岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

苔桃への想い / 気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(6)

2009-10-16 05:13:33 | Weblog
 (今日の写真は2009年4月13日に「扇ノ金目山」ルートで1396m峰に登り、赤倉御殿に抜けた時に、岩稜の狭い岩の窪みに生えていた苔桃を撮ったものだ。
 「苔桃の実」というと8月から10月にかけて熟すので、その実は秋の高山帯に彩りをそえてくれる。その意味では「秋の高山植物」と言ってもいい。
 また、花は小振りの淡い桃色で、これも可愛らしいので高山を十分に賑わしてくれる。 
 だから、このツツジ科スノキ属の常緑小低木である「コケモモ(苔桃)」は6月頃から10月辺りまでの植物であって、残雪ある4月に堂々と「実」をつけて、その姿を現すことは珍しいのである。)

◇◇苔桃への想い◇◇

 実はNHK弘前文化センター講座の受講者Iさんから、次のようなメールと短歌をもらったのだ。
…10日(土)に酸ケ湯から八甲田の井戸岳と赤倉岳を歩いてきました。すでに採られたあとのコケモモ畑を発見しました。

「冬近き峯(みね)の巌(いはを)に苔桃のひとつちひさな紅がまぶしい」…

いい歌である。巌と苔桃の対比がすばらしい。そこに、この短歌は苔桃の生命力を感じさせる。これは、まさに初冬、今季の「果実」をつけている「コケモモ」の歌である。
 今年の8月に岩木山でIさんと一緒に「コケモモ畑」に出会っている。Iさんはその後、また「その場所」に行ったそうだが、すでに、「実」はなくなっていたそうである。
 そのようなわけで、八甲田山にコケモモの実探し登山に出かけたのであろう。

 苔桃の実には「採られない」と、「実」をつけたままで「冬越し」をするものもある。どうしても、「冬越し」をした「コケモモ」もIさんに見てほしいと思い、そこで、「今日の写真」つまり、今年4月13日に撮ったものと、この「コケモモ」が生えていた山稜の頂の写真を「メール」添付で送ったのである。

 Iさんの短歌にには及ばないが、「今日の写真」の印象から次の短歌を作ってみた。

「陽をあびて温き巌(いはを)を茵(しとね)とし乾ききるかな春の苔桃」
「実は細り果柄(かへい)色あせ苔桃よ常緑の身に日射しまぶしき」
「身をかがめやり過ごせし風雪に磨き残れり苔桃一つ」
「氷雪と岩稜をたどり山巓(さんてん)に苔桃一つふと歩み止む」
                              (三浦 奨)

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(6)◇◇
(承前)

 …この「7646校が臨時休校」ということも、真に受ける方にも問題がないわけではないが、気象庁のていたらくの余波であろう。

 ところで、「最強級台風18号」、被害予想を下回ったわけは何だろうか。
被害が少なくて済んだり、下回っても人々は怒らない。現金なものだし、直ぐ忘れる。そこに胡座をかいているとすれば気象庁とは何と脳天気な役所であろうか。

 「台風18号」の上陸時の勢力は過去10年で最強クラス。「気象庁」はそのコースを「死者・行方不明者5千人超の伊勢湾台風」と同じであると想定した。
 しかし、結果的にはコースは日本海を通らず太平洋に抜けたし、雨量が予想を下回るなど、「幸福」にも大規模な災害は免れた。
 気象庁は当初、紀伊半島周辺から上陸し、伊勢湾の西側を通ると予測して、「伊勢湾台風」と似たコースをとるとした。だが、18号は予測よりも東側をたどり、愛知県知多半島に上陸。伊勢湾の東側を通過したことで、高潮の被害はなかった。
 さらに北上する速度が「伊勢湾台風」以上に上がった。これも、想定外だった。本州に近づくと時速は50kmまで上がった。「速く」通過するとそれだけ、加算される強風や雨量の総計に比例して「すべての被害」は少なくなる。そのことで、近畿や東海、関東の都市圏では「人の動きの少ない8日未明から早朝」に風雨のピークを迎えたために、人的な被害が最少に抑えられたのである。
 加えて、気象庁は「伊勢湾台風並み」に全国的な大規模の「土砂災害や河川のはんらん」につながる豪雨をも想定していた。
 台風本体が通った愛知や三重では1時間雨量が70mmを越えたが、総雨量が500mm以上になる予想された紀伊半島では、350mmにとどまった。
 このことに関して、「気象庁」は「台風の強い勢力に比べて雨雲の範囲が狭く、周辺に送り込む湿った空気の量が少なかったことが原因」と話しているという。

 温暖化の影響で世界の気象は変動している。これまで蓄積してきたデータだけでは測り知ることの出来ない要因が複雑に絡み合っているかも知れない。
 日本は南北に長い、山国であり、海国でもある。地勢や地形は複雑である。国土の75%が山地という起伏に富んだ国、しかも、周囲をオホーツク海、日本海、東シナ海、太平洋に取り囲まれているのだ。
 さらに、火山帯を本州に何本も持っている「火山列島」でもある。しかも、陸地は西から東に動いている島国である。加えて太平洋プレートが潜り込むという地震列島でもある。日本海の底でも、1年に1回くらいは「地震」が起きている。
 これらすべての担当を「国交省」の出先である「気象庁」にだけ委ねるには、かなり無理があろう。農水省やその他の省庁の関連部署との統合を図り、組織の機能面と機構を拡大し強化することが望まれていいだろう。近々に取り組むべきである。

[連続1000回ブログ書き達成まであと、21回・連続1000日達成まではあと、30日]

気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(5)

2009-10-15 05:08:43 | Weblog
 (今日の写真は数年前の10月中旬に、弥生登山道沿いにある「リンゴ園」から岩木山を撮ったものだ。その年の「紅葉」は早かった。中腹部から山麓近くまで、尾根筋のブナもミズナラもすっかり「褐葉」している。
 しかも、山頂付近には薄く積雪が見える。左手にはリンゴの葉陰でよく見えないが、白く輝いている部分が見える。これも「積雪」である。場所は「滝ノ沢」爆裂火口壁である。この時季、降雪があって、それが「白く」見える場所というのは、すべて「岩稜」である。
 チシマザサやハイマツ、ナナカマド、ミネカエデ、ダケカンバなどに降った雪が乗っかっても、陽光を浴びて直ぐ消えるが、「冷たい」岩の上に降り積もる雪はなかなか消えないので、このように遠くからでも「真っ白」によく見えるのである。
 さて、今年の「初冠雪」はいつになるだろう。すでに、岩木山の高い場所では「初雪」が観測されている。「初雪」と「初冠雪」は同じではない。
 初冠雪は、麓からその年に初めて白く降雪が積もっていることが観測された日のことである。だから、「晴れていてよく見える」朝でないと条件が整わない。
 今朝も晴れて、山頂がくっきり見えているが「冠雪」の兆しはない。明日辺りから天気は下り坂である。里の雨は「山頂」では雪だ。だが、雨の日は雲に覆われて山頂は見えない。今年初めて「冠雪」となっていても「初冠雪」とは言えないのである。)

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(5)◇◇
(承前)

 一方、気象庁も「対応」は鈍かった。「役所という組織が持つ膠着性」だなどと片付けられる問題ではない。刻一刻と変化し動いていく「台風」に対して「がんじがらめ」の対応では、当然「まずさ」が出てくるというものだ。もっと、柔軟な対応がなぜ出来ないのか。
 「お役所仕事」から自己を解放するべきなのだ。まだまだ「自己目的化」の組織であるということは否めない。
 「気象庁」はもっと手の内を「国民に示すべき」であろう。「手の内」とは「気象情報」をなすための情報、データとなるための「原資的なデータ」である。
 どうも、「国民は天気のことなど知らない。天気は我々プロ集団に任せておけばいい。素人のお前たちに何がわかるのか。データを細かく公表したところで、何も理解出来ないだろうし、ますます混乱を与えるだけだろう。だから、我々に任せておけ。そうすれば安心できるのだ」というような姿勢があるのではないか。私はそう思っている。
 日本は南北に長い国であり、山国であり、海国でもある。地勢や地形は複雑である。国土の75%が山地という起伏に富んだ国、しかも、周囲をオホーツク海、日本海、東シナ海、太平洋に取り囲まれているのだ。
 このような地理的な条件から「日本」の気象は複雑で難解であるはずだ。この「気象の複雑と難解さ」には個性があるだろう。「個性」とは「地域の特性」と言ってもいいだろう。一例を挙げると、津軽地方における気象に関わる「岩木山と八甲田山」の存在などだ。津軽地方に住む人には「全国一律の台風情報」に加えて「岩木山と八甲田山」による風力・風速の違いや風向の違いを事細かに発信すべきではないだろうか。

 気象庁はもっと細かく「手の内」を見せるべきだ。人々が、住んでいる地域固有の「台風」情報を知る得て独自の「判断」が出来るようにするべきだ。
 台風の動きを知るには「高層天気図」が役立つのである。だが、気象庁のWeb「台風情報」には「高層天気図」はない。
 ないのはそれだけではない。台風の進路を左右する「偏西風」や「ジェット気流」に関する情報もない。台風18号が早々と太平洋に抜けたことには「偏西風・ジェット気流」が大きく影響している。これが南に偏って蛇行したからである。
 また、北から接近していた「寒気を伴った大きな低気圧」と「高気圧」、それとの台風の関係などについても、Web「台風情報」にはないのである。
 気象庁は「これら」を独占して「予報」をしている。後生大事に手の内を明かさず、その果てが、人為的な「迷走」台風18号なのである。何というていたらくだろう。

 それでは、今回の「台風18号」について、その進路や被害状況などをまとめてみよう。
…台風18号は8日午前5時過ぎ、愛知県・知多半島付近に上陸した。中心気圧は955HPs、最大瞬間風速は55 m。そのまま本州をほぼ縦断し、同日午後5 時ごろ、宮城県沖の太平洋上に抜けた。
 台風は9日午前0時頃に、北海道の襟裳岬の南南東約180kmの海上に達し、時速約40kmで北東に進んで、中心気圧は980HPs、最大瞬間風速は45 m。9日未明には北海道の南海上に達し、9日午前、千島近海に達した。強風域が広がったままで、午後には北海道からも遠ざかって温帯低気圧に変わった。
 この台風による死者は、宮城県、埼玉県などの計5人。建物の全半壊、浸水、停電、農作物の被害、がけ崩れなど各地につめ跡を残した。
 家屋被害は一部損壊を含め569棟。がけ崩れは68カ所で、停電は34府県で76万5356世帯。鉄道や海、空の便も多数運休し、大きな影響があった。特に首都圏の鉄道では少なくとも31線区で約225万人に影響した。
 けが人は23都府県で重傷19人を含む計111人に上った。避難勧告は10府県で3万2831人、自主避難は27府県で9390人に上る。
 なお、文科省の発表によると、全国で、7646校が臨時休校となった。… 

