ブリコルールの日々

キャッチし、発信するアンテナ。ANTENNE アンテーヌ 芦屋・宝塚・三田よりのレアで@な情報発信基地より

バリ・サンセット 4

2014-05-03 12:28:35 | 

左右が水田に囲まれた未舗装の道を、ユキさんの乗った日本製バイクが進んでいく。






その後を、クルマで追いかけて着いたところが、ここ。







バリの伝統とモダンな現代建築との融合。


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コンクリートで水路を回りに配置して、背後の水田を借景として利用。隙なく張られた結界に驚いた。訊けばオランダ資本の会社が運営し、東京にも支店があるようです。







ムズムズと沸き上がる好奇心。

バリの美容院をたくさん見てきたが、初めてセンサーアラームがあたまのなかで鳴り響く。


アポなしでしたが、ユキサンにお願いしてシャンプーブローにトライ。


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店内のお客様は、ヨーロピアン中心。

22歳の若いインドネシア女性がシャンプーを担当。

iPadのカメラを向けて撮影。ついでに動画も撮るという、無茶で困った客になってしまう。



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プライドを捨て、恥を忍んで、勉強させていただく。もちろん、美容に携わる人間であることは伏せた上で・・・嫌な客だろうなあ。ごめんね。



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オープンスペースをうまく取り入れて、借景が十分に考慮されたインテリア。

驚いたのはリアシャンプーの椅子にマッサージ機能が付いていること。一歩先を行くフルフラットの日本製とは、別の路線での工夫やアプローチを感じる。


ブローは、別のインドネシアの女性が担当。彼女も22歳。気軽に話しかけてくる。接客の教育も、しっかり受けている様子。アイスコーヒーが出てくるあたり、システムもよく練られている様子。これまた勉強になります。



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仕事の質への言及は控えさせていただきますが、熱意をヒシヒシと感じました。手先も器用ですし・・結果は推して知るべしということで。


このあと、レギャンに戻りカズくんのお店「オキナワ」にて、おふたりに現地での生活についてさらに訊かせていただく。

こんな感じで3日目も終了。

楽しい時間には、よく上下する羽が付いている。

最終日はウブドへ。

 

 

 ■□■芦屋宝塚三田の美容院 ANTENNE (アンテーヌ)□■□

http://www.antenne.co.jp


オ・ブリコルール 芦屋 0797 35 1121

オペラ 宝塚南口    0797 71 7747

ピオニ 宝塚山本    0797 80 0030

ジロ  三田      079 559 0500


バリ・サンセット 3

2014-05-01 23:32:03 | 


早朝から迎えに来ていただき、クルマでクロボカン方面へ。



水田のグリーンベルトの際にあるベトナムカフェ。







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借景を利用した店舗を見て欲しいとカズくんの意向にて。3軒ほど回ったが、2番目のお店が秀逸。

フランス人経営だそうで、とても流行っている。ヨーロピアンの好むスタイルは、やはり田園風景のロハスな雰囲気らしい。

 

 

 


 

 




バリ独得の古木を使った建築物が比較的安価で、組み立て分解ができるとのこと。万一の撤退の際、ロスが少なくなるとはカズくん談。なるほど。

・・ってことで、連れて行ってみせてもらう。




 




次に、その近くにあるヴィラを見に行く提案が。なんでも、現地株式会社や外資法人株式会社の設立を手助けする会社を経営する友人が住んでいるという。

小さなプールが庭にあり、緑と白で統一された程よい規模のヴィラ。その入り口で女性と男性が出迎えてくださる。




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一番右がユキさん。




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中央で椅子を持ち上げているのが、サトウくん。

 

 

 





おふたりとも、不動産や資源調達の日本企業に勤めておられたが、いまは独立してローカルの現地法人を立ち上げてがんばっておられるとのこと。

たくましい、そのフロンティア・スピリットに感心することしきり。

ご自分たちの夢の実現も当然ながら、インドネシアのために出来ることをしたいと。30歳代とは思えぬ落ち着きを感じる。


やはり、ローカル法人を立ち上げるにはインドネシア人の代表が必要であり、のちにトラブルが生じやすいとのこと。現地金融機関を介して外資法人を立ち上げるほうがベターとのお話。設立にもかなりの期間が必要のこと。このあたり、日本で中小機構やジェトロに足を運んでも、建前で「法整備が今ひとつで、交渉の難しさ、長期化、賄賂の必要性などばかりを説かれる。目の前のおふたりは、すでにローカル法人会社を設立。リアルな声が勉強になる。


このあと話し足りずに、虹のかかる田んぼの真ん中にあるカフェへ。

 

 


 

 





料理はそっちのけで、話に没頭。インドネシアの方々の気質や、生活習慣など生の情報をたくさん入手。




さらに、ユキさんのおすすめでオランダ人経営の美容院を訪問し、自らの頭をシャンプー・ブローしてもらうという展開になるのだが、この模様は後日。




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■□■芦屋宝塚三田の美容院 ANTENNE (アンテーヌ)□■□

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バリ・サンセット 2

2014-04-30 14:27:37 | 

静けさのなか、目覚めた。物音は鳥のさえずりだけ。






満面の笑顔と朝の挨拶にむかえられ、朝食。

 


 


バランスを考えて、少しずつ。


目の前で材料を指定してオムレツを焼いてもらい、フレッシュな野菜や果物に舌鼓。デッシュの右下から時計まわりに、トマト・ラトティーユ、フレンチトーストにピーナッツクリーム、手作りのマーマレードジャムにメイプルシロップを少々、しぼった後のライム、チーズをスライスして載せたオムレット、皮付きミニポテト。サラダは、ポテトサラダ、酢漬けのキャベツ、レタスに干しぶどう。ヨーグルトには、木の実やドライフルーツを振ってある。マンゴージュースが、やはり美味い。


