ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

血尿に凍りつく

2011年04月08日 | 日記
血尿に凍りつく

 1994年の4月、私は47才になっていましたが、先の妻のお葬式を出してから5年経って、東京近郊の支店から赤坂の東京支社へ異動になりました。仕事は物流部での物流費の管理でしたが、いきなり営業から畑違いの物流部への異動でしたので当面は物流部の物流に関する契約書の整理等をやっていました。

 異変は5月に起こりました。ある日血尿のようなものが出て、続いて血尿も出たのです。当時はプロ野球の東京読売ジャイアンツの牧野ヘッドコーチが膀胱癌か前立腺癌に罹って血尿を出し、1年もしないうちに亡くなったというニュースも有ったので、私も「あと1年足らずの命か」と大変なショックを受けました。また、先の妻が亡くなってから、「自分も近いうちにあの世に行くのだろう」と言う漠然とした気持ちも有ったので、「来るべきものが来たのか」と言う思いにもなったものです。

 血尿が何度も続くので、私は会社の健康管理室で先生に面会の予約を取りました。会社では月に1度JTD医院の先生の巡回相談が有ったので、それを申し込んだのです。K先生との面会は6月1日(水)になりました。看護婦さんには席を外してもらって、K先生に事の次第をお話ししますと先生は京橋に有るJ医会クリニックの予約を取ってくれました。6月8日(水)の午後、J医会クリニックで腎臓のレントゲン検査を受け、翌々日の6月10日(金)にはK先生とJ医会クリニックでお会いしました。先生の説明では腎臓には異常が無いそうです。先生は御茶ノ水にあるJTD医院の泌尿器科に行くように言われ、紹介状とJ医会クリニックで撮ったレントゲン写真を渡してくれました。

 6月15日(水)の朝、会社が始まる前の8時半にJTD医院へ行って初診の受付をしてもらい、会社では午後休を取ってお昼からJTD医院へ行きました。私の担当はH教授に決まり、尿道の造影検査をしましょうという事になり、検査は6月20日(月)の午前中に受けました。

 造影検査でもはっきりした事は分からず、今度は骨盤のあたりのCT検査をやりましょうとなって、CT検査は7月1日(金)の午前中に受けました。そして7月8日(金)の午後にはエコーの検査も受けました。検査の後H教授は私のお尻に右腕を突っ込み、触診をします。まったく何て事をするんだ。

 H教授の診察結果は7月13日(水)に出ました。前立腺の中に石が7、8個有るのだそうです。私が「それをどうするのですか」と聞きますとH教授は「どうにもしません、放っておきます」と言われました。教授のお話では、前立腺の石は、例えて言えば痔のようなもので、おとなしい時にはおとなしいけれど暴れる時には暴れるのだそうです。そして前立腺に石が有る人でも一生それに気付かずに人生を終える人は結構いるのだそうです。

 一時は余命1年足らずかと凍り付いてしまった私でしたが、思わぬ結果で難局を乗り越えました。

 しかし総合病院とは恐ろしい所です。JTD医院を受診する日は、私は会社の始まる前の8時半には泌尿器科で受付を済ませて会社へ出社しました。そして午後1時には泌尿器科に入るのですが、泌尿器科の患者さん達は診察時間が長いのです。結局私の番が回って来るのはいつも午後5時くらいでした。

 後日、私はH教授に面会してパイプカットをお願いしてみました。そろそろ再婚も考えたいし、その為には避妊も考えた方が良いと思ったからです。H教授は「お付き合いなさっている方がおられるのですか」と聞かれました。「いえ、それはまだなんですが」と私が答えますと教授は「いたずらに体を傷つけるのは良くありませんよ。それに、そのうち衰えますから」と言われました。

 「そのうち衰えますから」はこたえました。



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事故原発のこれから

2011年04月05日 | 日記
事故原発のこれから

 テレビでは事故を起こした原子力発電所のニュースを毎日流していますが、事態が刻々と変化する為に事故原発の現状を報道するのに精一杯で、事故原発を今後どのように沈静化させていくのかを教えてくれません。3月28日(月)発売の週刊ポスト4月8日号で大前研一が事故原発の今後の推移について説明していますので御紹介しましょう。

