お湯の国 日本

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蟹工船の海(啄木の夢)

2008年08月10日 |   ✒文学逍遥 紀行

映像:知床半島、日本最東端の出湯、露天風呂相泊温泉から北方領土が眺められる、
     その遥か先は蟹工船の舞台カムチャッカの海だ(2006.9.6取材)


未曾有の経済危機、アメリカの経済基盤がゆらぐ資本主義経済の崩壊予感。そんな中、日本では蟹工船がブーム、一体日本はどこへ行こうとしているのか?農業と技術と勤勉の日本、昭和の時代に戻らなければ?戻れないのだろうか?(2008.08.10)

 石川啄木は貧困の生活を抜け出せなかった。最後、苦しみの中から社会主義への軌跡も垣間見れるが、文学の呪縛から逃れることもなく、苦しみと哀しみの言葉の発露に終わった。しかし、これは個人的懊悩にすぎない。

 今、小林多喜二『蟹工船』が読まれてるとか、その舞台が北海道の果てカムチャッカの海だ。釧路まで流れた啄木はその先、根室、知床そして厳冬の海域での地獄の苦しみを知っていただろうか?今の世は蟹工船が読まれる程、世相が逼迫してるのだろうか?

 啄木のあまりに哀しい境遇に、共感すればする程、その先のテーマにたどり着く。豊か過ぎる私たちが、何も無いただの『島国の民』に戻った時、その時は啄木の様に嘆き、悲しみの歌だけで終われるだろうか?

 一部石油産出国の余りある富の現実、享楽の日々を黙って見ていられるだろうか?世界は長い下り道に差し掛かっている。今までの権力、資産家、格差という構造に、資源、資本、先端軍事の独占という極端な世界状況が加わる。

 日常茶飯事にヒトが死んでいく状況を瞬時に把握する私たちは、世情に麻痺しつつある。喜び、悲しみ、苦しみ、愛、優しさ…お父さん、お母さん、恋する人、友人…人類が千年かけて獲得した大切な絆文化が魔法の水『石油』で燃やされてしまう。

宇宙的時間からすれば、星の瞬きも及ばない私たちの生命。私たちは何処から来て何処へ行くのだろう?この狭い地球で何をやっているのだろうか?素裸になり温泉に入り、普段の有り様を考えるのもたまには良い、だから又、ガンバれる。  ~啄木の夢・追想~


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