ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

目が変 その1

2011年04月15日 | 日記
目が変 その1

 2004年8月8日(日)、私が57才の時でした。夕方になって2階に上がり休日の習慣にしている健康足踏み機を適当な時間踏んだ後、1階のリビングに下りて冷やしておいたビールをグラスに注いで一口飲んだその時、突然左の目に違和感を覚えました。パチッと音がした訳ではありませんが、丁度そんな感じです。左の目に透明なプラスティックのカップを被せたような違和感で、それはしばらく経っても消えません。たまたま翌日の月曜日は夏休みを取っていたので私は月曜日一杯様子を見る事にしましたが、結局月曜日の夜になっても違和感は回復せず、明日は目医者へ行こうと決めました。

 8月10日(火)の朝、会社へ向かう為に四ッ谷駅を出る時に駅の広告看板を見ると、駅の近くにまさご眼科と言うクリニックの有る事が分かりました。休み明けの仕事を一通り処理して早速私はまさご眼科へ向かいました。女医先生に違和感の起こったいきさつや違和感の内容を伝え、女医先生は視力検査や視野の検査をしてくれましたが先生は「お話を聞けば聞く程色々な可能性が浮かんで来るので診断が下せない」と言います。紹介状を書くのでどこか総合病院で診てもらって下さいと言われ、私は御茶ノ水に有るJTD医院にして下さいとお願いしました。健康相談を始め私の会社とJTD医院とは関係が深かったからです。夕方会社に戻った私は上司に事の次第を話し、翌8月11日(水)に会社を休んでJTD医院へ行く事にしました。左目の違和感はひどく、自分の席へ戻るのに私は何人かの椅子の背もたれにぶつかる始末でした。

 8月11日(水)の朝JTD医院で受付を済ませ、エレベーターで眼科へ向かい、担当の先生に紹介状を渡して事の次第をお話ししますと目の検査が始まりました。視力検査の後、色々な色彩の絵の中に有る点と点とを鉛筆で繋いで下さいと看護婦さんに言われ、何だか幼稚園の園児になったような気分で適当に線を引いていると「ちゃんと真面目にやって下さいね」と看護婦さんに怒られてしまいました。午後からは目のあたりのMRI検査を受け、先生から次は明日の朝来て下さいと言われます。

 8月12日(木)の朝、会社には午前休を取ってJTD医院へ行きますと昨日とは別の先生が担当でした。先生は「脳の検査もしておきましょう」と言って脳内科のMRI検査の予約を取ってくれます。検査は8月18日(水)の17:00と決まりました。先生は「これは教授に担当してもらった方が良いな、うん、教授に担当してもらおう」と言い、私には「明日の午後、M教授の診察を受けて下さい」と告げました。「明日もまた会社を休むのか」と言う不満と「教授に診てもらう程に自分の症状は難しいのか」と言う不安が私を襲いました。

 8月13日(金)、私は会社で午後休を取り昼食もそこそこにJTD医院へ向かいました。真っ暗な診察室には双眼鏡のような装置があって、M教授は私の目の中を丹念に調べた後部屋を明るくして私に説明をしてくれました。私の症状は視神経乳頭炎と言うのだそうです。目で集めた情報は目の奥に集められてそれが脳に伝えられるのですが、脳から伸びた神経を視神経と言い、視神経が目の奥に接触する部分を視神経乳頭と呼ぶのだそうです。そして私の場合、その視神経乳頭から出血をしていました。この症状の患者は日に日に視力が落ちて行き1週間足らずで失明に至る事も有るのだそうですが、幸い私の場合は出血が1度だけでその後は出血しておらず、初診から3日経っても私の視力は落ちていないと言われました。この症状はくしゃみをしたはずみやトイレでいきんだ事でも起こるのだそうです。先生の治療方針は服薬での経過観察でした。診察が終わって会計を済ませ、薬局で出された薬は赤い色のビタミン剤でした。有効な薬は無いのでしょうか。治療方針を聞いた時に私はM教授に日常生活で注意する事が有るのか訊ねて見ました。M教授は煙草はいけません、煙草は血管を細くしますからと言われました。私は「言われもしないのに余計な事を聞いてしまった」と後悔しました。1日に10本程の喫煙習慣が 有ったからです。

