京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

時間についての考察: 時間は実存するか?

2019年02月24日 | 時間学

 

 

 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」は、鴨長明が著した『方丈記』の有名な出だしの一節である。時間が、我々の存在とは独立にこの世界に実存し、河の流れのように森羅万象を押し流していくのだと素朴に考えてしまう。約1600年前に哲学者アウグスチヌスは「時間についてそれはなんだと問われなければ私にはわかっている。しかし、だれかに問われて説明しようとするとなんだかわからない」と述べている。かなり厄介なしろものである。

 光や温度については、眼や皮膚の温度感知細胞のような感覚受容器を我々は身体に持っている。しかし、時間については、直接これを捉える感覚器のようなものは存在しない。力学や物理学では、時間は光や温度とともに基本的なパラメターとして登場するのにどうして、その受容器をヒト(生物)は持たないのか?これは不思議な話だが、ともかく我々は時間受容器を持たない。それ故に、物や事の変化を観察して、それを基準に時間を措定している。腹時計という一種の体内時計があるが、これも体の代謝的な変化を測定している。

  物は実存である事は間違いはない。目の前のパソコンは幻ではなく確かに存在する。文字を入力すれば、画面が変化するので、変化もまた実存と考える。変化に付随するある”性質”を時間とすれば、これも実存ではないかと思いたい。ところが、理屈っぽい人がいて、我々が感じているのは瞬間だけで、それを脳が映写機のように連続的に重ね合わせて時間感覚を生成するのだと主張した。すなわち時間は実存ではなく、脳が生み出す特殊な幻影だという。

  しかし単純にはそう言えない。水が一定方向に流れるのを人が見て、川の「時間」が生み出されるというが、見ていようと見ていまいと水は流れ、川の様相はどんどん変わっていく。それに物の変化は無数にあって、それぞれ個別に人が観念としての時間を付与できるわけがない。時間は万物に共有されるべきもので、そうであるからこそ、人と関わりないところで物と物、事と事の関係が四六時中、世界に存在するのであろう。

  歴史的に哲学者の間でも時間に関する概念は分かれていたようである。G.W. ライプニッツ(1646-1716)は、時間はそれ独自で実存するものではなく出来事に還元されるものであると主張した。一方、I.カント(1724-1804)は、『純粋理性批判』において時間それ自体が独立の存在であるとした。えらい哲学者の間でも考えが違うのだから、我々凡俗が時間のことを考察すること自体が「時間の無駄」かもしれない。しかし凡人は凡人なりにあれこれ考えて行くことにしよう。

 最後に外国のミステリー小説に出ていた時間に関する最高のジョークを一つ紹介する。

  旅行中のロシア人がロンドンの街角で一人のイギリス人に次のようにたずねた。

    ”What is a time?”  

  そうすると、そのイギリス人は答えた。

    ”Dont' ask such a difficult question.”

 

  参考図書

 池田清彦 『科学は錯覚である』洋泉社 (1996)

入不二基義 『時間は実存するか』講談社現代新書 1638 (2002)

中島義道 『カントの時間論』 岩波書店 2001

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最近の遺伝子技術について

2019年02月24日 | 評論

 須田桃子さんの「合成生物学の衝撃」(The impact of synthetic biology 文芸春秋 、2018)を読む。著者は毎日新聞科学部の記者で、理研のSTAP細胞問題を精力的に取り上げた人である。彼女はこのテーマで大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。

 

  表題から「生命の起源」に関する研究について書かれた本かと思ったが、遺伝子操作による生物改変がテーマになっている。この著書では、コンピューター上で生命の設計図であるゲノムを設計し、それに基づいて合成したDNAをもとに新たな生物体を造り、生命のしくみを解明したり、有用な生物を作るのが合成生物学 (synthetic biology)とされている。この用語を作ったのはフランス人医師の ステファヌ・ルデユックだそうだ。

