京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

交通事故死者70万人と自動車メーカーの責任

2020年01月14日 | 日記

 2019年中の交通事故死者数は3215人で1948年(昭和23年)から統計開始以降の史上最少であった。事故死者は1994年頃から減り始め、この10年ほどで1700人ほど減っている。交通事故負傷者数も2004年ごろが最大で約118万人だったが、2018年には約52万に減少している。

自動車の保有台数はほぼ横ばいなので、事故減少の一因は公安委員会のコメントのように、様々な団体がこれの防止に取り組んできた結果であるといえそうだ。シートベルトの着用や道路整備などの装置やインフラの改善もこれに寄与している可能性がある。しかしながら、依然として交通事故で尊い命が失われていることも事実だ。最近も庵主の友達の家族が交通事故にあった。友人の奥さんが運転する車が対向車に激突し、同乗の友人と子供の二人が亡くなった。なんとも衝撃的で悲しむべき出来事であった。

 

    (Car Watchより引用)

 そうゆう事もあって、戦後どれほどの人命が交通事故で失われたか調べてみた。1997(平成9年)の警察白書によると、1946(昭和21年)から平成8年までの51年間で交通事故死者の累計は50万5763人となっている(https://www.npa.go.jp/hakusyo/h09/h090201.html)。それ以降の統計がすぐに見つからないので、平成9年から去年までの年ごとの記録を積算すると約12万6000人 となる(https://car.watch.impress. co.jp/ docs/news/1158374.html)。これを加算すると、戦後になって車の事故で亡くなった人の数は約63万2000人となる。もっとも、この統計は事故が起こって24時間以内に亡くなった人の数である。30日以内の死者の数は、平成5年以降から記録があるが、平均して毎年24時間死者の約10%となっている。これも計算して死者の数にいれると、約70万人もの命が失われたことになる(30日以上たって事故で亡くなった人の数は統計がない)。静岡市の人口が約70万であるから、中規模の地方都市が壊滅するぐらいの人数にあたる。太平洋戦争(1941-45)での日本の戦没者は軍人が約230万、民間人が約80万とされている。74年間という歳月ではあるが、大きな戦争で死んだ民間人の数ぐらいが自動車事故で死んだことになる。一人の死者に父母、兄弟、配偶者、子供などの係累が平均4人いたとしたら、当人を含めて5 X 70万 = 350万の日本人の運命が暗転したことになる。

 死者だけでなく交通事故による負傷者の数もおびただしい。ざっと計算すると戦後74年間の累計はなんと約4500万人!現在の総人口の3人に一人の割合になる。この中にはかすり傷程度の軽傷者から瀕死の重傷者を含む。重篤な傷をおって、それ以後の人生を寝たきりで送らなければならなくなった人や、いままでの正常な社会生活や家庭生活を放棄した人の数もかなりいると思える(こういった統計はあるのか無いのか?)。

交通事故の被害者だけでなく、加害者も事故の瞬間からその人生が激変することが多い。精神的にも経済的にもおいつめられてしまうケースが多々見られる。こういった深刻な社会問題は「交通戦争」と言われていたが、大抵が加害者と被害者との、あるいは保険会社との間の個別問題に解消されてしまった。被害者の多くが社会的弱者であった事や、「日常的」な事として感覚が麻痺してきたせいかもしれない。

 

<戦後の交通事故者データーのまとめ>

死亡者累計約70万人:負傷者累計約4500万人

 

車の交通事故の原因は次のように分類して考えることができる。

1)当事者の過失、違反(飲酒運転など)による責任

2)道路行政の不備・怠慢による責任

3)交通行政の不備・怠慢による責任

4)自動車メーカーの不備・怠慢による責任

事故予防の観点からは1)-3)までの事項がよく議論される。しかし、4)での議論はいままであまり聞いたことがない。これは、まったく不思議な話である。例えば洗濯機の漏電事故で年間数千人もの人が死亡したら、たとえユーザーの不適切な使い方によるとしても、メーカーはその製品を発売停止にしてリーコールするだろう。今まで自動車メーカーがドライバーの安全を車の設計・製造の第一主眼とした事はないように思う。自動車産業の思想は、かっての日本軍の零戦のそれが受け継がれてきた。軽量、操縦性、瞬発性と燃費を重視して運転者と同乗者の安全は二の次にされてきたのだ。

例えば日本でのシートベルト着用義務にいたるまでの歴史をみてみよう。車におけるシートベルト着用の効果は事故における非着用との比較であきらかで、これによりはっきりと死傷率が低減されている。アメリカでは1967年にこれの着用が義務づけされている。日本では1969年に運転席への設置が義務づけされた。全席にそれが義務づけされたのは1975年のことである。着用義務については、やっとのこと1985年に運転席と助手席にそれが法律で定められた。それまでは努力義務であった。2008年には後部座席にも着用義務が定められた。

このように日本で他国に比べてシートベルトの着用義務が遅れたのは、購入者の嗜好(シートベルト嫌い)におもねて、メーカーが積極的に立法化を進めなかったせいである。もっと早い時期にシートベルトの着用を立法化しておけば、いままでの交通事故死者の数は20-30%ほど少なかったはずだ。

 

自動車メーカーは膨大な利潤をあげながら、安全技術の開発を怠ってきた。日本車のコストパフォーマンスの良さは安全の犠牲のおかげである。最近になってやっと衝突防止装置、急発進防止装置、歩行者回避装置などの開発を始めている(遅すぎる!)。車の事故は当事者(運転手や歩行者)の自己責任という考えを改め、それはメーカーも含めた責任であるという思想を持たねばならない。

 

<参考図書>

加藤正明 『交通事故誘因の徹底分析』技術書院 1993

柳原三佳 『後遺障害を負った被害者の家族のひとりとして』(ザ・交通事故:別冊宝島393)。1998

 

追記 (2021/04/23)

自動車メーカーの製品責任は形式的な法律論ではわりきれない側面がある。その例がP社の湯沸かし器による事故例である。P社でない修理業による不適切な修理によって、安全装置が働かないで一酸化炭素中毒の事故が起こった。P社は法的責任はないって、積極的な対応をとらなかった。その姿勢が世間の批判を呼んだ。

(國広正著 それでも企業不祥事が起こる理由 日本経済新聞社 2010)


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