[連続1000回ブログ書き達成まであと、22回・連続1000日達成まではあと、31日]

気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(4)

2009-10-14 05:14:42 | Weblog
(今日の写真は昨日、13日の午後に写したものだ。場所は「弥生いこいの広場」の下部、アスファルト道路の脇にあるリンゴ園の傍から、岩木山を写したものだ。
 道路を挟んでリンゴ園が続いている。左の緑は、コナラやミズナラ、イタヤカエデ、それにクリなどが生えている細長い森だ。この森のかげには、またリンゴ園が広がっている。
 この雑木林は、リンゴ園になる前のこの辺りの様子を語っている。つまり、このような森が広がっていたということなのである。
 右に「色づいたリンゴ」が見えるだろう。この「リンゴ」の方角の上部に、通称「弥生スキー場跡地」が広がっている。「弥生スキー場跡地」とは、正しくは「弥生スキー場を造営しようとして、皆伐し、表土を剥ぎ取り整地した」が「スキー場の許可が得られず」、弘前市が撤退した「跡地」ということである。
 このために、市民は高い税金を支払った。多額の税金が費消された。だが、誰も、その責任をとろうとはしない。一体、市民の誰が「スキー場」を望んだというのだろうか。

 本会は、市民に「岩木山にこれ以上のスキー場は必要か」というアンケートをとったことがある。すでに、百沢スキー場がある時期のことだ。何と、98%の市民が「これ以上は必要でない」と答えたものである。
 あれから、15年ほど経つ。現在、「跡地」の植生はすばらしい回復力で、新しい森を造り始めている。「ヤマナラシ」、「ハンノキ」、「イタヤカエデ」、「ヤマグルミ」などの陽樹が「ススキ」を抑えて成長している。その周りには「コナラ」や「ミズナラ」の幼木も見られる。
 岩木山を見る。中腹部の褐色に染まった森は「ブナ」である。日ごとに山麓を目指して駆け下りてくる。
 ふと思った。もしも、「台風18号」が来たとしたら、この「リンゴ」は「ほろごられ」て、一個もついていないだろうと。) 

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(4)◇◇
(承前)

 私は、その教え子に「18号は大したことないから、急いでもぎ取る必要はない」ということを伝えたかったのだ。しかし、「真面目であるゆえに」、彼は、すでに「リンゴ園」に出かけて「もぎ取り」作業をしていた。
 家の電話は空しく呼び出し音を鳴らすだけだった。携帯電話を持たない彼には、私の「お節介ともとれる助言」を伝える術はなかった。

 一方、「テレビ」をはじめとするマスコミは、番組を変更したり、「台風」の「特番」を組むなどして、ただただ騒いでいるだけだった。台風が通過した被災地の映像を流すだけで、「18号」はどこに行くのか、行かないのか。被災しない地域はどこなのか、というテレビを見たり、ラジオを聴いている人たちが「一番に、もっとも知りたい」ことには、「一切」触れないのだ。
 地方の「テレビ」も「地方気象台」も「青森のリンゴ、落果の心配はない。大丈夫だ」とは一言も言わない。
 青森県や弘前市など、自治体行政も「大きな台風が接近」、「暴風域が広い」などということを繰り返すだけで、「直撃はない」、「影響は少ない」、「やって来る心配はない」、「大丈夫だ」「過剰な対応をする必要はない」などとは一切発表しないのである。

 沖縄まで入れると南北に長い「国土」である。当然「気候域」や「気象域」に違いもあろう。だから、「気象(天気)予報」はその国土に含まれる「地域」によって、たとえば、「海上」と「陸上」では違いがあるように、当然あるのだ。
 ところが、その「地域主体」の情報がない。すべて、「気象庁の発表では」ということになっていた。
 青森県は今回少なくとも、日本海側の地域と太平洋側の地域に大別した「情報」と「対応の仕方」を県民に与えるべきだった。また、その地域の自治体も「県からの情報や対応の仕方」を、当該自治体独自な、当該地域に適う「情報」として「編み直し」て「発表」するべきだっただろう。
 日本で一番広い「リンゴ園地」を抱える弘前市の対応はどうだったか。「園地」のある地形や地勢図に従っての細かい「指示」や「指導」、「情報」はあったのか。弘前市南西部に広がる「リンゴ園」と岩木山の東麓に存在する「リンゴ園」では、その対応は当然違わなければいけないだろう。絶対に、一視同仁的な「指示」や「情報付与」だけではいけないのである。
 各自治体にある「防災に関わる部署」や「農林漁業に関わる部署」はそこまでしなければいけないだろう。「気象庁の発表」を鵜呑みにして、それを「オウム返し」に繰り返しているようでは「部署」という存在性そのもに疑義が生ずる。
 もっとはっきり言わせてもらえば「もっと、地域に適った『気象』を勉強せよ」、「地域住民の生業まで考えた行政的な役割を果たせ」ということになる。
 そのように出来ない理由に「独自に出した情報に間違い」があると責任をとらなければいけない、そんなことで、いちいち責任をとっているよりは、全部「気象庁」の「所為や責任」としてしまえば、「我が身は安泰だ」と考えているのであれば、それこそ、住民という視点から乖離した「自己目的」的な組織でしかないということになる。
 私たちは「自己目的だけを大事にする組織」を温存させるために「県民税」や「市民税」を払っているのではない。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、23回・連続1000日達成まではあと、32日]

気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(3)

2009-10-13 05:13:01 | Weblog
(今日の写真は岩木山を後景に戴いた、稲田の風景である。これは「棒架け」という天日乾燥の方法だ。場所は旧岩木町の愛宕さまのある植田辺りである。
 天日乾燥の「棒架け」や「はさ架け」はめっきりと減ってしまった。先日も自転車で郊外を走ったが、この「天日乾燥」風情には出会えなかった。
 殆どが「コンバイン」による刈り取りと脱穀である。整然と機械的に「稲刈り」が終わってしまうのだ。しばらく、その作業を眺めていたが、アホくさくなってやめた。そこには収穫を喜ぶ「人の営み」が見えなかったからだ。
 それにしても、よかった。台風18号が「気象庁、マスコミ、自治体」などの「大騒ぎ」をよそに、遠く太平洋の沖を通って、去ったこと…が。
 もし、やって来ていたら、この「棒架け」の稲束はどうなっていただろうか。)

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(3)◇◇
(承前)

 …いずれも、この「再発達」は北海道に近づいた時点でのことが多いので、これまで日本海を北上し、しかも深浦沖辺りを通過した台風も弘前市周辺には、それほどの被害を及ぼさなかったのである。それにはもう一つの理由がある。
 日本海の秋田沖や深浦沖を台風が進んでいる時、弘前市周辺は台風の「進行方向に向かって右の半円」に位置している。その位置は、「台風自身の風」と「台風を移動させる周りの風」が同じ方向に吹くために、風が強くなるのである。しかし、事実はこれまでも違っていた。風は強くないのだ。

 風向を考えよう。この場合、弘前市の「西側」または「北側」を「台風の中心」が通過することになるから、風向は「東→南→西」と時計回りに変化する。
 東から吹き込む風は、弘前市の「西側」に屹立している岩木山によって風流が堰き止められる。南からの風は県境の山々によって阻まれるが、高さがないのでブロックされず、かなり強い。
 西からの風は東に、「衝立」として構えている「岩木山連山」によって遮られて、弘前市に吹き込む風は弱いものである。さらに東に位置する「八甲田連山」も風力を弱める手助けをしてくれている。「八甲田山」もそうなのだが、「南北に走る稜線構造」なので岩木山も北からの風の場合は余り、「衝立」の効果は期待出来ない。

 ところが、例外もあったのだ。それは古いところでは1954年の台風15号(洞爺丸台風)であり、新しいところでは1991年の台風19号(りんご台風)である。
 1991年の台風19号(りんご台風)の19号の進路は、日本海を進み、秋田と青森県の県境付近に上陸して、大鰐、弘前、青森を通過してほぼ、青森県を横断して、太平洋に抜けていったものであった。
 すでに、お解りのことだろうが、この進路位置では、弘前も大鰐も「岩木山」や「八甲田山」に庇護されることはない。しかも、この19号台風は、北上して、寒気の影響を受けて「温帯低気圧」に変わった後に、再発達し、吹き返しの風が強く、通過後も強風が続いたのである。
 弘前では風速54mを記録したくらいであり、弘前周辺の「リンゴ園」は壊滅的な被害に遭った。だが、岩木山は北津軽の人たちを庇護していた。それは五所川原、木造、車力などの地域であった。「弘前が大変な被害だ」ということで、教え子のI君から電話があった。
 我が家も屋根のトタン板が全部剥がれてしまった。そのため「ブルーシート」が必要だったが、量販店も個人商店からも「ブルーシート」は売り切れていた。そのことを話したら「こっちはそのような被害はない。ブルーシートを買って届けます。」と言うのだ。助かった。
 岩木山は南や東風の「衝立」となって、「西北五」地方の風を弱めたのである。…

 さて、「台風18号」は8日午前5時過ぎ、愛知県・知多半島付近に上陸した。気象庁によると、中心気圧は955 hPa、最大瞬間風速は55m/sであった。
  そして、結果的には、「18号」は12時間かけて、8日午後5時ごろ、宮城県沖の太平洋上に抜けた。
 少なくとも、弘前では8日の日中は、曇り時々小雨ていどであり、時折吹く風は「冷たかった」が強くはなかった。8日の夜間も静かなものだった。どこにいるのか「台風18号」よ、テレビが大騒ぎをしている「台風18号」はどうなっちゃったのだろう。
 夜中に何回か目覚めたが、それは暴風吹き荒れるという「音」によってではない。外の様子は静かなものだった。
 そして、9日、おもての路上には「落ち葉」が1枚もないという「平穏」で、無風「静寂」な朝を迎えたのである。

 だが、この「上陸時点」でも「気象庁」は「伊勢湾台風」にこだわっていた。そして、「北北東」に進んで、やがて日本海に抜けた伊勢湾台風」の軌跡を18号の進路予想にあてはめていた。
 「上陸地点」の違いから、進路の予報を「伊勢湾台風」とは違うとするべきだったのだが、気象庁はそれをしなかった。何だか最後まで「伊勢湾台風」にこだわっていた。
 私は、この上陸した時点で、別な「進路予想」を立てていた。それは、「愛知、長野、群馬、茨城を通過して」午前中には「茨城県」から太平洋に抜け出ると踏んだものだった。
 私の「進路予想」は、その「出口」だけが外れたが、それは太平洋に出た場所が北に偏っただけで、「大約」においては「当たった」のである。

 その時、これで「津軽のリンゴ農家は救われる」と確信したのである。8日朝、5時過ぎのことだった。
私は、「リンゴ農家」である教え子に電話をした。私の「確信」を伝えるためである。
 彼は奥さんと二人だけで「リンゴ栽培」をしている非常に研究熱心で真面目な人間だ。農作業の省力化のためにいち早く「無袋栽培」に取り組み、無農薬栽培を取り入れ、流通における搾取に反対して、真っ先に「産直」事業を手がけた男でもある。二人の子供にはそれぞれ4年制の大学を終わらせてもいるという大した男なのだ。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、24回・連続1000日達成まではあと、33日]

