昨日学童さんが設定するあそびが
取組的にちょっと躓いた
ドッジボールをしたんだけど
チーム分けに強さの差がすごくあって
バランスが悪かった
しかも始まる前から分かるバランスのわるさだった
そして担当の子は強いチームに入っていた
いろいろ考えさせられた
3チームあったんだけど
負けまくった1チームの1年生が
強いチームに入りたかった
強いチームにいた3年生が
力の開きが歴然で負けまくったチームが気の毒で楽しめなかった
真ん中のチームの3年生が
負けまくったチームがかわいそうだった
全部女の子だけど
勝ったチームの子は楽しかったのかな
楽しかった と言う
あそびだし と言う
最初から強いチームに入ってる という安心感もあったみたい
チーム分けした子が
楽しかったけど
文句言われて嫌だった と言う
それは 楽しかったのかな
楽しさ て
周りが見えないうちだけの享楽ではない
そんな虚しいもんではない
少なくとも 見える周りに目を瞑ってたら
そこかしこに後ろ暗さがある
それは楽しかった て言えなくない?
主観違うし子どもだし
とか言われるかもしれんけど
私は わざわざ目を瞑ることを 放置したくない
波紋だよな
実際あそびて難しくて
本当に一点の曇りもない楽しさなど
そう出会えるもんでもなくて
芝居やってて難しいなと思うけど
うまくそこにいる人みんなでまわるとめちゃくちゃ楽しいし
それは分かる
でも誰かと何かしてるとき 遊んでるときでも
あれは本当に楽しかった て言える
うまくまわってる時なんか
ほんの少ししかない
自分が子どもの時でもあった
曇りなく楽しいときもあった
そうありたいけどいつもそうではなかった
あそび て言葉は深いわ
生まれてきてやることは全部あそびで
毎日あそびだわ
あー
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