 8月18日(水)、会社で午後休を取ってJTD医院へ行きました。眼科では視力検査の他に視野の検査もしました。視野の検査には随分時間が掛かりました。真っ暗なプラネタリウムのような機械を覗き込み、どこかで光が点灯すると「はい」と答えるのですが、30分以上は機械を覗いていたような気がします。眼科のあとは脳内科でのMRI検査です。17:00に脳内科に行き、MRI検査は40分位掛かりました。検査が終わってエレベーターで1階へ降りると会計の窓口はがらんとしていました。ほとんどの外来診療がもう終わっているようでした。この日は受診料が高く、3万円か4万円支払った記憶が有ります。

 8月21日(土)の午前9時にJTD医院の眼科へ行きました。M教授は私の左眼の視野の1部が欠落していると説明してくれました。左眼の瞳孔を基点に、時計で言うと8時の方向に丁度鉛筆を置いたように視野が欠落しているのだそうです。実際には欠落した視野を目がカバーしますので見えない所は有りません。しかし、ビタミン剤の服用だけでこの症状が治るのでしょうか。

 8月26日(木)、会社で午前休を取ってJTD医院の脳内科へ行きました。このあいだのMRI検査の結果を聞く為です。私の視神経乳頭炎が脳のあちこちの部位で起こっている異変の1部なのではないかとの眼科の疑いによる検査でした。結果は、多発性梗塞等は発症しておらず、症状は目だけのものだと分かりました。ここまで検査してもらえると本当に安心です。

 9月8日からは診察が1ヶ月おきになって10月6日、11月10日と受診すると診察は3ヶ月おきになって年が変わり2005年になりました。2月16日、5月11日、8月10日と受診しますと、次は6ヶ月後に来て下さいと言われます。来年の2月に予約して下さいと言われた私はすぐにはピンと来ず、指折り数えて見ますと確かに8月の6ヵ月後は来年の2月でした。「もう来なくても良いですよ、来ても同じ事ですよ」とやんわり言われているのだなと感じた私はそこで通院を止めました。

 通院が3ヶ月おきになった頃に私が「先生の御指示通りに治療を続けていれば失った視野は元に戻るのでしょうか」と質問しますとM教授は「失った視野は戻りませんが、失明しなかった事を感謝して下さい」と事も無げに言われました。冷たいけれど的確な言葉でした。

 左眼の違和感はほとんど消えていましたが左眼は少し重く、例えば鉄道のプラットホームに立ちますと私の左側に誰かが居ると感じて左を向くと誰も居ないといった感触は続いています。症状の再発を恐れて、散歩の度に右眼と左眼を交互に開けて確かに両眼とも見えていると確認する習慣もついてしまいました。

 さてここまで私は発症から受診、治療の過程をトントンと書いて来ましたが、実際には総合病院の受診は苦痛に満ちたものでした。エレベーターで眼科へ行って受付を済ませると自分の名前が呼ばれるまで1時間40分程待たされます。名前を呼ばれると目の検査を5分間程受けて再び待合室に戻ります。そして40分程待ってM教授の診察を受けるのですが受診時間は5分間位だったと思います。受診が終わると会計の紙をもらってエレベーターで1階へ下り、会計を済ますのに30分は待ちます。薬が出た時には会計のあと薬局で1時間20分位待って薬を受け取り、やっと病院から開放されるのです。これを1年間やったのですから堪りません。薬を出された時など、薬なんか要らないから早くこの病院から逃げ出したいと本当に思ったものです。

 それでも私はこの病院には感謝こそすれ恨みがましく思った事は有りません。何故ならば患者は待たされるだけで済むのですが、診察をなさる先生方の忙しさが半端では無いのです。恐らくM教授は私が受診していた期間、昼食は摂られていなかったと思いますし、万一診察を間違えると裁判にもなりかねないのです。「患者も大変だけど先生はもっと大変なのだ」との私の思いは今も変わっていません。






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