気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(2)

2009-10-12 05:17:43 | Weblog
(今日の写真は今月の9日朝、7時過ぎに写した我が家の南側道路である。超大型でとてつもなく強いと言われていた「台風18号」が、八戸沖の太平洋を進んで根室の南海上に接近していた頃である。
 超大型で強風域が1000kmという割には「強風が吹き荒れた」痕跡はどこにもない。しかも、前日は暴風域の円内に青森県の一部が入っていたというのにである。
 私の家は熊野宮の直ぐ裏である。風が吹いたのならば、この路上に折れた枝や葉っぱのたぐいが散乱しているはずだが、それがただの1枚も見られない。
 少なくとも、「野分吹き荒れたる朝」という情景ではない。何事もなかった静かな朝を迎えている風情だろう。)

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(2)◇◇
(承前)

 …確かに、前日8日は風はあった。その日の午後1時30分から「NHK弘前文化センター」で講座があったので、出かけたがその往復時に「風」を感じた。感じたというのは「強さ」ではなく「冷たさ」であった。風向きは「北東」であった。気温も低かった。15℃以下だったと思う。「台風の風」というのは「生暖かい」ものと相場が決まっているだろう。
 私は自分の出した「津軽地方には来ない」という「進路予想」と照らし合わせて、この「冷たさ」と「風の弱さ」と「北よりの風」ということから、その「予想」を確信したのだ。

 次のことは2年ほど前のブログにも書いたと思われるのだが、「台風についての基礎知識」にもなるし、今回の「台風18号」を理解するのにも役立つだろうから、掲載しよう。
 まずは「台風」についての概要を理解しよう。「台風18号」のように、愛知県辺りに上陸して、本州を北東に縦断して、三陸沖などの太平洋岸沿いに進んでくる台風にだけ注目することにする。
 一般に、台風は日本の南海上で発達し日本列島に接近・上陸すると衰える傾向にある。これは、南海上では海水温が高いが、日本列島に近づくと海水温が26度未満となり、台風の発達は収束傾向となるからである。
 さらに、高緯度帯の寒気の影響を受けて台風の雲形も「渦巻き型」が崩れ、温帯低気圧の雲形へと変化するからである。
 さらに上陸すると山脈や地上の建物などによる摩擦によって台風はエネルギーを消費し、急速に勢力が衰えるようになる。ただし、「温帯低気圧」に変わってから、それ以上に発達するという例外もある。
 台風は、8月が発生数では年間で一番多い月である。9月以降になると、南海上から放物線を描くように日本付近を通過するようになり、三陸沖などの太平洋岸沿いに進むものが多くなる。
 しかし、温帯低気圧に変わった後も、「位置エネルギー」等の原因によって再発達する場合もある。青森県が大きな打撃を受けた 1991年9月の19号台風(りんご台風)はこれである。
 台風は巨大な空気の渦巻きで、地上付近では上から見て「反時計回り」に強い風が吹き込んでいる。そのため、「進行方向に向かって右の半円」では、「台風自身の風」と「台風を移動させる周りの風」が同じ方向に吹くために、風が強くなる。
 逆に「左の半円」では「台風自身の風が逆になる」ので、右の半円に比べると風速が小さくなる。
 また、台風接近の進路によって風向きの変化が異なる。ある地点の「西側」または「北側」を「台風の中心」が通過する場合、「東→南→西」と時計回りに変化する。ある地点の「東側」や「南側」を「台風の中心」が通過する場合は「東→北→西」と反時計回りに変化する。
 ただし、周りに山などがあると、必ずしも風向きがこのようにはっきりと変化するとは限らない。

 「台風の中心」が八戸沖を進んでいる場合は、八戸側、つまり八甲田山の東側は、「進行方向に向かって左の半円」に位置するので、「進行方向に向かって右の半円」に位置する場所よりも風速は衰えている。
 さらに、「台風の中心」が東側にあるのだから風向は、「東→北→西」と反時計回りに変化する。「東→北→西」という風向の変化を「八甲田山」を基準にしてとらえると、東からの風は「八甲田山」にぶつかり、風速全体を収斂させ、さらに、津軽地方に流れ込む「風量」を少なくする。
 西からの風に対しては、その逆の効果が考えられる。北からの風の場合は余り、この効果は期待出来ない。これが、「八甲田山」の太平洋側を進む台風の衝立効果である。
 津軽地方にとって、台風被害が甚大となるのは、台風が、「日本列島に上陸しないで対馬海峡を通過し、日本海南部に入った場合」と台風が「九州や四国に一端上陸し、勢力が衰えた後に、日本海南部に出た場合」である。
 これは、暖流である対馬海流(海水温が26度以上)の暖気が台風へエネルギーを供給し、加えて高緯度から上空に流れる寒気の影響を受けるために、勢力が衰えるどころか再発達するからである。
 また、日本海北部はリマン海流(寒流)の影響で、海水からのエネルギーが供給できないため、台風自体は衰えるのだが、寒気の影響を受けて、台風から温帯低気圧に変わった後に再発達する場合があるからである。…

 …私は、7日の午後からネットで気象庁の「台風情報」を注視していた。そして、「上陸地点」を探っていた。上陸地点は「伊勢湾台風」の時の「潮岬」に比べると、経度にして東に1度少し、緯度にしても1度北に移動した。この違いはその後の「進行方向」に大きな違いをもたらすのである。
 台風に対する最も重要で、最大の関心事は、その「進行方向」である。これから台風がやって来るであろうと考えられる「地域」に住む者の関心は、まさに「ここ」にあるとしてもいい。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、25回・連続1000日達成まではあと、34日]

マスコミなどが煽った「台風18号」 / またまた残虐、車で轢いて、その上「クマ」射殺・深浦(11)

2009-10-11 05:05:22 | Weblog
(今日の写真どこだろう。どこで写したものだろう。ある年の秋である。真夏だとこの辺りまで来ると「ほっと」する。冷たい水が待っているからである。
 標高は1300mを越えている。緑は「ミヤマハンノキ」と「チシマザサ」である。岩の間に、所々淡い緑が見えるが、これは「ヤマハハコ」である。
 黄色は「ミネカエデ」や「ホザキカエデ」であり、赤く色づいているものは「ナナカマド」だ。その上の黒い部分は岩稜である。褐葉しているものはダケカンバだろう。
 左側の斜面は「鳥海山」の左岸だ。岩の間にはイネ科のノガリヤスも見えている。だが、まだ草紅葉にはなっていない。
 ここは、大沢の上部、「錫杖清水」の近くである。沢の左岸に「清水」はある。いくら冷涼な秋のお天気といっても、ここまでの登りはきつい。汗びっしょりだ。体が「水」を求める。
 湧水を手で受け止める。夏の「冷たさ」はない。口に含んでも同じだ。外気温が下がっているのだ。水温よりも「気温」が低いので、その分「温い暖かさ」を触感が教えてくれているのだ。
 のんびりしてはいられない。秋の日は「釣瓶落し」のように暮れる。出来るならば、午前中のうちに、或いは午後1時前には、山頂を踏んで下山しなければいけない。
 登山口には3時前後には着きたいものだ。ある年の10月中旬、百沢登山道を登り、ピストンで下山した時のことである。)

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」◇◇

 マスコミや自治体の煽りだけが「最強級、最大級」の台風、それが「台風18号」であった。キャプションをつけると「マスコミと自治体が超弩級に煽った台風18号」としてもいいのではないだろうか。
 とにかく、「マスコミ」の騒ぎ方が異常であり、異様であった。特にテレビは、定期番組をほぼキャンセルして「台風報道」にあてていた。だが、そこで報じられる映像も言語情報もウオッチしている者が真に求める事柄とは言い難いものだけだった。
 NHKも民放も、どのチャンネルを選んでも皆同じだ。荒れ狂う大波の実況放送が「台風報道」に、どれほどの意義と意味を持つものであろうか。びしょ濡れになりながら「マイク」を握って喋っているアナウンサーが気の毒に思えていたが、何回も同じ「場面」を見せられているうちに、何だかアホくさくなり、申し訳ないけど、そのアナウンサーやキャスターがピエロに見えてきたものだ。
 このような「大騒ぎ」を後押ししたのが「気象庁」の「台風18号」を「伊勢湾台風」並みとした情報である。気象庁の「名誉(?)」のために、言い換えると、その情報を真に受けて、あるいは勝手に踊ったマスコミ、自治体としてもいいのだ。
 だが、やはり、「気象庁」の曖昧な情報と、それを訂正しながら、詳しい情報を「そのまま」国民に発信しようとしない姿勢は、批判や非難されても仕方がないだろう。

 伊勢湾台風とは1959(昭和34)年9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島や東海地方に大きな被害を及ぼした台風15号である。
 最低気圧は895 hPa、最大風速は75 m/sと記録されている。非常に大きな台風で、強風域は、およそ2500kmに及び、暴風域も非常に広く、北日本と西日本の一部を除いて、ほぼ、全国的に最大風速20m以上を記録したそうである。特に高潮による被害が多く、死者は4.697名、行方不明者401名、負傷者38.921名に達したとされている。

 今回の「台風18号」も大型で強いものだったが、その強風域は大体、日本列島の半分程度であった。およそ1000kmとしていいだろう。暴風域も根室の沖に達した時点でも上陸時の大きさと違いはなかった。(明日に続く)

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(最終回)◇◇
(承前)

 また、「農道」のある場所、つまり、農作業のために人が歩くだろう、自動車が走るだろう…では、当然「銃の発射」は規制されているはずだ。
 「クマ」が人間社会に近づいてきたのではない。人間の方が「クマの棲む社会」に無頓着に、入り込んでいるのだ。言ってみるといい迷惑な方は「クマ」である。クマは自動車事故の被害者だけではなく「人間の種々な圧力」に逃げ惑う被害者なのだ。

 「フロントガラス」が割れずに「運転」が出来ているならば、「24歳の男性」は何の躊躇もなく「轢いて撥ねた」クマを置き去りにして、走り去っただろう。「轢き逃げ」行為である。
 もしも、この農道を夜に走行したら「クマ」と衝突するかも知れないと思いながら「走行」していたとすれば、そして、そう思いながらも「減速」「徐行」をしないで走行していたならば、それは「未必の故意」という立派な犯罪的要因を持っていることになる。
自分を相手に置き換えて考えること、そして、それを行動の基準にしない限り、「共生や共存」という思想や世界は「画餅」に過ぎない。
 「24歳の男性」よ、「60歳の県猟友会支部員の男性」よ、それに、彼らを取り巻く家人や地域社会が「クマ」を自分に置き換えて捉えない限り、この事件は「あなた方の家に自動車が飛び込んで来て、家人が死亡した」ことと同じなのである。
 マスコミも「この点」、つまり、「生物の多様性」という視点での啓蒙に、一翼を担うべき時期に来ていると思うがどうだろう。

