『郷愁のメロディ』について書いて下さったシンさんのコメントから、ふと思いついたことがあったので書きました。
男の人(オタクの?)って、小さい女の子も好きなのでしょうけど、彼らが子どもだったときはそもそも虫が、好きな子多いですよね。
大人になっても虫が好きな人は、子どもの頃悲しいことがあったひと、って誰かが言っているのを聞いたことがあるのですけど、そういえば宮崎駿氏も王蟲とか出すくらいですから、虫好きなのかな、と思います。
その説の真偽は置くとして、小さきものを愛する人は、やはりデリケートな感性を持っているのだろうと思います。
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ファーブル昆虫記の虫たち〈1〉 (KumadaChikabo’s World) 価格:¥ 1,995(税込) 発売日:1998-03 |
この画集の繊細さなどは、虫にあまり興味のない私も、ちょっと感動します。
それと、だいぶ以前ですが、TV番組を観ていて面白く思ったこともちょっと思い出しました。
タモリ氏が、毎回色々な分野の専門家を読んで話を聞く教養バラエティーのような番組だったのですが、その日のゲストは昆虫の専門家でした。
そして、その先生が虫かごに入れてきたのはトタテグモ。巣穴を地面に掘り、その入口に自分の糸と土で小さなドアをつける地蜘蛛の一種です。
先生はそのクモの求愛行動について説明していました。雄が、気に入った雌の巣穴のドアを叩く。すると、雌も受け入れる気持ちがあるとドアを開けてくれる。でも開けてくれなければ、雄はあきらめて去るというのです。
けれど、その連れてきた雄は、雌が一向に開けてくれる気配がないのに、何度もドアをその前脚(?)で叩いているのでした。
それを見て、その先生は言ったのです。
「この娘さんを、よっぽど気に入っているんやね」
わたしは脚の長い虫、とくに蜘蛛が大嫌いなのです。一番苦手なのは幽霊蜘蛛と呼ばれる脚のひょろ長いヤツですが、比較的短い地蜘蛛だって、好きではありません。
でもその先生の言い方は優しく、クモへの愛情と親しみに満ちて、思わず、一瞬だけ雌グモが可愛い娘さんに思えたのでした。
今でも地蜘蛛を見ると、その時のことを思い出して笑ってしまうことがあります。
夏風邪をひいてしまいました。
土曜日あたりからちょっと微熱があったのですが、日曜日、高校の時の先輩にメール貰って、先輩も“調子悪くて薬飲んでる”とあったので、あらら大変、お大事になんて返事を送っていたのですが。
その後自分もあれよあれよといううちに熱が上がって38度近くに。
幸い、月、火と仕事が休みだったので寝ていてなんとか持ち直しましたが、夏風邪ってうっとおしいものです。
そうでなくても、若い頃から夏には一度は暑気あたりになり、そうするともう寝てるしかないので、よくそういうときは込み入ったタイプの本格ミステリを寝ながら読んでいました。
熱でぼおっとした頭で読むと、迷宮をさまよう感覚がリアルになって、気分が盛り上がる気もしたので。
そんな迷宮ミステリ(?)として私が一押しだったのはこれでした。
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匣の中の失楽 (講談社ノベルス) 価格:¥ 1,260(税込) 発売日:1991-10-30 |
タイトルにちょっと暗示がありますが、このミステリは、入れ子の箱のような構成になっていて、作中作があるのですね。
そうして、物語の中の虚構と、現実とが溶け合って境目が分からなくなるあたりが、たまらなく好きだった二十歳の頃の愛読書でした。
最近、字の詰まった本が読めない傾向にある私ですが、今の時代の迷宮ミステリには、どんな本があるのでしょう。
以前この本を教えて下さった方が、このタイプのミステリの系譜は、『黒死館殺人事件』→『虚無への供物』→『匣の中の失楽』だと言っていたのですが。
その後を継ぐミステリがあるなら、読んでみたいものです。
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紅の豚 [DVD] 価格:¥ 4,935(税込) 発売日:2002-03-08 |
ずーっと昔に、やっぱりテレビ放映で見た気はするのですが、ちゃんと通してみたのは初めてな気がしました。
ジブリアニメとしては地味な方で、小品というか大人の童話みたいな話だと思っていたのですが、まあそうとも言えるのですが、思っていたより切ない話なんだなぁ、というのが今回の感想でした。
宮崎監督って、空を飛ぶ機械が好きでしょう?この話はその原点のような、複葉機が山ほど出てきますよね。
私もあの機能美とか、レトロな雰囲気とかは好きなのですが、やはりあれは兵器なんだよなぁ、というのは考えてしまう。
けれど、この作品にはちゃんと死も描かれていて(というか結構死がそこかしこに潜んでる作品なのでびっくり。無数の複葉機が天空に昇っていくシーンは、美しいがかなり怖い)当然といえば当然ですが、空を飛ぶ爽快感だけを描いているのではないのだなぁ、と再認識したり。
それに、ポルコは郷愁の世界に生きているひとなんだ、と思ったり、誰もが好きになる美しい大人の女であるジーナが、でも飛行機の上で無邪気に笑っていた少女の頃からあまりにも遠い場所に立っているのが切なかったり。
(思えば、初めてこの作品を見た頃は私はフィオの歳に近かったけれど、今は充分にマダムの歳だからよけいそう感じるのかも。)
挿入歌にシャンソンの《さくらんぼの実る頃》が使われていて、どうしてかと長らく疑問だったのですが、今回なんとなく、腑に落ちた気がしました。
“恋の終わり おそれるなら さくらんぼの赤い実を 愛してはいけない……”
たしかこんな歌詞だったと思うのですが。
そのけだるく切ないメロディが似合う、ちょっとセピアな郷愁に満ちた映画でありました。