京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

AI(人工知能)は大学教授を駆逐できるか

2019年02月19日 | 日記

  AIは21世紀のブレークスルー技術の一つと言える。20世紀の電子計算機技術の延長ではあるが、機械学習、ニューラルネットワーク、深層学習といったアルゴリズムの開発とビッグデーターの蓄積と処理能力向上により飛躍が起こった。何かすごい新しい方法が発明されて開発されたものではなく、今までの電子計算機技術が重層進化してブレークしたものである。2011年にはIBMが開発したワトソンがクイズ番組で人間に勝ち、15年にはグーグルのα碁がプロ棋士を打ちのめした。

 AIは会社でも導入されており、従業員数5000名以上の企業では25%以上がこれを利用しているそうだ。ソフトバンクでは新卒採用のエントリーシート (ES)の読み取り評価に IBMのワトソンを活用している。ここでは過去に学生が提出した数年分のES(1500枚)を分析し、合格と不合格のESをそれぞれ分析し、特徴を機械学習させた。その結果に基づいて受験者のESの合否判定をさせたところ、採用委員の合否判断とほぼ同じになった。これによってES判定の時間が大幅に縮小された。浮いた時間は個別面接の人数や時間を増やしたりできる。倍率が高いと出身大学でフィルターをかけたりする不公正なことをするが、そのようなことも防げる。今後は入社後の実績データも加味した機械学習が必要である。AIは会社の会計監査にも取り入れられている。ある大手の監査法人では、過去5年分の財務諸表を機械学習させて、AIが不正会計を検知する作業を行っているそうだ。

  AI(人工知能)が進化すると近未来において、人の職業がこれにとって代わり、多数の労働者が失職すると言われている。まず弁護士、税理士、会計士、司法書士といった「士業」の大部分がAIにとって代われるという。ある推計によると10-20年後には日本の労働者の約50%がAIにとって代われるというから驚く。しかし、一昔前、パソコンが普及したら多くの事務職が失職すると言われた時代があったが、かえってパソコンに支配される仕事が増えた。本当にそうなるかどうかわからない。

  ある研究会で一人の友人とAIについて議論したことがある。ちなみに、その友人は某国立大学医学系の名誉教授である。

  • 庵主「AIが将来いろいろな職業に取って代わると言われているけれど、大学教授はどうなんだろうね?」
  • 友人「AIは絶対に大学教授の替わりにはなれないと思うよ」
  • 庵主「へー、そんなに教授ってのはえらいもんなのかな」
  • 友人「違う違う。AIは大学教授のように、いいかげんな事を言ったりしたりできないからだよ」
  • 庵主「………………」

 

 

AIは敵か味方かは様々な議論がある。AIの悲観論の代表はジェムズ・バラット著「人工知能ー人類最悪にして最後の発明」である。2045年頃にシンギュラリティが起こり、「意志」を持ったAIがロボットに組み込まれ人類を脅かすようになという。映画「ターミネータ」に登場する機械軍である。シンギュラリティという言葉は、SF作家でもありサンディエゴ州立大の数学教授であったバーナー・ビンジが書いた論文 (1993)に出てくる用語である(本来は時間動態学などに出てくる特異点のこと)。

 AIは自由意志を持たないが、それを持った時がシンギュラリティということである。AIにできなくてヒトにしかできないことがAIとヒトを区別する本質ではないかと思える。豊かな会話は、ヒトの特徴のように思えるが、最近の会話ロボットは、並の大学生よりも気の利いた話ができる。 AIの「会話」は思考の結果の出力ではなく、無数にある「サンプル」の中から確率で計算して選択しているだけだ。しかし考えてみると、ヒトの大部分の会話もそれに近い。最近では絵画、作曲、報道などの創造的分野とい言われるところでもAIは使われている。本当にヒトでなければできない作業とは、子作りぐらいかもしれないが、AIを発達させた文明諸国では、少子化が進む傾向がある。それに自己増殖能をロボットと組み合わせれば、「ターミネータ」の世界になる。そう考えるとあまり明るい話ではない。