 最後に疑問がある。「24歳の男性」はお咎めなしの起訴もなしなのか。それでは、「クマ」は殺され損に過ぎないではないか。「スピードの出し過ぎ」、「安全運転義務違反」などは最低でも求めるべきではないだろうか。
 「24歳の男性」に「クマ」を含めた多くの生き物に対する謝罪の気持ちがないのならば、なおさらである。
 自動車は、その通行中に多くの「昆虫」や「両生類」、「小ほ乳類」、「小鳥」や「犬、猫」などを撥ねて、轢き殺しているのである。運転者にはその痛みを「触感」として捕らえるすべを持っていない。だから、「痛み」を実感出来ない。「犬や猫」でも、そのままにして立ち去る。轢き逃げだ。それゆえに、謝罪もない。

 撥ねられて轢き殺される生き物たちは「ものを言えない」。「クマ」も同じだ。
法制上、代理人として訴訟が可能ならば、私が訴えたい気持ちだ。
 だが無理だ。法律は「人間社会限定」のものだ。賢い人間が編み出した法律も結局のところ「人間の都合」が第一義なのだ。 (この稿は今回で終わりとなる)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、26回・連続1000日達成まではあと、35日]

岩木山・映える錦秋…(その11) / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(10)

2009-10-10 05:15:39 | Weblog
 (今日の写真は10月中旬に撮ったものだ。場所は「湯ノ沢」である。ここは弱いが「硫化水素」ガスがいまだに、吹き出している場所である。ガスが吹き出しているので「植物」は「蘚苔類」を除いては生えていない。だが、沢の縁から尾根にかけては樹木がこのように生えている。
 荒涼とした岩石の居並びを前景として、後景には「錦秋」である。とりわけ、赤いのは「ナナカマド」であり、少し薄い「赤」が「オオヤマザクラ」や「ヤマモミジ」である。緑の「チシマザサ(根曲がり竹)」の間に点在している「薄い褐色」のものは「ノリウツギ」だ。沢縁の「」はススキである。
 そして、稜線の高いところに見える樹木は「褐葉」した「ブナ」である。この日は晴れていて、暖かかったが、10月中旬というと、この場所は、偶に雪が降るところでもある。)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その11)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

…「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない。…(10)
(承前)

 それから間もなくして、この登山に同行したF子さんのお母さんからも、次のようなメールがあった。これも、その日の「登山の様子が垣間見られる」ので紹介しよう。ただし、私信なので「一部書き換えて」ある部分もある。

『F子は一種の興奮状態に陥り、帰宅後2時間以上風呂にも入らず、岩木山のどこがよかったかなどと、話がとまりませんでした。
 赤倉御殿から頂上に向かう岩場の登りがおもしろかったそうです。信州では、4月からわずか3ヶ月の間に、5つか6つ、違う山に行ったそうですが、岩木山みたいな山はなかった、と言いました。あんな、いろいろな景色が次々にあって退屈しない、いい山だった、と。
 わたしは、なんか、青森が長野に勝った!みたいな気になって嬉しかったです。
 F子は、森林科学科に進学したい、と言うだけのことはあり、今回の山を本当に喜んでいました。私たちが言うところの「F子の嬉しいお顔」に最初からなってしまっておりました。本当に楽しかったんだと思います。』

これは、嬉しいことだ。あまり多くはないが一緒に岩木山に登る人はいる。そして、それなりにみんな「喜んで」くれる。そして私もうきうきした気分になるほど嬉しい。だが、F子さんの喜びは、私にとって至上のものであり、至福のものだった。「津軽を出て、初めて岩木山を知る」これはこれでいい。

 その日は山頂の奥宮に、岩木山の神である、黒光りする「顕国魂命(ウツシクニタマノカミ)」が祀られていた。お山参詣の時にだけ「祀られる」ものだ。
 …だけれども、山頂にいた人たちが、この「顕国魂命」に手を合わせることは殆ど見られなかった。
 私には、今でもF子さんの「笑顔」が、この「顕国魂命」のお顔をとダブって見えるのだ。優しい顔である。この神は、まさに「五穀豊穣」をもたらしてくれるものと信じられている。

 大晦日を中心とした正月三が日の「百沢岩木山神社」、それに「お山参詣」の前日や当日の「岩木山神社」の賑わいは凄い。
 だが、それに比べると「お山参詣」の持つ意味を、ちゃんと理解してくる人はあまりにも少ない。「お山参詣」は「ご来光遙拝」のためにあるものでは決してないのだ。

 さてはて、山頂直下の「映える錦秋」や、これから始まる山麓の「錦秋」は、このような「お山参詣」の様変わりをどのように見ているのだろう。(この稿は今日で終わる)

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(10)◇◇
(承前)

 …「24歳の男性」には「誤ってクマを轢いた」という気持ちは最初からなかったのだ。「誤って」という気持ちがあれば、当然、そこには「過失」を認めて「謝罪」して、「救命」しようとする行為が生まれるはずである。だが、それは微塵もみられない。
 彼の理屈はこうだろう。
…クマが勝手に道路に出てきて、私の自動車に「ぶつかった」のだ。そして、「フロントガラス」が壊れ、「自動車は運転不能」になってしまった。私は「交通被害者」だ。
 運転出来ない。家にも帰れない。その被害者である自分がどうして徒歩で帰ることが出来るか。
 壊れたガラスはどうしてくれるのだ。弁償してほしい。命と引き替えに弁償を免除してほしい。冗談じゃない。加害者はお前なんだ。弁償するのが当然だろう。思いがけない出費が嵩んでしまうじゃないか。どうしてくれるんだね。
 みんなお前、「クマ」が悪いのだ。私は何一つ悪いことはしていない。悪者は「クマ、お前」だ。そんなお前を助ける必要はない。まだ生きているらしいが、人に害をお及ぼすようなお前は生きる権利はない。死んで当然だ。
 まだ蠢いて生きているが、早く死ぬべきだ。死んでお詫びをしろ。今すぐ死ねないのなら、「銃殺」してやる。人様に害を与えるクマなぞ、死刑が妥当だろう。そうだ、お前は銃殺による死刑が妥当なのだ。
 そうだ、これでいいのだ。これですべてが終わる。何事もなかったようにすべてが終わる。私は何一つ、悪いことはしていない。…

 60歳の「県猟友会支部員の男性」はどうしただろうか。この人も全く社会性を失っている。「クマ」はあくまでも「人間社会」とは隔絶された世界の生き物だという考えである。
 「クマ」の棲む世界に「道路」という接点を造って、「クマ社会と人間社会」が直近で接した場合、その中での人の行動は「人間社会」の規制なり規範なりに従うということが「常識」であろう。その常識がまだまだ育っていない。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、27回・連続1000日達成まではあと、36日]

自然に見る「三原色」の世界は遠のいた… / 岩木山・映える錦秋…(その10)

2009-10-09 05:12:49 | Weblog
 (今日の写真は「紅葉」したヤマモミジだ。「紅葉」つまり。赤い葉という意味だ。三原色は、通常、赤・緑・青の三色である。原色とは全ての色の元になる色のことをさす。
 「紅葉」の「紅」とはこの中の「赤」をさしているのだろう。だが、今日の写真の「ヤマモミジ」は単純に「赤い」といいきれるだろうか。この写真に収まっている「モミジの葉」は100枚程度だが、葉全体が「同じ色」であるものは1枚としてない。
 大きく4つに区分けをして見てみるといい。右下はほぼ赤い。赤いといって橙に近い。左下は少しだけ「赤」が混じっているがほぼ、黄色が中心だ。
 左上のものは、葉脈に沿って黄色に染め分けられている。右上のものは右下に比べると「赤さ」加減が少ない。
 このように、自然が作り出す色彩は容易に「三原色」で識別が可能なほど単純ではない。それを無視して「紅葉(赤い葉)」という一語で片付けるところに、私は人間の傲慢さを見るのだ。
 「自然の観察に徹せず、自然の機微を知らないのに」、言葉を持つ動物として、一方的に「決めつけてしまう」というやり方に「傲慢さ」を感ずるのだ。)

◇◇自然に見る「三原色」の世界は遠のいた…◇◇

 ここで言う「三原色」の他に、「光の三原色」というものもある。光の三原色は「赤(Red)」、「緑(Green)」、「青(Blue)」のことをいう。この英語の頭文字を組み合わせると「RBG」となる。色の「三原色」や光の「三原色」ということを知らない人でも、この「RBG」という記号には馴染みがあるだろう。
 カラーテレビやコンピュータのカラーディスプレイの発光体には、この「光の三原色」が使われているからだ。光の場合には、この三色を使うと、ほぼすべての色が再現出来ると言われている。最近のディスプレイ技術は進歩してきているが、まだまだ「自然の微妙な色彩」を再現するところまではいっていない。
 現実、このブログでこの写真を見ている人の「ディスプレイ」もそうであろう。
 この「光の三原色」の場合、色を混ぜ合わせていくと、色が明るくなる。この混色方法を「加法混色」といい、原理的には「光のエネルギーを加算する」ことである。因みに、三色の色を互いに、加えていくと、最後は「白」になってしまう。「ディスプレイ」の「真っ白画面」は電気的に光のエネルギーを加えていった結果なのである。

 各家庭に、「テレビもない、コンピュータもない、カラープリンターもない」時代では「赤・緑・青」の三原色でことが足りた。
 しかし、「テレビ、コンピュータ」の登場で「光の三原色」が加わった。「光の三原色」についての知識がないと、テレビ等の画面における色調整もままならないことになった。 ところがそれだけではなかった。各家庭で「カラープリンター」を持つようになった。そうなると「色材の三原色」というものが、知識として必要視され始めた。具体的には「プリンターのインク」に関してである。
 「色材の三原色」とは「黄色(Yellow)」、「赤紫(Magenta)」、「青緑(Cyan)」のことだ。カラーインクを購入する時、「赤」とか「黄色」と言わないで、「イエロー」とか「マゼンダ」、「シアン」と言っているだろう。
 これは、色を混ぜ合わせていくと、色が暗くなるので、「減法混色」という。この三色を加えていくと黒になる。だが、不思議なことに「黒インク」がないと「カラー印刷」は出来ないのだ。
 これには「反射特性」というものが関わっているという。理論上は、三色を混ぜ合わせると「黒」になるのだが、実際、使用される「インク」は、望ましい「反射特性」を持っていないので、混ぜ合わせても黒にはならず、「暗い茶色」のような色になる。だから、「黒」のインクを加えて実用化しているというわけである。
 私のプリンターは上記四色に「グレー」「ライトシアン」「ライトマゼンダ」を加えた7色である。この「減法混色」を利用したものが、「カラー写真」やカラー印刷」なのである。

