
じゃ、今度はあの世で指そうよ。喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。



地球ライブでの夜の姿

2005-03-14 21:53:01 | Weblog
昨日の夜、何気に地球ライブを見ていたら日本のライトの明るいこと、
対比的に思わず北朝鮮の位置を探してみたら、真っ暗闇じゃござえませんか。
何一つライトが点いていない。
ホントにこれでやっていけるのだろうか。
そんな北朝鮮をよってたかって苛めている加害意識の希薄と言うよりまるで自らが加害者だとは気づいていないと言った方が適切か、未熟な日本とアメリカの政治とマスコミと国民性。
ソコデ、チョコット気がついたのですが、竹島の東北東、斜め上の方角、隠岐島の北沖合いに煌々と明るいライトを発見。これは何だ!!
日米の艦船が停泊しているのか? ミサイル防衛隊なのだろうか。
情報収集艦なのか?
まるで、北朝鮮に睨みを利かせているようだ。
まさか、漁火ではないよね。
直球のミサイルは防げてもカーブのミサイルは無理でしょう。
そんな変化球は北朝鮮にはありませんか。
北朝鮮に明るさが戻るのはいつのことになるのでしょうか。
暗さの中ではどんな出来事が発生しているのでしょうか。思えば思うほどに
哀れです、そんな目に合わせている日米の所業も哀れの一言です。まして日本はお隣りさんです。
たった一言一句「潰さないよ」で済む問題です。それを大国が束になって弱いものいじめの傲慢。
大人の貫禄も失せてしまって、いじめっこ蔓延です。
力の強い者の言うことを聞かせようとする人間の本来持っている野生本能そのままの姿は、当然のように争いを生じる。それに抵抗せずにうなだれる者もあれば、頑強に抵抗するのも野生の本能。
互いに闘争させて力が萎えるのを今か今かと待っているのも本能。弱い相手を威嚇している間は力の衰えはないが、壊して殺しては作り直す、愚の骨頂を、正義の名の下に行うのを誰一人として不自然に思わぬのには合点がゆかぬ。
拉致って日本政府に責任はないのか、いったいシーレーンってなんだったのだい。
拉致解決のために多くの日本人、朝鮮人を殺すハメになることになってしまうかも知れないのだ。
そんな将来の予見くらい出来てもいいのではないの、今、経済制裁を望んでいる方々は、朝鮮人の命なんて、下等動物の一種くらいにしか見てはいないのだ。そこに傲慢がなくて、どこに傲慢があると言うのだ。そんなことを考えることさえ出来ない、しようとしないわたしを含めた日本人がまことにもって「哀れ」の一言である。





自然様の思し召し、相対性理論ってなーに?

2005-03-13 21:44:23 | Weblog
ここのところ忙しく働けて、ややスリムになった感じがして嬉しい。
とても健康である。
明治生まれの父が数えの白寿ですか、その祝いの段取りをしたいと姉からの連絡あり。
彼岸過ぎに集まることが決まった。
とにかくここまで生きているってすごい。頭脳では尊敬できないが、その才能は尊敬するに値する。
私もその遺伝子を受け継いでいたら嬉しいのですが、やや神経質ではあるが、のんき者でもあるから、意外と長生きできそうな気もするけど、そうでもない気もする。
とにかく自慢の父ではある。
支離滅裂ですが、私の下腹は女性のようにポコッと出ている。これっ、て何とかならないの。ウエストは痩せたのですが、下腹がなかなかヘコんでくれない。
腸に物が溜まりやすくなっているのでしょうか。
でも、何ですね、忙しいと他のやりたいことが全然できませんね。若き日は次々と別の事柄でもこなすことができたのですが・・・・
今では、いろいろなことをしようとしても、まず、その方角に向かう、あるいはその気になるのにも時間を要するようになってしまっている。
瞬時に適応していく,なんて遠い昔日の如し。
ホントこの歳になってこそ感じる相対性理論。
経年、経時の早いこと、他人様の足の速いこと。あっ、それは私の胴が長いってことか。
なんで、早いのか、なんで加速度がついていくのか、漠然と物思いに老けっていたら、厭きないようにさせてくれているのか、なーあ!って、歳を重ねていくと感動も意欲も低調になっていくでしょう。自然様が低調になるように仕向けていくのかな?
そんな時期がやたらと無用に長かったらイヤになってしまわないでしょうか。
親切な自然様なのですよね。
実際、私の父もまだお向かいが来ないと、嘆いているのです。そんなお年寄りを結構拝見してまいりました。私はその都度、誇りなんだって叱咤激励しておりますが、本人は世話になるばっかりで、お役にたっていない自分の情けなさに落ち込んでいるようです。
逆説で、世話にならず、お役に立っていると思えば自信の元になるんだなってつくづく感じている現在です。だから、生きているだけで自慢の息子ならぬ自慢の父と、口をスッパクして言っています。
飽きない様にって言うのはそれだけじゃなく、子供を育てたりするのも、恋愛をしたりするのもそうなんだなあと感じ入っています。自分が動かなくっても子供や連れ合いや従業員や親など、それぞれ他人様がいろいろと問題提起をしてくれます。飽きているヒマなんてありません。
少しはある時期もありますけれどねえ、私の母が亡くなる時、いみじくも言ってました。
私が病院に行って見舞ったとき、亡くなる一週間ほど前ですか、「どんな人生だった?」
「あっ!と言う間だったよ」86歳でした。
その言葉に飽きることがなくて、幸せだった人生を感じることが出来ました。金婚式で私は彼女にウェディングドレスを着せました。嬉しそうに可愛く微笑んでいたのを今更のように思い出すことができます。
同年代の方々も羨ましそうに表現されていたのを覚えています。
良くぞ自然様は、そんな人生を作り上げてくれたもうぞ、
その結果私の人生感は、長くもあり短くもあり、に落ち着く。人生としての有である存在の意識はホンの一瞬、その前後左右は無が取り巻く。
一瞬のあっ!と言う間にすぎない有を大事に自覚しよう。
亡くなるときの送りの言葉を考えていました。いろいろ考えました。
「産んでくれてありがとう」これしかないなと思いました。