ホテルライフの楽しみは、やはり朝食から。



 


 

 

 

ぐるりとホテルを散策。



 

ヴィラを手入れ中のハンサムなバリの若者。

 

 



ビーチに沿って突き出したヴィラの周りを歩く。水平線のゆるやかなアーチを再認識。

仕事モードに入れば、プールに入る時間もないだろうと、水着に着替えひと泳ぎ。


カズくんが迎えに来てくれるまで、つかの間のバカンス気分。

 




まわりはチャイニーズ、オージーが多い。レストランメニューやTVもチャイニーズ対象のものが目に付く。世界第二位の経済大国は中国であると、ここでも実感。


短い昼寝の後、カズくんと合流して食事しながら打ち合わせ。以前ご案内したことありの、「KAT'S KITCHEN」。タイ料理を中心にベトナム、インドネシアのフュージョン的なメニュー構成。

 


 

ゴイクン(生春巻き)。パクチーなど香菜のソースが絶妙。

 

 

トムヤンクン。オーナーがタイの方だけあって完璧なお味。後から追いかけてきて、脳天を突き抜ける辛さ。

 

 

 

グリーンカレー。シーフードとココナッツのバランスが素晴らしい。額に玉の汗。

 

 


ドリンクは、定番のスイカジュース。

 




デザートのマンゴーアイスクリームまで一気にいけてしまう。

今回、二度もお世話になった。毎日でも飽きない美味しさ。リーズナブルな価格。

バリに来られたら、一度は行かれてください。

 

 

 




テナントを賃借するのか、借地して建てるのか。

投資として土地から購入なのか。

リスクも考えると、とても簡単には決められない。




カズくんから現地の会社との提携も面白いと提案が。アポイントを取ってもらい会うセッティングをお願いする。

明日は、また忙しく動き回る1日になりそうだ。











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バリ・サンセット 1 デンパサールにて

2014-04-29 12:49:15 | 

空港の到着ロビーで、懐かしい笑顔に再び。

カズくんもアスカちゃんも元気いっぱい。

 


http://blog.goo.ne.jp/antenne_navi/e/ed6ffd02a60b9f6b03d6af126a978b3a/?cid=d93acc0734224532470844c1deff3c25#close


 

さらにクルマの数が増えて、道路は過密の一途らしい。空港からヌサドゥアあたりまで高速道路が出来ていて、スムースにジンバランへ。

 

 




ロビーで、さっそく最近の経済動向や次期大統領選の予想などを聞かせてもらう。土地は高騰し、物価は尻上がり。でも、一般の現地の人びとは結構、淡々と暮らしているとのこと。ここでも、すでに二極化は止まらず。

こちらで日本の美容を広め、教えていける場を作り、善の循環が出来たらと。


長旅の疲れで爆睡。


限られた時間内、綿密なスケジュールを考えて、動かないと。

 

 

 

 




上の写真は、到着してすぐの撮影。バリのサンセットでも、とびきり珍しい夕陽だと、カズくんが。幸運のお告げとなれば良いのだが。

今回は、どんなバリ・ステイになるだろうか。







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GREENLANDとフランク菜ッパへの旅 3

2014-01-21 14:11:44 | 

目覚めると、そこは真白に雪化粧をした漁師町だった。





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9時ころ、3名で、朝食へ。


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昨晩、オバマ大統領とひと悶着おこしたM田くんの姿はない。

早朝に、すでにM田くんはやまれぬ用事があり、列車で宝塚へ向かっていた。森くんに残したメールをご紹介しておきたい:


「もうお目覚めだろうか?

5時前に起床し、寒風吹きすさぶ露天風呂に入浴。チェックアウトを済ませ、今、帰宝の列車車中…。

昨日ムチャ楽しかったね。ありがとう。一足先で申し訳ない。本日も良い一日を…光安、ヒュウザにも宜しく。

追伸 玉ちゃんへ。大統領夫妻との写真データ、わがパソコンに送って貰えたら有り難い」



M田くんも、大酒飲み特有の傍若無人で破天荒な一面もあるけれど、すごく心根のやさしい逸材。


もう一人のT村くんも、カメラが得意で、ダイビングもお得意。昨年も、セブ島での甚平ザメとの遭遇写真には驚いた。このブログでも、何枚か写真をシュアさせていただいています。人当たりが良くて、面倒見のいいひとだ。



素晴らしい友人たちと旅できてほんとうに幸せです。





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再び、室井くんの案内で旧市街へ。

 

 




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このあたりは、お寺が多い。禅宗の有名なお寺があるそうだ。そういえば早朝、托鉢の僧侶が鈴を馴らし、読経の声を響かせながら、旅館の前を通り過ぎていった。



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猟師町と柳町が合わせてできた香取区の裏路地を散策。旅館や料理屋がたくさん残っていて三丁町の別名があるそうです。



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軒下につるされし猿の人形を丸めた、ぼんぼりの赤が映える。


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そこから、雪景色の中、駿河へ向かう。



途中、小浜名産品の一つ、お箸の博物館に立ち寄る。室井くんが、気を利かせて立ち寄ってくれたのかと思いきや、そこには女性の姿。




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室井くんの奥さんである。森くんは、LAで逢って以来の30年ぶり。ご紹介したように、永らく一宿一飯の恩義を感じていた森くんが一番うれしそうだ。




1時間強走って、敦賀に到着。「さかな街」という魚介類を販売する市場に。


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下調べをしてくれていた森くんご推薦のお店で、海鮮丼をいただく。魚や貝やウニやイクラを組み合わせたセットが30数種類ある。目移りしたが、カニ、ウニ、ねぎトロの組み合わせをチョイス。



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さすがに、新鮮でうまうま。ウニがクリーミィで濃厚でした。



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その後、市場の中でそれぞれ土産物を調達。




室井くんとは、ここでお別れ。



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春になったら、釣りや農作業を手伝う約束をかわして固い握手。30数年間の時間を感じさせない再会に、心が熱くなる。


室井くんのアドバイスで、帰りは北陸自動車道路から名神へ。

ずっと、運転を続けてくれた森くんには、感謝しきれない。
ほんとうにありがとう!



