血尿に凍りつく
1994年の4月、私は47才になっていましたが、先の妻のお葬式を出してから5年経って、東京近郊の支店から赤坂の東京支社へ異動になりました。仕事は物流部での物流費の管理でしたが、いきなり営業から畑違いの物流部への異動でしたので当面は物流部の物流に関する契約書の整理等をやっていました。
異変は5月に起こりました。ある日血尿のようなものが出て、続いて血尿も出たのです。当時はプロ野球の東京読売ジャイアンツの牧野ヘッドコーチが膀胱癌か前立腺癌に罹って血尿を出し、1年もしないうちに亡くなったというニュースも有ったので、私も「あと1年足らずの命か」と大変なショックを受けました。また、先の妻が亡くなってから、「自分も近いうちにあの世に行くのだろう」と言う漠然とした気持ちも有ったので、「来るべきものが来たのか」と言う思いにもなったものです。
血尿が何度も続くので、私は会社の健康管理室で先生に面会の予約を取りました。会社では月に1度JTD医院の先生の巡回相談が有ったので、それを申し込んだのです。K先生との面会は6月1日(水)になりました。看護婦さんには席を外してもらって、K先生に事の次第をお話ししますと先生は京橋に有るJ医会クリニックの予約を取ってくれました。6月8日(水)の午後、J医会クリニックで腎臓のレントゲン検査を受け、翌々日の6月10日(金)にはK先生とJ医会クリニックでお会いしました。先生の説明では腎臓には異常が無いそうです。先生は御茶ノ水にあるJTD医院の泌尿器科に行くように言われ、紹介状とJ医会クリニックで撮ったレントゲン写真を渡してくれました。
6月15日(水)の朝、会社が始まる前の8時半にJTD医院へ行って初診の受付をしてもらい、会社では午後休を取ってお昼からJTD医院へ行きました。私の担当はH教授に決まり、尿道の造影検査をしましょうという事になり、検査は6月20日(月)の午前中に受けました。
造影検査でもはっきりした事は分からず、今度は骨盤のあたりのCT検査をやりましょうとなって、CT検査は7月1日(金)の午前中に受けました。そして7月8日(金)の午後にはエコーの検査も受けました。検査の後H教授は私のお尻に右腕を突っ込み、触診をします。まったく何て事をするんだ。
H教授の診察結果は7月13日(水)に出ました。前立腺の中に石が7、8個有るのだそうです。私が「それをどうするのですか」と聞きますとH教授は「どうにもしません、放っておきます」と言われました。教授のお話では、前立腺の石は、例えて言えば痔のようなもので、おとなしい時にはおとなしいけれど暴れる時には暴れるのだそうです。そして前立腺に石が有る人でも一生それに気付かずに人生を終える人は結構いるのだそうです。
一時は余命1年足らずかと凍り付いてしまった私でしたが、思わぬ結果で難局を乗り越えました。
しかし総合病院とは恐ろしい所です。JTD医院を受診する日は、私は会社の始まる前の8時半には泌尿器科で受付を済ませて会社へ出社しました。そして午後1時には泌尿器科に入るのですが、泌尿器科の患者さん達は診察時間が長いのです。結局私の番が回って来るのはいつも午後5時くらいでした。
後日、私はH教授に面会してパイプカットをお願いしてみました。そろそろ再婚も考えたいし、その為には避妊も考えた方が良いと思ったからです。H教授は「お付き合いなさっている方がおられるのですか」と聞かれました。「いえ、それはまだなんですが」と私が答えますと教授は「いたずらに体を傷つけるのは良くありませんよ。それに、そのうち衰えますから」と言われました。
「そのうち衰えますから」はこたえました。
1994年の4月、私は47才になっていましたが、先の妻のお葬式を出してから5年経って、東京近郊の支店から赤坂の東京支社へ異動になりました。仕事は物流部での物流費の管理でしたが、いきなり営業から畑違いの物流部への異動でしたので当面は物流部の物流に関する契約書の整理等をやっていました。
異変は5月に起こりました。ある日血尿のようなものが出て、続いて血尿も出たのです。当時はプロ野球の東京読売ジャイアンツの牧野ヘッドコーチが膀胱癌か前立腺癌に罹って血尿を出し、1年もしないうちに亡くなったというニュースも有ったので、私も「あと1年足らずの命か」と大変なショックを受けました。また、先の妻が亡くなってから、「自分も近いうちにあの世に行くのだろう」と言う漠然とした気持ちも有ったので、「来るべきものが来たのか」と言う思いにもなったものです。
血尿が何度も続くので、私は会社の健康管理室で先生に面会の予約を取りました。会社では月に1度JTD医院の先生の巡回相談が有ったので、それを申し込んだのです。K先生との面会は6月1日(水)になりました。看護婦さんには席を外してもらって、K先生に事の次第をお話ししますと先生は京橋に有るJ医会クリニックの予約を取ってくれました。6月8日(水)の午後、J医会クリニックで腎臓のレントゲン検査を受け、翌々日の6月10日(金)にはK先生とJ医会クリニックでお会いしました。先生の説明では腎臓には異常が無いそうです。先生は御茶ノ水にあるJTD医院の泌尿器科に行くように言われ、紹介状とJ医会クリニックで撮ったレントゲン写真を渡してくれました。
6月15日(水)の朝、会社が始まる前の8時半にJTD医院へ行って初診の受付をしてもらい、会社では午後休を取ってお昼からJTD医院へ行きました。私の担当はH教授に決まり、尿道の造影検査をしましょうという事になり、検査は6月20日(月)の午前中に受けました。
造影検査でもはっきりした事は分からず、今度は骨盤のあたりのCT検査をやりましょうとなって、CT検査は7月1日(金)の午前中に受けました。そして7月8日(金)の午後にはエコーの検査も受けました。検査の後H教授は私のお尻に右腕を突っ込み、触診をします。まったく何て事をするんだ。
H教授の診察結果は7月13日(水)に出ました。前立腺の中に石が7、8個有るのだそうです。私が「それをどうするのですか」と聞きますとH教授は「どうにもしません、放っておきます」と言われました。教授のお話では、前立腺の石は、例えて言えば痔のようなもので、おとなしい時にはおとなしいけれど暴れる時には暴れるのだそうです。そして前立腺に石が有る人でも一生それに気付かずに人生を終える人は結構いるのだそうです。
一時は余命1年足らずかと凍り付いてしまった私でしたが、思わぬ結果で難局を乗り越えました。
しかし総合病院とは恐ろしい所です。JTD医院を受診する日は、私は会社の始まる前の8時半には泌尿器科で受付を済ませて会社へ出社しました。そして午後1時には泌尿器科に入るのですが、泌尿器科の患者さん達は診察時間が長いのです。結局私の番が回って来るのはいつも午後5時くらいでした。
後日、私はH教授に面会してパイプカットをお願いしてみました。そろそろ再婚も考えたいし、その為には避妊も考えた方が良いと思ったからです。H教授は「お付き合いなさっている方がおられるのですか」と聞かれました。「いえ、それはまだなんですが」と私が答えますと教授は「いたずらに体を傷つけるのは良くありませんよ。それに、そのうち衰えますから」と言われました。
「そのうち衰えますから」はこたえました。