長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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ご先祖が真田の親戚だった件(会田さん連絡乞う)

2016年07月13日 | ★ご先祖話・家紋話
ご先祖さまに興味があって、ちょっと前までのご先祖様は除籍謄本などを取って調べてました。
でも、「壬申戸籍の壁」(壬申戸籍-じんせんこせき-とは、身分が記載されているため閲覧禁止になっている明治5年の戸籍)で、さかのぼりが途切れていました。

そこに出てきた、父の姉からの古い手紙。
父は末っ子で、家のことを何も聞かずに育ってるんだけど、年の離れたお姉さんが「あんたも知ってなさい」って感じで書いてくれてたみたいです(なのに父は私に言わなかった。興味なかったんだろうなw)。

その中で面白いのは、父の祖母(私の曾祖母)の家系です。「徳川の旗本の娘」ということで、ずいぶん威張ってたという話は昔から聞いてたけど、結構トンデモでしたw


祖は清和天皇から出た信州小県(ちいさがた)の海野(うんの)家。
海野小太郎という歴史上の人物(12世紀ころ)の子孫でした。
この海野家は、長男が海野を継ぎ、兄弟はそれぞれ領地の地名を名乗りました。私のご先祖、つまり曾祖母の実家は「会田(あいだ)」といいます。
今でも長野県松本市に会田という宿場町があり、会田虚空蔵山城跡というのも遺っています。そこの領主だったんですねー。
大名ではないです、国衆です。

ざっくり調べたら、武田に仕えたが武田が滅び、以降いろいろあって領主としては小笠原に滅ぼされ、北条家臣になったが北条も滅び、徳川家臣となって、家康に鷹狩り御殿の土地を提供したことから500石の幕臣として260年過ごしてました。(一度ポカして徳川家から本多家に出向させられてるw なんでも野点の茶会で金の茶道具が盗まれた責任を取らされたそうです。その後犯人が捕まって、もとの徳川家臣に復帰)

「後期北条家臣団名簿」にも名前があったし、江戸幕府が維新の80年くらい前に旗本に家系を提出させた「寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)」にも載ってました。
会田については地方史研究などで調べておられる方も結構おられ、ネットでも随分詳しいものを読むことができました(が、戦国史の基礎知識がないので、なんのこととやらよくわからんことも結構あったw)

曾祖母は家系図の写しを持って嫁に来ていたそうです。一家が大連に会社を作って移住した時にも持ってきていて、父の姉はそれを広げては話を聞かされたそうです。よほど自慢だったんでしょうw
私は全然自慢じゃないが、ただ面白いからこういう話は大好物w
曾祖母は昭和の初めに大連で亡くなり、その後敗戦で引き上げとなったため、家系図は失われました。
もちろん本家にはあるかもしれませんが、今どこに本家があるのかわかりません(曾祖母の実家は駿府でした。今の静岡市葵区追手町。今ではそのあたりは官公庁等が建っていて住宅街ではありません)。


ちなみに、同じ海野家から別れた家に、「真田丸」の真田家もあるのです。
真田は親戚筋なのでしたw
会田は小笠原に攻められ、簡単に城を明け渡して降伏したそうですが、その際「悪いことは言わん、ここは粘らず降伏したほうがいい」と忠告したのが真田幸村のパパのパパだそうです。


・・・で、残念なのは、寛政諸家譜から私が持ってる除籍謄本までの間に1代か2代いるはずなんだけど、壬申戸籍の壁でそこの名前がわからないことです。
武鑑などで埋められないかなと、また気長に探してみようと思います。
ちなみにその威張ってた曾祖母の、その父、つまり幕臣だった人は明治後、東京府の役人になっていました。
これは東京公文書館に「何等に命ず」みたいな公文書が結構残っていたためわかりました。
ネットのおかげでファミリーヒストリー的なことをちょっとは調べられるものですねー。


さて、曾祖母はそういうプライドの人でしたが、その夫は陪臣(笑)長州藩士の子、長男の嫁(私の祖母、父の母)はチャキチャキの江戸深川の下町っ子。
子供(私の父とか)を叱るときは「馬鹿だねこの子は!薄みっともないことをするんじゃないよ!」で、めんどくさい姑のことは「今どき士族士族なんざ言ったって、シドイもんだ」だって(笑)。江戸弁だったんです。

ささいなことでも何かわかると、ご先祖も身近になって面白いものです。

もし「私も会田です」なんて方がおられたら、ぜひご一報下さいませ^^
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16 コメント

