京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

悪口の解剖学 : 借家人は偽物ワイン造り

2019年08月08日 | 悪口学

 

 ベンジャミン・ウォレス『世界一高いワイン「ジェファーソンボトル」の酔えない事情-真贋をめぐる大騒動』

(原題 「The Billionaire’s Vinegar」) 佐藤桂訳 早川書房 2008年


  この書は、ニューヨーク在住のルポライターによるワインの偽物にまつまわるドキュメントである。1985年、ロンドンのクリスティーズで一本の赤ワイン「シャートー・ラフィット1787」が競売にかけられた。この瓶には「Th J」と刻印があり米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンが購入したワインであるとされていたが、10万5000ポンド(当時の為替で約3000万円)でアメリカの実業家キップ・フォブズにより落札された。ワイン一本での、この記録はいまだ破られていない。その提供者はドイツ人のハーディー・ローデンストックという著名なワイン収集家であった。何本ものジェファーソンボトルが、パリの古いビルにあるレンガの壁に囲まれたワインセラーの中で、発見されたとローデンストックは言う。ローデンストックはワイン業界のセレブであり、ワイン愛好家の文化人とも多数の交流があった。この書の前半は、ワイン好きだったジェファーソンやビィンテージワインを収集するアメリカの成金などの話が続く。しかし、後半はローデンストックに焦点を当て、ページが進むにつれてこの人物が偽ワイン造りのとんでもない詐欺師ではないかと思わせる展開となる。なにか推理小説を読むような雰囲気である。

  ローデンストックを疑って、敢然と挑戦したのはビル・コークというアメリカの実業家である。彼もオークションやディラーを経てローデンストックから何本もの怪しげなビィンテージを掴まされていたのである。コークは金に糸目をつけずに、これらが本物か偽物かを調べはじめた。放射性元素のセシウム137を調べる分析方法も試したが、決定的な証拠は得られなかった。しかし瓶の刻印の削り跡を顕微鏡で観察すると、それは当時の器具を用いてできたものではなく、最近の電動工具を使ったものであることが判明した。瓶の中身を化学的に調べなくても偽物であることが、はっきりとわかったのである。ローデンストックの他のジェファーソンボトルも全くの偽物だった。コークは、かくして2006年にマンハッタンの連邦裁判所に訴訟をおこした。本書の経緯を読むと、訴訟の勝敗は簡単につくと思われたが、ローデンストックもしぶとく反撃したようで、裁判は灰色の決着のようであった。ローデンストックは2018年5月 19日に亡くなった(https://www.winereport.jp › archive)。

  1991年ごろ、ローデンストックはミュンヘンでアンドレアス・クラインという人の家を借りていた。建物の半分には家主のクラインの家族が住んでいた。ここでローデンストックは「絶対に借りて欲しくない借家人」の典型的な行動をとる。以下、訳本から抜粋して紹介(一部省略)。

『ローデンストック夫妻は建物の半分を使い、1997年からはクライン夫妻がもう半分に入居して、薄い壁一枚を共有して暮らしはじめた。アンドレアス・クラインから見たローデンストックは奇想天外な男だった。話をすれば、出しぬけに「友人の」フランツ・ベッケンバウアーやゲアハルト・シュレーダー首相、ヴオルフガング・ポルシエ、ミック・フリック(メルセデスーベンツの一族)といった名前がいつも出てくる。あまりにも知り合い自慢が過ぎるので、ローデンストックは自分というものに自信がないのだろうと強く印象づけられた。

 ときおりローデンストックがワインを一本譲ってくれることがあった。そんなときは、必ずなんらかの頼みごとをされた。あるときは、一階の部屋ににおいが入りこむから裏庭でのバーベキューをやめてもらいたいと言った。またあるときは、壁から音が筒抜けなので、階段の昇り降りをもう少し静かにやってくれと頼まれた。静かに歩けるようにと、南スペインで買ったスリッパを一足くれたこともある。クライン夫妻のほうが、ローデンストックが発する音に対して寛容だった。在宅時は地下室の方向
から何かを叩く音がよく聞こえてきた。

