花粉症発祥の時期です。
悲しいことに右目がめばちこ的不快感。
こんばんは、村井です。
夢色企画稽古始まって二度目の発表会でござい。
2月はキャイキャイ女子二人組み1P台本でしたが、
3月は打って変わって考え込むと迷宮入りしそうな内実作りこみ系。
しかも二班に別れて脚本が違う。
3Pくらいのと7Pくらいの。
ぎゃあっ
台詞がなかなか入らないよと。
で、これに関しては、ビジュアルもきちんと作りこむようにとお達しが。
内実を込めるというのは、本当に年月のいるものですね。
ネスレ。
課題脚本渡された時点で私はヒーヒー言ってました。
既に読んだことがあって。
きちっとしたビジョンが持ててなかったやつで。
もういっぺん読んでみますが
やはりビジョンがなかなか描けんのです。
抽象的な脚本なもので…
ハゲーとなるんです。
わたし「ああもう!」と憤る時
ハゲー
と言います。
やあもう
ハゲだらけでした。
これで衣装も考えろとか…
ムリムリーと。
取り組むはじめというのはいつも億劫で。
ちゃんと体温上げてから出ないと充分な運動が出来ないように。
体の温度が上がらんことにはのれないですよ。
しかも内実系。
共通認識を作ること。
これがどうあがいても時間かかるんでっすよ。
今回2週間で、この認識取れたのが本番の前前回ぐらいで。
稽古とか…
みたいな状態が起こり、
だから
はげはげなんですよ。
だけども
言葉を吐く以上はその意味を感じたいですよ。
「言われたとおりに読む」でなく。
役者は陥りやすいもの。
意味をもてるならいくら時間裂いたってよいです。
台詞があるのだから。
その言葉が死んでたら役者だって死んじゃうもの。
今回何よりうれしいなあと感じたのはやはり、
対話できたことだと思う。
芝居をやるという意味合いでは
役者をやる以上、だれしも舞台に上がるわけで
同じ空間で呼吸します。
でも空気が違ってしまうことがあったりします。
悲しいことに
そこでは完全な別世界同士が存在して、
ぶつかるでもなく、ずーんと
そこにあるだけ。
同じ脚本の上でぱっくり別れちゃって
見辛くてしゃあない。
見えてこない。
それじゃあ一つのものをやる必要性などないじゃないかと。
そういう葛藤は、今まで本番やってきた芝居で
毎度
必ずかんじていたことだったから。
練習中の中の
稽古の一環、として、だけの本番で
こんな経験
嬉しすぎる事態です。
そんなこんなで画面を整える時間は少なかったけど、
すごい有意義だった。
見ていて美しかったかどうかは判断できないが
息が出来た。
うれしくて。
舞台の上に居る、意味を、感じられるのだもの。
本当の本番はもちろん
見てかわいい
見て美しい
やりますよ。
がむばりますよ。
うん
だから
こう、ね。
いい面子が揃っちゃってるんですよ。
うふふ