ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

柏原八幡宮

2015年05月13日 10時09分34秒 | 中井一門
丹波市柏原町柏原 八幡神社 八幡神社は万寿元年(1024)京都の石清水八幡宮を勧請し柏原別宮として創建され誉田別命・息長足姫命・姫三柱之命を祀っている。 創建当時の社殿は南北朝時代の貞和元年(1345)兵乱で焼失し、間もなく再建されたが、天正7年(1579)織田信長の丹波攻めの将・明智光秀軍の兵火で再び焼失した。後に羽柴秀吉が当時の黒井城主堀尾茂助吉晴に奉行を命じて3年の工期を経て天正13年( . . . 本文を読む

岩戸神社

2015年04月12日 20時29分00秒 | 中井一門
神崎郡市川町上牛尾 岩戸神社 神社境内には、高さ、幅共に15mほどの大岩石が神殿にせまり、拝殿の右方より高さ7,8mあまりの岩が屏風のように立ち、あたかも天の岩戸を建てたよう。 拝殿の下には岩戸川の渓流が流れ、周囲の岩は苔むし、樹齢数百年の老木が生い繁り、その様は静閑で神秘的。 神社は、正中元年(1324年)後醍醐天皇の時代に当時寺谷にあった福泉寺境内から現在地に移されたもので、延宝2年(16 . . . 本文を読む

笠形神社 (中宮)

2015年03月18日 17時41分41秒 | 中井一門
神崎郡市川町上牛尾 笠形神社 中宮 2社 拝殿側 中宮 三間二面 春日造 銅板葺 祭神 須佐男之大神、大年神、迩々芸命。 中井権次橘正貞、久須真助正美、中井清次良正用 社としては、一番新しいか? 本殿側の中宮年代不詳。 拝殿・本殿(次回アップ予定)よりは、新しい。(彫刻から) 丈五郎 長男正貞 三男正用 久須善兵衛の息子?正美合作 誰がどこ彫ったかわからんよ。 . . . 本文を読む

笠形神社 (拝殿)

2015年03月07日 21時00分14秒 | 中井一門
神崎郡市川町上牛尾 笠形神社 約1300年前、孝徳天皇の時代に創建されたと伝わる。 祭神 大奈牟知命 磐戸別大神 須佐男之大神 大年神 迩々芸命 他 瀬戸内海航行の護りとして崇敬をうけ、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、徳川家康が肥前より帰港の途中、従臣を代参させたといわれる。 享保年代(1716年~1735年)には、村の鳥居屋敷から神社まで一丁地蔵が並び、笠形寺の鐘楼、蔵王堂が建立再建。 本堂の観音 . . . 本文を読む

藤田木梨神社

2014年06月13日 20時34分33秒 | 中井一門
加東市藤田 木梨神社(こなし) 10代崇神天皇の時、物部八十手がこの地に、八十枉津日神を祀りのち、将軍彦坐命が丹波の賊を征伐した時、当地において神託があり神社を創建されたといわれている。 また、木梨軽太子が神前に幣帛を捧げられた因縁から、社号を木梨神社と呼ぶようになったといわれている。 60代醍醐天皇(平安時代)の時、将軍多田満仲公がこの里に大池(多田池)を築造され、同時に満仲公によって再建さ . . . 本文を読む

高蔵寺

2014年05月18日 20時53分43秒 | 中井一門
篠山市高倉  天台宗 宝橋山 宝蔵寺 人皇三十六代孝徳天皇の御宇大化二年(646)播磨国法華山を創してこの地を訪れた法道仙人が、黒頭峰の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架橋を見て宝橋山と号したことに始まる。 往昔、堂之尾と呼ばれる山の中腹には、七堂伽藍、二十一ヶ坊の堂宇を誇ったが天正年中明智軍の兵火に遭い、焼失した。 その時氷上郡袖津村の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存の本尊十一面観世音(秘佛 . . . 本文を読む

栢野・一宮神社 ~丹波市神社~

2013年12月20日 21時12分47秒 | 中井一門
丹波市春日町栢野 一宮神社 あらためて丹波の地の社寺彫刻はほぼ中井一門の彫刻が占めますね。 中井以外の彫刻を探すほうが難しいぐらいです。 ここ栢野一宮神社には、社殿の横に大きな岩があり 岩神の神社 彫刻 銘なしも中井権次橘正貞  脇障子は息子正次かも? . . . 本文を読む

若林大歳神社 ~丹波市神社~

2013年12月06日 20時55分32秒 | 中井一門
丹波市山南町若林 大歳神社 境内には、4つの社があるが、彫刻は、すべて中井一門の作である。 特に本社・大歳社は、中井青龍軒の刻銘があり、中井一門の大作のひとつにあげられる。 築造詳細は未確認であるが中井5代丈五郎正忠が棟梁の時代と推測 隣村・和田狭宮神社 大坂・中川利兵衛の彫刻を意識したのか? 丈五郎正忠他中井一門の力の要れようを感じる。 . . . 本文を読む

山南町 若林曳山

2013年12月04日 21時15分58秒 | 中井一門
丹波市山南町若林 大歳神社 若林地区曳山 長らく曳行を中断されていましたが、数年まえより 若林自治会により修理曳行されています。 丹波氷上地区・祭礼山車の主流は、布団太鼓や屋台太鼓であるのに対し この若林地区の祭礼山車の形態はめずらしい。 一つ屋根の地車形態である。地元では、曳山。 築造 蔵内墨書より 明治12年卯9月新造 大工 久下嘉七 久下伊兵衛 (久下地区池谷村) 堀物 . . . 本文を読む