負の感情に焦点合わして生きると病みます
でもこれだって必然からあるのなら
見ないでおれますか
昔大好きな歌手が
「私の今までの表現は吐瀉物でした」みたいなことを書いてて
自分も芝居しながらどうしてもそうなる部分を感じて
負の感情の、本当によい活用法がないもんなのかと悩んだりした。
表現を「吐瀉物」から「先に進むためのもの」にしようとしたら
こんがらがった。
そら「痛い痛いと言ったところでそう簡単に死にはしない」ことをよくよく知ったら
「痛い痛い」言ってるときの方がよっぽどよかったように思うのだから
抱えていた黒いものは、より歪んだかんじになってて
いわゆる「前ほど簡単に泣けない」てやつか
歳をとったという立派な証なんだろう
泣かないのが強さでなくとも
泣けないのが弱さでもなく
知ってしまった懐に空寒さを感じるやつ
そんなことを考えるようになった自分を
面白く感じてしまうのは
生きてきたからなんだろな
簡単な絶望なんか絶対私を殺せない
深く考え詰めて死ねるほど生易しくない
なんて残酷で強靭なんだろ
とるときは一瞬でとられるというのにね
負の感傷すら成長していくのな
なんてこった
どんだけ味わい深いか人生
こういう時に笑う笑いてありますね
私はそれも好きです
逞しく感じて
表現と言いながら好き勝手をしてきて「吐瀉物だ」などと言ってみながら
「先に進めるもの、誰かのためのもの」に変えなくてはと
本質は変わらないな
私は「私の見たいもの」を作ることしか
今回エンディングに流れるイソフラボンの歌は
今まで聞いた歌の中でおよそ一番
沁みるものです
たかつさんに「あの歌を流せる芝居したいね」と言ってきて
「難しいよ」と言われてたけど
書いてきよったな
我が相方ながら
今更ながら
びっくりしている
今気付いたから
大事にしなくてはいけませんね
機会を
当たり前と言えることはありません
粛々と
きちんと伝えたいです
この歳の実際を本当を
それは1日1日自分がしっかりやってきた今なので
生々しさも憎々しさも全て
ここまで運んでくれた本当です
昇華させますので
ぜひともご来場ください
よろしくお願いいたします。