宝島へ上陸しました。
(宝島へ上陸)
早速、荷役作業が開始され、健康診断の車も降ろされてきました。
(荷役作業が開始)
(健康診断の車も降ろされ)
時間も少ないので、島内散策を開始しました。最初に、下の寺がありました。
(下の寺)
散策を続けていると「イギリス坂」と書かれた記念碑がありました。読んでみると「文政7年(1824)イギリス船が宝島沖に現れ、数人のイギリス人が小船で上陸し、食用の牛を求めましたが断られ、逆恨みしたイギリス人は銃を乱射して牛3頭を強奪しました。その後藩庁から島に来ていた役人らが応戦し、イギリス人の一人を射殺しました。その現場一帯はイギリス坂と呼ばれ、このことがきっかけで、翌年に「異国船打払令」が出された」と書かれていました。
(イギリス坂の記念碑)
(イギリス坂)
その先に、郵便局がありました。友人は、早速、中へ入って行きました。
(宝島郵便局)
(写真撮影:2009.5)
(宝島へ上陸)
早速、荷役作業が開始され、健康診断の車も降ろされてきました。
(荷役作業が開始)
(健康診断の車も降ろされ)
時間も少ないので、島内散策を開始しました。最初に、下の寺がありました。
(下の寺)
散策を続けていると「イギリス坂」と書かれた記念碑がありました。読んでみると「文政7年(1824)イギリス船が宝島沖に現れ、数人のイギリス人が小船で上陸し、食用の牛を求めましたが断られ、逆恨みしたイギリス人は銃を乱射して牛3頭を強奪しました。その後藩庁から島に来ていた役人らが応戦し、イギリス人の一人を射殺しました。その現場一帯はイギリス坂と呼ばれ、このことがきっかけで、翌年に「異国船打払令」が出された」と書かれていました。
(イギリス坂の記念碑)
(イギリス坂)
その先に、郵便局がありました。友人は、早速、中へ入って行きました。
(宝島郵便局)
(写真撮影:2009.5)
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