ギザの大スフィンクスの眼前には、カイロの町が広がっている。
そして多くの人々が生活し、息づいている。
彼は何を見つめ続けてきたのだろうか。
朝は4本、昼は2本、夜は3本は何かという問いかけにあるように、
はいはいする赤子から、成人、杖をつく老人までの「人間」を見つめてきたのだろうか。
蜻蛉のように、はかない人間の一瞬の命のきらめきや喜び、悲しみ、おろかさを見つめてきたのだろうか。
カフラー王がモデルだといわれている大スフィンクス、遠い過去から現在に至るまで受難が続いた。
砂嵐のため、何度も首まで砂漠に埋まったり、マムルーク時代には砲撃練習の的にされ、鼻を失った。
そして現在は環境の変化による老朽化の危機にさらされている。
エジプト人はスフィンクスを親しみと畏敬の念を込めてアブルホール(怖いおじさん)と呼ぶ。
スフィンクスは、自分達を愛してくれて、時には叱咤してくれる、
そして全てを見通している近所の怖いおじさんなのかもしれない。