あめふり猫のつん読書日記

本と、猫と、ときどき料理。日々の楽しみ、のほほん日記

チョコに、ときめく。

2011-02-15 01:21:09 | テレビ番組

バレンタインは過ぎてしまったけれど、チョコの話をもう少し。

まず前回の話の連想で、ポアロのチョコレートのこと。

アガサ・クリスティーの探偵小説のメジャー主人公、エルキュール・ポアロは、グルメで、甘いものも好きなようです。

どの小説だったかは忘れてしまいましたが、ポアロがチョコをナイフで削って、熱いミルクに落とし込んでホットチョコレートを作っていて、美味しそう!と思ったことがあります。

最近では、『食堂かたつむり』の文庫版の最後にあるサイド・ストーリーにでてくる、ホットチョコレートに魅かれました。

そうして、昨日何気なく見たテレビ番組に、チョコレートづくしのディナーが出てきて、その楽しさにちょっとときめいてしまった。

『スタイルup』という番組ですが、その中でもいくつかのテーマがあるみたいで、以前観たときはファッションチェックのような内容でしたが、今回は“毎日がイタリアン”というタイトルで、料理がテーマでした。

美人料理研究家(?)がなめらかに話しながらどんどんチョコレートメニューを作っていくのですけれど、デザートはもちろん、軽食、カクテルまであり、そのままホームパーティにつながるのです。

ブリーチーズとチョコチップを組み合わせるパニーニ(イタリア風ホットサンド?)は新鮮だったし、ジャンドゥーヤのチョコスフレはふんわり、とろとろでいかにもおいしそう!チョコレート風味のベリーニのカクテルは、酒好きとしてはとっても気になりました。

そして、とくに感心したのはお土産です。溶かしたチョコをすくったスプーンをビニール袋に入れ、リボンで結んで冷蔵庫で冷やしておきます。

それをホームパーティーの参加者にお渡しして翌朝の朝食の時コーヒーをかき混ぜるのに使ってもらい「今日のパーティを思い出してほしい」というのですね。

楽しい思い出を持ち帰ってもらって、それをリフレインする、って発想なかったなー、と思って、おもてなしの心にちょっと感動しました。

チョコ尽くしのディナーに、美人料理家がお客に向かって言う「チョコが嫌いだったらもう帰るしかないわよ」というジョーク(?)にはちょっと笑ってしまった。

思いもかけない料理もありましたが、いかにも楽しく、ちょっとやってみたいと思ったのでした。

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重さと軽さの絶妙なバランス。

2011-01-19 23:04:49 | テレビ番組

母ともども、『相棒』をいつも楽しみに観ています。

『相棒』、というと社会派のイメージ強いですが、今回のストーリーはちょっとユーモラスなところもある小品で、こういうのも大好きです。

重い話、やるせない話、憤りを感じる話もあるけれど、その中にふとユーモアもあり、また、今回のようなちょっと軽めのストーリーが織り込まれるのもいいところだと思っています。

また、かつての杉下右京氏の相棒亀山薫くんも良かったのですけど、今の神戸尊くんもお気に入りです。勝手に、亀ちゃんは犬的、尊くんは猫的だなぁ、と思ったりして。

右京さんが「~して下さい」と言うとき、亀ちゃんだったら理由なんて聞かなかった。「ハイッ!」とすぐに走り出していって、骨身を惜しまず働いて、右京さんを信じ切ってた。千切れそうに振る、しっぽが見えてきそうでした。

一方尊くんは、文句いうし時に逆らうし、必ずしも忠実ではないですけど、演じる及川氏が『ほめてもらいたくて頑張る、可愛いところもある』というとおり、なんか憎めない。

前回の話かな、「このバルサミコのソース、美味し~い!」とか言ってる様子に、「ギャルかっ!」と突っ込みたくなりましたけど、甘え上手だなぁ、とも思います。彼のキャラを活かしたちょっとユーモラスな話も、もっと観たいなぁ。