歳を重ねるごとに、古い友人との接点が増える。お互いに、未熟で青かった時代を経て、社会の厳しさに揉まれてからの再会。


ここでも、神様は粋な計らいを忘れないのだ。




長くなるので、「GREENLAND」のお話は、日を改めて。
森くんからは、植物工場のシステムやバイオカイトの秘話をたくさんお聞きした。

しっかり塩抜きして、書かせていただくつもりです。

 

お楽しみに。

 

 

 




 


GREENLANDとフランク菜ッパへの旅 2

2014-01-20 23:02:26 | 

その後、学生のころに戻ったかのように街をうろうろ。「俺たちの旅」状態。

ここで一旦、室井くんと別れる。





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旅館にチェックイン後、露天風呂で汗を流してから、再び集合。

室井くんと合流して、蟹尽くし宴会スタート。



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思い出話と近況報告で、話しは続くものの、ハサミと蟹用のヘラを駆使してのカニ尽くし宴会が始まると、全員、言葉少なになる。



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松葉蟹など珍しくもないはずの室井くんまでもが・・。


たくさん話をしたけれど、そのなかでも、いまは、森久エンジニアリングの社長で、バイオカイトや植物工場のシステムで特許を、幾つも持っている森くんのエピソードが素敵でした。


彼が大学生のころ、アメリカのサンフランシスコへ留学に。向学のため、そこからさらに、ひとりでLAへ旅行へ。
たった一人きりでの異国の地。ところが、学生で十分なお金もなく、安いホテルで黒人とのトラブルに巻き込まれ、不安になり、精神的に落ち込んで途方に暮れていたそうだ。



そのとき偶然、ホテルでひとりの日本人に、出会う。それも、よく知った人物だった。

 

 



それが、室井くん。まさに、地獄に仏とはこのことだ。

 

 



室井くんは、そのとき、いまの奥さんと一緒に、LAに住んでいたそうだ。家に呼んでくれ、ご飯をご馳走になり、親切にもてなしてくれた。

 

 


どれほど、心強かっただろう。その甲斐あって、森くんはなんとか旅を続けることができたと・・。

あの人種のるつぼの異国の地で、たまたま、友に出会うなんて。何十万分の一の確立だろうか。

 

神様は、粋な計らいをするものだ。




カニをそれぞれ、一匹たいらげ、続いてカニの天ぷら、カニすき、茶わん蒸しを食べ、焼きガニを追加注文。


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お腹いっぱいのはずだが、同行のM田くんが、ラーメンを食べたいと言い出した。この日、夕刻から激しい雪。夜道、寒風と雪のなか、商店街のラーメン屋へ。私とT村くんは、とても食べれず餃子を数個。


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M田くんと森くんは、ぺろりとラーメンをたいらげた。M田くんは、すごい。ずっとビールと日本酒を飲み続けていたのに・・恐るべしの胃袋だ。



そのあと、ロビーで外国人の夫婦に絡む・・いや、出会う。


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まあ、こんな馬鹿なことができるのも、同級生同士だから・・。

こうして、1日目は過ぎていった。



2日目は、室井くんの案内で旧市街地から敦賀へまわり、海鮮丼を食べに行った。


この模様とGREENLANDの話は明日。

 

 

 


「GREENLAND」と「フランク菜っ葉」への旅 1  福井県小浜市

2014-01-18 23:14:41 | 

37年ぶり、旧友との再会のため、福井県小浜市へ。







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以前ご紹介しました植物工場の「グリーンランド」の開発者、森久エンジニアリアリング代表の森くん、そして、同窓生のT村くん、M田くんとともに、スタッドレスタイヤを履いたプリウスは、舞鶴自動車道を北上。



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綾部を過ぎたあたりから、雪景色。途中のサービスエリアには、除雪の車両と我々のクルマだけが。


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順調に、予定よりも早く到着し。若狭小浜・道の駅で待つこと15分。

ヒューザこと室井くんは37年前の姿のまま、なつかしい声、はにかんだ笑顔で現われた。

 

 

 





当時、宝塚市湯元町あたりにあった彼の家でギターを弾き、武庫川でともに釣り糸を垂れ、馬鹿な遊びをたくさんやった。ここでは書き切れないエピソードがたくさんある。


大学生のころ、インドへ旅に出てから、彼の消息は途絶える。共通のお友達から、京都に引っ越したとか、アメリカにいるらしいとか、噂話をたまに聞く程度。それでも、中学生当時のことを思い出すと、必ず出てくる友人のひとりである。



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小浜市内のひなびた市場や商店の間を歩く。全国各地で見られるシャッター街ではあるが、京都へと続く鯖街道の起点。


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室井くんの先導で、カレイの一夜干しや焼きサバの並ぶ魚屋や丁稚羊羹のお店を過ぎて、まずは腹ごしらえ。


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地元の食堂で、お刺身や焼き魚をいただく。カレイの煮つけ、焼いたぐじ(アマダイ)、カキフライなどなど。


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右から、カレイ、よこわ(マグロの子供)、寒ブリ、平目。どれも、コリッコリ。

 