 大前研一は4つの段階が有ると言います。第1段階として、今後最低5年間は原子炉と貯蔵プールに有る使用済み燃料を冷やし続けなければならない。核燃料は原子炉が停止しても10年以上に渡って崩壊熱(放射性物質が崩壊して放射線を出す際に発生する熱)を出し続ける。また定期点検の為に停止していた4号機では、貯蔵プールに入っていた使用済み燃料の熱でプールの水が沸騰して水素爆発が起きた。使用済み燃料は冷温停止して原子炉から取り出しているにもかかわらず、まだそれだけの熱を出している。

 本来なら、プールで冷やされた使用済み燃料は青森県むつ市の中間貯蔵施設に移して10年程保管した後、同県六ヶ所村の再処理施設でプルトニウムとウランを取り出し、プルサーマルのMOX燃料にして再利用する事になっている。それが「核燃料サイクル」なのだが、中間貯蔵施設を受け入れてくれる自治体が見つからなかった為、使用済み燃料を原子炉建屋の5階に作った貯蔵プールで「一時的に」保管していた。福島第1原発では、原子炉に有る燃料集合体の移動が可能になるまで冷却を続けなければならない。その為には恒久的な冷却システムの構築が不可欠である。

 第2段階では、定温に落ち着いてきた時、放射性物質の飛散防止の為に全体を覆うテントを掛ける。

 5年後の第3段階は、使用済み燃料の搬出である。これは更に難しい。圧力容器の蓋を開けるには特殊な装置を用いて、手動でボルトを外さなくてはならない。また、クレーンを新たに取り付ける工事が必要となる。

 更に、たとえ使用済み燃料を無事に取り出せた場合でも、炉心や貯蔵プールの底に沈殿する燃料クズを掃除しなければならない。と言うのも、燃料クズもまだ崩壊熱を持っている為、熱に弱いコンクリートで固めても、その後に溶けて集まる恐れが有るからだ。

 何日か前に被災地の、ある町長さんが「政府は何故原子炉をコンクリートで固めないのか」と怒っていましたが、私も同じ疑問を持ったものです。こういった事は政府がきちんと説明するべきですね。コンクリートで固めると、かえって始末が悪くなるのだと私はやっと知りました。

 第4段階は、炉心冷却の為に注入された水を、最終的には放射性を帯びた状態でどこかに排出しなければならない。

 そもそも日本政府は、原子力産業を推進すると言っておきながら、民間企業の電力会社に全ての責任を押し付けてきた。その結果、1か所に6基も原子炉が集中し、使用済み燃料の貯蔵プールが同居した事で、前代未聞の大事故を招いてしまった。

 目から鱗(うろこ)ですね。

 お話は変わるのですが、私はこれまで原子力発電は大変デジタルなものだとばかり思っていました。ところが日々のテレビニュースを見ていますと、これは相当アナログな装置です。火力発電では石炭や石油を燃やしてお湯を沸かし、高圧の水蒸気でタービンを回して発電するのですが、原子力発電の仕組みは火力発電の仕組みと基本的には同じで、放射性物質の核分裂で発生する熱を利用してお湯を沸かし、高圧の水蒸気でタービンを回して発電するという、熱源が違うだけの装置だったのですね。

 蒸気機関車やヤカンの蓋の理屈をそのまま原子力発電で使っているとは、迂闊にもこれまで知りませんでした。





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首都圏担当大臣

2011年04月01日 | 日記
首都圏担当大臣

 此度の東北関東大震災はとんでもなく規模の大きい災害です。日本の太平洋側で南北500km、東西200kmに渡って大地震が発生し、続いて私達の想像を絶する大津波が発生したのですから、これまで私達が経験していた「点」の震災ではなく「面」の震災が起こったことになります。被災地が余りに広域に渡るので、これは地方自治体で対応するには無理が有ります。ですからここは政府が前面に立って対応に当たるべきなのですが、その対応は大きく3つ挙げられると思います。ひとつは当然の事として被災者の救援、そして救援が一段落したら被災地の復興です。そして次には福島県の原子力発電所の事故への対応です。原子力発電所が私達の想像をはるかに超えた打撃を受けていますので、これも政府が前面に立って事故の沈静化を図ると同時に事故の情報を私達国民はもとより世界中に伝える必要が有ります。そして3番目は首都圏の機能の保全です。日本の人口の半分が東京圏、名古屋圏、大阪圏に集中している事を思えば、首都圏の機能の保全は何としても確保する必要が有ります。首都圏の機能の崩壊は日本の崩壊を意味します。ところが政府は今のところ被災者の救援と原子力発電所の事故への対応に心を奪われてしまって、首都圏の機能の保全に対しては気が回っていないように思えます。

