川面東ネタちょと一服しますね。(笑)
神社やその他にて保存されている地車レポートを少し。
御机神社(みつくえ)は、四条畷市南野、四条畷神社の北方にあります。至道中は坂も多く道幅狭いです。
この地域は、北河内型の大型地車でこの神社には「滝」「木間」の地車があります。
このうち滝地車は、曳行されずに保存されていましたが、解体され神社境内に社として保存されてます。
記念碑には、滝用水の水株解消 . . . 本文を読む
後ろの車板の図柄は、源頼政・鵺(ぬえ)退治です。詳しくは、前回同様「川面の町に生まれて」参照してください。ですが、少々解説・頼政の鵺退治は2回とされてまして1回目がこの図柄かと。天皇を夜な夜な苦しめていた、魔物を弓の達人頼政が、家来の猪早太と共に退治する。2回目退治は、退治した程度の記述が残されてるだけ?のようなので、そうとらえてます。
向かって右が弓と松明(夜やから?)を持つ頼政。左が鵺にまた . . . 本文を読む
車板彫物図柄の物語は、玉藻の前(たまものまえ)・陰陽師、安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明とも言われてます。)が鳥羽上皇に仕える女官(玉藻前)が白面金毛九尾の狐であるとあばくところです。詳しくは、川面地車誌「川面の町に生まれて」ご覧ください。
何気なくみればなんとも感じない彫物かと、でも見れば見るほど細かいしあじがあります。なんせ誰もが自町の地車は日本一なので(笑)
まじまじ見るたびにええやんと思って . . . 本文を読む
地車屋根下枡合の下部・車板、枡合を支える横の梁を虹梁(こうりょう)と言います。
川面東大屋根(正面)虹梁には、牡丹が彫ってあります。なかなか味があり、何と表現したらいいのか、私は名人級と思ってます。
この彫が無かったら・・・・しまりがなくなるし、川面東のきれい?やさしい?彫物のイメージを出しているひとつのポイントやと思います。
実はこの彫少なくとも明治24年に加工もしくは、新調されてます。冒頭 . . . 本文を読む
勾欄彫物のほとんどの人物は、手に何かしら道具?物?を持っていたようです。残念ですが現存は、ほとんどしてません。
手に持っている物が現存している彫物は、3体分で漁師=網・漁師=オール? 海女=貝か玉?あともう1体不完全ですが、海女が左手にかご、右手に何か持っていた形跡の彫物(下画像)
各持ち物にも実は物語のヒントがあるのかもしれません。
この物語が解明されて、原作に絵図があり、何を手に持って . . . 本文を読む
勾欄彫パーツは、前後各4、左右各8の合計24個の彫で構成されてます。
物語の場所は、海中・海面・浜辺かと思います。
各彫物主役は、前回に挙げた「貝」=6 「海女」=8 「漁師」=6 「不明・海女か漁師かそれとも別人か」=3 武家いないと前回言いましたが、ひょとして武士?ちょんまげふんどし=1・合計24
画像の「ちょんまげふんどしさん」が物語の重要人物かもしれません。なんせ後姿ですのでなんとも . . . 本文を読む
だんじりの彫物の題材は、平家物語や太平記または、作者不明短編物語集室町時代から江戸時代に書かれた絵付物語=御伽草子がよく使われています。川面東勾欄彫りもその物語のひとつと思われますが、どの物語にあたるのか、わかりません。便宜的に漁師と海女となってますが、御伽草子が収められている室町時代物語の中には、それらしき物語はありません。と言うか、現代文に訳されていないものは、読めませんが。
題名の中に漁師も . . . 本文を読む
八多(はた)神社は、神戸市北区八多町下小名田にあります。
幼稚園(保育園)が併設されていますので、祭礼日には、たくさんのこどもたちと父兄が参加、見学されてます。
祭礼日は、10月16日に近い土曜日です。
祭礼山車ですが、太鼓改良と思いますが、太鼓台・担げない曳き山車です。社殿風と言うか、大屋根、前後に軒が出たような三枚屋根になってます。聞き取りしてませんが、製作年代古いと思います。
あと大型神 . . . 本文を読む
神戸市北区若宮神社・岡場地車
私が神社参り始めた頃は長い間曳行されていなかったのですが、近年復活されたみたいです。
大阪型と言われる分類ですかね。見送り三枚板ですが、泥まく・台八に彫物ありません。比較的彫物も少なめです。
宮入は同じ有野町にある有間神社にします。元来若宮神社が有間神社の分社のようで地区曳行範囲が半端じゃありません。
有馬街道ここで言う有馬道は神戸から三田に抜ける県道15号線で . . . 本文を読む