 やがて、共同で使っている屋根裏部屋にカビが生えるという困りごとが発生し、クライン夫妻は2001年、雨漏りする屋根を葺きなおし、屋根裏部屋も新しく作り変えることに決めた。ドイツの法律では、借主の許可も取る必要があった。それなのにローデンストックは、最初は協力すると言ったにもかかわらず、そのうち金銭や賃貸料の値引きを要求しはじめた。

 クラインとローデンストックは法廷で争うことになった。カビの件でローデンストックは一時的に近くの高級住宅地にある高額な賃料のペントハウスヘ移り住んだが、家具などの所有物はほとんど残したまま、クラインヘの家賃の支払いを止めていた。ローデンストックは明け渡しには15万ユーロの費用が生じるとクライン夫妻に告げ、そのうえ裁判では証拠を提造した、とクラインは言う。ある時点で、書類上の家主であるクラインの義理の母へ宛てた手紙のコピーを法廷に提出したが、それを公然と、しかしながら不注意な日付に改京していた。手紙の住所に、日付の時点では存在しなかった郵便番号が書かれていたのである。

 裁判は長引いた。クライン夫妻はふたりの幼い子どもを抱え、まともな屋根のない、壁にカビが生えた家に住んでおり、長引く訴訟を戦い抜くのは厳しかったが、いまのところ裁判所はローデンストックを立ち退かせることも改装に取りかかることも許可しようとしなかった。悪夢のような借家人をどうやって追い出そうかと困り果てていたクラインは、予定している改装工事は、どちらにせよ留守がちなローデンストックにはなんの迷惑もかからないと主張していた。ローデンストックはそれに対し法廷で、自分のほかの家は休暇用のアパートメントにすぎず、本拠地はミュンヘンであると証言した。アンドレアス・クラインは、おそらくドイツの税金を払っていないローデンストックが居住地はミュンヘンだと断言したことを当局が知れば、大変な関心を寄せるに連いないと思った。クラインはローデンストックの法廷証言のコピーを税務当局へ提出した。

 情報を流してから三年近くがすぎた2004年12月、ようやく税務警察が訪ねてきて、ローデンストックがすでにこの家に居住していないことを確認したいと申し出た。税務警察はすでにローデンストックに関連する住所の一覧を作りあげ、現地当局と共同で捜索をはじめていた。ローデンストックの事務所となっていたアパートメントは、すぐ近所にあり、クラインは税務当局が車三台ぶんもの書類を持ち去るのを見ていた。捜索の三日後、そして裁判がはじまってからまる三年後、ローデンストックは比較的少額である15000ユーロの立ち退き料と引き換えに、ようやくクライン夫妻の家を退去することに同意した』(以上)

 この引用部は、クラインが訴訟を知ってローデンストックの悪口を書いた手紙(メイル)をコークに送ったものを資料にして書かれている。悪口の効用の一つはfree rider『ただ乗り野郎』の情報を広めて、おたがいに被害に合わないための社会的な知恵である。これは借家問題といった些細な事件とはいえ、一事が万事ということもある。これを世間の人が知っておれば、ローデンストックの贋ワインにひっかかる事もなかったのではないだろうか。少なくとも無防備に信頼する事はなかったはずだ。

 この本にはビル・コークという執念の人が登場し、ローデンストックを最終的には監獄に送ろうと訴訟を繰り返す。民事訴訟は消耗戦で結局金の多い方、すなわち弁護士費用を最後まで払える余裕のある方が勝つ。だから貧乏人はどんなに正義や理非が通っていても勝てない。盗人にも三分の理といって、相手はなんだかんだと言うのである。両方の弁護士はその構造を知っているので、どちらもどこで手を打つかは訴訟の最初から計算してやっている。裁判官も同じ穴の狢でその辺の事が分かっており、適当に双方が消耗したときに、和解を提案するのである。しかし、コークは大金持ちで、ワインの購入費以上の費用を使って訴訟を継続し、「趣味」の一つとしてローデンストックに挑戦した。一種のサイコパスといえる人物であるが、それでもはっきりした勝利は掴めなかった。

 

 

 

 

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