ところで、公開中の劇場版は完全社会派ですけど(しかも、衝撃の結末は看板に偽りなし)、去年の年末母と観に行ったとき、後ろに、叔母さんらしき人に連れられた小学生女子3人組(5、6年生くらい)が座ったので驚きました。

叔母さん(?)が「ヤマトがよかったのに~!絶対感動するんだから~」と言うのへ、「ヤダ。相棒がイイの。ウチのクラスにも好きな子他にもいるよ」と言いかえしていて、渋いなぁ、と思いました。

叔母さん(推定)が、「〇〇ちゃんて、ホントは45歳くらいなんじゃない?」と言ったのは、まさにそのあたりの年代の私はちょっと苦笑。

観終わってから、『こんな重い話で大丈夫だったかなぁ』と思いましたが、叔母さんと話してた子が「これからどうなっていくんだろう。早く続きが観たい!」と言いながら颯爽と出て行ったので、変わった小学生もいるんだなぁ、と感心。

まぁ、私の小学生の頃を考え合わすと、ひとのことは言えませんけど……。

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謎、解けましたけど…。

2011-01-09 00:48:10 | テレビ番組
もう昨日になりますが、パソをいじりながら、なんとなくテレビをつけていました。
その時の番組は『王様のブランチ』。ほとんど耳で聞いていただけ。
でも、映画のコーナーになって、クリント・イーストウッド監督のインタビューコーナーでハッとしました。
今までの監督のお仕事(俳優監督含めて)のダイジェスト映像が流れて、耳に、「ゴーアヘッド…」の台詞が飛び込んできたんです。
以前に記事で書きましたが、ダーティーハリーの決め台詞、「ゴー・アヘッド、メイク・マイ・デイ」が、ひとっつも難しい単語は無いにもかかわらず、意味が分からなかったのです。
(もとの台詞のインパクトが強すぎ、日本語訳を忘れてしまった)
でも、ハッとして画面を見たら、字幕を読むことができました。
『やってみろ、望むところだ』とありました。一応謎は解けた……。
でも謎が謎で無くなってしまうと、なんとなくもの悲しいのはなぜでしょう
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まさに、《男子のごはん》。

2010-11-16 00:53:42 | テレビ番組

ケンタロウの日替り定食 ケンタロウの日替り定食
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2008-01
先日、NHKのスタジオパークという番組で、料理家のケンタロウ氏が出演しているのを観ました。

氏の料理本はけっこう好きで、何冊か持っています。

最近こそ、家族のために料理することも多くなりましたが、独身の私は、以前は自分一人のための料理ばかり作っていました。休日のランチが主です。

そういうのって、いわゆる男の料理に近いんですよね。主婦の料理じゃない。そのうえ私はわりにガッツリ、こってりしたものが好きだったので、氏に限らず男性料理家の本をよく参考にしてました。

氏のレシピは、おおらかさがいい。スタジオパークの出演時にもチャーハン作りながら、

「まわりに具が飛び散っても気にしない。フライパンに戻してもいい。味見したスプーンもそのまま、また味見する。どうせ自分が、家族が食べるんですから」

と言ってましたが、そのアバウトさ、共感します!日常の料理ですものね。スペシャルなテクニックや繊細さは、プロに任せておけばいいよね、と思ってしまう。

《男子ごはん》という番組は、日曜日が休みでないのでなかなか観れませんが、ケンタロウ氏の料理にぴったりなネーミングではないかと思います。おおらかでのびのびして、ちょっと悪戯っぽい。

最近は年齢のせいか、若い男性料理家(ケンタロウ氏に限らずコウケンテツ氏とか)のレシピががっつりし過ぎてるように感じてしまうようになりました。けれど、上にあげた1冊は、“定食”って響きにひかれて、最近購入したものです。

