京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

悪口の解剖学 IV フランシス・クリック、おまえもか!

2024年10月07日 | 悪口学

  

 

 遺伝子DNAの二重螺旋構造を解明したジェームズ・ワトソン(1928年 - )とフランシス・クリック (1916年- 2004年)は、「ワトソン・クリック」としてまとめて称せらえるが(一人の科学者だと誤解している人もいる)、アインシュタインとともに20世紀のもっとも著名な科学者である。ワトソンはノーベル賞受賞後、教科書を書いたり、アカデミーのマネジメントに力を注いだ。しかし、Wikipediaの記事を読むと、晩年になって人種差別発言を繰り返すなど、とんでもないジイサンになってしまったようだ(当年96才)。ノーベル賞受賞後に『二重螺旋』という本を書いた若い頃から、すでに「データー泥棒」とか「セクハラ野郎」とか批判されていた。一方、クリックの方は、意識(脳)の問題に取り組んで比較的まじめに研究を続けていた。マット・リドレーの著「フランシス•クリック:遺伝子暗号を発見した男」(勁草書房)では、クリックも個性の強い人物に描かれていが、ワトソンのような「露悪家」のようではない。庵主も、やはりイギリス紳士はヤンキーとはだいぶ違うと思っていた。

 ところが最近、ドナルド・R・キルシュとオギ・オーガス(この人はライター)が書いた 『新薬の狩人ー成功率0.1%の探求』を読んで、クリックに関してとんでもない悪口が書かれているのを読んで仰天した。以下、その部分を転記する。

 『私(キルシュ)はニューヨーク州ロングアイランドで聞かれた、とある一流の生物学学会に出席したときの出来事を思い出す。その学会はDNAにほぽ的を絞ったもので、ある若い博士研究員が、きわめて長い人間のDNA鎖(長さは三メートルあまりに及ぶが、幅はわずかニナノメートル)が、どのようにして極微の細胞核の狭い空間に詰めこまれるのかについて発表した。その若者は、自信なさげで発表はしどろもどろだったが、今日では彼が得た知見は基本的に正しかったことがわかっている。ポスドクが発表していると、突然、フランシス・クリックが演壇の前に歩いていった。クリックはDNAの構造を発見した研究者の1人で、世界でも特に名高い生物学者だ。クリックは演壇の真ん前に立って、その若者と向き合った。二人の鼻先はわずか三〇センチほどにまで近づいた。ポスドクは、この科学界の伝説的人物の異様な出方に落ち着きをなくしていったが、急いでなんとか話の最後までこぎつけた。発表が終わるやいなや、クリックが大声で言葉を発した。

  「きみの話は本当に終わりましたかね?」

 若者はうなずいた。クリックはゆっくりと聴衆のほうに顔を向け、こういい放った。

  「みなさんはどうなのかわかりませんが、これはまったくアマチュアの話であり、私はこの会議でこれ以上我慢したくありません」。

想像するに、センメルヴェイスも、あの向上心に燃えた若い生物学者と同じような屈辱を昧わったにちがいない』(以上)

  イグナーツ・センメルヴェイスはハンガリーの医師で産褥熱の原因が、分娩中の細菌感染であるという仮説を主張した人である。センメルヴェイスは誰からも相手にされず、最後は精神病院に入れられて亡くなった。19世紀末の話である。キルシュは現代においても、学会の権威者というものが、いかに新規の学説に対して保守的であるかを示すエピソードとして、クリックを登場させたのである。否定は弁証法の魂といわれるので、学説に反論したり否定すること自体は問題ではないが、その非人間的で強圧的な態度である。庵主が学生の頃、分子生物学の勃興期には、ワトソンとクリックは燦然と輝ける星のようであった。年老いるということはまことに悲しいことではある。

参考図書

ドナルド・R・キルシュ、オギ・オーガス 『新薬の狩人ー成功率0.1%の探求』(寺町朋子訳)2018 早川書房 

 

追記 

 ワトソンの「二重らせん」(1968)を読み返してみると、クリックはもともと思慮深いイギリス紳士ではなく、真逆の人間だったことが書かれている。この本の書き出しが「フランシス・クリックがおとなしそうに控えていたことはない」で始まることから、その事はわかる。ブラック卿とヘモグロビン分子の構造をめぐるアイデアの優先権で争った下り(完全にクリックの失態)などから分かるように、「壊れた蓄音機」と当時から呼ばれていた。老化が上のようなハラスメントを引き起こしたのではないのだ。

 

 

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