岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山山麓に『風力発電所』設置の計画あり / ブナ紅葉(その4)

2009-10-23 05:12:32 | Weblog
 (今日の写真も赤沢右岸尾根のブナ林である。「褐葉」して、葉を落としているものもあれば、まだ、「褐葉」のものもある。そうかと思えば、いまだに「黄葉」のものもある。何回も言っているが決して「秋の紅葉」などと「一括りの言葉」では、この色彩は語れるものではない。
 写真の下部中央には「ハウチワカエデ」が見えるし、黄葉は「オオバクロモジ」、大きな緑の葉は「オオカメノキ」だ。

 「紅葉の仕方」は樹冠の内部から色づき始める木と梢の先端から紅葉するものに大別される。
 これは、開葉の仕方と関係するといわれている。順次開葉するタイプには、カンバ類、ヤナギ類、ニレ類があり、「カツラ」などでは「樹冠内部の老化した葉」から順次、「黄葉」して落葉するのだ。
 これに対して一斉に開葉するカエデ類、サクラ類、「ブナ」などは「樹冠先端部」から紅葉を始め、落葉するのである。「褐葉」して、葉を落としているものは、これに当たっているのだ。)

◇◇ 緊急のお知らせ 岩木山山麓に『風力発電所』設置の計画あり!!◇◇

 私たち「岩木山を考える会」は、この計画に基本的には賛成はしていない。

1.それは、この土地に住む人々の原風景とも言える「裾野を含めた岩木山という景観」に異物を建造することで、その「原風景的な景観」を損ねるものとなるからである。

 岩木山の景観は、津軽の民謡に「さてもみごとな津軽の岩木、冬は真白く、春青く、夏は墨染、秋錦、衣替えするあざやかさ」と唄われるほど周辺地域、および岩木山の見えるところに住む人々から、昔から愛されてきた。
 太宰治はは遠く金木から見える岩木山を「十二単衣の裾をぱらりとひらいて、透きとおるくらいに嬋娟(せんけん「艶やかで美しいの意」)たる美女」と褒め称えた。
 褒め称えたのは何も太宰一人ではない。長部日出雄も言う。
「…岩木山は崇拝と尊敬、憧憬と親愛、信頼と信仰の対象で、精神的な意味では生きる力の源泉だった。」(陸奥新報「岩木わが心の羅針盤」から)
 「岩木山の景観」には「津軽人」の魂がこもっている。崇めいとおしむという心情で眺めるのである。それは「祈り」でもある。事実、岩木山に向かって頭を下げたり、合掌する人も多い。
 それは、岩木山が、ご先祖様の霊が岩木山に居て、春になると水神様(田の神)として帰ってきて田仕事を手伝い、秋の収穫が終わると岩木山に戻るという「お居往来山」だからである。
 祈りと頭を下げられ、合掌の対象となる岩木山は悠久の岩木山なのだ。人々から見える岩木山は「混じりけのない、異物のない」昔からの、平安時代の爆発で出来た中央火口丘(現山頂)を持つ、変化のないそのままの岩木山なのである。
 だが、「開発」という人の手が、昔からの「景観」に異物を加えてきた。自動車道路「岩木スカイライン」もその一つである。これは、現代の「鬼っ子」と称されている。
 雪が消えてから雪が降り積もるまで、岩木山の南東面と北面の尾根には「巨大なバリカン跡」が見える。「ミズナラ」や「コナラ」の森、「ブナ」の森を皆伐した跡である。 そして、山腹から山麓の、その場所は積雪期になると、夜空を連日焦がさんばかりに照らしているきらびやかな明かりに彩られる。
 スキー場である。これは「異物」である。津軽の人たちの原風景に楔(くさび)として打ち込まれた「異物」である。それは魂を毀損し、岩木山に対する「敬愛と信仰」をも奪った。岩木山は津軽の人々にとって「西方浄土」なのだ。
 もういいだろう。スキー場だけでいいだろう。これ以上の「鬼門」をどうして造ろうとするのか。造ってはいけない。

 「『景観』上、好ましくない」という設置反対の論理は、しばしば、「見えないところに住んでいる」人たちにとって「軽視」されてきた。鰺ヶ沢スキー場開設にあたっても、そこが見えない「弘前や板柳、藤崎」の人たちにとっては、「見えない場所」ゆえにあまり問題にされなかった。
 鰺ヶ沢町はスキー場のために道路敷設など多額の費用支出をした。その挙げ句が「赤字再建自治体」一歩手前の状態だ。
 見えないからと言って「知らない振り」は出来ない。「風力発電機設備」の見えるところに住んでいる人の気持ちになって考えようではないか。
 「青森県環境計画」には「景観、緑や水辺、歴史的・文化的要素を環境資源として考慮しながら、快適環境づくりを推進します」とある。私たちは「青森県」の人間なのである。同じ県民であり、市民なのである。「市民」とはなにも当該市町村の住民だけを指すものではない。

◇◇ ブナ紅葉 (その4) ◇◇
(承前)

 …ところが、樹木は「葉を落とす前」に、葉の中の養分として再利用出来る物質(栄養素)を回収するのである。そして、落葉が始まり、回収した栄養素物質は、次の春に葉を出すためのエネルギーとして使われるのである。葉が「紅くなったり」「黄色になったり」するのは、この機能と深く関係がある。

 秋になり、日射しが弱くなると、「光合成」を行う葉緑体と葉緑体内の緑色の色素(クロロフィル)も分解される。
 「クロロフィル」の量は、「カロチノイド」の量に比べて、8倍も多くあると言われている。
 ところが、分解される過程で、植物にとって有害な物質とされる「活性酸素」を造り出して、植物の組織を破壊してしまうのである。
 「クロロフィル」は、青色の光を吸収して「活性酸素」を造り、「光酸化障害」といわれる植物の細胞組織を破壊していくのだ。この「青色の光」を遮断することさえ出来れば、「活性酸素」の生産を阻止することが出来る。葉たちは必死になって「青色の光」を遮断しようと頑張るのだ。
 そして、「青色の光」をよく吸収する「赤い色の色素(アントシアニン)」や「黄色の色素(カロチノイド)」を産み出すのである。
 つまり、赤とか黄色のベールで葉の中をすっかり覆いつくしてしまい、葉は紅や黄色の世界に変身する。
 これで、「青い光」を受けなくなり、「活性酸素」も造られず、次の春に葉を出すための養分を十分に取り込み、蓄えることが出来ることになるのである。(この稿は今回で終わりとなる。)

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