その後、地元のアンティークCAFE「あさい」へ。


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珈琲を飲みつつ、積もる話は尽きない。


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室井くんは、現在、週の3日間は京都市内の「フランク菜ッパ」という自然農法で作った有機野菜を販売する八百屋に顔を出し、その他の日は小浜市で農作業だそうだ。https://www.facebook.com/franknappa.kyoto



様々な野菜や果物を、ただ自然のままに置いて無農薬栽培。


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畑に案内してもらい、説明を受ける。



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畑の畝ごとに、「ノブヒル」とか「アッシュベリーストリート」とか名前が付いている。大根やトマトは当然のこと、イチゴや万願寺とうがらしやローズマリーやアンティチョークなど多岐にわたる作物を栽培。


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この向こうは、海が広がってます。




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冬の間は、それほど手がかからないが、春から秋には雑草との戦いの日々らしい。有機で無農薬は、手間がかかる。




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この海の対岸が、敦賀原発。


反原発の運動にも参加。去年は、原発再稼働反対のデモ中、敦賀原発前で機動隊ともみ合ったらしい。熱い男は健在です。


このあと、森くんの開発したグリーンランドにお邪魔し、夜は蟹を食べながら話の続きで盛り上がりました。



その模様は明日。


長崎巡礼の旅 2日目

2013-11-20 07:46:20 | 

早朝、海を眺めつつ、露天風呂で手足を伸ばしていたら、雹(ひょう)が降ってきた。 

朝食を終えたころ、空には青空が広がってきている。

 

 

 

 

前日と違い、今日の天候は大丈夫だろうと思っていた。

が、見事に裏切られた。

 

バスで、キリシタンを祀った枯松神社へ移動。

このころには、波乱の予兆。

 

 

言葉少なに、険しい道を登る。巡礼部では、部員に強い脚力が要求される。

 

 

途中の山中で、10mはあろうかの巨大な岩に遭遇。この岩の上で信者が集まり、讃美歌を唄ったそうだ。

 

 

 

このころから、空かより冷たい雫が落ち始める。

 

 

右側の木の根元にある石に、十字架が彫ってあり、普段は伏せておき、信者がお参りする際に起こして、手を合わせていたという・・・信仰を感じさせないための苦渋の術として。

 

 

 

この後、移動して、見事なレンガ造りの聖堂、黒崎教会へ。白壁・漆喰の下はレンガ造りである。

 

 

 

 

神父のお話の後、川上牧師のご先導のもと、みんなで讃美歌を合唱。

 

 

 

 

さらにバス移動。

海に張り出した遠藤周作記念館へ。

 

 

若かりしころ、遠藤周作さんの作品は、たくさん読ませていただいたのです。

 

エッセイの中に、地元、西宮の夙川や仁川などがでてきます。灘中(当時はいまほどの名声はなかった)時代、父から東大卒の優秀な兄と比較、「親戚中の恥」だと言われながらも、母だけが「あなたは、たくさん小説をよく読んでいるから、小説家に向いている」と薦められた。それが、生きる支えになったと・・。

キリスト教をベースにしたテーマの作品には、人間への深い思索と信じることの意味を考えさせられました。

 

遠藤氏の生前のエピソード: 

親友の三浦朱門氏に、「君なら、踏み絵を踏まずに通せるか?」と尋ね、もし踏まずに押し通すと答えたら、絶交してやろうと思って答えを待っていたと。

三浦氏は「少しは耐えるがすぐに踏むだろう」と答え、かろうじて友達を続けた。

 

とあります。ご自身は、間違いなく踏むだろうとの前提のもとで。

人の痛みのわかる、正直な作風と狐狸庵シリーズのようなユーモア溢れる作風との二面性を楽しく読ませていただいた記憶を、展示を拝見しながら、なつかしく思い出しました。

 

 

 

 

 

 

昼食でいただいた、下妻さん、ご推薦のパスタが美味しかった。

ドロ神父が伝えたパスタの麺が、やや平打ちでモチモチ。土産に買って帰りました。

 

 

 

様々な産業を興し、信者に貢献されたドロ様のお墓は通過。

 

 

このあと、伝説の日本人伝道師バスチャンが隠れ住んでいたというバスチャン屋敷跡へ。

ここからタクシーに分乗。細い道のため、バスは入れない。

ここへも、細い山道を進む。

 

 

 

 

屋敷とはいえ、祠のような小さな小屋。こんなところで暮らしていたのかと。隠れ住む孤独はいかほどのものだろう。

 

さらに移動。大野教会下から徒歩。細い坂道が続く。

 

 

 

瓦が、白と黒に積み分けられた屋根が見えた。

 

 

2階に上がり、修道女の方のお話を聞く。

大野教会の歴史、信仰の尊さ、フランス人、ドロ神父の功績などをお話になるその真摯な瞳に、心打たれる。

 

 

 

 

 

 

そこから出津(しつ)教会へ。

ここでも、海を臨む坂道が続いていた。

 

 

 

ドロ神父の発案で、漆喰に赤土を混ぜ、積まれた石造り。

 

 

祈りと、讃美歌を合唱。その途端、雲の切れ間から光が・・。

一同、顔を見合わせる一幕もあり。

そのたたずまいに創作意欲を掻き立てられた光嶋さんが、ペンを取り出しドローイングを始める。

 

 

海上に光の柱。

神の手がさし向けられしご来光。

 

 

道路沿いから、バスにピックアップしていただき、出津文化村を出発し、一路空港。そして、神戸。

 

 

途中、再び大きな虹が見える。

何度、虹を仰ぎ見ただろう。

 

 

空港に近付くにつれ、天気が回復。

 

 

巡礼の旅では、各地でたびたび不思議な現象に出会う。

 

 

