ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

平家物語 鵺・彫刻編(史跡) その八

2012年11月30日 20時02分00秒 | 平家物語 鵺
その他近畿に残る源三位頼政史跡 平等院以外にも頼政の墓所あり。 そのひとつ兵庫県西脇市高松町 長明寺 この地がなぜ源三位頼政ゆかりの地であるかは調査不足にて不明。付近に、頼政墓や鵺の名がつく地等があり。 境内には、鵺退治のブロンズ像あり。昭和55年建立 なかなかの迫力。 寺院には、気になる彫刻はありませんが、創建651年の法道仙人の開基と伝わる古刹。 頼政は、歌人でもあるので歌集関係でのつなが . . . 本文を読む

平成24年度御幸森天満宮夏祭礼 猪飼野地車

2012年11月28日 20時48分42秒 | 地車祭礼まいり
大阪市生野区桃谷 御幸森天満宮夏祭礼 猪飼野地車 猪飼野の地名は、昔このあたりでイノシシが飼われていたことにちなむと言われています。猪飼野村内の鎮守、御幸森天神宮は、仁徳天皇が高津宮からたびたび御幸されたために建てられたと言います。 ヒヒの血で染められたとのいわれがあるラシャ地に竹と虎の刺繍が豪華な見送り幕を持つ地車は、明治20年制作で戦後2度の改修を経て現在に受け継がれています。通常6本の擬 . . . 本文を読む

穴太寺

2012年11月25日 19時32分43秒 | 社寺まいり
京都府亀岡市曽我部町 天台宗 菩提山 穴太寺(あなおじ) 西国三十三箇所第21番札所 鎌倉時代後期に三十三所観音霊場の一つとして上げられ一遍上人も参詣し逗留。 室町時代には、山門西塔院の末寺になり、室町将軍家足利氏の庇護を受け繁栄も天正年間には、兵火にかかり伽藍は荒廃。その後再興は、17世紀中期以降。 現本堂は、享保20年(1735)棟上 元文2年(1737)完成 本堂彫刻 1737年ごろ  . . . 本文を読む

平家物語 鵺・彫刻編 その七

2012年11月23日 21時46分02秒 | 平家物語 鵺
鵺退治終話・頼政最後 平家物語現代語訳最終話 二条天皇のおぼえも良く、頼政に、御衣を授けることにしました。 今度は、大炊御門(おおひのみかど)・右大臣の藤原公能が受け取り、頼政の肩に掛ける時、「史記」にも登場する矢の名人である養由は昔、雲の外の雁を射て、今、頼政は、雨の中の鵺を射たのだなあ」と感心しました。 藤原公能は、 「五月(さつき)闇名をあらわせる今宵かな」 と詠みました。 頼政は、 . . . 本文を読む

平成24年度生野八坂神社夏祭礼 八千代会地車

2012年11月21日 20時32分01秒 | 地車祭礼まいり
大阪市生野区林寺 生野八坂神社夏祭礼 八千代会地車 林寺は、その昔、天皇の寵臣の住まいがあったとされる地で、その名より林津(速志都)村と呼ばれていたとも言われています。その林寺村の氏神様として崇敬されてきた生野八坂神社の地車が平成16年から復活しました。 昭和40年代に先代(3代目)を解体処分して以来、地元が待望してきた地車は平成16年7月の奉納されたばかりのものです。神社の宮付き地車で、林寺 . . . 本文を読む

能勢妙見山2

2012年11月18日 21時42分25秒 | 社寺まいり
天正10年(1582)本能寺の変。能勢頼次は明智光秀と以前から親しくしており、また信長によって兄が謀殺された経緯もあって、明智光秀に味方して兵500人を出すが、明智は秀吉に敗れ、秀吉軍はさらに能勢にも攻め込み、神社仏閣に至るまでことごとく焼き払った。頼次はいさぎよく戦いの花と散ろうと決心しますが、老臣たちに諭されて、数名の家来を連れて備前の国岡山の城下へ落ち延びていく。 頼次は名前を三宅助十郎と . . . 本文を読む

笠形神社拝殿

2012年11月17日 20時29分35秒 | 中井一門
中井一門カテゴリー作成してしまいました!! すごいとしか言いようなし。 一刀彫・継げ木なし。 ここまで彫るか!どうや!と言わんばかり。 正面はもちろん裏面もすごい!! 社寺彫刻のまさしく美ですね。 若林純氏著 「社寺の装飾彫刻」にも掲載されてます。 「うーん」と唸るしかない!! 推定彫刻師 中井丈五郎正忠 この部分(拝殿)見える範囲に銘ないんですね。 . . . 本文を読む

平家物語 鵺・彫刻編 その六

2012年11月16日 20時10分52秒 | 平家物語 鵺
鵺退治二回目 現代語訳つづき 應保の頃(1161年~1163年)、二条院が天皇だった時、鵺という化鳥が禁中で鳴き、しばしば、二条天皇を悩ませたことがありました。その時も、先例に習い、頼政が呼ばれました。 時季は5月20日ほど、まだ宵の時間に一声鳴いただけで、2声目はありませんでした。目当てにする物もない闇で、姿形も見えないので、矢の狙いを定めることができませんでした。 そこで、頼政は、まず大 . . . 本文を読む