京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

集合知と集合無知

2019年02月19日 | 日記

 イングランドのプリマスで開かれた牛の品評会で、一匹の太った牝牛の体重を当てるコンテストが行われた。見た目の感じで体重を推定して投票し、測定値に一番近い人が賞品を獲得する。約800人がこれに挑戦した。このコンテストには肉屋や酪農家といった専門家が多かったが、一般の人も混じっていた。

 ここで投票された体重の平均値を計算すると、驚くべきことに牛の実際の体重543kgとわずか1%しか違わなかった。この話はフランシス・ゴルトンの「the wisdom of crowds:群衆の知恵」(1907)という論文に載せられている。これはAI人工知能を利用した話でもなんでもなく単に平均値(中央値)をとっただけの事であるが、投票者の知能を利用したという意味で1種の深層学習と言えるかもしれない。

 

  このコンテストでは、牛についての知識が比較的に豊富な集団が実験に参加していたので、こういった結果が出たのか、どの集団でも平均値はあまり変わらないのか興味がある。例えば小学生にこれをやらせたどうなるか。出てくる値の分散は広がることは予想されるが、平均値(中央値)は、上の値と変わらないだろうか?

  集合知あるいは集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体としてひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。社会性昆虫のような集団では個体の相互作用が集積して、予想できない全体の行動を引き起こすことがある。この時も”集合知統計”の情報処理がなされている可能性がある。

  クラウドソーシングによる「集合知」は、専門的な知識やバックグラウンドがないと無益になる場合もある。あるフィンランドのサッカーチームが、新人や監督獲得の判断にファンに参加させる実験を行った。その結果は惨憺たるもので、チームの成績は最低で、実験は途中で突然打ち切られたという。それと選挙も必ずしも「集合英知」とはならず、「集合無知」の結果を生み出すことが多い。頭のおかしい政治家を大衆が選んで、大変な目にあったりする。これは牛の体重といった客観的な事象を判断するのではなく、ほとんど自分の好みや思想を基準に投票するためである。どこの国でも、良心的な中間政党が多数派を占めたことは滅多にない。

 参考図書

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック著「知ってるつもりー無知の科学」(早川書房 2018)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コノプカの法則ー不思議なビ... | トップ | AI(人工知能)は大学教授を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事