何でも仕事のせいにするのは
自分の人間の小ささを露呈するようで好ましくありませんが
事実だからなあ!
ほんま仕事はめっちゃ好きで
今日めっちゃ楽しかった
状況的にはしんどいけどほんまに好きなんよ
春先の職員体制が整ってる時
めっちゃくちゃ職場楽しかったんですよ
高校の放課後みたいな職場で
こんな楽しくていいんかなと思うくらい
ほんま夢みたいになった
蜃気楼か
なんだこのコントラスト
実感してるのは
自分の逆境への強さ
気持ちを手離さないで怒り続けることの大事と
仕事は好きで子ども見てたらほんまに楽しいことと
ちゃんと力つけてきたなて思える現実検証
嬉しくないけど
逆境に強いって
ほんまに今までの一つも無駄になってなくて
誇らしいな
三日間講義を終えた夜は十五夜でめっちゃきれい
翌朝はえらい緑がきれいに見えて
この美しいと思った時を大事に連れて行こうと思った
その上で臨んだ仕事は
やっぱり少し感触が違った
視野を意識的に拡げられる
自分の手癖はあるけど
それにも肯定しながら変えていこうと
落ちついた気持ちでいられる
その翌日は自分の固執がたくさん見えるけど
やっぱり打ちのめされたりはしなかった
ちゃんと自分を大事にして人も大事にしようという気持ちがはたらいてる
やっぱり学習環境が良かったんだと思う
怒ることはあるけど冷静
今朝宿題を一つして
言葉を選んだり、繋いだりするのは
やっぱり楽しいと思えて
実感や体験を
言葉に変えられることが嬉しかった
書いた物を読んで
また自分で気付く
そうだった、と、こんな風に思ってたのか
それが、嬉しい
学童さんと居る時間が好きなので
多分週6日でもできる
気持ちの上では。
でも私の身体というマシーンが耐えられない。
一人一人のことを考えることに苦はないし
なんらかの工夫をしながら関わる時間に意味を感じられるだろうけど
簡単に煮詰まる
しかもそれは相対する学童さんに照射されることになる。
休みだったり
仕事外の時間をもつことは
空気の入れ替えと
違う世界を吸い込んで広げることで
出口をたくさん持っていられる
自分が思うように自立して生き続けるために
絶対に必要なもの。
子どもに向き合うためにと自分を滅ぼすような大人が居たとしたら
自分が子どもだったとして
そんな大人になりたくない。
学童さんを人質のようにして
「館が開けられないから」
「学童さんには知ってる大人がいる方がいいから」
「人が足りないのはどこも一緒だから」
だから
不健全を容認しろ
今は我慢して
今はって
誰も取り戻すの手伝う気もないのに
なんで奪われるのを認められる?
先に生まれただけだよ
と学童さんに言ってた時期がある
先に生まれて、何歳の時に何があって、どんなふうに乗り越えてきたか知ってるから、ちょっと言えるだけよ
みたいなこと
全く言えなくなったのは
大人であるという自覚が芽生えたからかもしれない
大人は、力があることを認めて、発揮しないと勿体ないから
養成講座には野心のある人がいっぱい居て
みんな自分の話をしたがっている
部活みたいだ
あ、学生みたいだ?
