アダム・レボー 『バーナード・マドフ事件ーアメリカ巨大金融詐欺の全容』 (古村治彦訳、副島隆彦解説) 成甲書房、2010
2008年9月のリーマン・ブラザースの経営破綻にはじまるリーマンショックの激震がおさまらぬその年の12月になって、巨大な金融詐欺事件がニューヨークで発覚した。いわゆる「バーナード・マドフ事件」である。これの顛末についてドキュメント風にまとめたのが本書である。こんなことがありうるのかという話で、庵主は話の展開にのみこまれ一挙に読んだ。
「マドフ投資の会」は先物取引の高度な投資手法を使い年率10%から12%の配当を上げていると言って金を集めた。しかし、実際には集めた資金は運用せずに、それを配当するというねずみ講(ポンツィ・スキーム)を行った。「あなたの投資総額は増えています」というウソの報告書だけを毎月送ることを続けた。そして相当の「手数料」を取ってマドフ家の贅沢な生活のために使った。最終的に被害者は約1万1000人に及んだ。
マドフ事件ではアメリカやヨーロッパ、日本の大手の金融機関、証券会社、生命保険会社、著名人、福祉財団、大学までもが被害にあった。被害総額は約6兆円に及ぶ。個人の損失金としては一人当たり数十億円から数百億円の損失額である。法人の場合はもっと大きい。
マドフのねずみ講にどうしてこれほどの巨額のお金が集まり流れ込んだかというと、「フィーダー・ファンド」と呼ばれる子供ねずみの投資信託会社(アメリカのヘッジ・ファンド)が大いに活躍したからだ。ここでもだまされた投資家たちがお金を出したからである。被害者ずらしているが、実はファンドはマドフと共同謀議した加害者であると副島氏は解説している。
マドフは汚いビルの一室で営業するチンピラ金融業者ではなく、全米証券業者協会(NASD)の会長でもあり、株式のコンピュター取引を切り開いたナスダック(NASDAQ)の創始者でもあった。こんな大物が巨大なねずみ講を運営して20年間も詐欺金融をしているとは、誰も思わなかったようだ。投資のプロもだまされた。「何か怪しげなことをしているのだろうが、ともかく自分が儲かっているのだからそれでええわ」だった。ねずみ講では、破綻するまでは最初のねずみ達にとって投資した金額よりも多くのリターンがある。ただ途中で気づいて食い逃げすればの話ではあるが。マドフが破綻した後でも多くのねずみは総額としてはもうかっていたのに、約束の配当より少なかったとして訴訟をおこしたそうである。なんという強欲な連中!
マドフの経営に早くから疑問を抱き、ハリー・マーコポロスという人物がSEC(証券取引委員会)に告発し続けていた。彼はSECに何度も不正を告発する手紙を証拠付きで送っていた。それなのにSECは動こうとせず何もしなかったという。何もしなかっただけでなく、マドフの会社は安全であるというお墨付きさえ与えていた。
事件発覚後9ヵ月経った2009年8月に、SECは正式の報告書を発表し、「予算や人員に限界があり、経験の足りない職員が担当したので不正を発見できなかった」という驚くべきバカバカしい言い訳をしたそうである。なんと無能で自堕落な金融監督組織であったのか。多分、今でもそうだろう日本では金融庁がSECにあたるが、一体だいじょうぶなんだろうか?
マドフは貧しい東欧ユダヤ人の家系であるが、西欧ユダヤ人の金持ちをターゲットに金を稼いだ。しかし、マドフがダマしたのは裕福な資産家や投資会社だけではなかった。息子の命の恩人の家族さえも餌食となった。マドフの息子が別荘の近くの湖で溺れそうになった。たまたまある少年がそれをみつけ、息子を助けた。その少年の父親は配管工であったが、マドフは感謝のしるしとして、その配管工の虎の子の貯金10万ドル(約1000万円)を自分に投資させた。この10万ドルもきれいさっぱり無くなってしまった。
リーマンショック直後、投資家たちが一斉に資金の引き揚げを行ったので、返却する金がショートしついに事件が発覚した。マドフは逮捕されて刑事裁判にかけられ、罪をたったひとりで引き受け、懲役150年の有罪判決を受けた。現在、ノースカロライナ州の刑務所で服役中である。マドフは「巨大ねずみ講をつくったのは確かに自分だが、これを維持運営していたのは人々の強欲にほかならない」とうそぶいているそうである。
「訳者あとがき」で古村治彦氏は次のように述べている。日本のマスコミはバーナード・マドフ事件についてあまり報道しなかった。それは確実で安全な投資などないということが、この事件により気づかれてしまうからだそうだ。庵主思うに、運用利息が異様に高い日本の投資信託もほとんどがねずみ講なのではないだろうか。まじめな市民はこんなのに近づいてはなりません。
ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ウィザード・オブ・ライズ」はこの事件を描いたものである。この映画ではマドフの家族関係を中心に話が展開し、経済事犯の本質をえぐる視点はうすい。