昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 41回目

2011-09-30 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
早津佐神社は、港の近くにある大きな立派な神社です。祭りの時は島じゅうがにぎわう場所のようです。弓まつりは、若い男8人が、2組に分かれて、的まで弓の長さの8倍の距離の所から、射場所を変えながら、交代で矢を射って祈願するようです。


(早津佐神社)

神殿の屋根裏には、船の模型が飾られていました。


(神殿の屋根裏には、船の模型が)

その後、集落へ向かいました。農家の納屋には、タマネギがたくさん置かれていて、手入れをされていました。


(農家の納屋には、タマネギが)

長屋門のような門構えのお宅がたくさんありました。




(長屋門のような門構えのお宅)

酒屋もありました。他の物を売っているのでしょうか。


(酒屋)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 40回目

2011-09-29 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
ここで、大下島の概略を書きます。
大下島(おげしま)は、関前諸島の東端に位置し、西は小大下島、東は越智諸島の大三島と接している。全島花崗岩におおわれ、中央部のわずかな平地に家屋が密集する。主産業は農業で柑橘類を出荷する。浄土真宗のため殺生を嫌い、以前から漁業はしていない。旧暦の1月11日には、早津佐神社境内で弓祈禱神事が催される。島名は、早津佐神社の祭神・大気都比売命に因むという。急流の関前灘を控え、また来島海峡の西の入口にあたることから、明治27年に大下灯台が建設された。来島海峡付近の灯台として歴史が古く、ファンにとっては興味ある灯台のひとつだ。

鉄筋の建物があり、人が集まっていました。


(鉄筋の建物)

近づくと「大下地区住民センター」と書かれていました。その中に簡易郵便局もありました。集まっていた人は、定期船を待っておられるようです。


(大下地区住民センター)

そこから学校の校舎が見えました。元の小学校校舎ですが、今は、スクルー船で違う島へ通学しているようです。


(元の小学校校舎)

港を見ると定期船が近づいてきました。待っている人は、港の方へ歩き始めました。


(定期船が)

島旅仲間は、灯台へ向かうというので、付いて行きました。しかし、途中から道は、水が流れていて、靴がずぶ濡れになりそうだったので、私は、戻ってきました。


(灯台へ)

集落へ向かうと鳥居がありました。早津佐神社です。


(早津佐神社の鳥居)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 39回目

2011-09-28 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
瀬戸内海を航行していると色々な島が見えてきますが、島名はよく分かりません。大下島へ向かいました。


(瀬戸内海を航行)

灯台が見えてきました。大下島には、灯台があると書かれていましたので、これがその灯台かと思いましたが、違っていたようです。


(大下島の灯台)

岩場では、たくさんの人が釣りをしていました。今頃は、何が釣れるのでしょうか。


(岩場では、たくさんの人が釣り)

山の中腹に灯台が見えてきました。これが大下灯台でした。


(大下灯台)

大下島へ上陸しました。


(大下島へ上陸)

早速、島内散策を開始しました。


(島内散策へ)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 38回目

2011-09-27 04:30:00 | 40瀬戸内海・愛媛県・越智諸島
お寺から先に進みましたが、細い路地でしたので、海岸線に出ました。そこには、大きな建物がありました。何に使われていたのでしょうか。


(大きな建物)

この道に先には、お宮さんがあるといわれましたが、時間がなく、港へ戻りました。


(この先にはお宮さんが)

このお宅は、今も住まわれているようで、手入れがされていました。


(手入れされたお宅)

港へ戻ってきました。皆さんも少しずつ集まってきました。


(港へ戻ってきました)

皆さんが戻ってきたので、チャーター船に乗り込み、津島にさようならしました。


(津島にさようなら)

チャーター船は、津島を離れていきました。


(津島を離れていく)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 37回目

2011-09-26 04:30:00 | 40瀬戸内海・愛媛県・越智諸島
戻る途中に少し崩れていますが、白壁の土蔵がありました。


(白壁の土蔵)

その白壁にお宅の紋でしょうか、鶴と思われるものが付いていました。


(鶴の紋)

半鐘もありましたが、いざという時に、登れる人はいるのでしょうか。


(半鐘も)

法念寺というお寺にやってきました。門を兼ねた鐘楼がありました。


(門を兼ねた鐘楼)

その鐘は大きかったです。


(大きな鐘)

堂内も立派でした。


(立派な堂内)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 36回目

2011-09-25 04:30:00 | 40瀬戸内海・愛媛県・越智諸島
歩き始めると「……館」と書かれた建物がありました。何に使われているのでしょうか。


(「……館」と書かれた建物)

その前のお宅には、たくさんのネコがいました。飼われているのでしょうか、野良ネコしょうか。


(たくさんのネコ)

どんどん中へ向かいましたが、立派な黒板の塀が続きます。昔は、繁栄していたのでしょう。


(立派な黒板の塀)

途中にビワの木がありました。この島は、ビワの産地のようですが、この木は、手入れがされていないようです。相変わらず、黙って頂いている人がいました。おいしかったといっていました。