 コンピュータのモニターを見ては思う。カラー写真を印刷しては思う。…どうして、現場で見た情景や「色彩」とこんなに違うのかと。…
 所詮、「科学は自然をそのまま写し撮ったり、切り取ったりする」ことは出来ないのだろう。デジタルカメラが、その画素数をいくら競ったところで「正確な自然の色彩」を撮ることは出来ないのだ。
 やはり、自分の足でそこに行き、自分の目で見るしかないのである。

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その10)「お山参詣」の様変わり◇◇ 
       …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない。…(9)
(承前)

 「信州大学農学部森林学科」に学ぶ娘さんはF子さんという。…「よし、『お山参詣』の日であるが、この2つのことを大事にすると、私の数十年にわたる『偏屈な信念』など、簡単に『破棄』してしまおう」…と考えたのである。
 そして、その日、私は、F子さんと「山や森、草花や樹木」などの話しをしながら、実に気分がよく、楽しい登山が出来たのであった。
 ただ、残念だったことは「コナラとミズナラのドングリの違い」について、具体物を提示しての説明が出来なかったことであった。それは、赤倉登山道沿いに「コナラ」が発見出来なかったからだ。
 私だけが「楽しい登山」だったと言っておかしいだろう。当のF子さんはどう感じていたのだろうか。
 帰ってきてから直ぐに、「コナラのドングリ」についてメールを送った。その返事の中に、その日の登山の「感想」めいたものもあった。
 それを紹介して「その日の登山の様子」と「感想」のまとめとしたい。

 『昨日は、本当にありがとうございました。見たこともないほどきれいなブナ林や岩に感動し、興奮状態でした。
 (大学)サークルの山歩きではいつもすかすかと通り過ぎてしまい、花や木を説明してもらうような機会がありません。今回は花や石仏のことなど、様々教えていただけました。とても楽しかったです。
 今日のおかずはあのキノコでした。さもだしと舞茸のバター炒めにしたのですが、私は、生まれてこのかた、あんなにうまいきのこは食べたことがありませんでした。いただいたナイフは、一生使わせていただきます。本当にありがとうございました。』F子   (明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、28回・連続1000日達成まではあと、37日]

紅葉の植物的なメカニズム(2)/ 岩木山・映える錦秋…(その9)

2009-10-08 05:12:55 | Weblog
 (今日の写真は秋の明るい陽光を浴びて鮮明に輝く「マンサク」である。マンサクは一応、「黄葉する落葉樹」として分類されているのだが、どう見ても「紅」を中心にした「紅葉」である。
 もちろん、「黄色」の部分がないわけではない。この紅い色素が消えて「黄色」に変化するのかも知れない。
 奥に見える「黄葉」はヤマモミジだが、これは「紅葉する落葉樹」だ。しかし、まだ黄色いものが中心である。手前の葉はすでに、紅葉しているから、からこれから、「紅葉」へと進むのだろう。
 右上の端には「ハナヘリキ」も見える。これはこのまま、「赤さ」を増していくだろう。)

◇◇ 紅葉の植物的なメカニズム(2)◇◇

 同じ樹木の葉なのに、どうして「色」に違いが出るのだろう。その謎を解いてみよう。

…葉には「離層」と呼ばれるものが存在する…
 冬が近付くと植物は葉を落とすための準備を始め、葉と枝との境に「離層」を発達させ、この「離層」によって、葉の中で生産された「糖分」が枝の方に移送されるのが妨げられて、糖分は葉に残存することになる。
 紅葉する葉では、クロロフィルが壊されて葉が黄色くなると同時に、残存した「糖分」から赤色の色素アントシアンが出来て、葉は赤くなるのだ。
 葉の中には「クロロフィル」「カロチノイド」「アントシアン」「フロバフェン(褐色の色素)」などの色素がいろいろな割合で混ざり合っているため、1枚の葉であっても部分によって色合いが異なって見える。サクラやカキのように赤色と黄色の斑に色づくものもある。
 今日の写真の謎「同じ葉なのに違う色の部分があったり、紅葉するものが黄葉である」ことの答えの一つが解けただろうか。

…木々の紅葉の仕方には違いがある…
 樹冠の内部から色付き始める木と梢の先端から紅葉するものに大別される。これは、開葉の仕方と関係するといわれている。
 順次、開葉するタイプには、カンバ類、ヤナギ類、ニレ類があり、「カツラ」などでは「樹冠内部の老化した葉」から順次黄葉して落葉する。
 これに対して一斉に開葉するカエデ類、サクラ類、ブナなどは「樹冠先端部」から紅葉を始める。
 このようなプロセスの中で、「色に違いが出てくる」のである。これが、「謎解きその二」だ。
 
…美しくなるためには条件がある…
 美しく紅葉するためには、「温度」、「光」、「湿度」の3つの条件が必要である。特にアントシアン色素」の合成には「光と温度」が深く関わっている。この条件に適ってはじめて、本来の「色」に染まるのだ。これが、「謎解きの三」である。
 一般に最低気温が8℃以下になると葉は色付き始め、5~6℃以下になると急に進むといわれている。
 更に日中は温暖で夜間に急激に冷え込むと、美しい紅葉が見られる。また、空気が澄んでいて葉が十分に日光を受けることも必須条件である。
 更に、適度な「空中湿度」も必要であり、これらの環境条件が揃うと一層美しく紅葉する。
 深山や渓谷の「紅葉」が一際、鮮やかなのは,これらの条件が満たされるからだ。
 微妙な気象のバランスの中で、葉の色付き方が決まり、その年の雨量や日照量などが「紅葉」に影響を与えているのである。
 大気の汚染も紅葉に悪影響を及ぼす。また,同じ種類の街路樹であっても、排気ガスや日当たり、照明灯などの影響を受けて、紅葉の仕方には微妙な違いが見られる。
 排気ガスや照明灯は何も、秋の紅葉にだけ影響を与えているわけではない。春夏秋冬、日常的に「樹木」の正常な「生育」を蝕んでいるのだ。(この稿は今日で終わり)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その9)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

…「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない。…(8)
(承前)

 そのように、「お山参詣」の時には「登る資格」はないと考え、何十年も「その日に登ることを避けてきた」私が、何と、今年「お山参詣」当日に山頂に立ったのである。 この軽薄な信念を笑ってほしい。私は、この年齢で、人生「2回目のお山参詣」時における登山をしたのだ。
 その日は4人で登った。ある人から「一緒に登りたい。他2名です。いついつがいいでしょうか。19日なら都合がいいのですがが」という連絡を受けて、「体力」に不安はあったのだが、「二つ返事」で「ゴーサイン」を出したのである。
 私の頭には「その日」が「お山参詣」つまり、「朔日山」当日であることなぞ、すっかりなかったのだ。
 赤倉登山道を登り始めて、その日が「」の日であることを「同行者」から聞かされたが、引き返すわけにもいかず、後の祭りである。スイッチの切り替えだ。
 山頂に着く頃には、「喧噪」さはないだろう。「ご来光遙拝」のためだけに大勢の人間がやってくるのだから、おそらく、その日の午後は静かなものだ。最近体力の落ちている私にとって「難行・苦行」の「通過儀礼」にあたるだろう。
 私の教え子はそれぞれ大学に進んでいる。だが、殆どが「文系」だ。山岳部の生徒でも同じだった。理系に進んだのわずかに1人、広島大学理学部だ。大学を卒業するまで一緒に登山をしたT君は、弘前大学人文学部だ。
 私は、教え子が誰も、「森林学」系に進まなかったことが残念でならなかった。裏返しにすると、私自身が「森林学」を勉強したいということであり、自分なりに少しは勉強しているものの、専門的に「大学」等で学びたいという気持ちと「農学部森林学科」に対する憧れがあったのだ。
 全国に雨後の竹の子のように大学はあるけれども、「森林学科」を持っている大学は非常に少ない。5本の指で数える範囲だ。
 日本は国土の75%以上が山地である。山には木が生えている。日本は「森の国」だというのに、その「森」に関係する「学部学科」が、この数しかないのである。
 その日の同行者の中には「信州大学農学部森林学科」に学ぶ娘さんがいた。私は、この娘さんと「山や森、草花や樹木」などの話しをしながら登りたかったのだ。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、29回・連続1000日達成まではあと、38日]


紅葉の植物的なメカニズム / 岩木山・映える錦秋…(その8)

2009-10-07 05:19:24 | Weblog
 (今日の写真は、早々と紅く染まったウルシ科ウルシ属の落葉樹「ウルシ(漆)」である。見た目には低くて小さいので、「ツタウルシ(蔦漆)」に見えないこともないが、これは正真正銘の「ヤマウルシ(キウルシ)」だ。
これにかぶれるとひどい目に遭うが、秋早くから「紅葉」してくれるので、四季を彩り、それを知らせてくれる使者としての役割を十分果たしてくれる「樹木」でもある。)

◇◇ 紅葉の植物的なメカニズム ◇◇ 

 ところで、なぜ、樹木の葉は「紅葉」するのだろう。「紅葉」するのは「落葉樹」だ。青森県を含む東北地方の広葉樹は落葉するものが多い。針葉樹でも「カラマツ」は黄葉して落葉する。
「紅葉」というが、山や森の中には「紅くなる葉」と「黄色くなる葉」、それに「黄褐色になる葉」がある。
がある。
ヤマモミジをはじめ、ナナカマド、などさまざまな木の葉が鮮やかな赤色になるが、それは、「アントシアン」と呼ばれる紅い色素が葉の中で造られるからだ。
 また、黄色くなるのは、夏の間緑色の下にもともとあった「カロチノイド」という黄色の色素が表に出てくるからである。

 秋になると、「日射し」が弱くなる。そうなると、「光合成」がうまく機能しないで、得られる栄養分も少なくなる。「光合成」は葉の「葉緑体」で行われるが、「光合成」が造り出す栄養「エネルギー」が葉を維持するためのエネルギーよりも少なくなると、「葉」は自分を支えることが出来なくなり、「落ち葉」となるのである。
 ところが、樹木は「葉を落とす前」に、葉の中の養分として再利用出来る物質(栄養素)を回収するのだ。そして、落葉が始まり、回収した栄養素物質は、次の春に葉を出すためのエネルギーとして使われるのである。葉が「紅くなったり」「黄色になったり」するのは、この機能と深く関係がある。

 日射しが弱くなると、「光合成」を行う葉緑体と葉緑体内の緑色の色素(クロロフィル)も分解される。
 ところが、分解される過程で、植物にとって有害な物質とされる「活性酸素」を造り出して、植物の組織を破壊してしまうのである。
 「クロロフィル」は、青色の光を吸収して「活性酸素」を造り、「光酸化障害」といわれる植物の細胞組織を破壊していくのだ。この「青色の光」を遮断することさえ出来れば、「活性酸素」の生産を阻止することが出来る。葉たちは必死になって「青色の光」を遮断しようと頑張るのだ。
 そして、「青色の光」をよく吸収する「赤い色の色素(アントシアニン)」や「黄色の色素(カロチノイド)」を産み出すのである。
つまり、赤とか黄色のベールで葉の中をすっかり覆いつくしてしまい、葉は紅や黄色の世界に変身する。これで、「青い光」を受けなくなり、「活性酸素」も造られず、次の春に葉を出すための養分を十分に取り込み、蓄えることが出来ることになるのである。