長崎という海に囲まれし島国の風土。

山が迫る平野部の少ない地域では、農業に頼れない。

産業といえば三菱による造船。市長よりも、三菱の社長のほうが権威をもつという土地柄。

漁師か、造船か、出稼ぎか。執着すべきものがなく、他県へ出て行く人も多いとは、長崎出身の湯川さんより。

 

精霊流しを含め、弔うべきときに、十分に弔うことが出来ずいたことへの想いが長崎の民にはあるとは、下妻さん。

「迫害」、「苦悩」、「沈黙」が根底にあり、その反動で過剰なまでに盛り上がる祭りがあるとは、内田先生のお言葉。

 

長年の歴史的背景、その地域のもつ特異性、生死を賭けて「信じること」の恐ろしいまでの二面性など様々な思考が頭を駆け巡る旅でした。

 

釈先生、内田先生、勉強になりました。このたびの企画運営・岡本様はじめ東京書籍みなさま、ご参加なされたすべてのみなさまに御礼申し上げます。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

◆最後に、長崎出身で、コーディネイターの下妻さんをご紹介され、リベルタ学舎の運営に頑張っておられる湯川かなさんのFacebookでのコメントを:

 

「長崎」「旅」「スペイン・ポルトガル」「海民」そして「貧しさ」「よるべなさ」、一方の「過剰さ」…。切実に胸に迫るキーワードを次々につきつけられ、思わず「沈黙」(←当社比)。自分の物語を再構成する旅でした。みなさまありがとうございました!

現地ガイドをしてくれた下妻みどりさんの、溺れない、でも、やむにやまれぬ長崎愛の深さに、あらためて感動。「選んだ長崎じゃなかばってんさ、長崎のなんかに呼ばれてしまったけん、しょんなかたい~」というかんじかな。よかお話でした。よかおなご。

もうひとりのよく知る、「長崎」的なものば濃密に背負って生きとるおかんにも、空港でちょっぴり会う。カステラの差し入れありがとね。人生、親から、差し入れてもらってばっかりだ。女手ひとつでこどもを育てたばーちゃんの働いとった伊王島の夜、本土ば見ながら、錯綜する思いに景色がかすむ。

それにしても、行きの飛行機の中から、帰りに空港へ向かうバスまで、いったいいくつの虹を見たことやら。賛美歌を歌うと晴れ間がさし、露天風呂に入ると雹が降り、見上げれば満月、あるいはご来光。すごすぎました。この2日間、みなさんと一緒で、本当によかった。よかった。

 

 


長崎巡礼 1 日目

2013-11-19 23:55:39 | 

長崎は、やはり雨だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸空港から、長崎へ。スカイマークで56分。神戸空港と同じく、海の上にある長崎空港に降り立つと、移動していないかの印象。

 

空も、たまに晴れ間がのぞく曇り空。

ところが、空も大地も関西とは異なる姿を見せ始める。

坂の多さと、山と海が真近に迫る地形には共通点があるものの、同じペットボトルでも中味はコーラとブラックコーヒーかのごとく、その雰囲気は異なる。

 

全体を通して、曇り空から始まり、晴れ間、小雨、雹までと不可思議な空模様。その場所、場所で、思い出したように姿を見せる太陽よりのハレーションは、歓迎と拒絶を繰り返す、天よりの啓示を暗示するかのようでした。

 

 

 

 

 

今回の巡礼をコーディネイトしてくださった、長崎在住のライター、下妻さんのお話をお聞きしながら、最初に向かった先は、華嶽山 春徳寺。山門の脇に、「トードス・オス・サントス教会 コレジョセミナリオ跡」の碑がが立っています。春徳寺については、最後の脚注をご参照ください。

 

トードス・オス・サントス教会跡(長崎県指定史跡)
 1549年(天文18年)8月15日、ポルトガル人宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来て、日本にキリスト教を伝えました。翌1550年、ザビエルは平戸藩主松浦隆信に招かれ、平戸で布教を行い、約100人の信者が。

 


そのころ、長崎は大村純忠の領地で、その家臣長崎甚左衛門純景の居城・桜馬場城と城下村がこの一帯にあり、現在の桜町から江戸町まで伸びた長い岬は、長崎と呼ばれていたそうです。

 

 

 

 

 

 

この山手に、東海の墓(長崎県指定有形文化財)と長崎奉行土屋駿河守の墓 があります。東海家累代の墓。長崎における、中国式墳墓の代表的なもの。 東海家は2代東海徳左衛門から10代にわたって唐通事を務められたとか。

 

 

 

所縁をお聞きし、そのお墓の形状を見るに、本土とは違いがはっきり。沖縄や中国の影響が色濃く出ており、墓を囲む塀のような形状、その墓石に彫ってある家紋や戒名はすべて金字です。沖縄にみられる家のような形。道教の影響が感じられるとは釈先生のお話。先祖を弔い、墓のサークルの中で酒盛りや宴をおこなったりするそうです。

 

 

 

 

 

そのあと、「トッポ水」の上に建っているのが第29番札所の「夫婦川観音堂」で創建は1679年という歴史ある観音堂です。長崎にも、巡礼のお遍路が存在することを初めて知りました。


観音堂の言い伝えでは「トッポ水」は昔夫婦川郷一帯が水不足で困っていたとき、観世音菩薩に祈願したところ清水が湧き出したといわれているそうです。

 

 

 

続いて、「紅灯記」にて本場の長崎ちゃんぽんの昼食後、1日目のハイライト、日本二十六聖人の記念館。

1597年2月5日慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであったそう。この出来事は「二十六聖人の殉教」と呼ばれ、26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたのです。

 

二十六聖人のレリーフは舟越保武の制作によるもの。

 

日本二十六聖人記念館は、長崎県長崎市にある、日本二十六聖人の顕彰を目的としてカトリック教会によって設立された博物館。中央ブルーグリーンのジャケットが、下妻さん。

 