  旧来の遺伝子操作は単一の遺伝子を欠失(ノックアウト)あるいは新たにに組入れ(ノックイン)たりしていたが、複数個の遺伝子をキットにして細胞に導入し効果を見る方法が開発されている。こういったバイオブリックを考案して学生が国際コンテストで提案している。ただ、これがうまく働くケースは少ない。一方、この分野で、技術的に注目されるのはCRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)と、それを用いた遺伝子ドライブという方法である。前者はカリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授とスエーデンのメオ大学のエマニエル・シャンパンティエ教授の二人の女性科学者が開発した方法である。細菌の持つ特殊な免疫機構を利用したもので、ノーベル賞が将来確実と言われている。遺伝子ドライブというのは、このCRISPR-Cas9自体を遺伝子に挿入するというアイデアーで、ハーバード大学のケビン・エスベルトによって考案された。これまた画期的な方法で、有性生殖する生物のゲノムに、このシステムを挿入すれば、人工の「利己的遺伝子」ができることを2014年に理論付けた。これだと、一つの染色体に挿入されると、同じ細胞内で発現したCRISPR-Cas9が働いて相手の染色体にも同じ配列を挿入する。これもすぐにショウジョウバエを始め複数の種で実証された。この方法はマラリアを媒介する蚊に、応用して不妊遺伝子を広めこれを撲滅できないか研究が進んでいる。

 原子力(核分裂エネルギー)が、そうだったように人類にとって画期的な科学技術や方法は一方で巨大なリスクを持っている。今までの遺伝子組換え技術も問題をはらんでいたが、その方法は手間もかかり、狙った遺伝子部位を改変するは難しかった。それが上記の方法では誰でも容易にできるものである。昔は野菜の品種改良には、野菜農園で高線量の放射線(ガンマー線)を照射して、偶然できる突然変異種を選び、それを固定するのに何年もかかった。それが、これらの新技術でほんの1週間で可能となったのである。

  この本のタイトルの「衝撃」とはなんだろう。よく読むと衝撃的な話はいくつもある。それはまず生物の遺伝子改変技術を用いた生物兵器の開発である。旧ソ連ではペスト菌に人工的に作成したベネゼラ馬脳炎ウイルスの遺伝子を挿入して自然界にない生物兵器を作るプロジェクトがあった。それに関してはセルゲイ・ポポフというソ連の研究機関で生物科学兵器の開発に携わった研究者の証言が生々しく紹介される。そこでは今言うところのバイオブリックを使った開発が行われた。現在、米国では多額の軍事予算が合成生物学研究に使われているらしい。その中心となる組織はDARPA国防高等研究計画局である。ここでは機密研究はなく、成果の論文作成は自由で産業利用も可能とされているが、あくまで軍事目的ではないかと著者は疑念を抱いている。

 すべてのDNA配列(約5300塩基対)を人工的に合成し、これを大腸菌に挿入すると、そこでウイルス「ファイルX 174」が合成されて細胞外に放出された。これは予想されたことではあるが、化学合成されたDNAから「生命」が誕生した恐るべき出来事といえる。クレイグ・ベンターらの研究チームの研究である。さらにベンターらはボトムアップな方法で、ミニマル・セルを誕生させた。人工ゲノム細胞の約半分で、自然界最小のマイコプラズマを下回る53万塩基対、遺伝子の数は473個であったと報告している。

  さらに別の衝撃的な話題は、改変されたヒトの遺伝子を人工的に作る計画がアンドリュー・ハッセルらによって進められたことである。例えばウイルスやがんへの耐性を持った「ウルトラセーフ」なヒト細胞のゲノム計画である。無論、これの倫理的、宗教的な批判があり、激しい論争を巻き起こしている。21世紀はAIと遺伝子及び放射線が文明を変えるといわれている。この書は、類まれな個性、飽くなき資本、際限ない軍事欲望が絡まって技術の進歩が進むことを物語っている。これらの動向を冷静に見守る必要がある。そういった事を考えさせられる一冊である。

 

 

 

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