献立考えるのが苦手なので、その参考にもなるかと思って。

そういえば、『きのう何食べた?』の4巻で、筧氏がナポリタンを作って、“ひとりのときはこんなものばかりだったな”と思うシーンが出てきます。

共感!自分ひとりのためだと、面倒だからひと皿メニューにしがち。パスタとかラーメンとか、丼とかせいぜいオムライスとか。

それでも筧氏は同棲中の今では立派に献立完成させてますが、私はまだまだ苦手。段取りがまず悪いですし。それに、栄養バランス、食感、味の相性など考えて、献立するのは難しいもの。

まだまだ試行錯誤です。

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正義という美酒

2010-09-27 00:25:52 | テレビ番組

ETV特集の『ハーバード白熱教室@東京大学』を観ました。

ニュースで一部を観て以来、興味を持っていたので、その概要を観られたのはラッキーだと思いました。

テーマは『正義』、という非常にデリケートかつタフな問題。それを、《イチローの年俸は正当か?》という身近な議論から始まって、最後は戦争、というグローバルかつ、人間の根源的な問題に辿りつくディベートの流れに、すっかり引き込まれました。

そうして、最高学府の学生さんたちには及ぶべくもないのですが、一応自分なりの意見を思い描きつつ観ました。

私は、オバマ大統領よりイチローの年俸が高額であるのには賛成でした。彼はその才能で人を楽しませたり、ときには力づけもするし、また夢の体現者でもあると思ったからです。たとえ裕福な家に生まれなくても、才能と努力さえあれば、富と成功をつかむことができる。そう子どもたちに思われる、人生は悪くない、ということを示すドリームメイカーだと思うのです。

一方大統領は、“大統領のように働く”(非常にハードであるということ)という言葉の通り、大変多忙で、精神的にも重圧のかかる責任の重い仕事ですから、ある程度の年俸の高さは必要だと思います。ただ、高すぎてはいけないと思うのです。

大統領は反対に、富や成功を求める人ではいけない、という気がするのです。人々のために自分のすべてをささげる覚悟のある、奉仕者であってほしい、と思ってしまうのでした。

東大入学を金で買う議論は、反対意見でしたが、多少揺らぐ心もありました。家族が犯罪を犯した、というケースはもっと迷いました。

そうして、過去の戦争責任に関する問題。もし、私が日本の戦争責任について他国の人に強く責められた場合、たぶん、私が直接やったことではないのに、と理不尽さに憤ったり、怒りを感じたりすると思います。

けれど一方で、相手が100%理不尽ではない、と心のどこかで感じるだろうし、自分に責任がない、とは思えないだろうとも考えました。

けれど、アメリカは日本に原爆を投下したし、例えば日の沈まぬ国と言われたかつての大英帝国も、相当なことをしたわけで、日本ばかり謝罪を求められるのは結局のところ敗戦国だからではないか、強いものは謝らなくていいが、弱いものは謝らなければならないのはフェアじゃない、という気持ちもありました。

その点、サンデル教授の論点では両方の立場がちゃんと触れられていたのは嬉しいことでした。

そうして、教授は、“戦争ほど人々が正義についてそれぞれの考えを持ち、本気で議論を戦わせる問題はない”というようなことをおっしゃっていたと思いますが、そうだ、戦争と正義は非常に結びつきやすいのだ、とも思いました。

「これは悪の戦争で、罪もないひとを大量に殺すが、自国の利益のためにしかたないのである」などという政治家はどこの国にもいないので、決まって、「これは正義の戦争である」というのですよね。

正義という非常に大切なものが、非常に危険なものにもなりうる。正義という美酒に酔いすぎてはならないのだ、とも思いました。

また、教授がディベートこそ重要だといい、正義について定義づけなかったのも嬉しいことでした。

誰の言葉か忘れてしまいましたが、《私は君の意見に反対だ。けれど、君がその意見を言う権利は、命をかけて守る》という言葉が好きなのです。個人的には、この言葉を連想させる授業でした。

私にとっては、とても興味深かった1時間半でした。

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