 

 アントニ・ガウディを模した建造物、 設計者は、今井兼次氏。

 

 

 

所縁の展示物が、たくさん保存されています。

 

 

ブルーの光は、背後のステンドグラスから

 

 

 

 

 

長崎出島にて、処刑がおこなわれた際の模様が描かれた絵画 ↑

対岸や、海上から見守る4000名の人々に、悲しみの様子が見てとれ、聖人たちとのコントラストが・・。

26人のうち、日本人は、12歳の少年ルドビコ茨木を含め20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名であり、すべて男性。この時代に、大海を渡り、辺境の地で布教活動の果てに殉教。

いまの時代なら、ロケットに乗り、月や火星に向かうような一大事業だと。

その想いの深さたるや・・

 

 

キリシタン時代、「ミゼリコルディアの組」という慈善事業団体の本部があった場所を経由、原爆にて破壊された日本最大規模のカトリック教会である、浦上天主堂へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから徒歩にて、原爆落下中心地。

 

 

原爆資料館は素通りし、バス移動して大浦天主堂へ。メジャーな場所は、割愛しての超コアな旅。

 

ここで、雨が本降りになり、一同びしょぬれに。

 

 

この坂の奥左手にあります ↑

 

 

表に出て、バスにたどり着きますと見事な虹が。

 

 

後で書かせていただきますが、今回、何度も虹がでる不可思議な天候。

身体が急激に冷え込んで、やっとの思いで宿泊地、「やすらぎ伊王島」へチェックイン。

 

内田先生のご配慮で、露天風呂もある温泉にて一風呂浴びてからの、釈先生、内田先生の法話と対談。

 

 

 

 

「日本人による比較宗教論」と題したテキストを基に、釈先生の法話。

3名の天才、空海(774~835?)、不千斎ハビアン(1565~1621)、富永仲基(1715~1746)のそれぞれの著作と主張を解説していただきました。

 

・宗教は、世界の始まりから終わりまでを語ろうとするものである。

・反証可能性がない。

・キリスト教を相対化することで近代の歴史が生まれた。

 

いつの時代にも全体を俯瞰できる天才が存在し、体系的に論じ、比較することでそれぞれの立脚点を明確にし、他宗教(仏教、儒教、道教、神道、キリスト教)との比較を行った。そこに垣間見える苦悩と覚悟を学ぶと、人間という存在がいとおしく感じられると・・。

内田先生からも、たくさんお話がありましたが最後のまとめにて書かせていただきます。

 

このあと、夕食と宴会。この翌日が誕生日ということで、湯川カナさん先導のもと、コーディネイターの下妻さんを祝い全員で、HAPPY BIRTHDAYの唄を合唱。それぞれの思いを会話にして、美味しい料理(伊勢海老の造りが美味!)とともに一日目の夜は更けていきました。

 

 

 

 

2日目は、枯松神社から黒崎教会、遠藤周作記念館を経て、エッジな大野教会、出津教会へとコアな旅は続きます。

 

あまりに深い内容のため、思うように考えがまとまりません。

後日、まとめにて書かせていただきます。

 

いつも、お読みいただき感謝しています。

 

 

 

 

◆春徳寺 

臨済宗建仁寺派のお寺。1630年(寛永7年)、建仁寺三江紹益の法子泰室清安が長崎に来て、岩原郷(現立山町)に大梅山春徳寺を建立。1651年(慶安4年)、トードス・オス・サントス教会跡のこの地に移転、山号を華嶽山と改めました。本堂左手奥に、切利支丹井戸があります。

ハビアン 

ハビアン[1](Fabian、1565年永禄8年) - 1621年元和7年1月))は、日本人のイエズス会修道士(イルマン)。後に棄教キリスト教弾圧に協力した。キリシタンの受容と排斥を積極的に行ったこの時代の象徴的知識人。またキリスト教と他の宗教を比較した著作を残したことで注目される。[2]不干斎 巴鼻庵(ふかんさい はびあん)と号した。本名不詳。加賀国または越中国の生まれ。母ジョアンナは北政所(おね)の侍女となった。始めは大徳寺の禅僧で、恵俊または恵春と称したとされる。

1583年天正11年)京都で母とともに受洗高槻、大坂のセミナリヨで学び、1586年(天正14年)、修道士となってイエズス会に入会する。豊臣秀吉伴天連追放令を逃れて山口長崎、加津佐などを経て、天草コレジオで日本語を教える。同地で『天草本平家物語』を編纂する。また自身の経験により『仏法』を著し、これより後はキリスト教を擁護し仏教を批判する論陣を張った。1603年慶長8年)京都に戻る。1605年(慶長10年)、護教論書『妙貞問答』を著す。1606年(慶長11年)には林羅山と論争し、当時支持されつつあった地球球体説地動説を主張した。

しかし1608年(慶長13年)、修道女と駆け落ちして棄教し、1614年(慶長19年)には長崎でキリシタン迫害に協力するに至った。晩年の1620年(元和6年)にはキリスト教批判書『破提宇子』(は・だいうす:デウスを破却する意)を著した。

 

 

 

 

 


長崎巡礼の旅

2013-11-18 23:03:01 | 

 

 

今回の巡礼のテーマは、「信じること」と釈先生から、はじめにお言葉がありました。

 

 

 

迫害を受け、命を捧げた、たくさんの信徒の方々の想いが、その地に深く

染み込んでいるからに違いありません。

 

 



旅先で、書かせていただくよりも帰宅してから、しっかりとまとめ上げてからアップさせていただきます。


しばし。


うだる京都、「孟友山」へ 2

2013-08-16 18:43:38 | 

頭が整理されぬまま、「イノダコーヒ」。

 

