徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

館蔵 秋の優品展(絵画、特に歌仙絵) 五島美術館

2006-09-10 | 美術
館蔵 秋の優品展
絵画・墨跡と李朝の陶芸
2006年9月2日から10月22日
五島美術館

絵画
  • 麻布山水図 奈良時代;麻布に馬、水鳥、草木、浪を墨一色で描く。これが奈良時代の作品といわれても筆致は確か。正倉院伝来かとのこと。

  • 重文 沙門地獄草子断簡(益田家本甲巻)火象地獄図 平安時代 12世紀(9/24まで)
    甲巻(全十段)の第一場面。淫欲にふける沙門(僧侶)が炎を吐く象に身を焼かれる図とのこと。象は獅子のような顔立ち、胴は大きな馬といったところでしょうか?この1点は、平成18年新指定重要文化財であり、連休に鑑賞した。そのときは、展示ケースが少し遠くだったのでよく鑑賞できなかったが、今回は距離が近くよく鑑賞できた。
    仏法に背いた僧侶が堕ちる地獄を描いた一図。もと益田鈍翁所蔵の七図からなる益田家甲本の名で呼ばれた絵巻の断簡である。国宝に指定されている東京国立博物館本、奈良国立博物館本の地獄草紙の絵巻と並ぶ貴重な作品で、優れた筆致で描かれる。さらには国宝本餓鬼草紙や病草紙などとともに六道絵の一環をなしていたとも考えられている


  • 重文 駿牛図断簡 鎌倉時代 13世紀(9/24まで)
    全十図のうち八図が藤田美術館などに現存するが、唯一の赤牛とのこと。とはいってもホンノリ赤い程度です。



    歌仙絵が並びます。

  • 重美 尹大納言絵巻断簡 鎌倉時代 14世紀;福岡美術館所蔵(松永記念館旧蔵)の「尹大納言絵巻」と同種という伝承の白描絵巻の断簡。福岡美術館所蔵の「尹大納言絵巻」は大絵巻展に名月巻、七夕巻が展示された。花山院師賢の身の上話。自身が詞書、妻が絵を描いたという。妻が描いたということ。絵をよく見ると、極細の筆で描かれています。女性の髪の伸びやかな線、男性の目の細さなど、いかにも女性が描いたという風情。見事。

  • 業兼本三十六歌仙絵 猿丸太夫像 鎌倉時代 14世紀;似せ絵で有名な藤原信実絵と伝来。皺など現実感のある表情の様子が見事。装束は折り紙を折ったような直線を多用した簡易に描く。


  • 後鳥羽院本三十六歌仙絵 平兼盛像 鎌倉時代 14世紀
  • 後鳥羽院本三十六歌仙絵 平仲文像 鎌倉時代 14世紀;絵詞とも後鳥羽院と伝来;字は流麗。絵も見事。

  • 重美 為家本三十六歌仙絵 大中臣能宣像 鎌倉時代 14世紀;絵詞とも藤原為家

  • 歌仙絵 壬生忠峯像 鎌倉時代 14世紀;衣装の青緑色が美しい;   
  • 一歌仙一首本歌仙絵 源俊頼像 鎌倉時代 14世紀;

  • 時代不同歌絵合絵 伊勢・京極良経像 鎌倉時代 14世紀;
  • 時代不同歌絵合絵 藤原兼輔・藤原俊忠像 鎌倉時代 14世紀;
    向かい合って坐って三首ずつ歌あわせという趣向。断簡にして一葉ずつ鑑賞すると、対峙して坐り歌合戦をしている様が見事に描かれています。伊勢が右下に伏目がちに坐り、京極良経がそれを対峙する様子の視線の合わせ方とかよく描けています。

    なお、次の2点は、9/26-10/22の展示。
    重要文化財 佐竹本三十六歌仙絵 清原元輔像
    重要文化財 前九年合戦絵巻断簡 帰順願図

    また東京国立博物館でも特集陳列 佐竹本三十六歌仙絵を行っており、後鳥羽院本三十六歌仙絵巻断簡(藤原元真)、業兼本三十六歌仙絵巻断簡(源順)、時代不同歌合絵巻断簡(源重家) など展示されていますので、よく鑑賞してきたいと思います。
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    館蔵 秋の優品展(古写経) 五島美術館

    2006-09-10 | 
    館蔵 秋の優品展
    絵画・墨跡と李朝の陶芸
    2006年9月2日から10月22日
    五島美術館

    古写経

    絵因果経が展示が多数されていた。

    奈良時代
  • 過去現在絵因果経断簡(益田家本)耶舎長者出家願図

    (追記10月15日)
     まじまじとこの断簡をまた眺めてしまいました。今年は、何回か、古因果経の色々な巻を鑑賞しました。今までは、よくもまあここまで岩絵具が綺麗に残っていたという面ばかり見ていました。
     今回初めて気がついたのは、色々な画師が描いた作品だということ。この断簡には2組のほぼ同じ構図の釈迦と耶舎長者が描かれています。ところが、両者の筆致はかなり違います。釈迦の坐っている台座など顕著です。左は輪郭線は太く、綺麗に幔幕状の模様が等間隔に並んでいます。右は、輪郭線は消えそうで見えない細線。幔幕は適当に塗られています。釈迦の顔の表現も、右は、細線を使って上手に表情まで描かれているが、左は釈迦の表現は、模写といった感じで今一歩というところです。左の画師は一所懸命模写したが、右の画師は上手に描いているといったところでしょうか。明らかに別の画師が描いたものです。よくみると面白いものです。
     また、表装も光背が織ってあり洒落ています。
    (追記10月15日 終)

