ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

2013年07月19日 21時42分46秒 | 霊獣
ちまたのニュースでは、外来種である、ミシシッピアカミミガメ 、幼体=縁日で売られている愛称ミドリカメが大量繁殖して日本の固有種を脅かしているそうですが、彫刻の世も大陸産、3D機械産が主力になっているのでしょうか・・・・? カメはカメでも彫刻の霊獣・亀 本来は、四神・霊獣の亀らしきは、玄武 その姿は、亀に蛇が巻きついた姿であるが、社寺仏閣に見られる彫刻においては、蛇が巻きつかない亀の姿が多く . . . 本文を読む

寝屋地車 ~彫刻編~

2013年07月17日 21時04分42秒 | 地車祭礼まいり
大阪府寝屋川市寝屋南 寝屋神社 寝屋地車 地車詳細は基本不詳 お世話になってます。小松堂様によりますと 小田原提灯の入れ箱に「天保二年九月」の墨書きあり。 築造=天保2年(1831)か? 彫刻師 美濃村か? 美濃村の彫を詳しくしりませんので私には、わかりませんが良い彫刻ですね!! 築造より本体の改装を一度もされていないのでしょか? 獅子噛み 前・中・後順 . . . 本文を読む

花や散るらん ~葉室麟~

2013年07月16日 22時01分08秒 | 文庫本
またまた葉室麟 いのちなりけり続編 京の郊外に居を構え静かに暮らしていた雨宮蔵人と咲弥だったが、将軍綱吉の生母桂昌院の叙任のため、上京してきた吉良上野介と関わり、幕府と朝廷の暗闘に巻き込まれてしまう。そして二人は良き相棒である片腕の僧、清厳とともに江戸におもむき、赤穂・浅野家の吉良邸討ち入りを目の当たりにする事となるのだが。 主人公たち以外重要登場人物は、実在の人物。 この作品は忠臣蔵 . . . 本文を読む

生野神社

2013年07月14日 22時06分47秒 | 中井一門
京都府福知山市三保 延喜式 式内社 生野神社 江戸時代は「御幣(みてぐら)神社」 由緒 徳川時代の参勤交代には、天田地方の領主綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山、舞鶴、宮津、峰山、豊岡、和田山等の大名が行列美々しく此の道を通る際は、必ず参拝して長途旅行の安全を祈願し、神前の榊の枝葉を戴いて御守とし、帰途これを返納したので以来、旅行、出張、転勤、外遊等の生活と道中安全の神様として有名である。 社殿 . . . 本文を読む

下の池よりの夜景

2013年07月13日 22時01分43秒 | より道
この場所最近のお気に入り 以前に同じより道にて日の入り画像の宝塚市御殿山下の池 ちなみにこの場所わが川面東が本宮の昼に曳行します。 本日は昨日の三日月に近い月夜 トップ画像は、ナイトショットモード ↓は、前回同じく夕日モード 最後は ファンタジーナイトモード(光物がハート型に) いずれもキャノンIXY930ISにて撮影 . . . 本文を読む

2013年07月12日 22時02分55秒 | 霊獣
いや~ 本日宝塚市役所たいへんなことになりました。 まっしゃさんは、無事だったようです。 しかしなんぼなんでもむちゃむちゃやなぁ・・・・ けが人はいてはったようやけど、よく死人がでなかったことですね。 けがされた方には、お見舞い申し上げます。 獏(ばく) 神社仏閣の木鼻彫刻に多く見られるが、瑞獣ではない。 中国から日本へ伝わった伝説の生物。人の夢を喰って生きると言われる。 . . . 本文を読む

下島地車 ~彫刻編~

2013年07月10日 20時38分39秒 | 地車祭礼まいり
いや~梅雨明けしたらいきなり猛暑日連発ですね・・・・ 大阪の夏祭りもあつ~く盛り上がっているのでしょうか? いよいよこの週末があちこちでピークでしょうか? いつもお世話になってます、海老江M田様より運行表も届きましたし、気合入れて地車まいりしますか!! 本日は、守口市八雲北 八雲神社 下島地車 地車詳細は他地車サイトより引用 口伝ですかね? 嘉永年間制作 元大阪天満宮氏子地より . . . 本文を読む

大太鼓 ~皮張替中~

2013年07月09日 21時38分58秒 | 川面東
先日の七夕、石川県白山市 浅野太鼓まで太鼓皮張り具合の最終調整に行ってきました。 往復約600キロのトンボ帰り。 滞在約2時間・車中約7時間・昼食時間調整約1時間のハード行程。 私は運転まったくしておりませんが・・・・ 8時出発の18時帰宅でありました。 それでも自宅に戻り、息つく間もなくだんじり関係の集会予定が次々と連絡あり、 なんやかんやしてブログアップして間もなくすると・・・・ . . . 本文を読む

秋月記 ~葉室麟~

2013年07月08日 22時29分11秒 | 文庫本
今週も葉室作品 秋月記 (あきづきき) 筑前の小藩・秋月藩で、専横を極める家老・宮崎織部への不満が高まっていた。間小四郎は、志を同じくする仲間の藩士たちとともに糾弾に立ち上がり、本藩・福岡藩の援助を得てその排除に成功する。藩政の刷新に情熱を傾けようとする小四郎だったが、家老失脚の背後には福岡藩の策謀があった。藩財政は破綻寸前にあり、いつしか仲間との絆も揺らぎ始めて、小四郎はひとり、捨て石とな . . . 本文を読む