あめふり猫のつん読書日記

本と、猫と、ときどき料理。日々の楽しみ、のほほん日記

花盛りの季節に行きたい。

2010-09-28 23:10:04 | 日記・エッセイ・コラム

母との伊香保へのミニ旅行では、先日購入したトイカメラを持って行きました。

それで初めて撮ってみた写真がこれです。

やはりモネの庭を擬した館の庭園を撮ったのですが、手ぶれのせいか雨のせいか、はたまたトイカメラとはこういうものか、ちょっとうるんだような写真に。

Photo100927002

母は、カフェとミュージアムショップの可愛さに大満足したみたいですけど、春で、晴れてたらもっと良かったのに、と私はちょっと残念でした。

入館料が千円と少しお高いのですけれど、女性にはおススメの施設です。

母と、「ここでお茶して、シャンソンも聴いたら、ちょっとした贅沢だね~でもいつかそうしたいよね~」と話しました。

週末はシャンソンライブがあるようですし、7月の巴里祭には、有名な歌手の方も参加されるよう。

とりあえず春また来ようね、と話しました

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モネの庭のように。

2010-09-28 22:49:21 | 日記・エッセイ・コラム

モネの庭のように。
昨日、今日と母と伊香保に一泊旅行に行ってきました

その、伊香保に続く道のひとつにアルテナードと別称をつけられている道があります。 その道沿いにある施設に『日本シャンソン館』というものがあり、私は前から母をそこに連れて行きたいと思っていました。

「こんな田舎になぜこんな小洒落た建物が?!」という感じで面白いので

母は喜んでくれて嬉しかったのですが、雨模様で寒く、モネの庭をイメージしたというせっかくの可愛い庭も、花の季節じゃなくて残念でした

カフェのランチも美味しかったけど、写メ撮るの忘れてしまいました

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正義という美酒

2010-09-27 00:25:52 | テレビ番組

ETV特集の『ハーバード白熱教室@東京大学』を観ました。

ニュースで一部を観て以来、興味を持っていたので、その概要を観られたのはラッキーだと思いました。

テーマは『正義』、という非常にデリケートかつタフな問題。それを、《イチローの年俸は正当か?》という身近な議論から始まって、最後は戦争、というグローバルかつ、人間の根源的な問題に辿りつくディベートの流れに、すっかり引き込まれました。

そうして、最高学府の学生さんたちには及ぶべくもないのですが、一応自分なりの意見を思い描きつつ観ました。

私は、オバマ大統領よりイチローの年俸が高額であるのには賛成でした。彼はその才能で人を楽しませたり、ときには力づけもするし、また夢の体現者でもあると思ったからです。たとえ裕福な家に生まれなくても、才能と努力さえあれば、富と成功をつかむことができる。そう子どもたちに思われる、人生は悪くない、ということを示すドリームメイカーだと思うのです。

一方大統領は、“大統領のように働く”(非常にハードであるということ)という言葉の通り、大変多忙で、精神的にも重圧のかかる責任の重い仕事ですから、ある程度の年俸の高さは必要だと思います。ただ、高すぎてはいけないと思うのです。

大統領は反対に、富や成功を求める人ではいけない、という気がするのです。人々のために自分のすべてをささげる覚悟のある、奉仕者であってほしい、と思ってしまうのでした。

東大入学を金で買う議論は、反対意見でしたが、多少揺らぐ心もありました。家族が犯罪を犯した、というケースはもっと迷いました。

そうして、過去の戦争責任に関する問題。もし、私が日本の戦争責任について他国の人に強く責められた場合、たぶん、私が直接やったことではないのに、と理不尽さに憤ったり、怒りを感じたりすると思います。

けれど一方で、相手が100%理不尽ではない、と心のどこかで感じるだろうし、自分に責任がない、とは思えないだろうとも考えました。

けれど、アメリカは日本に原爆を投下したし、例えば日の沈まぬ国と言われたかつての大英帝国も、相当なことをしたわけで、日本ばかり謝罪を求められるのは結局のところ敗戦国だからではないか、強いものは謝らなくていいが、弱いものは謝らなければならないのはフェアじゃない、という気持ちもありました。

その点、サンデル教授の論点では両方の立場がちゃんと触れられていたのは嬉しいことでした。

そうして、教授は、“戦争ほど人々が正義についてそれぞれの考えを持ち、本気で議論を戦わせる問題はない”というようなことをおっしゃっていたと思いますが、そうだ、戦争と正義は非常に結びつきやすいのだ、とも思いました。

「これは悪の戦争で、罪もないひとを大量に殺すが、自国の利益のためにしかたないのである」などという政治家はどこの国にもいないので、決まって、「これは正義の戦争である」というのですよね。

正義という非常に大切なものが、非常に危険なものにもなりうる。正義という美酒に酔いすぎてはならないのだ、とも思いました。

また、教授がディベートこそ重要だといい、正義について定義づけなかったのも嬉しいことでした。

誰の言葉か忘れてしまいましたが、《私は君の意見に反対だ。けれど、君がその意見を言う権利は、命をかけて守る》という言葉が好きなのです。個人的には、この言葉を連想させる授業でした。

私にとっては、とても興味深かった1時間半でした。

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猫と生きる人生。

2010-09-26 00:17:49 | アニメ・コミック・ゲーム

グーグーだって猫である〈2〉 グーグーだって猫である〈2〉
価格:¥ 1,155(税込)
発売日:2002-12
最近、『グーグーだって猫である』1巻を読み返してハマった私ですが、おくればせながら2巻、3巻も買いました。