  • 過去現在絵因果経断簡(東京芸大本)(古写経手鑑「染紙帖」のうち)(10/13まで)

    鎌倉時代
  • 過去現在絵因果経断簡(松永家本)尼蓮禅河水浴図
  • 過去現在絵因果経断簡(松永家本)樹下座禅図
  • 過去現在絵因果経断簡(松永家本)伎楽供養菩薩図

    伎楽供養菩薩図の絵は、鮮やかな青緑色の流水に白く渦巻く様、また中央の天女の流れるような動きなど、見入ってしまいます。

  • 藤原夫人発願一切経 実相般若波羅密経 奈良時代・天平十二年(740)書写;737年に流行した疫病で亡くなった藤原房前の三周忌に娘が発願した一切経。表紙の継目に朱円印より元興寺経と呼ばれる。興福寺(藤原氏の菩提寺)ではなく、の元興寺経(蘇我氏の系列?)の印が捺されているというので、一寸気になりました。東博にも同じく元興寺の朱円印のある「文陀竭王経」が展示されていました。東博の説明によると藤原房前の娘は藤原広嗣の夫人らしいのですが、そうすると、藤原広嗣の乱と大きく関係するのでしょうか?

    藤原広嗣の乱とは、WikiPediaによれば「天平9年(737年)朝廷の政治を担っていた藤原四兄弟が天然痘の流行によって相次いで死去した。代って政治を担ったのが橘諸兄であり、また唐から帰国した吉備真備と玄が重用されるようになった。藤原氏の勢力は大きく後退した。
    天平10年(738年)藤原宇合の長男・広嗣(藤原式家)は大養徳(大和)守から大宰少弐に任じられ、大宰府に赴任した。広嗣はこれを左遷と感じ、強い不満を抱いた。
    天平12年(740年)8月29日、広嗣は政治を批判し、吉備真備と玄の処分を求める上表を送った。
    (中略)
    天平13年(741年)1月、乱の処分が決定し、死罪16人、没官5人、流罪47人、徒罪32人、杖罪177人であった。藤原式家の広嗣の弟たちも多くが縁坐して流罪に処された。」
    というわけで、740年は、非常に微妙な時期です。戦勝祈願でしょうか?

  • 重要文化財 称徳天皇勅願一切経 十誦律第三誦 巻第十七 奈良時代・神護景雲二年(768)書写
  • 重要美術品 安倍小水麿願経 大般若経 巻第三百十六 平安時代・貞観十三年(871)書写
  • 重要文化財 不空三蔵表制集 巻第六 平安時代・10世紀 

  • 重要文化財 紺紙金字阿弥陀経 平忠盛筆 平安時代・久安五年(1149)書写;平清盛の(養)父の平忠盛の写経。映画の新平家物語を見たあとだったので感慨です。 

  • 古写経手鑑「染紙帖」 奈良-室町時代・8-14世紀
    益田鈍翁が作成した古写経手鑑。32枚の断簡を集める。(断簡名は、五島美術館の名品「絵画と書」でUPDATEしました。伝筆者は、下記まではメモしましたが)
  • 大聖武
  • 中聖武
  • 小聖武
  • 阿弥陀院切 聖武
  • 飯室切 嵯峨帝
  • 虫喰切 吉備真備
  • 山門切 篁?
  • 色紙経切 
  • 因果経切(こちらは東京藝大本)
  • 金剛般若経解題 行書 大師? 
  • 東寺切 大師? 
  • 東寺切 大師?
  • 讃岐切 管公?
  • 紫切 管公?
  • 二月堂焼経断簡 管公?
  • 光明皇后 蝶鳥下絵経、料紙は丁子(ちょうじ)の汁を吹き付けた茶色。そこに鳥や蝶などを描く
  • 目無経断簡
  • 行成 草書装飾経(金銀の切箔、もみ箔で装飾)
  • 色絵経切 中将姫?
  • 紺紙金泥経断簡 中将姫?
  • 蓮華王院切 白河院?
  • 清水切 後鳥羽院(上部に天蓋、下部に蓮台を銀泥で描き、そのなかに経文を墨書)
  • 装飾法華経切
  • 太秦切 聖徳太子(広隆寺伝来の紺紙に金泥で写経した一字宝塔経。)
  • 装飾法華経切 俊成
  • 唐紙経切  伊勢?
  • 金銀交書経断簡
  • 装飾法華経切 良経卿
  • 法華経切 慈鎮?
  • 紫紙金字経切 亀山院?
  • 笠置切 宣房?
  • 山田切 藤房?


    (10日)
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