今日のバイクでのお出かけは、バイク用ジャケットも冬仕様にし、
オーバーパンツも履き、グローブも冬用に変えました。
温かい!
どこでも行ける!と思える温かさ。
装備って、やっぱり大事だわ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/56/f53bce6bf82344436ea13eb35f739844.jpg)
夕食も食べず、一気に読みました!
今年の9月の頃だったでしょうか。
私は、子どもと学習するときに、その子に何が必要かを見極めるための姿勢のヒントを得ようと、
著書の愛甲修子さんの『脳みそラクラクセラピー』を読み返していました。
そんなとき、愛甲さんの本が再び出るようだ…ということを、
風の便りか、ネットでの流れかで知りました。楽しみに待っていました。
しかも、テーマがあるときから、ずっと以前から関わる子どもについて、
私が「これって、幼児期に愛着に問題があったのかなぁ」と
漠然と抱いていた疑問に答えてくれそうなもので、本ができ上がるのを楽しみに待っていました。
愛着障害というと特別な体験、経験をした人だけが抱え込む、特殊な問題と思われがちですが、
そうではない、ということがこの本を読むとよくわかります。
そして、愛着障害があるかもしれない人は、
びっくりするほどたくさん居て、こういっている私自身も日々自分の愛着の問題を、
猫たちのおかげで「無意識に自己治療」しているかもしれない!ということを知りました。
この本では愛着障害があることで、どんな問題が起こりうるか、
問題点を観察して、どの辺りの愛着関係に身を置いているか、
起こっている問題を解決するために愛着関係をどう築き直すか…、
ということがとても丁寧に書かれています。
それを更にわかりやすくするために、
ピラミッド型に各段階が示されていて、どの辺りに居て、何をすればいいかを、
把握しやすくしてあります。
そのような「愛着障害」についての記述はもちろん良いのですが、
私がぐっと来た点は、「支援者は愛着障害とどう向き合うべきか」ということが、
繰り返し、繰り返し書かれているところです。
いやいや、自分は発達が凸凹の子どもとの認知面とかかわっているのよ、
この子たちへの身体へのアプローチで導こうとしているのよ、
そんな愛着障害の問題なんて、私には関係ない!と思うなかれ!
援助者側が自分の愛着障害を自覚しておくことはとても大切です。
人を助ける仕事を選ぶということは、それ自体愛着障害の現れでもあると聞いたことがあります。
自分にある欠損感を、誰かを助けることによって埋めようという無意識のもがきが、
援助職を選ばせることもあるのでしょう。<中略>
援助者自身が自分の欠損を自覚した上で乗り越えていかないと、無意識のうちに、
いつまでも相手に頼ってほしくてしがみついてしまうといったことが起きます。
例えば、相手が自分から自立していこうとする時に、
それを阻止して囲い込んだりしてしまうこともあります。
支援者として、なんらかの関わりを自分以外と持とうとするならば、
自分の愛着の問題とはしっかり向き合い、乗り越えて治していかなくてはならないですね。
そうでなければ、関わった相手に、全くの無頓着にもたれ、寄りかかり、
そのうえ、自己効力感でいっぱいのおめでたい支援者になってしまいます。
私自身も、そうならないように努めていますが、
改めて、身を引き締めることでした。
私のように支援者的な仕事を師匠もなく、ひとりでしている者にとっては、
いつでも側でめくることができる、指南書のようなこの本。
心強い支えを得たなぁ、と嬉しくページを閉じました。
オーバーパンツも履き、グローブも冬用に変えました。
温かい!
どこでも行ける!と思える温かさ。
装備って、やっぱり大事だわ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/56/f53bce6bf82344436ea13eb35f739844.jpg)
夕食も食べず、一気に読みました!
今年の9月の頃だったでしょうか。
私は、子どもと学習するときに、その子に何が必要かを見極めるための姿勢のヒントを得ようと、
著書の愛甲修子さんの『脳みそラクラクセラピー』を読み返していました。
そんなとき、愛甲さんの本が再び出るようだ…ということを、
風の便りか、ネットでの流れかで知りました。楽しみに待っていました。
しかも、テーマがあるときから、ずっと以前から関わる子どもについて、
私が「これって、幼児期に愛着に問題があったのかなぁ」と
漠然と抱いていた疑問に答えてくれそうなもので、本ができ上がるのを楽しみに待っていました。
愛着障害というと特別な体験、経験をした人だけが抱え込む、特殊な問題と思われがちですが、
そうではない、ということがこの本を読むとよくわかります。
そして、愛着障害があるかもしれない人は、
びっくりするほどたくさん居て、こういっている私自身も日々自分の愛着の問題を、
猫たちのおかげで「無意識に自己治療」しているかもしれない!ということを知りました。
この本では愛着障害があることで、どんな問題が起こりうるか、
問題点を観察して、どの辺りの愛着関係に身を置いているか、
起こっている問題を解決するために愛着関係をどう築き直すか…、
ということがとても丁寧に書かれています。
それを更にわかりやすくするために、
ピラミッド型に各段階が示されていて、どの辺りに居て、何をすればいいかを、
把握しやすくしてあります。
そのような「愛着障害」についての記述はもちろん良いのですが、
私がぐっと来た点は、「支援者は愛着障害とどう向き合うべきか」ということが、
繰り返し、繰り返し書かれているところです。
いやいや、自分は発達が凸凹の子どもとの認知面とかかわっているのよ、
この子たちへの身体へのアプローチで導こうとしているのよ、
そんな愛着障害の問題なんて、私には関係ない!と思うなかれ!
援助者側が自分の愛着障害を自覚しておくことはとても大切です。
人を助ける仕事を選ぶということは、それ自体愛着障害の現れでもあると聞いたことがあります。
自分にある欠損感を、誰かを助けることによって埋めようという無意識のもがきが、
援助職を選ばせることもあるのでしょう。<中略>
援助者自身が自分の欠損を自覚した上で乗り越えていかないと、無意識のうちに、
いつまでも相手に頼ってほしくてしがみついてしまうといったことが起きます。
例えば、相手が自分から自立していこうとする時に、
それを阻止して囲い込んだりしてしまうこともあります。
支援者として、なんらかの関わりを自分以外と持とうとするならば、
自分の愛着の問題とはしっかり向き合い、乗り越えて治していかなくてはならないですね。
そうでなければ、関わった相手に、全くの無頓着にもたれ、寄りかかり、
そのうえ、自己効力感でいっぱいのおめでたい支援者になってしまいます。
私自身も、そうならないように努めていますが、
改めて、身を引き締めることでした。
私のように支援者的な仕事を師匠もなく、ひとりでしている者にとっては、
いつでも側でめくることができる、指南書のようなこの本。
心強い支えを得たなぁ、と嬉しくページを閉じました。