心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №1231

2015-04-30 21:20:10 | Weblog
 『誘惑と責任ある選択の力学』より
もしあなたが、自分自身を分裂したパーソナリティーとして
認識していなかったとしたら、つまり、自分の一部がたとえば
怒りに満ちているということに気づいていなかったとしたら、
そのときあなたは、自分自身の怒りに満ちたその一部を
無意識のうちに表現することになるだろう。
ケンカを始めるか、足早に立ち去るか、嘲笑をぶつけるか、
あるいはそのほかの方法で、その怒りを表現することになる。
そのようにして、あなたの怒りがあなたのプライベートな
エネルギー圏からあふれ出して周囲の人々の集合エネルギーのなかへと
流れ込んだ瞬間に、新しいネガティブなカルマがつくられる。
すぐにあなたは、自分自身の怒りのさまざまな結果に遭遇するだろう。
カルマと同質結集の法則にしたがい、それらはあなたのところに戻ってくる。
これは、恐れにしたがうネガティブな感情のすべてに関していえることである。
恐れの背後には無力感がある。内側の虚しい場所をパワーで満たそうとして、
外側にパワーを求めるという作業を続けていくうちに、
あなたは、いくらそんなことをしても、その場所をパワーで
満たすことなど不可能である、ということを徐々に学んでいく。
そして、運がよければ今回の人生のなかで、あるいは、
もしかしたら千回後の人生のなかでかもしれないが、
いずれにしても最終的には、真のパワーに行き着くことになる。
これは無意識の学習法である。無意識に選択される行動の結果と、
その結果に対する無意識の反応がつくり出す結果を通じてなされる学習である。
いっぽう、もしあなたが、自分自身の分裂した状態に気づいているとしたら、
たとえば、自分の腹を立てて復讐を誓っている側面ばかりでなく、
理解と思いやりに満ちた側面にも気づいているとしたら、話はちがってくる。
そのときあなたは、自分のシステム内を流れている怒りのエネルギーと
同調することで手にすることになるさまざまな体験を、前もって知ることができる。
さらには、それらの体験が手にするに値するものなのかを、前もって判断することもできる。
そのときあなたは、未来に目をやり、自分がその瞬間の怒りを表現することによって、
自分と周囲の人々にどのような影響が及ぶことになるかを知ることができる。
そしてもちろん、理解と思いやりを表現することの結果も、同じように知ることができる。
意識的でないパーソナリティー、不注意なパーソナリティーは、
自分の怒りに直面しているとき、思いやりと理解を優先したいと
考えている自分の側面が存在することに気づいていない。
しかし、もしもその瞬間に明瞭に思いをめぐらすことが
できたならば、そのことを速やかに認識できる。
ある側面は、怒りを表現することで生じる孤独感や
疎外感に苦しみたくないと考えているかもしれないし、
別のある側面は、怒りや恐れ、嫉妬などとともに生きている人たちには
手にできない、人々との、深くて質の高い温かな交流を求めているかもしれない。』
№1232につづく

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