 

 

 

昨日、イノダコーヒーと書かせていただきましたが、一般的に「イノダコーヒ」と呼ぶそうです。

アイスコーヒーをいただきました。上質な接客。窓から日本庭園が望め京都らしい。さすがに老舗。

 

 

 

 

 

話題は、当然のことながら互いの感想。 

前回、今回を総合して「人間には、運命というか、使命のようなものが決まっており、それに逆らわず、使命を全うすべき」というところに落ち着きそうです。

その運命、宿命がどんなところにあるのかを示してくださるわけです。その根拠が、どんなところから導きだされるのか。そのあたりが、ストンと腑に落ちない。

 

ただ、妙に納得できる。

 

不思議な感覚に陥ってしまうというのが正直なところです。そのあたり、同行のI上さんも同意見でした。

 

最終的に、人生の責任を取り仕切るのは自分自身。参考にしながら、自分自身の振り返りを再度したいと思いました。

 

 

と、後から来られたお客様に、妙な見覚えが・・。


間違いない。雑誌GQ JAPANの鈴木編集長です。CGの副編。雑誌NAVI、エンジンの編集長を歴任のツワモノで、「こだわり」のオーソリティでらっしゃいます。

私自身、さまざまな雑誌で、その哲学的で緻密な文章を読ませていただいていて、大ファンの一人ですが、私よりももっと感動が表情に表れていたのはI上さんでした。「昔から、だ、大、大ファンなんですわ」と声も上ずるほどの大感激。

 

編集者と思しき知的な女性とご一緒でしたが、おふたりが帰られる際に、I上さんは握手を求めて話しかけると、こころよく応じてくださいました。雑誌「エンジン」で、内田樹先生が表紙を飾られた際に、鈴木さんのお話は伺っていましたので、たいへん親しみを感じ、うれしく思いましたよ。

別れ際に、「それじゃ!」とご挨拶をしてくださり、その気さくな雰囲気に、またまた感動でした。

 

 

そこから、あたりを散策。

 

 

 

 

 

 

柊屋さんや、俵屋さんのあたりをひと回り、一軒の蕎麦屋に。趣のある町家。中庭があり、奥に離れが。

 

 

 

 

 

 

ざる蕎麦を注文。葱がみずみずしく、かえしも澄み切った後味。惜しむらくは、生蕎麦でなく乾麺。雰囲気はすばらしいお店でしたので、京都のお店の在り様を考えさせられました。

 

 

 

 

 

さすがに、こだわりを随所に感じるお店を散策しつつ、混み始めた高速を飛ばして芦屋へ。

夏の京都は、観光客の方でごった返していますが、後ろ髪を惹かれる魅力に溢れた場所です。

 

また、ゆっくり訪れたい街です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


うだる京都、「孟友山」へ  1

2013-08-15 21:13:53 | 

真偽のほどを確かめに、ふたたび京都へ。

 

 

 

 

大阪のサロンオーナーが、遊びに来られた。ランチをしながら、近況報告。奥様が、お盆で実家へ。時間があると聞いたので、京都へお誘いしてみる。

 

このブログで、以前ご紹介しました「孟友山」に行きたかったのです。

「孟友山」とは、占いを業にられている方です。かなり個性的な風貌と独特なしゃべり方。一度見たら、忘れられない強烈な印象が残る方です。

 

 

 

 

夏の京都は、盆地のせいかさすがに暑い。そして、人、人、人。観光の方々で、街は溢れていました。人並みを縫うように進んで、目的のビルへ。

 

 

 

 

 

三階に上がると、見覚えのある声で中に呼び入れられました。

例によって、同行のI上オーナーは、名前、生年月日を記入してから、「額を見せて」と請われて席に着きます。

 

そこから、三十分ほど、立川談志師匠を彷彿とさせる声と喋りでオンステージ。さすがのI上さんも、タジタジ。

 

その後に、私の番。

 

私のことは、記録が残してあるのか、以前からの続きのように、しゃべりだされる。やはり、ひとりオンステージ。

 

 

あまりに奇想天外な語り。キツネに抓まれたような感覚で、ふたたび京都の三条。

 

 

 

 

 

ふたりで、話し合うための場所を求めて「イノダコーヒー」へ。

そこで、またまた、すごい方に出会うことになります。

 

この続きは、明日。

 

しばし・・

 

 

 

 

 

 

■□■芦屋宝塚三田の美容院 ANTENNE (アンテーヌ)□■□

http://www.antenne.co.jp


オ・ブリコルール 芦屋 0797 35 1121

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ピオニ 宝塚山本    0797 80 0030

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東京インテリア紀行 5 まとめ

2013-05-22 04:02:39 | 

初めて東京の地に降り立ったのは、中学生のころ。それから、大学生になり就職の最終面接で、再び東京に足を踏み入れ、それ以降度々、上京するわけですが、来るたびに新たな発見があります。当然のことなんですが・・。

 

 

 

しばらく見ない間に、遠くの親戚の大学生だったお兄さんに会ったら、業績に陰りが見え始めた総合商社に入社して、社会人となり、すごく大人なサラリーマンになって、昔、憧れたお兄さんではなくなっていた。なんて経験がおありの方が、おありかと。

 

今回の東京紀行は、まさにそんな感じに近い。

 

 

六本木ヒルズからの東京

 

 

 

誤解を恐れずいうなら、東京が立派な社会人(世界に誇れる都市)となったという意味ではありません。伊丹十三氏の憂いのままに、「便利」にはなりましたが、「豊か」には程遠い「別の場所」になりつつある、危機感のようなものを感じてしまったというのが正直なところ。

 

 

 

皇居前 

 

 

