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何色何番ぴろりろ

何色何番の村井ブログ。人生全て私の宝物にするために生きています。

思い出ぼろぼろ

2007-06-14 23:32:14 | Weblog

小学5年だから、14年前か。
お母さんが入院してた病院から、家に電話をかけた。
姉に、これこれこういうものを持ってきてくれというようなことで。
そしたら姉が不在らしいから留守電を入れた。
しばらくしたけど、やはり姉から何も来ないので、もう一度留守電を入れた。
頭三秒ぐらいが私の鼻息で、「まだ帰ってへんの?早く帰って来いブタ」とお母さんはメッセージした。
だいぶ長いこと笑いの種にしてたはずなのだけど、今日改めて思い出して。
家族にはブタとかいうなかなかきつい悪口を、当たり前に吐いてたなと、気づいて。

ブランニュー



学童さんが毎日私の頭を「キノコ」と言うので、「以前の方がキノコだったではないか」と聞いてみたら「色がキノコ」と言われた。
赤茶です。なるほど。



もひとつ思い出、思い出し感覚

「あたし」というのがどうにも恥ずかしくてたまらなかった。
そういう声色で喋れなければ、使うべきではないと考えていた。
「あたし」にまとわるイメージが、どうにも女らしさだった。
私は女子として生きるべきでないとずっと思いこんでいたので、実はこういう風に「あたし」を遠ざけていたスパンが長く
使えるようになったのはこの2、3年だ。
いまではこの愛想のない声色でいう「あたし」が気に入っていて、意外だ。
言葉がまとうイメージが拡大したのか、年々進む巨視がそれをどうでもよくしてしまったのか。

昔より今を自由だと、思った。

夢の続きなのか

2007-06-14 02:55:40 | Weblog
13日の夢で兄が死んだ…
後悔とかよりひたすら「嫌だ」と叫んでいた
それこそ大泣きで


起きて夢と気付いたはいいが、涙とか皆無だった。
なんだかそのことも悲しいきがした。


昔兄と首をこしょばしあってる夢を見た。
二人して「いー!」となってきたから、じゃ同時に離そうということになって
せーのっ、で
兄が離さない。
「あかんであかんで」と言いながら起きたら
自分の手を顎下に差し込んだ状態で寝ていた
こしょばさからよだれがゲゲッとなっていた
気持ち的に悲しくなった

こっちのがシンクロ率高かったんだろな