いや、学生時代は意識的にしたい勉強してる人の方が少ないし違う
やっぱり部活かな
目指すものは全国大会、みたいに目標が同じではないけど
溢れてる、滾ってる
夢みたいな話なのに地に足ついてる
学校を作る予定の人が居て
学校が目的ではない
その先の暮らしや地球を見てる
でっかっ、て思うけど
大人にはその力があるんだわ
自分の規模の小ささから大人を舐めてたなと
自覚した
今関わってる学童さんいっぱい出てきた
名前言えるレベルで
お出かけが向こう都合で中止になって
毎週土曜日は水着持っておいでって言ったら
水遊びできるな、と言ってた
なんか天然水滑り台(ウォータースライダーとは言えないが草の生えた斜面に絶えず水が流れている)がそこにあって
尻濡れてもいいか、と楽しく滑っていた
空が黒で
流れ星がいっぱいで
しかも花火が上がってる
その中を車でどっかに急いでいて
昼過ぎの空になったりしながら
車はぶつかりながら猛スピードで走っていた
なんか鼠のお宿の下を無理に行って
アニメ調の鼠がびっくりしてた
昨日からシュタイナー学校教員養成講座が始まった
久々の2時間弱通学
大学の時は毎日やってたんやなと振り返る
講義内容が興味深いのはもちろんなんだけど
先生がやたらに魅力的に見えるのが一番印象的だった
担任の先生が喋り出しただけで泣く
自分で引くけど説明会の時もそうだった
これが子どもの前に立つための在り方かと
もちろん場所や道具やそこにあるものにちゃんと居場所と役割があって
否定的なもの
邪魔なもの
今必要とされないものがない、というのは
洗練された場の作り方で
隙がない
中で、それの意味存在を分かって行使する人だから
場を支配する者であって
圧倒的強者になる
それでこの人が明らかな暴論や
人を損なうようなことしたら簡単に壊れてしまうのだけど
緊張感を持って場を運んでいて
誠実さが常にある
およそ受講者の皆さんや
役者やったことある人なら誰でもわかる
むちゃくちゃ集中力と胆力と臨機応変を求められるやつで
この場に居るのはすごく面白いけど
この場を作るのは相当な修練が要る
これを見せるのが
子どもが欲しがってる「大人が権威である」ことなんかな
この人の話をもっと聞きたい
もっと教えてほしいと思わせる力
始まる時の緊張感や臨場感が劇場に似てる
多分同じもの
舞台をやってきたからそこまで持ってくるのにどれだけ必要か知ってるから
余計と
一人で背負って立ってることが空恐ろしい
背後の重ねなしに説得力は出ないから
私これになりたいのかと改めて思うと
努力がほんまに必要で
自覚していない歪みをどんどん認知せないかんやろな
好きでやってた役者を突き詰めれなくて
やれるようにやる、を始めた私に
こいつがやってきたのか
自分でここに来たのに
すげえな無意識
「道はそっちであってるよ」て言われたみたい
今も書いてて実感した
なぜ泣いてしまうのかを掘ったらこうなった
子どもと関わるのが面白すぎて
そこに注ぐのが楽しくて芝居に手を出せなくなった
どちらも半端にできないのを知ってるから
で、子どもの方向いてて出て来た道で
シュタイナー教育に興味をもったのは21の時だからずっと
いつになったら学習できるのかと思ってたけど
満を持して、てこういう時に使うのな
面白いわ生き延びてて良かった
どう考えてもただ楽しい道程にはならないけど
これ修めたらまた絶対めっちゃかっこよくなる
ウヒイ〜
踏ん張ろ
今週末からいよいよ始まります
社会人で学費払って行く学習ですよ
大学時代にその存在を知ってからずっと
勉強したいと思ってたシュタイナー教育
辿り着くまで16年?
か細くも勉強できる場を見つけてはお邪魔したりしてたけど
仕事の立て込みが邪魔して細切れで継続的な学習になってなかった
でもそれがまたものすご面白くて
自分なりに解釈した部分を子どもと関わる場で出力したりするも
まとまってちゃんと修めたいという意欲ばっかり積もってきてたのです
超ワクワクで事前に読み込む文章を読んだのだけど
全然分かった気にならない
分からない、けど、これ現状の課題とつながると思える部分もあって
ふと
この講座は私みたいなシュタイナード初心者でも受けていいのか心配なってきた
でもね!
とてつもないワクワクも同期してるので
しばかれても齧りつきに行く精神で
ふと振り返ると私学習がほんま好きで
大学以降やけど
演劇系WS、ダンス系WS、アントロポゾフィー講座、五行思想、腹ヨガ、マルクス、
自分で読書独学で沖縄戦とか731部隊とか
なんか全然違うところから入ってんのに
入れてる容れ物が自分で一つだからか繋がっていく
こんな勉強好きやったんかて
知らない世界広げたい
見たい聞きたい味わいたい
多分食いしん坊の方が近い
度を年相応にしてコンタクト生活を始めました
8月半ばから
慣れてきた感じする
度弱めたらこんな楽なんかそうなんか
始めよう!という間際に目玉に浮腫できたからコンタクトやめろという警告かと思ったけど
最近出てない
ひとまず安心
眼鏡マスクは耳後ろの負担がえぐいので
ほんま随分楽
眼鏡の方がコロナは防げるみたいなんやけど