元来、人が集まる場所が村から町へ。町は、街になり、繁華街と呼ばれるようになり、観光地化した都会というものに変貌を遂げていくものです。

 

地元、大阪を例にとっても、ディスコが流行った時代には、周防町通りに人が集まり、DCブランドが全盛の時代には鰻谷、サーフィンが流行ってアメリカ村、CAFE文化が到来して南船場、インテリアに興味が移って堀江、ガーデニングや家具でうつぼ公園回り、そして北の再開発でグラン・フロントと・・。衣・食・住の営みの流れを具現化するのが、「街」。

 

 

表参道や青山は一時期の隆盛に陰りが見え、南青山や六本木にその勢いを奪われ、一部のオシャレな人たちのたまり場であった代官山、自由ヶ丘は、なんでもありの観光地化していることに違和感を覚えました。

 

 

 

 

 

裾野は、ますます広がり、都内のいたるところに、こだわりを持ったお店や施設が点在するようになったことは、うれしいことではあります。全世界的なコメディティ化の波の中でも、ジャパン・ブランドはしっかりとその地位を確立し、老舗と呼ばれしお店も、脈々とその存在と価値を継承しています・・

 

が。人口集中のすさまじい、この大都市は遷都を含めた、大きな転換期に来ている気がしてなりません。

 

 

 

最後に変貌を遂げ、なお今増殖を続ける「TOKYO」をテーマにした映像を。

 

http://vimeo.com/65758287

 

 

 

それでも、1年とか、3年とか、5年のスパンで東京が、いかに変化していくのか、生ある限り、見届けていきたいと思います。

 

 

I LOVE TOKYO!

 

 

 

 

 

■□■芦屋、宝塚、三田の美容院 ANTENNE (アンテーヌ)□■□

 

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東京インテリア紀行 4

2013-05-19 09:29:04 | 

目覚めてから、ホテル近くのドトール・コーヒーへ。

さすがに、赤坂。あのドトールが、お洒落だ。サラリーマンの方でいっぱい。

 

 

 

 

チェックアウトを済ませてから、丸の内へ。

 

 

 

 

新丸ビルのスタバで、実施設計の担当と初めてお会いする。長身女性で、感じのいい方。ひとまず一安心。

サロンの、独特の動線、パーマ剤、カラー剤に対する防御、空調など注意すべき点をお伝えすると、以前の会社で、美容院専門にされていたとのこと。ありがたい。

 

 

 

そのあと、階上へ。三階のカリタサロンでヘッドのエステの体験。

受付が終わり、店内を視察させていただく。カリタ姉妹の写真の横をすり抜け、サロン内へ。

 

 

 

 

 

パリのカリタ本店を想定し、デザインされたインテリア。黒と白のポストモダン。清潔感と太陽光で明るい印象。窓の外には、緑。

 

 

 

 

  

すっかり、身も心もリフレッシュ。担当してくださったスタッフの方、ありがとうございました。美術館のお話、楽しかったです。

 

その後、さらに階上に移動。資生堂のサロンプロ統括のN溝さまと同社長F田さまを交えてのランチ。「BUZZ」というブラッスリーにて。

 

サラダかスープを選択、2種類のガレットから1つ選ぶ形。魚のいさきのポワレか、若鳥のコンフィで、鶏をチョイス。

 

 

サラダは、チーズが利いていてフレッシュ。

 

 

鶏は、しっかりの味付け。身もホロリ。

 

 

 

そこから、南青山・骨董通りへ。以前ご紹介したことがあります万年筆の専門店「書斎館」です。

 

 

 

ひさしぶりに来たら、道に迷う、迷う。周りの景色もかわってます。

同行のI上さんが、スーツケースをもってくださり、何とかたどり着けました。

ここは、インテリアもお洒落。エントランスから、圧倒されます。 

http://www.shosaikan.co.jp/


  

世界中から集めたペンの数々。ゼロがふたつでは、足りないのでは。

万年筆で話題のパーカーの新作(発表は、1年前以上ですが)を、試してみたかったのです。スペアやスポイトの様式でなく、ペン先から一体のインク軸。従来の筆記モードが抱えていた課題を解決した「パーカー5thテクノロジー」を駆使した書き味は、どこまでも滑らか。インクも、スゴイ!書いた直後に触れても、流れません。画期的だ。

 

 

 

 

 

そのあと、同じ通りにあるインテリアショップ「SEMPRE」。

 

 

 

 

芦屋のオブリコルールに置いている、お釣りをお返しする革製のトレイのために訪問。

 

 

 

 

ところが、そのメーカーはすでになくなっているとのこと。他店舗にも問い合わせていただき、なんとか埼玉の倉庫に在庫を発見していただきました。

デザインは異なるみたい。この際OKでしょう。気にいっていたアイテムだったので、少し残念だったのですが、スタッフの対応の素晴らしさに感動。

 

そのあと、山の手線で品川、そして羽田へ。品川駅構内で、東北支援物産店ありで、どうせならと、ここでお土産を購入。空港へ。

 

 

 

 

駆け足での東京。六本木、代官山、青山も、すごく様変わり。秒進分歩だな。感じることがいっぱい。

 

 

このあたりの詳細は、後日。

 

 

 

 

青山 SEMPRE 

http://www.sempre.jp/contents/sempre_aoyama/

 

書斎館 

http://www.shosaikan.co.jp/

 

 

 

◇BUZZ
http://www.bwc-buzz.jp
 
 
 

■□■芦屋、宝塚、三田の美容院 ANTENNE (アンテーヌ)□■□

 

オ・ブリコルール 芦屋 0797 35 1121

オペラ 宝塚南口    0797 71 7747 

ピオニ 宝塚山本    0797 80 0030

ジロ  三田        079 559 0500

オートレ山手台     0797 82 0220