何色何番ぴろりろ

何色何番の村井ブログ。人生全て私の宝物にするために生きています。

夜涼しい

2008-08-20 02:14:14 | Weblog
寝やすくていい

あっという間に寒くなるのな
きっとほんとすぐ
行きたいとこたくさんある
秋、たくさんほしい
冬がもすこしあとにしてほしい
秋は何故か望ましい季節な気がしてしまう
行楽的にか
春は陽気に誘われて虫も多いしか

今年は夏のそぞろが少なかった
見事に費やして疲れがたまるほど注ぎ込んだ

日々を食らうようにすごした
夏の夜長すら時間を足りないと思った
身代がおっついてこれんほど





何がしたいかなんて愚問だわ、ってそうかな?
腐るほど書いてもいいのでない
何がしたいのか

確かめたい

悲劇性を持つにはあたしの過ごした日々あんまりにも恵まれてるしどう見たってその苦悩など言うほどのものでなし

特別がほしいとただそれだけ願って、それを辿った人生に求めるけれど、やはり特別酷くないし。
特別幸せというのは糧になるどころかうっかり何か貪ってんじゃないかと疑っちゃうし、そうでなくても幸せは、そうならば大事にすべきで、そしたらくだらないこと言ってられないし、しょうもないことしてちゃだめだし、つまりちゃんと生きてちゃんと働かなきゃいけないわけで、
そのことが何よりも自分を追い立てるから、幸せだなどと、できれば考えたくないのです。

そんなふうにして、特別不幸でなく、幸せをあんまり認めたくはない私、
というのが、何を確かめたいのか


これまでの人生をひり絞って思うことには

あの時死んどけばよかった、の払拭つまり
本当死なないでよかった、を実感すること
生きててよかった
ひいては、生んでくれてありがとう?とかそういうの。

異常辛いことと異常嬉しいことは反転対象で、いっしょくただから
結局残る重視は実感のみと相成り

なんで自分は不幸そうな芝居が好きでそればっかりかと、疑ったこともなかったけど
不幸も幸せも生きてる実感に直結で
同じもので

ただハッピーエンドを見たがる人と、バッドエンド見たがるあたしとで、何が違うのか

多分前者は、私よりちゃんと生きてちゃんと働いてるんじゃないかな
ちゃんと疲れてるのだと思う

だからわざわざ減らすものを見たいと思わんのでないだろか

あたしは多分余力があって、それこのように
いくらでもうだつの上がらないことを考える、なんか人に全然うまいこと伝えられないが、伝えたい、わけじゃないからか
だって論点のずれ様が半端ない
今しか興味ないからかこれ書き始めに何思ってたかわからん
夜涼しいて書いてある
確かにな



つまり、で全然つまれてないしな




わたしには、言葉捏ね繰って説明するほどの何かはなく

今はその時の気分で
全てそこに殉じていて
其以外ないから
実は言葉の、ない生き物なんだ


多分

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