(黙ってビワを頂く人)

以前、上陸した人がこの先に建物があるといいましたので、行きましたが、行き止まりになりました。港の方へ戻ることにしました。


(港の方へ)

脇道に入って行く人もいましたが、私は、お寺へ向かうことにしました。


(脇道)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 35回目

2011-09-24 04:30:00 | 40瀬戸内海・愛媛県・越智諸島
私は、この津島へは、2度目の上陸です。1度目は、先ほど馬島へ行ったツアーの時に来ています。では、津島の概略を書きます。この島は、大島の吉海港から海上4kmにある果実の島。古くは門島と呼ばれていた。元亀・天正年間(1570~92)、河野水軍の武将・田房隼人正の城が築かれていた。以後、大三島や大島などから諸氏が入れかわり来住、開拓が進んだ。明治半ばに栽培が始まったイチジクをはじめ、柑橘類・ビワなど温暖な気候と潮風に育まれた果実が大好評。とくにイチシセクは「津島いちじく」のブランドで市場では高値で取引されている。かつては海運で栄えたこの島も、今治市内に事務所を移す船主が多く、今では瀬戸内の楽園として50人ほどが和やかに生活を営んでいる。そのうち44人は65歳以上だ。古くから殺生を嫌い、水産業に携わらなかった島のひとつでもある。来島海峡の北の入口にあたるため、昭和39年に潮流信号所が建設された。

上陸すると防波堤沿いに一本の道が続いていました。


(防波堤沿いに一本の道)

横に公民館がありました。


(公民館)

その横に、胸像がありました。「村上久米太郎」と書かれていました。説明版もありました。「ここに日本人あり」と表題に書かれていました。内容を見るとこの方は、津島生まれで、昔、満州で匪賊に10名ほどが人質となり、軟禁されていましたが、援軍が来た時に、飛び出して、「ここに日本人あり」と叫んで、銃撃で怪我をされたようですが、人質を救われたようです。その方の七回忌の記念に造られたと書かれていました。


(村上久米太郎氏の胸像)

その前に家の壁に取り付けられた箱のようなものの上にネコが座っていました。


(ネコが)

近くに売店もありました。


(売店)

島の奥の方へ散策を開始しました。


(島の奥の方へ散策)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 34回目

2011-09-23 04:30:00 | 40瀬戸内海・愛媛県・越智諸島
今治港を出ると今治城が見えてきました。この城を見たのは、初めてでした。


(今治城)

目の前を大きなタンカーが横切って行きました。横波で少し揺れました。


(目の前を大きなタンカーが)

また、来島海峡大橋をくぐりました。


(また、来島海峡大橋を)

漁船が、出かけていきました。この辺りでは、何を獲っているのでしょうか。


(漁船が)

チャーター船は、津島に近づきました。


(津島に)

チャーター船は、津島に接岸し、上陸しました。


(津島に上陸)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 33回目

2011-09-22 04:30:00 | 40瀬戸内海・愛媛県・越智諸島
大きな建物があり、そこに大きな電光掲示板がありました。潮の流れの速さを表示しているのでしょうか。


(大きな電光掲示板)

どんどん今治へ向かって、定期船は、進みました。


(どんどん今治へ)

今治港に着きました。


(今治港に)

1名の乗客が降りました。これからチャーター船になります。しかし、岸壁に女性が待っていました。チャーター船なのにと思いましたが。


(岸壁に女性が)

乗船してきて、話がありました。四国のテレビ局に勤務のディレクターで、休日だったので、ネタ仕入れに乗船されたとのことでした。年寄仲間に若い女性が参加することに皆さん、大歓迎でした。


(挨拶される女性)

チャーター船は、今治港を出港していきました。


(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 32回目

2011-09-21 04:30:00 | 40瀬戸内海・愛媛県・越智諸島
高速艇が通過していきました。船名は、「第二せきぜん」と書かれていました。帰って、どこからどこへ行く船かを調べたところ、今治から岡村島へ行く船でしたが、フェリーとなっていました。写真をよく見ると前の方の構造は、フェリーのようでした。


(フェリー「第二せきぜん」)

四国本土には、大きな工場が建っていました。造船所でしょうか。


(大きな工場が)

海上に面白い形の小さな岩がありました。見るのには、面白いですが、船の航行には、障害になるでしょう。


(面白い形の小さな岩)

来島海峡大橋の下をくぐりました。この橋の下をくぐるのは、何度目かです。


(来島海峡大橋)

島が見えます。馬島です。また、建物も見えます。民宿「みはらし」です。何年か前に、来島海峡大橋を歩いて渡るツアーに参加して、ここに泊まったことを思い出しました。夕食も豪華で、タコが一匹(何人か分ですが)出て、はさみで切ったことや鯛づくしの料理を頂きながら、夕日を見たことを思い出しました。もう一度、行きたい宿ですね。


(馬島の民宿「みはらし」)

右側に来島海峡大橋に入るループ橋が見えました。


(来島海峡大橋に入るループ橋)
(写真撮影:2011.06)