ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

無垢な人々

2011年04月19日 | 日記
無垢な人々

 ヨーロッパではあの狭い大陸に数多くの国が有ってそれぞれに言語が違います。そして国境を接する国同士はだいたい仲が悪い。そして仲は悪いけれども通商交易の必要は有るので、彼等は自然にある態度を身に付けます。先ずは笑顔を作る、そして次には相手を疑う。淋しい事だけれども、こうした地理条件の元でお互いが円滑に暮していく為にはどうしても必要な事では有ります。

 良い例がレストランでのワインのホストテストです。ホスト(お金を払う人)はそのレストランで提供されるワインが本当に自分が注文したワインに間違いが無いかテイスティングをして確認をします。そしてソムリエも利き酒の腕を磨いてお客さんと堂々と渡り合えるようにします。その結果お店と客とがお互いに切磋琢磨してお互いを高める事にもなります。一方、日本ではどうでしょうか。宴会をやる時に幹事さんが、宴会場に出される徳利に本当に自分が注文した銘柄の日本酒が入っているかを確認したり、その徳利には本当に1合入っているかを確認したりする姿を私達は見た事が有りませんね。日本には信用の文化が有ります。飲食店で客はお店の看板を信用します。この看板を掛けている以上お店は悪い事はしないだろうと信用しますし、またお店も看板に恥じるようなサービスは出来ないと気合を入れます。

 一方、日本でも通商交易の場では取引き相手を頭から信用する事は有りません。笑顔で名刺交換したあとは、本当にこちらが要求したスペックで要求した期日に要求した数量を納品してくれるだろうかと、それはそれは気を使います。ですから通商交易に使う言葉や文書にも充分気を使ってお互いの意思が疎通するように努力をします。

 さて、どうして私がこんな事を考えるかと言いますと、それは此度の東日本大震災の被災地である東北地方の沿岸部が気になるからです。前にも申し上げましたが、熊本県出身の私には被災された方々の話される東北弁がすっと耳に入らない、即座に理解出来ません。それは何故だろうか。

 恐らく東北地方沿岸部の人々のほとんどが第1次産業に従事していて農業や漁業の産物は現地の卸売り業者に買い取ってもらう為に、取引の際に使う言葉は方言でも差し支えない、いやむしろ、方言の方がお互いの気持ちを深く伝え合えるのでしょう。お互いに頭から信用し合って生活が出来る無垢で無防備な社会がそこには有るようです。

 そしてこうした現代社会では大変に稀な閉鎖社会の中にあってお互いに頭から信用し合う生活はこれからどう変わって行くのだろうか。先ずは笑顔を作り、そして次には相手を疑うといったヨーロッパ風の習慣の無い、無垢で無防備な人々を何が待っているのでしょうか。

 今回の被災地が復興するのにはこれから何年くらい掛かるのだろうか。再生プランに基づいて津波の心配の無い所に住宅を集約し、港湾を何ヶ所かに集約し、農地を大規模化して耕作可能にするのに15年掛かるとしましょう。そうすると現在避難所で生活している人々は向こう10年位はこれまでの仕事を離れて新しい仕事につき、収入を得ながら家族を養い、住み慣れた街が復興するまで命を繋ぐ必要が出て来ます。その為には東北地方の都市部へ移住するか首都圏へ移住して仕事を探す事になるでしょう。そして同じ東北地方でも、都市部での生活は沿岸部とは大分違うでしょう。通商交易の盛んな都市部では相手によって方言を使ったり標準語を使ったりして意思の疎通を図る生活に慣れている筈です。首都圏ならばなおの事です。

 第1次産業に従事して現代では稀な閉鎖社会の中に居た無垢で無防備な人々には何が待っているでしょうか。通商交易の為に先ずは笑顔を作り、次には相手を疑う人達からいわれの無い差別を受けるのではなかろうか。此度の東日本大震災では今の日本に沈殿している様々な矛盾が露出していますが、避難所で過ごしている方々のテレビ映像を見るにつけ私の心は痛みます。

 待てよ、これってメディアの陰謀?




コメント
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