きのねの本音

染色や木彫り そして気の合う仲間たち
大好きなものに囲まれ シニアライフを楽しんでいます
時には 愚痴や本音もポロリ

冷たすぎる介護制度!

2013-06-12 15:04:57 | 田舎日記

92歳の父は、外出は出来なくなったが、家の中での歩行も自分の身の回りの事も、
時間はかかるが、まだ一人で出来ているが、心臓に持病が有り、
介護の要支援2で、ヘルパーさんに週2回、昼食と掃除に来ていただいている。
ヘルパーさんが朝10時から1時間来てくれていても、
帰った後や来てくれない日など、いくら元気でも92歳の高齢の父を一人にしておくのは心配だった。
特に夜は10回ほどトイレに行く。
もしトイレで倒れたら、誰が助けてくれるのだろう。
私たち兄弟は、随分悩んだ。
家族の事、自分の事・・・・・。
それでも生きている内にしかできない親孝行を選択した。
会社を退社して、妹と協力して交替で父の元に帰っている。

「親孝行、なかなか真似できないよ」
「偉いね」
ヘルパーさんには「理想的な家族だ」と、褒め称えられた。
それが、こんな大きな落とし穴が有るとは・・・・・

家族が世話に帰っているのなら、ヘルパーさんの支援は受けられないので、
今のプランを見直したいと、
市の地域包括支援センターの担当者に言われた。

92歳の父は、今も介護保険料を払っている。市民としての住民税も、国民としての義務も果たしている。
それなのに公平に受けられるはずの権利は、受けられないのか?
私たちの親孝行が、仇になっている。

介護制度は、家族に押し付けて来た今までの介護が、高齢化や少子化で家族では支えきれなくなり、
皆で支えようと言う制度だと思っていたが、話は違う。
「親孝行だね」と持ち上げて置いて、結局、親の世話を家族に押し付けようとしているのだと、
私の不満は爆発しそうだ。

その裏には、増え続ける介護費用を抑えるために、
介護保険から、要支援1・2を切り離し市町村に任せるとの、国の方針が有るようだ。
そうすれば市町村の財政によって、全国一律の支援は受けられなくなるだろう。
ましてや高齢者の多い、過疎の町では、介護認定も一層厳しくなるだろう。

家族や自分を犠牲にして、結構高額な交通費を負担して、2~3時間かけて毎月父の元に帰ってくるのも、
私たちには、体力的にも精神的にも大変なのだが、
(私も65歳、高齢者なのだ)
四角四面の国の制度。
「これが国の決まりなのです」と、担当者はそう言う。
父が要支援2から要介護になれば、今の私たちの問題は解決するのだとも・・・・。
だからと言って、父に認知症や寝たきりになってほしいとは思ってもいない。

いずれ私も介護される身になるが、淋しい話だ。



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徳島のへそに登る。

2013-06-09 22:20:58 | 田舎日記

車の無い私を、同級生のMちゃん夫婦が、山にドライブに誘ってくれた。
その日は28度、夏のような気温だった。

どこの山に行くのか、聞きもせず、Mちゃんのご主人の運転する車に同乗させてもらった。
Mちゃんとおしゃべりを楽しんでいるうちに、車はどんどん山に入って行く。 
5月にMちゃんの車でドライブした時とは、山の景色はすっかり変わっている。
鮮やかな新緑の若葉は、色を濃くし、
風に震えるように見えた弱々しい葉は、初夏の日差しを浴び大きく枝を広げている。
そのたくましい姿に、木々の強い生命力を見た。
車の窓から、緑の風が流れ込んできて、
小鳥の冴えずりに日頃の鬱陶しさも忘れ、

ゆったりと癒されていく。
車は木漏れ日の山道を上へ上へと登って行く。

山の中腹に“剣山スーパー林道”の立て看板が有り、その道に入った。
スーパー林道のスーパーって何??
私の疑問は、すぐに解けた。
車の幅いっぱいの細い道は、舗装されてないガタガタの悪路。
90キロ近くある未舗装道の林道の長さは日本一だそうだ。
山側は今にも崩れ落ちそうな岩盤、片方は谷深い崖。
所々に落石や土砂崩れの跡もあり、路面崩落の危険や
一つ間違えれば転落の危険もある、まさにスリル満点の“スーパー”だった。

子供が悪戯書きをした線の上を走るような急カーブの連続の道は、
バイクのツーリングのメッカとなっているとか・・・・。
あぁ~~恐ろしや!