紅葉は美しい。だが、それは樹木にとっては「必死になって新しい葉造りの準備」をしていることでもある。植物も動物も「必死になって生きている」ものは、すべて美しいのではないだろうか。
 紅葉は昼夜の温度差が大きいほど、つまり、夜の冷え込みが大きいほど、美しく色づく。
 最後に、岩木山で主に見られる「紅葉する」樹木をあげておく。

[紅葉]する落葉樹: ガマズミ、ハウチワカエデ、コマユミ、ミネカエデ、スノキ、ツタウルシ、ヌルデ、ムシカリ、ヤマウルシ、オオヤマザクラ、ナナカマド、ニシキギ、マユミ、リョウブ、ヤマツツジ、ヤマモミジなど

[黄葉]する落葉樹: アブラチャン、イタヤカエデ、ウワミズザクラ、エゴノキ、カツラ、カラマツ、クロモジ、コシアブラ、マンサク、ヤマナラシ、ノリウツギ、ツルウメモドキ、オオバクロモジ、ハクウンボクなど

[黄褐色]の葉になる落葉樹: クリ、カシワ、ミズナラ、コナラ、ツノハシバミ、ブナなど)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その8)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

…「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない。私にとって「通過儀礼」とは…(7)
(承前)
…人生とは「自分探しの旅」である。私は岩木山との関わりの中に自分を見いだそうとしていたのかも知れない。
 「自分探し」や「自分の見いだし方」は多様である。人は他者を通して、他者の中に自分を発見する。私の場合は岩木山も、この他者の一人であったのだ。
 人は、名誉や地位や出世や富みを手に入れるために「他」と戦っている。私は弱い。他と戦うにはあまりにも非力だ。
 私は精進などというものからほど遠い人間だ。無節操で、野蛮で、薄情で、その上、軽薄で単純な人間だ。私は「開け放しと評するのが適当なくらいに無用心」である人間であると思っている。
 私はいつも、かなりの年少時からであるが、他人の前に自分を曝(さら)け出して生きてきたように思える。正直に生きることが、何故か一番楽だったからであり、開けっ放しで生きることがとても潔(いさぎよ)く強い感じがしたからだ。
 無きに近い手の内は、常に他に見透(みす)かされ、掌握されてきた。私のこれまでの人生には「策略」らしいものは殆どなかったはずだ。
 だから、「他」との勝負は、する前から決まっていた。勝負にならなかった。私にとって、他人との戦いは自分が弱過ぎるがゆえに、意味をなさないものだった。
 だが、私は弱いにもかかわらず、「男」として戦いを好むのだ。相手は自分だ。

 私は長いこと「自分」に戦いを挑(いど)んできた。この戦いには策略は必要がなかった。素直に「自分」の力を出せばそれでよかった。そのひとつが、岩木山に月に3回以上は登ることであり(最近はこれも出来ないが)、その積み重ねが数十年に渡る年末年始の登山でもあった。
 岩木山は、その戦いの場を色々な形で提供してくれた。戦いの場である岩木山は、「自分」と戦うどんな人に対しても、いつも同じであると私には思える。安心して私は登っている。岩木山の心は広くて深い。誰をも一視同仁としてとらえてくれるはずだ。(明日に続く)

・またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦・は、字数制限により今日も休載します。

[連続1000回ブログ書き達成まであと、30回・連続1000日達成まではあと、39日]

岩木山・映える錦秋…(その7)私にとって「通過儀礼」とは…

2009-10-06 05:11:48 | Weblog
 (今日の写真は、10月下旬、岩木山山頂で早朝に見た「日の出」であるが、昇ってくる太陽とは正反対に位置する方向を写したものだ。
 写真左上隅には「月」が見える。まだ薄く明るさを残しているという意味の「有明の月」だ。あかね色の下に茫洋と広がっている黒灰色の色彩は「日本海」である。
 もう少し時間が経つと、この「黒灰色の日本海」の上空には、雲の峰々がその頂を太陽に晒(さら)して、眩(まぶ)しい白さに変わるだろう。そして、背後に見える針状の雲峰に比べるとそれぞれが丸みを帯びて柔らかに見えてくるはずである。
 それに接する「青空」も白いピンク色を漂わせてくるに違いない。とにかく、高く、遠いところのものは総じて明るい。
 ところが、その「黒灰色の日本海」上空には、山脈や陸地の暗色よりは、やや薄明るい「三角形」が張り出している。
 そして、その「いびつな三角形」の薄暗い蔭が、まるで、両手を広げて、山頂にいる私に迫って来るように見えた。時間をかけて眺めていて解ったことだが、三角形とは言うものの、頂点だけがはっきりしているだけで、対辺と底辺とで作るあとの二つの点は見えないという妙なものだった。
 しかも、その頂点は、正三角形のそれのように、低くなりながら、少しずつこちらに向かって、近づいて来る。
 昇ってくる太陽の位置が低い時は、頂点と底辺との長い、鋭角の「三角形」なのだが、太陽の高度が増すに従って、正三角形になり、最後は頂点が摩耗して、姿を消してしまうのだ。
 写真に写っている、このピラミッドみたいな三角形の影は、岩木山の影だ。昇ってきている「お日様」に照らされて、岩木山が「自分の影」を映じているものだ。
 山巓にいる私の影も映るかもしれない。しかし、小さくて見えないだろう。動きを加えると「微かな点」が蠢くかも知れないと考えて、「両手をかかげて振って」みたが、「影三角形のてっぺん」は微動だにしなかった。

 私の視界からは、「岩木山の影」は消えていた。それよりも「残照の月」に心が奪われていた。あの、煌々と輝く、青白い月はどこに行ったのか。あの澄み切った光は何処に消えたのか。
 その前の晩は「中秋の月」だった。これは、すっかり輝きをなくした十五夜の月なおである。
 光を失った白い月、沈むにまだまだ間のあることを恥じるように、自分から明るさを消して、太陽光の中にいざよう有明の月、それは哀れだった。しかし、自分の消え方や身の処し方を思うと、このような「ありよう」には強く惹かれた。)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その7)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

      …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない。私にとって「通過儀礼」とは…(6)…
(承前)

 …昨日、「『岩木山厳冬期登山』、これが私にとっては「通過儀礼」だったのだ。」と書いた。「通過儀礼」の本来の意味は「未成年」が「つらくて苦しい岩木山登山」に耐えることで「成年」として認められることである。
 それでは、私は「何に、何を認められようと」この「通過儀礼」を40年近くも続けなければいけなかったのであろう。少なくとも「まともな男子」ならば1回の「お山参詣」で「通過儀礼」は終われるはずなのである。
 だが、私は今もまだそれを続けている。なぜか、答えは簡単だ。ずばり、「成人」になれないからである。
 「冬山」は生死に関わる危険だらけの場所である。私は、「危険」とは積極的に行動しながら避け、かわしていくものであろうと捉えている。これこそが「生き抜いていく力」になるものであるはずだからだ。
 安野光雅は、「危険に挑んで山に登るのは、すなわち、激しく生きることにほかならぬのである。」と言う。
 山の危険とは、何も無謀なものに「突っ込んでいく」ことを意味するものではない。学習と体験によって、事前に把握出来るし避けることが可能なものである。
 無菌室で育てた生物は雑菌の中では育たないし、「疑似体験(ヴァーチャルリアリティ)」だけでは、人生も自然を知ることにはならない。
 我々は科学によって保護されることで既に失いつつある「自然の中で生物、人としての進化」を取り戻さなければならない。そのためにはあるがままの自然と直接向き合うことがより大事なことなのである。          
 これが、私にとっての「通過儀礼」である。そして、何よりも大事なことは、「自由の前には危険がある」ということを認識することだ。これを忘れてはならない。

 また、「安住的な日常性の中では、人生で最も大切な日常は見えない」ということを実感しているから、「大切な日常」を求めて「冬山」に出かける。
 危険や遭難は「小さな死」であり、それを避けて行動しながら、あるいは「雪崩」に巻き込まれながらも、それを「小さな死」以下に留めて「生き返ったこと」を実感できるような日常、それが私には大切だった。
 「日常」を激しく生きるためには、より激しい「日常」が必要だったのだ。それが、永遠の「通過儀礼」でもあったのである。
 危険をくぐり抜け、乗り越えたその瞬間は「視界ゼロ」の猛吹雪の中でも「すがすがしい青空」を意識出来るのである。(明日に続く)

 字数の都合で「またまた残虐、車で轢いて、その上で『クマ』射殺・深浦」の最終回は明日掲載します。

[連続1000回ブログ書き達成まであと、31回・連続1000日達成まではあと、40日]

岩木山・映える錦秋…(その6) / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(9)

2009-10-05 05:13:38 | Weblog
 (今日の写真は、10月下旬、岩木山山頂で早朝に見た「日の出」である。どうも、「ご来光」と言うには気が引ける。確かに、「山頂」から見る「日の出」に対しては、どことなく「気が引き締まる」思いがする。だから「ご来光」と呼んで「合掌」してもいいのだが、やはり、私ににしてみると「日の出」であり、「日の出」昇りくる太陽に向かって自然に「合掌」はしているのである。

 この写真は、10数年前に撮ったものだ。だから、岩木山に登り始めて40年に近く経っている時のものだ。その40数年の間に何回、「日の出」に遭遇したことだろう。
 その回数は定かではない。その中で、この日に見た「日の出」と「雲海」は、その幻想的な美しさとスケールの大きさでは、とりわけ異質であったように思う。
 「日の出」に合掌しながら、ふと、「生きたい」、「一生懸命に生きたい」と思った。
 よく解らないけれど、とても素直な気持ちになっていた。次いで、「救いあれ」と合掌した。誰の救いなのか、何のための救いなのかは分からなかったが、この世には自分を含めて大勢の「救い」を願う人がいるに違いない。そのような人たちが「救われるといい」という漠然とした祈りであったと思う。
 合掌して、目を瞑る。そんな時には「私も自然の一部」だと思うこともある。太陽、雲海、残照の月、吹き過ぎゆく風、さらさらと「かそけき」音を歌うノガリヤスの穂先とチシマザザの群れ、ひんやりとした岩に触感。天体から無機物、それに有機物のすべてが融合しているのだ。
 そうだ、私は今、同じく自然の一部なのだ。そして、すべては、互いに「自然の共有者」なのである。
 「日の出」には「耳に聞こえない音楽性」もある。ゆっくりと地平線やたなびく雲堤の上に昇ってくる太陽は、壮大な「自然のシンフォニー」でもある。私はその「シンフォニー」に、最初は「目」を傾け、そして、次いで「耳を傾け」神々の声を聴くのである。 古来、山巓(さんてん)で神の啓示に出会う人が多いと聞く。なるほどそうだろう。
 「日の出」には、神の出現に必要な全ての舞台装置が綿密に整えられているからだ。)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その6)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