和の持つ力を糾弾する

2005-03-03 22:42:08 | Weblog
「和をもって尊しとなす」確か、聖徳太子さんの十七条憲法でしたっけ。
多分、朝鮮から伝わった儒教の教えじゃないでしょうか。
実はこれ、大いに問題あり。
日本人好みのフレーズでもあり、浸透力も抜群に桁違い。
良いことも和、悪いことも和。
異論を打ち消す強い作用あり。
異論はつま弾き、村八分にあいかねない。
過去の15年戦争も、バブルも、銀行、企業救済の平成徳政もみんな「和」
と言う怪物が正体。
いけないことも「和」が異論を閉ざす。
この「和」と言う怪物、恐れ多いことこの上なし。普段私は善悪の判断では出来事を捕らえることをしない人間なのですが、ここでは仮に分りやすく捕らえるために敢えてその言葉を引用してみますが、この和の多くは人間にとっては目先の「善」に見えるから始末が悪い。
確かに人間にとっての「善」でもある。が、人間にとって目先の「悪」でもある。いや、人間にとって未来、将来の「悪」にもなると言った方が正しいのかも知れない。無論反対もある。
バブルやブランド好きのように日本人が行くところまで行かないと気が付かない愚かしいところは、この「和」が冷静さを奪い取ってしまうからなのだ。それで多くの人たちはめくら板を押してしまうのだ。
今の問題点は「拉致」
これによる一億総民衆の声は、大合唱を始める。
この大合唱が不幸の始まりとならぬよう、ただ祈るしかあるまい。
私のすることは、私だけでもバランスを取るために一生懸命ブレーキを踏み続けるしかない。非力はわかっている・・・・
ここで言う「和」とは「和の心」の和ではなく、みんな一緒で仲良くの「和」である。
未成熟の大人たちって言う分類でしょうか。
人は普通正常であるならば、バランスが悪い、崩れているなって感覚が発生して、元に戻そうとする作用が生まれる筈(本能で持っているもの)なのですが、どういうわけか日本では「和」が災いしてそのバランス感覚が弱く未成熟なままなのである。
バランスがくずれるとどうなるのかは、言わずもがでしょう。
どちらかに偏ってしまって、動いているものならどうにもならずにストップしてしまう。
病気がやってくる。などなど結果は、数えあげたらきりがありません。
一度よかれと、思い込んでしまった声に疑念を投げかける、なんて言うのは至難の技です。
でも、だからこその「和」の深奥を発見できるのだと自分に言い聞かせております。




現状維持は衰退に準じ

2005-03-02 22:03:41 | Weblog
現状維持というものは、動き続けるもの、動かなければならぬもの全て、不可能である。
世の中、世界、地球、この世、みんな動き続けている。そこで同じ位置にいられるわけがない。
一秒経つともう過去が巡ってくる。現在はほんの一瞬の出来事。ほとんどは過去か未来です。残念ですが・・・
同じ状態を維持しようと心がけることは、即ち衰退と同じ意味である。
常に変幻自在に生きていかねばならない宿命の元に私たちは生かされている。
ならば、変わること、変われることを楽しむ余裕を持つしかない。恐れや心配を転化すればよい。