1巻のラストの方にちょっと触れられていた卵巣腫瘍の手術についての顛末が、『人生の大晦日』という2巻冒頭の章に詳しく描かれ、なんとなく身につまされました。

私もひとり暮らしでこそないですが、おひとりさまで妊娠・出産経験がなく、婦人病のリスクは高そうだな~と思っているので他人事でなかった。

それにしても大島氏が人生の一大事に比較的落ち着いていて、毅然としているのには感心します。

おひとりさまこうあるべき、と、自分は無理かもしれないけど憧れます。自分の死にもしっかり向き合い、身の振り方やまさかの時のことをきちんとしておくのがマナーだなあ、と思ったりして。

もっとも、大島氏はまったくのひとりではなく、猫たちという家族がいるのでした。

しかも、最初は初めての猫故サバが去った後、グーグー1匹と始まった生活が、あれよあれよと家族が増えて……4巻以降も新しい猫との生活が描かれるのだなと思うと、楽しみやら、他人事ながらちょっと怖いやら……

そういえば、余談ですが読んでいてちょっと心にひっかかった描写がありました。

大島氏が退院したとき、グーグーがキャットシッターの方に愛想がいいのにショックを受けるのですが、ビー(2番目の猫《サバのぞく》)は意外と冷静で、拾い主が誰かを認識している。

そうして、大島氏は考えて納得するんですね。“ケガをして空腹で暗闇をさまよっている時、キャットシッターされたらだれだってその人を忘れない”

そのシーンで、5月に逝ったウチのあやを思い出したのです。あやは迷い猫だったのですが、1ヶ月たっても風邪が治らず、病院に連れて行きました。

そのとき病院が怖くてパニックになっていたのですが、「大丈夫だよ」といって撫でると、とたんに顔が穏やかになって、身を寄せてきたのです。出会ってたった1ヶ月でこんなに信じるものか、とちょっと驚いたのですが、あやもレスキューされたって感覚があったのだろうかと思いました。

閑話休題(それはさておき)。あんまりネタを割ってはいけないのですが、大島氏は3巻ではさらに大きな人生の転機を迎えます。それの遠因には、やっぱり猫たちの存在がある。

そうして、このシリーズではないのですが、大島氏が友達に桜の開花を追っての長い旅に誘われて、「サバがいるからいけない」と言い、友達が、じゃあずーっと先でもいい、と妥協したのに、それでも断って呆れられ、「それじゃ、結婚よりきつい束縛じゃないの!」と言われるシーンをふっと連想しました。

そう言われて、大島氏はなんと、その“束縛”ということに幸福を感じるのです。

人生はやっぱり、少し、不自由な方がいいのかな。人ってまったくの独りでは生きていけないものなのかな。

そんなことを思わされて、シンパシーと、多少複雑な思いとを同時に感じました。

このシリーズは5巻まですでに発行されているようで、大島氏の猫とともに生きる女の人生をまた追体験したい、と思っています。

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思い出のラジオドラマ

2010-09-23 22:06:46 | 日記・エッセイ・コラム

今日の朝日新聞のコラム『天声人語』に、チェスタトンの『ブラウン神父』シリーズの一節が引用されていました。

ここ最近世間を騒がしている、郵便不正事件の押収資料改ざん問題に、大泥棒を説得する神父の説教を絡めたものです。

大泥棒を改心させ、盗んだダイヤを返させる、となれば、『飛ぶ星』だな、とちょっと嬉しくなりました。

クリスマスストーリでもあるこの短編、私大好きなのです。ことに中学生の頃は、お気に入り短編ミステリの筆頭でした。

(そういえば、同じくお気に入りの推理短編のホームズもの『青いルビー』、今は『青いガーネット』あるいは『ブルー・カーバンクルの冒険』かな、これもクリスマスストーリーでした。クリスマスとミステリって、意外に相性いいんですね)

それとともに思い出したのは、懐かしいラジオドラマ。私がそもそもブラウン神父の短編を最初に知ったのは、中3の時に聴いたラジオドラマでした。

夏休み期間に、どこのラジオ局かは忘れてしまいましたが、ミステリの名短編を連日ひとつずつオンエアしていたのです。時間は午前中、10時か11時頃だったかと思います。

けれど聴けたのはほんの2、3編。というのも、当時私は受験生で、しかも学校で夏の集中補習などをやっており、全員参加が鉄則だったのです。

でも当時、サボることを真剣に考えました。それほど、ドラマが面白かったのです。後になって、“やっぱサボるべきだった……他のも聴きたかったよぉ”と後悔したほどです。

ことに、私の心をとらえたのは、SF作家としても有名な、アシモフの短編でした。

『黒後家蜘蛛の会』(ブラック・ウィドワーズ)シリーズの最初の1編、『会心の笑い』というものなのですが、この幕切れに私はやられてしまった。

早速、文庫本も買って読みました。でも、自分で本を読むのも楽しいのですけれど、耳で聴くドラマは、また違った味わいがあるものでした。

声優は、久米正雄さんとか入ってたかなぁ……。もう忘れてしまいました。ラジオドラマとかって今は流行らないのかもしれませんが、名手の語る物語を、もう一度聴きたい気がします。

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