      …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない(5)…
(承前)
 …それは、「お山参詣」をする資格はないと考えたからである。私はこれまでに述べた「3つの条件」、「3つの目的」を持てないからである。
 第一に、私は「通過儀礼」を受けなくても、大学生の頃から岩木山にすでに登っていた。大学生の頃、一夏に60回も登ったことすらあった。
 第二には、私は農家ではないということだ。自分のために「五穀豊穣を祈る」ということはなかった。
 第三は「お居往来山(いゆきやま)」ということは知っていたが、自分の「ご先祖様」に会いたいとは思わなかった。
 私にとって「お山参詣」の時に登ることは許されないものだった。資格がないのに登るということは、目的もないのに登るということは「お山参詣」そのものに対する冒涜のような気がした。だから、その「お山参詣」の日に「岩木山」登ることは常に避けていた。
  だが、それ以外の日はよく行った。特に冬の山頂詣では長く続いた。29歳から34年間、連続して「年末・年始登山」を実行して山頂に立った。冬場は、この「年末・年始登山」を中心にして「月」に3回以上は登った。12月から3月まで毎年12回以上は山頂に立っていた。
 「年末・年始登山」は、「体調の不調と家族の猛反対」で34年続いて終わったが、その後も毎年「厳冬期」の山頂には登っている。来年2010年の1月から3月の間に「山頂」に立つことが出来ると、40年連続「厳冬期岩木山登頂」ということになる。
 冬山登山は「夏山」の比でないほど、すべてにおいて、きつく辛いものだ。私は大体が「単独登山」である。あらゆることを「すべて自分でする」という登山である。
 冬山登山は、加えて、常に「死」と背中合わせでもある。極寒、暴風、視界不能、急斜面の雪は胸まで埋まる、雪崩に遭ったこともある。
 すべてが難行であり苦行である。だから、「岩木山厳冬期登山」、これが私にとっては「通過儀礼」だったのだ。(明日に続く)

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(9)◇◇
(承前)

 …「轢かれ撥ねられたのが『クマ』でなく、『人』だったら、この『24歳の男性』はどうしただろうか。また、『県猟友会支部員の男性』はどうしただろうか。
 恐らく、彼らの対応はまったく違うものになっていたはずである。私はそう信じたい。「スピードの出し過ぎ」、「安全運転義務違反」、「轢き逃げ」、「まだ息があるらしいから殺して欲しいという殺人教唆と依頼」、「それをうけての殺人幇助」「殺人の実行犯」などという視点での、法の適用にあたる行為である。
 だから、そこまではやらないだろう。「24歳の男性」も直接、警察に通報したかも知れない。いやそうでないかも知れない。
 もしも、「フロントガラスの破損」がなければ、「自動車が走行不能」にならなければ、轢き逃げで終わっていたかも知れない。
 しかし、現実は、事故現場の事情が「人目の少ない時間帯と地域」であり、「フロントガラスの破損」、「自動車が走行不能」である。
 だから、逃げたところで、ばれる恐れは十分ある、やはり、通報した方がいいと考えるだろう。

 だが、なぜ「24歳の男性」に「クマ」を「ヒト」と置き換える配慮がなかったのだろう。60歳といういい歳の、分別も十分あるであろう「県猟友会支部員の男性」までがほいほいと出かけていって「銃殺」する必要があったのだろうか。なぜ、「24歳の男性」にそこまでしなくていいのではないかと「諭す」ことが出来なかったのだろうか。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、32回・連続1000日達成まではあと、41日]

岩木山・映える錦秋…(その5) / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(8)

2009-10-04 05:09:39 | Weblog
 (今日の写真は、10月下旬の岩木山だ。錦秋は色あせて、木々の葉は褐色に変わり、「落ち葉」になる前に静かに陽を浴びている。緑なすものは根曲がり竹と山頂近くの「ハイマツ」だけである。厳密に言うと、他のツツジ科の常緑低木も混じるが、ここからは見えないので、そういってもいいだろう。
 ここは、百沢スキー場の上部である。百沢スキー場の上部には「ジグザグ」に「道」が続いていて、それはその上部のブナ林の中へと入っている。「ジグザグ」道はスキー場を造る時に「開鑿」した、いわば「新しい道」だ。新しいといっても、現在ではほぼ歩けないほどの藪に覆われている。だが、「ブナ林」の中の道は、雪解け間もない下草の生えていない時季には、それを辿って大沢に出ることが出来る。
 この「踏み跡道」は「旧い登山道」なのである。この「」に入ると山頂はまったく見えなくなる。右正面に見えるのが、後長根沢の源頭、「オオマブ」だ。ほぼ垂直の岩の崖である。左正面が「大沢」であり、鳥海山の中腹に見える「白い」部分がブナ林の梢だ。葉を落としたブナの梢は「白く」輝く。そして、春になると「赤く」輝く。
 左手前には「ススキ」が見える。開鑿された道は「荒地」でしかない。「ススキ」は荒地に先ず生える遷移植物だ。ススキが影を潜めると「陽樹」が生えてきて「森」作りが始まるのだ。
 ススキは草の中では、高さが2mに達する大型のものだ。日当たりのいい山野や荒地に自生する。別名では「袖振草」などとも呼ばれるが、それは見た目の話しだろう。そんな「なまやさしいもの」ではない。細長い葉は刃物のように鋭く、触れると指を切る。
 昨晩は「仲秋の名月」、十五夜だった。一昨日、「十五夜」の御供え用にと「ススキ」を採りに行った。自転車では10分もかからない「加藤川」の川縁である。
 そこで、山では「軍手」を外すことがないのに、不注意にも素手で葉を握ったところ、左手親指の裏側を切ってしまった。
 昨晩の「十五夜」はほぼ天中で輝き、天中に近い真上をとおって「岩木山の西」に沈んだ。今朝5時過ぎに、外に出て「お月様」はどこだろうと探したところ、昨晩10時に見た「白い」月は、赤みを帯びた「橙色」に輝きながら、大きさを増して、まさに「岩木山」の「端(は)」に沈もうとしていたのだ。)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その5)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

      …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない(4)…
(承前)

 …山麓の「登山口」から登らなくなった「お山参詣」は形骸化してしまった。そして、目的化してしまったのだ。
 「お山参詣」に託されていた3つの「目的」、つまり、「成人男子になるための通過儀礼」、「五穀豊穣への祈り」、「ご先祖様への感謝と労り」は山麓登山口から登ることで、その実態を持ち続けてきたのである。その「登山口から登る」というプロセスが省かれてしまった「お山参詣」は実体を失って、この「ご来光」を拝むという行為だけが「目的化」してきたのである。
 そして、それが「観光客」や一般市民の意向とマッチしたのである。一方では「農家」の減少による真の意味で「お山参詣」を支える人々の減少ということもある。それよりも何よりも、戦後60余年、日本という国を「包み込んでしまったアメリカ的な機械文明」と「アメリカ的な文化」が「日本人が受け継いできた自然信仰とその文化」をなし崩しにしてきたことに問題があるのである。津軽の多くの農民から「岩木山への畏敬」は次第に消え去りつつあるのだ。
 だからこそ、「岩木山への畏敬」を取り戻し、真の「お山参詣」として参加して貰うことが大事だろう。
 あえて、地元の「マスコミ」に、形骸化した「お山参詣」を「ご来光を拝む」という抽象化で捉えることなく「お山参詣」の目的にそった側面から、人々に問い直すような記事を書き、映像で迫るべきではないかと言いたい。

 私は50年近く、岩木山と関わり、「春夏秋冬」と登り続けているが、お山参詣の前日の晩から登り始めて、いわゆる「朔日山」の早朝に、山頂に立ったことは、これまでたった1回だけである。(明日に続く)

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(8)◇◇
(承前)

 記事には…「この男性は、散弾銃の所持許可を持っているが、鳥獣保護法では、日没後の夜間に銃でクマなどを撃つことは禁じられている。同署は、同法違反の疑いもあるとみて事情を聴いている」とある。
…だが、「ハンターなど、銃を持っている者が、警察を無視して、銃で勝手に処理をする」ことについての論評はまったくない。私だったら、「このこと」を問題にしたいところだ。
 記事では「日没後の夜間に銃でクマなどを撃つことを禁じている」鳥獣保護法違反であることに「論評」の中心を置いている。
 そのようなことよりも、「24歳の男性」がとった一連の行動と、「県猟友会支部員の男性」の射殺という行為が、「自然に生きる動物」と「人間社会」との接点でどのような意味と問題を含んでいるのか、つまり、「生物の多様性」という視点でのとらえ方で書いて欲しかった。
 もう一つは、この「24歳の男性」と「県猟友会支部員の男性」の人間性の問題だ。あらゆる事件、あらゆる犯罪というものには、当事者の人間性が深く関わっているものだ。
 「轢かれ、撥ねられ射殺された」ものが「人間」でなく、「獣・クマ」だから相対的に「加害者」の人間性とその行為を「問わない」とするならば、それこそ「人間の勝手な論理」である。「命を持つもの」という視点では「クマ」も「人間」も絶対的な存在なのである。
 クマには「クマ性」を、人には「人間性」をしっかり求めるべきなのである。私は「轢かれ撥ねられたのが『クマ』でなく、『人』だったら、この『24歳の男性』はどうしただろうか。また、『県猟友会支部員の男性』はどうしただろうか」という視点で、もう少し考えてみたい。(明日に続く)  

[連続1000回ブログ書き達成まであと、33回・連続1000日達成まではあと、42日]

岩木山・映える錦秋…(その4) / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(7)

2009-10-03 05:08:44 | Weblog
 (今日の写真はある年の10月中旬に赤倉登山道を降りてきて、環状道路に出たところから岩木山を撮ったものである。爽やかな登山だった。終日晴れていい天気だった。
 そして、日暮れは近い。太陽は岩木山の右(北)に傾き、逆光の中に岩木山を包み込んでいる。ただ、山頂だけが幾分白く輝いている。そこだけが日を浴びているのだろう。
 秋の日の暮れかからんとする陽光を思い切り浴びているのは、イネ科ススキ属の「ススキ(薄・芒)」である。
…キラキラとススキの穂先風に揺れ沈む夕日に光を語る…という世界だろうか。ススキほど秋の風と光を実感させる植物はないかも知れない。
 四季のあるこの国に暮らす私たちは幸せ者だ。草々はその四季をハッキリと教え、それを私たちは捉えて「喜んで」きたのである。    
 岩木山の山麓、その原野や更地に茂るススキに穂が出て、終日秋風に靡いている。新しい穂は陽光を浴びて、キラキラと輝く。
 種をつけた穂は、フワフワになって白髪頭のようである。これを称して「尾花」という。夕方、真っ赤な夕日がススキの奥に沈んでいく時、「真っ赤な」夕日を反射させて、一段と美しく輝く。
 「ススキ」は不思議な草である。いつ見ても、「いつか、どこかで、見た」ことがあるという思いを持たせてくれる。これは、秋の七草の一つだ。風に一斉になびくさまは美しい。
 なお、尾花(おばな)・花芒(はなすすき)・糸芒(いとすすき)・十寸穂の芒(ますほのすすき)・縞芒(しますすき)などの色々な呼び名があり、季語としては秋だが、「青芒」は夏、「枯芒」は冬となる。
 風とススキは本当に相性がいい。「花すすき」とは白い穂が出た「ススキ」のことだ。