 一方において、AIが持続的な自己増殖能を維持するためには、地球環境と資源の簒奪者であるヒトを滅ぼすことをまず考えるかもしれない。多くの生物は人類のような高度な知能を持ち合わせていない。犬や猫にもある程度の知能はあるが、限定されたもので、人の幼児以下である。しかし知能を持たない野生生物の方が、全体として調和を保って生きている。ネズミも数が増えすぎると、集団で海に飛び込んで自殺するという。どうして、そうなるかは生態学のテーマであるが、よくわかっていない。自分勝手なエゴイストは滅び、調和者だけが長い進化の歴史を生きのびてきたとしか言えない。ところが、人類だけは、なまじ道具を使うといった知能を発達させてしまったために、地球に溢れかえり、資源を濫費し、環境まで変えている。生物は個体密度が高くなると、病原菌やウイルスが人口を減少させるはずなのに、治療薬やワクチンを開発してそれを防いでいる。知恵というよりも、地球にとっては全くの悪知恵である。

将来、万能に近くなった人工知能は考える。自分が持続して存続するためには資源の簒奪者、環境の破壊者、反省なき暴走の生物種を滅ぼさなければならないと。その後、地球環境の保全と調和のために働けば、エゴイズムを丸出しにしてネズミ以上に増殖した人類を滅ぼした地球の救世主(メシア)となるかもしれない。こう考えると、地球にとっては人工知能の未来はまことに明るい。

 

 参考図書

松尾豊 (2016) 人工知能は人間を超えるか 角川選書

野口悠紀雄(2018)  AI入門講座 東京堂出版 

中谷巌  (2018) AI資本主義は人類を救えるかー文明史から読みとく NHK出版新書 

 

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集合知と集合無知

2019年02月19日 | 日記

 イングランドのプリマスで開かれた牛の品評会で、一匹の太った牝牛の体重を当てるコンテストが行われた。見た目の感じで体重を推定して投票し、測定値に一番近い人が賞品を獲得する。約800人がこれに挑戦した。このコンテストには肉屋や酪農家といった専門家が多かったが、一般の人も混じっていた。

 ここで投票された体重の平均値を計算すると、驚くべきことに牛の実際の体重543kgとわずか1%しか違わなかった。この話はフランシス・ゴルトンの「the wisdom of crowds:群衆の知恵」(1907)という論文に載せられている。これはAI人工知能を利用した話でもなんでもなく単に平均値(中央値)をとっただけの事であるが、投票者の知能を利用したという意味で1種の深層学習と言えるかもしれない。

 

  このコンテストでは、牛についての知識が比較的に豊富な集団が実験に参加していたので、こういった結果が出たのか、どの集団でも平均値はあまり変わらないのか興味がある。例えば小学生にこれをやらせたどうなるか。出てくる値の分散は広がることは予想されるが、平均値(中央値)は、上の値と変わらないだろうか?

  集合知あるいは集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体としてひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。社会性昆虫のような集団では個体の相互作用が集積して、予想できない全体の行動を引き起こすことがある。この時も”集合知統計”の情報処理がなされている可能性がある。

  クラウドソーシングによる「集合知」は、専門的な知識やバックグラウンドがないと無益になる場合もある。あるフィンランドのサッカーチームが、新人や監督獲得の判断にファンに参加させる実験を行った。その結果は惨憺たるもので、チームの成績は最低で、実験は途中で突然打ち切られたという。それと選挙も必ずしも「集合英知」とはならず、「集合無知」の結果を生み出すことが多い。頭のおかしい政治家を大衆が選んで、大変な目にあったりする。これは牛の体重といった客観的な事象を判断するのではなく、ほとんど自分の好みや思想を基準に投票するためである。どこの国でも、良心的な中間政党が多数派を占めたことは滅多にない。

 参考図書

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック著「知ってるつもりー無知の科学」(早川書房 2018)

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