山頂近くの“ファガスの森”で休憩する。
 
車を降りると、自然のエアコンは、ゾクッとするほど冷たい!
休憩後、再び車は尾根を縫うように走る。
ずいぶん高く登って来たようだ。
周りの山並みは目に下に見え、急カーブの向こうは空。
ジェットコースターに乗っているようだった。

しばらく走り、山頂の“徳島のへそ”で車を止めた。
標高1500mのここからの眺望は最高!
紅葉のシーズンは、見物の車でいっぱいになる。
  
Mちゃんの手作りのお弁当を頂き、
ここで休憩をして反対側に山を降りた。
風の広場、トリカブトの群生地、岩肌に希少な山岳植物も見る事が出来る。
もう少し早ければ、アケボノつつじの花が見られたのだとか。
それは素晴らしい景色だと聞かされ、無性に見たくなる。
大釜の滝、雨乞いの滝、大轟の滝、大小たくさん滝が有るが、
残念な事に今年は雨が降らなくて
水量が少なく、雄々しい姿は見られなかった。

車が下に下に降りて行くのは、肌に感じる気温で分かる。
山の気温と、町の気温の差は14~5度有ったと思う。

山の土産は苔と花の終わった雪餅草。
帰ってすぐ、父と一緒に鉢に植えた。
小さな鉢に、小さな自然の景色が出来た。
 
町の喧騒から離れ、自然の大きさに抱かれ
身も心も癒され
そして、空に一番近づいた一日だった。



 

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65歳になって!

2013-06-06 23:43:15 | 染色

田舎まで持ち帰っていた、島根の木彫教室の作品と、茶托のサンプルは仕上げ、昨日送った。
 

私の肩に幾重にも覆い被さっていた荷は、少し軽くなったが、

一番重い荷は、まだ下ろせなさそうだ。

11月のすなご染の展示会の作品作り。
毎年、新しい作品を出展しなければならないが、そう簡単に新しいアイデアは浮かんで来ない。
迷いに迷い、悩みに悩んでいるうちに、無情にも時間は過ぎ、
展示会の間際までバタバタしてしまう。
毎年同じ失敗を繰り返してしまうのは、私の煮え切れない性格の性なのだろうか?
絞っても絞っても出て来ないアイデアは、どうしたものか?
“発想力の老化”では、まだ片付けたくないが・・・・。

“学ぶ事を忘れた者は、20歳であっても老人である”
早朝のラジオから流れて来た言葉。

私はまだ、学ぶ事に興味が有るから、実年齢よりは多少若いだろうか?
それでも、若い頃のように、キャッ キャッと飛び跳ねるような感動は、最近無くなっている。
「以前、それに似たような物を見たよ」
「以前、それと同じ経験をしたよ」
私の心は、意地悪く、私の感動を冷めさすような事を、思い出させる。

長く生き、一通りの経験をして行くと、新鮮な感動が少なくなっていく。


それでも新しいアイデアを生み出さないといけないので辛い。
老化した発想力や、感動を忘れた心を、若返らせてくれる妙薬は無いものだろうか?
イヤイヤ、学ぶ事を忘れない事が、若さの妙薬!!  

