島で唯一人のガイドさんの案内で島内散策に向いました。最初に、「ウガミヤブラ」と言われましたが、全員、「???」でした。これは、島の方言で、「こんにちは」を含めての挨拶の言葉でした。
バスはホテルがある知名町を進み、島内唯一つの沖永良部高校を通過しました。
(知名町内)
(沖永良部高校)
少し進むともう1つの町、和泊町に入っていきました。
(和泊町のメーンストリート)
メーンストリートを通過すると文久2年(1862)から1年6ヶ月の間、島へ流罪となっていた西郷隆盛の遺徳を慕って建立された南洲神社が見えてきました。
(南洲神社)
島の経済を支えている切花栽培農家の一つに到着しました。
(切花栽培農家)
(写真撮影:2008.04)
バスはホテルがある知名町を進み、島内唯一つの沖永良部高校を通過しました。
(知名町内)
(沖永良部高校)
少し進むともう1つの町、和泊町に入っていきました。
(和泊町のメーンストリート)
メーンストリートを通過すると文久2年(1862)から1年6ヶ月の間、島へ流罪となっていた西郷隆盛の遺徳を慕って建立された南洲神社が見えてきました。
(南洲神社)
島の経済を支えている切花栽培農家の一つに到着しました。
(切花栽培農家)
(写真撮影:2008.04)
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