先週金曜日、山形に来てから一週間経ちました。
前回の記事をアップしたのは苦しそうにしていた父が少し落ち着いたように見えた時です。
その30分後
父は静かに息を引き取りました。
最後の最後、吸った息を吐くことなく穏やかに旅立ちました。
父の容態が悪くなった最後の3日間、私を含めた子供3人が病院の好意で病室および面会室に泊まり込み、最後まで父と一緒に過ごせたのはよかったです。
苦しそうにしていた表情が最後は穏やかになってくれました。
それまでの苦しそうな表情は、まだ自分は逝くことが出来ないと言っているように私には思えました。
母が介護施設に入ってからというもの、ほぼ毎日バスで通い、明確な意識のない母の手を握り、足を擦りマッサージをするのが父の日課でした。
病気になってから、しきりに母のことを気にして面会したいものの自分がこんな状態では行けないと、行くのをひたすら拒んでいた父です。
結局、11月に入院してから一度だけ、車イスで12月に連れていくことができましたが、いまとなっては悔やんでも仕方がありません。
父の苦しそうな表情は、痛みもありますが私には母を置いて先に逝くことなんてできない!と言っているように思えました。
おととい、無事に父の葬儀を済ますことができました。
喪主は私が務めました。
昨日からやらなくてはならない手続きのため、役所や年金事務所などフル稼働で動いています。
何がどこにあるかがわからず、まさに暗中模索の状態です。

これから先、今度は父の分も母を見守っていこうと思います。
前回の記事をアップしたのは苦しそうにしていた父が少し落ち着いたように見えた時です。
その30分後
父は静かに息を引き取りました。
最後の最後、吸った息を吐くことなく穏やかに旅立ちました。
父の容態が悪くなった最後の3日間、私を含めた子供3人が病院の好意で病室および面会室に泊まり込み、最後まで父と一緒に過ごせたのはよかったです。
苦しそうにしていた表情が最後は穏やかになってくれました。
それまでの苦しそうな表情は、まだ自分は逝くことが出来ないと言っているように私には思えました。
母が介護施設に入ってからというもの、ほぼ毎日バスで通い、明確な意識のない母の手を握り、足を擦りマッサージをするのが父の日課でした。
病気になってから、しきりに母のことを気にして面会したいものの自分がこんな状態では行けないと、行くのをひたすら拒んでいた父です。
結局、11月に入院してから一度だけ、車イスで12月に連れていくことができましたが、いまとなっては悔やんでも仕方がありません。
父の苦しそうな表情は、痛みもありますが私には母を置いて先に逝くことなんてできない!と言っているように思えました。
おととい、無事に父の葬儀を済ますことができました。
喪主は私が務めました。
昨日からやらなくてはならない手続きのため、役所や年金事務所などフル稼働で動いています。
何がどこにあるかがわからず、まさに暗中模索の状態です。

これから先、今度は父の分も母を見守っていこうと思います。