 3月14日(月)の朝、つまり東京電力の計画停電が始まった日の朝、私はテレビニュースを見て震撼しました。首都圏の通勤電車がほとんど機能しておらず、通勤のサラリーマンやOL達が最寄り駅で大行列を作っていたのです。計画停電は1日や2日で終わるものでは無いでしょう。向こう1年や2年は覚悟しなければならないのは誰にでも分かる事です。首都圏の労働者達はこれから向こう1年以上、こんな思いをしなければならないのか。計画停電と言っても通勤電車は普通に動くものだと私は思っていました。この前日に東京電力から計画停電の提案を受けた政府はこんな事も想像出来なかったのでしょうか。日本の政府には余りにも想像力が有りません。

 3月23日(火)の午後、私の妻は近所のスーパーへ買い物に行っていました。そこに東京都知事の発表が有りました。東京都葛飾区の金町浄水場の水から1才未満の乳児の基準を超える放射性物質が検出されたので1才未満の乳児には水道水を摂取させないようにとの内容でした。

 あとで家に戻った妻の話では、当初スーパーは空いていたそうです。そうすると突然おばさん達がスーパーになだれ込んで来て2Lの水のボトルの奪い合いを始めました。2Lのボトルはすぐに無くなり、おばさん達は次に500mlのボトルを沢山抱えてレジに並びました。あるレジではおばさんをそのまま通過させましたが他のレジでは「お1人様1本だけです」と言っておばさん達ともめ始めました。おばさん達は「他のレジでは売っている」と主張したり「店員に何本でも良いと言われた」と頑張ります。いよいよ男性の店員がやって来て「お1人様1本だけです」と説得しておばさん達から取り上げたボトルを棚に戻しますと、再びおばさん達の襲撃が始まったと言います。

 東京都知事の発表を聞いた私は「うちには乳児は居ないし、慌てる事は無い」と考え、むしろ東京よりも福島原発に近い茨城県や千葉県の浄水場で放射性物質が何故検出されないのかと不思議に思いました。そして案の定、翌日には茨城県や千葉県で乳児の基準を超える放射性物質が検出され、それは4日間位続いたようです。一方東京の浄水場の放射性物質はその1日だけで治まりました。

 妻がスーパーから戻った翌日、私達はスーパーの食品売り場を覗いてみました。照明を落として薄暗い食品売り場には「私達は生き延びる、赤ちゃんが死ぬのは知った事では無い」という想念が今だに充満していました。私は「気色が悪いから早くお店を出よう」と妻を促し、私達はスーパーを出ました。

 民主党政府はこの災害時に当たって大臣を3人程増やすそうですが、省エネ大臣や節電大臣等は不要だと私は思います。そういった事は既存の大臣達が手分けしてやれば済む事です。それよりも必要なのは首都圏担当大臣だと私は思います。計画停電時の通勤電車についての不手際は首都圏担当大臣が居れば防げた筈です。また乳児の基準を超えた放射性物質について、各都県が同じタイミングや同じ発表基準では動いてはいないように思われます。東京都知事は東京の面倒は見ますが茨城県や千葉県の面倒は見ません。一方で首都圏には埼玉都民や千葉都民という言葉が有るように東京都と首都圏とは一体なのです。首都圏担当大臣が1都6県(8県でも良いでしょう)の放射性物質の情報を同時に発表し、「乳児の為に小売店では18時までは乳児を抱いた、あるいは母子手帳を持った母親だけに水を販売し、一般の方には18時以降にお願いします」と言えば、あのハゲタカおばさん達を防ぐ事も出来る事でしょう。

 日本という国をバックアップする為には首都圏担当大臣を置く事が今は必要だと私は苛立っています。



コメント (5)
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