京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

親切と暴力の非対称について

2013年02月04日 | 評論

   ハーバード大学教授であった進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould:1941- 2002)は「一万回の親切」というエッセイで、人の社会における親切と暴力の非対称について論じている。これは「八匹の子豚-種の絶滅と進化をめぐる省察」(Eight little piggies:早川書房)という本の中におさめられている話だ。

 日常、我々の生活における99.9%の行為は友好的で善意に満ちあふれているが、まれに起こる暴力や邪悪な行為によって、すべてが覆ると主張する。ほとんどあらゆる瞬間を支配しているのは平和な安定状態のはずだが、稀有な恐ろしい突発的事件が歴史を作ると言う事にもなる。この発想の原点はグールドがメイルズ・エルドリッジと共に提案した生物の進化理論 “断続平衡説”に基づいている。これは、生物の進化は時間とともにゆっくりと連続して進行するのではなく、地質年代的にはほんの一瞬の間で起こるという説である。

 親切と暴力の非対称性は教育の現場でも起こる事で、教師が生徒に対して一万回親切を施していても、たった一回の暴言(暴行)で、いままでの努力が水泡に帰してしまう事がある。まったく教育とはひたすら忍耐することのようだ。生徒の方は忍耐力がないから、当然、一方的に教師にそれが求められる。

 大阪桜宮高校での教師による体罰事件や日本女子柔道の選手に対する監督の暴行事件は、このテーマとはまったく正反対の状況のようである。はたして一万回の暴力が一回の親切により回復するような非対称性があるのかどうか? 昔の親方と徒弟の関係を描いたドラマにそんなのがあったが、今ではとてもありそうもない話だ。

 

 

 

 

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