そんな、私も、昨日65歳になった。

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由之会 線描淡彩画

2013-06-03 16:26:41 | 日記

今回は田舎に帰るのが、3日遅くなった。
どうしても、外せない用事が有ったのと、
急な依頼も有り忙しかったのだ。

5月末に、友人の絵画展が有ったが、
友人が会場にいる日は、時間が取れず、次の日に一人で出かけた。


線描淡彩画と言う聞きなれない絵画だが、
墨の濃淡と、細い筆の柔らかな輪郭線の中を、淡く溶けそうな色で彩色された絵画で、
優しく嫋やかでもあり、凛とした強さも感じられる。
会場の中は、外の騒々しさを忘れさせてくれるよな、穏やかな空気が静かに流れ、
品の良い絵画は、描かれる上品な人を想像させる。

友人は2点出展されていた。
難しそうな細い筆の線も、丁寧にイキイキと描かれていて、
何事も真面目な友人らしい作品だなぁ~~と感心したが、
忙しい友人の努力の成果に、直接「すばらしいね」と言ってあげられなかった事を後悔した。

成 朝霞先生の絵画展が近鉄百貨店上本町店であるとお聞きして、
ぜひ見せていただこう!
もうしばらく感動の余韻に浸っていたかったが、会場を出て帰途を急いだ。

田舎に帰る前にしなければならない事は、まだ有った。。
島根のお稽古に使う木彫り作品を6人分を準備して、追加で注文の有った茶托も急いでデザインした。

佐竹藍月先生から、東京の“STAGE悠”で開催される、
東日本大震災の被災地復興支援チャリティーフェアに、

出品のお話を頂き、急いで作品を制作して送った。

田舎に帰る間際までバタバタしていて、
結局、行きたかった、成 朝霞先生の展示会は行くことが出来ず、
悔しい思いを抱えたまま、今日の夕方、田舎に帰る高速バスに乗る。

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手作り人形

2013-06-01 22:57:13 | 手芸

6月1日で4歳になった孫に、手作り人形をプレゼントした。


2週間前、田舎から帰って来たその足で手芸店に寄り、手作り人形のキットを購入した。
このキットは、人形の胴体だけは作ってくれているので、

セットになっている毛糸を束ね、頭に縫い付け、刺繍糸で目、鼻、口を刺して行く。
見本の写真や説明書が付いているので、その通りに作れば同じものが出来るが、
私は、顔を少し自分流にアレンジしてみた。
断然、私の方が可愛い~~~(独りよがり・・・・??)
それに、孫に似ている~~~(これは、マジ!!)

作り始めると、せっかちな性格の上に、
孫の喜ぶ声が聴きたくて、先を急ぎ手が早くなる。
その日の内に、髪と顔、キャミソールとパンツが出来上がった。
 

人形の洋服は本が出版されている。
手芸店で、随分迷いながらキティーちゃんと小花の柄の布を選んだ。
良く出来たもので、生地の柄は人形用に小柄に作られている。
本を参考に、ブラウスとズボンを縫い始めたが、全てが小サイズ。
袖付けや袖口や襟やズボンの小さなカーブは、ミシンで縫い難い。
見頃の前後もズボンの前後も、人間の洋服の製図と同じように差が付いていて、
縫い方も、ほぼ同じになっている。
たかが、人形の洋服だと、馬鹿にはできないものだと、感心したり、呆れたり・・・・・。
1日かけ、着替え用のサンドレスも一緒に出来た。
 

次の日は、靴をフエルトで縫い、ショルダーバックを麻の糸で編んだ。
一気に仕上げたので、3日で出来上がり、誕生日には少し早いが、
孫の喜ぶ顔を想像しながら、段ボールに詰め、宅急便で送った。
次の日の夜、届いたよ!と電話が有り、
人形は「ゆうかチャン」と名前を付けたと、教えてくれた。

数日後、孫の写メールと一緒に、ゆうかチャンの写メールが届いた。
布団に寝かされていたので、「お昼寝をしているの?」とメールを返すと、
ゆうかチャンは、風邪をひいて寝ているのだとか。
「病院に行って薬を飲んでいるけど、まだ治っていなくて、注射をしたけど泣かなかった」と、ママの代筆でメールが届いた。
孫の可愛い妄想話に、私の目尻は下がれるだけ下がって やがてウルウルした。

孫は生まれてすぐに大病をした。
ここまで元気に大きく育ってくれた事に、感慨深い思いが有る。

人形は、昔から人間の病や災難を身代りになって引き受けてくれる魔除けだった。
ゆうかチャンが身代りになるのは可哀そうだが、
どうか、孫を病や災難から守ってほしいと、
小さな人形に大きな願いを託した。



 


 

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