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私もです (幸)
2016-08-26 04:40:37
はじめまして。ブログ拝見しました。
私は会田が姓で、祖父が越谷から東京に移ったので、東京生まれの東京育ちです。
私も興味があり、前に調べたのですが、会田幸久という人で止まっています。
会田幸久は小笠原氏に仕えていたようなのですが、海野から派生した、会田氏は2つほどあり、どちらが祖先なのか、わからない状態です。ちなみにウチは、姓は會田という旧字体を使い、家紋は丸に剣片喰です。
Unknown (内藤)
2016-08-26 21:44:26
嬉しい!嬉しいです!!
あ、うちの曾祖母も「會田」と旧字です。
家紋はわかりません。寛政諸家譜では「丸に三本竹」です。

そうなんです、海野から出た会田は途中で2つになってるようですね。私もよくわかっていません。そもそも戦国の知識が全然ないのも痛い。
越谷におられたのですね。越谷と、東京のどこだったかに会田氏が固まってるらしいです。
私の曾祖母はそのどちらでもなく、静岡城のすぐ隣、今は県庁などがある葵区追手町出身です。慶喜について駿府へ行った家なのでしょう。

私もこの話は知ったばかりで、まだろくにわかっていません。調べていきたいので、協力できましたら嬉しいです。
ここでは個人名など書くと公開になってしまいますので、よかったらフリーメールで構いませんので。一度お便りをいただけないでしょうか?
ぜひよろしくお願いいたします。
akiller_2006@mail.goo.ne.jp
私もですよ (和み)
2017-01-15 21:27:45
はじめまして。
なんとなく検索していたらこちらに辿り着きました。

実は私も会田姓でして旧字体の會田を使っています。
住まいは長野県の松本市会田地区(旧四賀村会田地区)の近くにあり、先祖代々今の地域に住んでいます。

同じ会田一族は長野県と埼玉県に分かれたと親族から聞いたことがあります。以前ネットで調べたことがあるのですが、新潟県柏崎市にもいるようです。(先代の柏崎市長さんが会田さんでした)
Unknown (内藤)
2017-02-15 23:26:22
和みさん、嬉しいです!
(遅くなってすみません、実は父がなくなったりしてバタバタしてました)
今でも会田の近くにお住まいなのですね!いつの日か四賀には絶対行ってみようと思っています。会田虚空蔵山城や、心霊スポットらしい会田塚も!
和みさんのお宅の會田家は、家紋はなんですか?良かったら教えてください。
ここではあれでしたら、フリーメールでもなんでもかまわないので、一度メールを頂けると幸いです。
akiller_2006@mail.goo.ne.jp
はじめまして。 (まる)
2017-02-18 17:07:04
私も自分の家のルーツを調べていたら、偶然こちらに辿り着きました。
結婚して今は姓が変わりましたが、旧姓は会田(旧字体で、會ではなくPCでは変換できない字)です。出身は他の方と同様越谷です。
皆さん遠い親戚にあたるということで、嬉しくなってついコメントしてしまいました。
Unknown (内藤)
2017-02-19 11:52:29
まるさん、ありがとうございます。
会田・會田は私の周りには一軒もない姓なので、こんなマイナーなブログでも見つけてくださって同姓のかたが出てくるなんてすごくうれしいです。
しかし會田ともまた違う漢字なんですね?初耳です。
家紋は何でしょうか?
ここでもよろしいのですが、何かありましたらフリーメールでもなんでもかまわないのでメールを頂けたら幸いです。
akiller_2006@mail.goo.ne.jp
僕も会田です (会田七海)
2017-07-27 18:33:19
僕は、先祖などとかにはあまり馴染みないのですがこれを読んでみたら少し関心しました!

ちなみに家紋は、上り藤です
Unknown (内藤)
2017-07-29 17:09:00
七海さん、はじめまして。よく見つけて下さいました。
やっぱり、ご先祖さんの誰がいなくても、今の自分は生まれていないかも知れないので、そう考えると昔の人でもなんとなく身近です。
家紋は皆さんバラバラ!
うちの會田の家紋もわかりません・・・。
Unknown (Unknown)
2017-08-28 16:25:24
僕も姓は会田を使っています
僕の曾祖母から聞いた話では会田は藤原鎌足の子孫だとか…曾祖父の先祖は現在の川越市付近にすんでいただとか。家系図を見たら僕の曾祖父の3代前の初代「長吉」は別名「藤原ながやす」と呼ばれていて墓石にもそう刻まれているそうです。
あと家紋はまるにかたばみです。
私も会田です (会田)
2017-08-28 16:29:22
僕も姓は会田を使っています。
祖父母は福島生まれで祖母の母つまり曾祖母は新潟方面から出稼ぎで福島に来たそうだとか…

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