半田赤レンガ建物では、美味しいビールを頂くことが出来ました。
もともと、この赤レンガの建物は、1898年(M31)に
カブトビールの製造工場として建てられました。
もともと、この赤レンガの建物は、1898年(M31)に
カブトビールの製造工場として建てられました。
当時、現在の大手ビールメーカーが現れて来たころ。
工場の出来る10年前、1889年に、
ミツカン創業者の4代目、中埜又左衛門と敷島製パン創業者の森田善平らによって、
「丸三ビール」と名付けられたビールが、半田から初出荷されたのが、
後のカブトビールになります。
東海地方を襲った、いくつかの大きな地震にも耐えてきました。
先の大戦での、機銃掃射の跡がなまなましく残っています。
この素晴らしい建物を設計したのは、
基本設計は、ドイツのゲルマニア機械製作所で、
実施設計は、あの妻木頼黄(つまきよりなか)氏です。
同じ赤レンガ建築として、横浜の赤レンガ倉庫、
そして、私の大好きな、現神奈川県立博物館の設計も行っています。
ビール工場として建てられた、この半田赤レンガ建物は、安定した温度や湿度を保つため、
現在では見られない、中空構造を持つ腹壁や多重アーチ床など、
特徴のある構造で、貴重な遺構です。
日本で5本の指に入る規模だそうです。
現在も大手企業として名を知られる、ミツカンと敷島製パン、
半田の起業家たちが本格ドイツビールを作るため財力と最先端技術を導入したのですね。
ビール工場の遺構は、現存数がとても少なく、とても貴重です。
2004年(H16)に国の登録有形文化財として登録され、
2009年(H21)には、近代産業遺産に指定されました。
2004年(H16)に国の登録有形文化財として登録され、
2009年(H21)には、近代産業遺産に指定されました。
内部には、ビアホールや、売店,そして、長い歴史を知ることが出来る展示室があります。
展示室、なかなか面白かったです。
2015年(H27)に全面的に改修工事が終わった後、常時公開されるようになったそうです。
昔は、下の写真のように、ハーフティンバー構造の横の部分は、
手前に大きく建物が伸びていました。
(画像は公式サイトよりお借りしています)
手前に大きく建物が伸びていました。
(画像は公式サイトよりお借りしています)
日本食品化工という、コーンスターチを作った会社が、
ガンガン解体を始めたんだそうです
それを見た市民が反対運動をおこし、この貴重な赤レンガ建物を残してくれたのです。
なんでも古いものを残して、とは言えませんが、
その価値を見極めずに、自分たちの会社のために安易に解体しようとするなんて。。。
ここ以外にもあるんですよね。
本当にもったいないな・・・
道路側に出て、歩道橋から覗いて撮ってみました
半田市民に寄って守られ、今も愛されている赤レンガ建物。
久しぶりに、いいパワー、エネルギーを頂きました