・をりとりてはらりとおもきすすきかな(飯田蛇笏)
…ススキの穂は見た目には軽そうだが、折り取って手に持つと思いがけない重さだ。…
 これは見た目には感じない、生命の重さに感動している俳句ではないだろうか。

 現代短歌にもすばらしい一首がある。これは解説抜きにするので各自味わって欲しいところである。
・鎮魂のフーガ奏でて故里のすすき穂群に風吹きすぎる(佐藤ヨリ子)

 「ススキ」の名前の由来であるが、「すくすくたっている木(草)という意味」によるとか、神楽に使われる鳴り物用の木、すなわち「スズの木」に似ていることによるとか色々あるらしい。漢字の「薄」「芒」はいずれも「草むら」を意味する。確かにススキはすべて「群がる」ものである。

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その4)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

      …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない(3)…
(承前)

 長平登山道も、百沢登山道と似たような「水神」への祈りの形態を見ることが出来るのだ。
 昔は長平から登り始めて、しばらくは、なだらかな現在、「ゴルフ場」になっている草原の中を通り、そこから西岩木山林道に入っから、石神様へ続いている参道へ入る。
 この参道が登山道である。ミズナラに囲まれた参道を「姥石」を右に見ながら登り、左に曲がると、そこはもう「ブナ」林である。その道の右側、ブナ林の中には「羽黒清水」という「湧水」がある。最近は、この「湧水」の上部がスキー場ゲレンデとなり、伐採されてしまったので「湧水」の量は極めて少なくなっている。
長平登山道にはこの上部にも、2カ所の「湧水」がある。さらに、最後の「水場の手前」には、鰺ヶ沢の人たちが「長平の種蒔苗代」と呼んでいる小さな「池塘」もある。
 「五穀豊穣への祈り」は、この「湧き水清水」や「池塘」で行われていたのである。
 このように「五穀豊穣への祈り」という行為は、古くからの「登山(登拝・遙拝)道」では、登山口から始められていたのである。
 だが、「スカイライン・リフト終点」と山頂の間には「湧き水」がないではないか。少なくとも「水」に関するものが何一つないのである。これでは、「五穀豊穣への祈り」は出来ないし、意味を持たない。

 「ご先祖様への感謝と労り」もまた、「登山口」から、汗水流して登ることによって初めてなされるものであろう。
 「ご先祖様」は山頂にだけいるものではない。むしろ、荒涼とした山巓にいるよりは樹木の生えている静かで、安心のおける樹林帯にいて、「木霊」たちと仲良く暮らしているかも知れない。
 祖霊たちは、「お居往来山」の山麓や山腹などに仰臥している。そして、春になると「田の神」、つまり「水の神」となって里に下りるのである。だから「降り易い」ところ、近いところにいる。
 昔の人たちは、山麓から登る途中で、「ご先祖様」に出会い、懐旧に浸り、労りの言葉をかけることが出来たのである。登りながら、汗をぬぐいながら、厳しく辛い農作業に思いを馳せながら、「ご先祖様よ、今年はありがとうございました。来春もまたやって来てよろしくお願いします」と祈るのである。(明日に続く)

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(7)◇◇

 記事には「…男性は携帯電話で家族らに通報、連絡を受けた町内に住む県猟友会支部員の男性(60)が、路上にいたクマを散弾銃で射殺した。」とある。
 「家族ら」とあるところからみると、「複数」の人に通報したとは考えられるのだが、「警察」にもしたのならば「警察」という言葉は当然あるだろう。
 また、「…連絡を受けた町内に住む県猟友会支部員の男性」は一体誰から連絡を受けたのだろう。直接「24歳の男性」から連絡を受けたとすれば、その「依頼」は「クマの射殺」であり、射殺は「24歳の男性」の希望であるということになる。
 なお、記事の中には「路上にいたクマ」とか「道路に倒れていたクマが起きあがろうとした」という表現があるが、この情況が「射殺」という結末とどうして結びつくのかが、私にとっては不可解である。だが、最初から、「起き上がろうが、起き上がらないだろう」が「撃ち殺す」つもりで現場に行ったとしたら「結びつき」は明瞭になる。
だが、やはり、おかしい。このような事故には、とにかく警察が駆けつけるということが「本筋」だろう。ハンターなど、銃や武器を持っているものが最初に出て行って、その銃を頼りに勝手に処理をするということは、「法治国家」や「治安の要に警察を置く」という国にあっては、許されないことだと考えるのだ、どうだろう。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、34回・連続1000日達成まではあと、43日]

岩木山・映える錦秋…(その3) / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(6)

2009-10-02 05:12:44 | Weblog
 (今日の写真はある年の10月上旬に山頂から南の方角を撮ったものである。朝である。「ご来光」を確認してから、1地時間以上、私は天空のドラマ、光の移ろいの中に身を置いていたのだ。気温は氷点下1℃くらいであったろうか。前日の午後に登ってきて、ひっそりとしている「石室小屋」を拝借して、泊まっていたのだ。
 山頂には花の姿はなかった。この写真に見えるように、黄変した「イネ科」の草が、微かに揺れているだけである。だが、山頂直下の低木帯は、名残の紅葉を、または褐色に変じた葉をつけて「錦秋」という風情をとどめていた。
 太陽の高度はまだ低い。陽光は写真の左方向から、水平状に射し込んでいる。岩肌はまだまだ冷たい。
 眼下には「雲海」だ。遠くの山裾を入り江として、雲の海が入り込んでいる。この時間、雲の覆われて、弘前からは岩木山は見えない。
 たった一人の岩木山山頂、このような時には「山巓には神がいる」ということを実感するのだ。)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その3)「お山参詣」の様変わり◇◇ 
(承前)
      …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない(2)…

 「朔日山」の「ご来光」遙拝を目的に来る人の大半は「スカイライン」と「リフト」利用者である。「リフト」の終点から山頂までは「普通の壮年」で大体30分くらいの距離である。勾配はきつく、足場も岩なので「楽な登り」ではないが、距離が短いこともあって、別に「難行苦行」の登山ではない。
 「苦しい登りという要素に欠け」ていては、成人男子になるための「通過儀礼」とはならない。「僕はスカイラインとリフトを使って岩木山の山頂に立ちました」と言っても、「誰」も「そうか、これで君は立派な成人男子だ」などとは言ってくれないし、認めてもくれない。
 つまり、「スカイラインとリフト」を使った楽な登山では、「お山参詣の持つ」1つの目的、…言い方を変えると参加条件でもあるが…、成人男子になるための「通過儀礼」として要素が完全になくなっているのである。

 あと2つの「目的」である「五穀豊穣への祈り」と「ご先祖様への感謝と労り」にしても同じである。
 「五穀豊穣」や「豊作」ということは「水」と深く結びついている。岩木山は周囲の田畑にとっては「水甕(みずがめ)」である。つまり、「五穀豊穣への祈り」とは岩木山の水に対する祈りであり感謝なのである。
 「五穀豊穣への祈り」とは山頂で行われるよりは、むしろ、山麓登山口から山頂までの途中途中にある「湧水」のある場所や沢筋で行われるものだ。そのような場所には、必ず、「龍神さま」や「水神さま」、または石造りの観音像が祀られてある。「龍」は水の化身、または抽象化されたものとされている。
 因みに、赤倉登山道では「湧水」が赤倉講社屋の東面、登山道尾根左岸の縁に一カ所しかないが、伯母石の脇には「龍頭(りゅうづ)観音」の「石像」が祀られている。直接水の出ていないところには「水神」や「龍神」に関係する「観音像」を配置しているのだ。
 これは、尾根筋の登山道(登拝道)の場合だが、「鬼の土俵」に抜ける道は、赤倉沢を遡上する「ルート」なので、登りはじめから、直接「水」とかかわることになり、「しめ縄」の張られた岩があちこちに見られるのである。
 百沢登山道、別名「奥宮登拝道」では、先ず「神社内」の「ご神水」から始まる。この、ごうごうと音を出して湧き続ける「水」への感謝と畏敬から始まるのだ。そして、標高1300m付近の「錫杖清水」で、「水」への祈りを深めて、標高1400m付近にある「種蒔苗代」では、そこを「苗代」に見立てて「五穀豊穣」を願うのである。(明日に続く)

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(6)◇◇
(承前)

 「24歳の男性」が家人に電話をしたことで、、家人は「24歳の男性」の社会的な責任よりも、クマの生命よりも「24歳の男性」の身を案じた。
  こうなることを「予想して」または「期待して」、この「男性」は携帯電話をしたと考えてもいいだろう。
 もう一回言おう。「他損」「自損」にかかわらず、「交通事故」を引き起こしたのだから、先ずは「警察」に通報すべきが正当なことだろう。
 「男性本人」は直接、「警察」に連絡しなければいけないことなのだ。直接、「警察」に電話をすると、その時点でこの「男性」は「警察」と直接、対峙することになり、「男性」と「警察」とは対等な位置関係になる。「対等な位置関係になる」ということは、その責任がすべて「自分のもの」となることを意味する。
 「責任を少しでも軽くしたい」し、「自分ですべて処理することは出来ない」という甘えた考えが、この「男性」を支配していた。甘えん坊である。社会性に欠けた甘い「坊や」に轢かれて、撥ね上げられた「クマ」は、特に哀れである。
 なぜか、この手の人間は、日常的に「自分のことしか」考えることがなく「他を慮る」ことなぞはあり得ないからである。「クマ」は「人」を選ぶことが出来ない。この「クマ」は「クマ」にとっては「最悪の人」が運転する自動車に「轢かれ撥ね上げられた」のである。
 そこで、「男性」は「直接連絡する」ことを避けたのだ。そして、警察と自分の間に「家人」を介在させた。この場合、家人は「男性」にとって「バッファー(緩衝)材」でしかない。
 …「道路脇からクマが出てきて車にぶつかった」、「そのため、フロントガラスが割れて運転不能だ」、「クマはまだ生きているらしい」、「いつ、起き上がってかかってくるか分からない」、「今直ぐにでも、迎えに来て欲しい」「助けてほしい」というようなことを家人に伝えたのだろう。
 「クマ」を助けるという気持ちがないにしても、「瀕死のクマが立ち上がってかかってくること」が怖いのならば、自力でその場を立ち去ってもいいだろう。それもしないで、携帯電話をしているという「体たらく」である。
…記事には「警察」への連絡が誰からいったかは書かれていない。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、35回・連続1000日達成まではあと、44日]